一章「中串組」ー2
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寝耳に水、まさにそんな気分だった。
ルーチンワークになりつつある回覧板取りに精を出してみれば、中身を見て“明らか”に面倒事であると分かる依頼書が一枚。
「……中串奏の護衛?」
「……うちは死体処理班グループなんだけどねぇ。どうする?」
あくまでも依頼だ。此方が拒否する手もあるし、それに対し半蔵さんは何も言わないだろう。
だが、何も言わないだけで済まないのは目に見えている。
こめかみが引き攣りそうな気分でぼくは頷いた。
「やるしか無いんだろうなぁ。一般人のお守りなんて何をすれば良いんだかぼくには分からないよ」
「うーむ、その点に関してはボクも同意だ。トランプやってコイバナでもすれば良いのかな!?」
「修学旅行じゃないんだから……いや、まぁ確かに皆でわいわいする行事だった筈だから参考にすべきなのか!?」
まるでホームステイ先になった家庭の前夜みたいにぼくらのテンションと思考はお祭り騒ぎだった。
なんせ、どちらも普通を知らないからだ。
片や事故から家族愛により生還した元殺人鬼。
片や家族徒党を組んで迫害された元殺人鬼。
普通だなんて世界は感じた事も無いぼくらが、本や携帯からの文章のみの知識を活かせる気がしないのだ。
救えない話だ。
平和な世界故に異常な世界は理解されない。
異端は異物のままで、異常は遺物のままで、積み重ねるように隠してゆく世界はやはり美しい手際だと裏表を知るぼくは思う。
壊れてしまえば、楽になれただろうに。
そんな事を言われた気がする。
それが誰の言葉だったのかぼくは覚えていない。
医者だったかもしれないし、生還者だったかもしれないし、警察だったかもしれないし、叔父母だったかもしれないし、祖父母だったかもしれないし、友人だったかもしれないし、見知らぬ他人だったかもしれないし、自分だったかもしれない。
ぼくは壊れる前に請われてしまったから、未だにこの世にぼくという救い難い人間は生きていられる。
「とにかく……、依頼書をもう一度読み直してくれ。間違いかもしれない」
彼女は頭を抱えながら懇願するように言った。
「中串奏の護衛。依頼期間は抗争終了及び依頼者の判断。護衛対象情報は……九歳女児、気質堅気」
「……間違い……どっかに無いのかい?」
「……残念ながらありそうに無いね。今日の昼頃から依頼開始だってさ……」
今度はぼくが頭を抱える番だった。
幾ら読み直しても依頼書の内容は変わりはしない。
彼女が「そうだ、炙り出しだ!」と錯乱する程にぼくらは困惑していた。
「諦めて準備しようか。期間中はあちらに泊まりらしいから……」
「……うん。仕方が無い。これは仕方が無い事なんだ……」
自分を慰めるように彼女は自己暗示風に納得したようで、お葬式ムード溢れるお泊まり準備が始まった。
ぼくは彼女のようにぶつぶつと呟き項垂れながらでは無く、諦めてさくさく準備したために、数分で終えてしまった。
九歳というと……リリカル的に小学三年生か。
気難しいお年頃だが彼女に任せても大丈夫なのだろうか。
チラリと見やれば未だに悪戦苦闘中らしい。
……絵本でも買ってみるか?
いや、幼過ぎるチョイスかなぁ。
それに堅気気質ってどんな九歳女児だ。
いや、極道の娘であるからむしろ一般的な性格なのか?
常識を持たぬぼくが幾ら常識を考えようが無駄な気がした。
一先ず会ってみよう。
それ以外に選択肢は……あるにはあるが面倒だ。
このアパートの302号室には≪ホームズ≫という情報屋が居る。
メールでしか情報を遣り取りしない引きこもりな情報屋≪ホームズ≫。洒落にしか聞こえない皮肉な通り名だが、その情報の正確さは随一だ。
まぁ、重度の家好き(引きこもり)なのでドアを蹴破り、“お願い”すれば一回目は教えてくれるが、その後が面倒だ。
一度やったぼくが言うのだから間違い無い。
「準備できたかい?」
「……残念ながらね」
「まぁ、なんだ。女の子みたいだし任せたよ」
確かな返事は返ってこなかった。
そんなに嫌か。嫌なのか。……ぼくも嫌だな、うん。
とぼとぼという擬音が似合うような項垂れっぷりでぼくらはアパートを出て、外出用の鞄を背負いながら中串組へ向かう。
無言、溜息、無言、嘆息、無言。
……先程から彼女は嫌気を吐き出しているようだった。
しかし、数分後には中串組の屋敷の一部がやや遠くに見えていて、それにつれて彼女の足取りは重くなってゆく。
「怖いのかい?」
ぼくは立ち止まりながら振り返り、彼女に呆れ半分に声をかける。
油が切れた古い扉のように重々しく頷いた彼女にどう言葉を続けようか迷う。
彼女の場合、一番親愛するに値する筈の家族に裏切られているために、パーソナルスペースに自分以外の他人全てを拒絶する所謂人間恐怖症に陥っていた苦々しい過去がある。
二年前、ぼくに会うまで彼女は絶対零度レベルの冷血な毒舌家だった。半蔵さんは見た目通り変人なので気にしなかったようだが、彼女は初対面のぼくに「お出口はあちらですよ」と二階の窓を指す程に他人を拒絶。入ろうとすれば肉切り包丁でお出迎えし、入ったとしても窓へ手口巧妙に誘導し蹴り落とそうともしてくれた。
実体験だから信憑性は言うまでも無いだろう。
まぁ、それはともかく。
二年のリハビリでぼくに対し玄さんと悪戯を企てるくらいにまで回復したが、それは相手側が気遣いができる人物だったからだ。気に入らない人物には冷めた笑顔で応える彼女の悪戯心を玄さんは上手く揺さぶってくれたものだ。いや、逆かもしれないが。
それもともかく。
詰まる所、彼女は純粋な人間が苦手なのだ。
名前を呼び合って友達になれる子供なんて苦手中の苦手だ。借りてきたアニメで固定概念を潰す治療法で、まさかテレビの方が潰されるとは誰も思うまい。
おかげでうちにはテレビが未だに手を出せない。
「……はぁ。流石にそろそろ耐性付けて欲しいのだけど」
「うぅ……、だってだね。純粋な瞳なんか見たらボクは死んでしまうよ」
「……分かったよ。できるだけフォローはしてあげるからお風呂だけ任せた」
「…………うん」
溜息混じりにぼくは彼女の頭をわしわしと撫でてやる。仕事や買い出し以外に外へ出ないからか髪は痛みが少なく柔らかい。
もしかすると今回の依頼で彼女は戦力にならないかもしれない。
ぼくらの依頼は護衛であって抗争に参加するという依頼ではない。
如何に中串奏を護るか、たったそれだけを気を付ければ良い。
「……純和風だからインターホンの無機質さが引き出されてるなぁ」
そんな事を呟くが彼女はだんまり。未だに覚悟が決まらないらしい。
「……約束が果たされるその時まで、ぼくは君を裏切らないし、あらゆる障害から君を護ると誓った。……ぼくなんかの言葉じゃ信用足らないかい?」
「……いいや、ごめん。心配かけたね。ボクもそろそろ覚悟を決めるさ。…………君にそんな顔をされたくないからね」
そんな顔とはどんな顔だろうか。
顔に触れるがよく分からない。
そんな事をやり始めたぼくが滑稽だったのか彼女は穏やかな日照りのようにけらけら笑う。
いつもの澄ましたような笑い方では無く、ぼくにしか見せない笑顔。
……そういや、そんな事も考えていた気がする。
氷の女帝のような彼女の笑った顔が見てみたいと、あの頃は頭の片隅に入れていたんだった。
殺されるなら壊して欲しいと願った少女の存在は小さく縮こまっているようだ。
非日常なぼくらの日常は、良い方向に向いていると良いのだけれども。
信じた道が茨道ならば、ぼくはそれでも構わない。
斬り捨てても良いし、ガソリン撒いて焼き払っても良いし、除草剤という毒をばら撒きながらゆっくり歩いていても良いんだ。
邪魔があれば最終最悪“食い散らかせば良い”。
「……組長がお待ちです、どうぞ此方へ」
犬噛吟醸さんという玄さんの片腕らしい信用足る人物が、長いドスを左手に持って出迎えてくれた。
寡黙というか無駄を嫌うような口調、黒いグラサンが猛禽類のような瞳を隠していて、動きやすいように調整されたダークスーツが恐怖を演出している。
一般人ならば彼に道を尋ねられた瞬間に絶句し財布を差し出すような雰囲気だった。
抗争中にて臨戦体制といったところか。臨機応変にその長ドスでズバンと敵を斬り捨てる予定なのだろう。
恐ろしい限りだね。
まぁ、徒手空拳で食い散らかしたぼくが語るのは失礼なのだろうけれど、刃物、いや、武器というものは扱いが段違いに難しい。
武器というものは技術のみでは使いこなすのは到底無理だ。武器に使われているだけで、真価を発揮しないからだ。
ぼくの体術とはお世辞でも呼べないなんちゃって技術ならば、常人でも数度やれれば覚えられるが、武器は毎度幾度も最短で最高真価を発揮させなければならないために極めるために時間を用する。
必死の中で繰り返し研磨せねばならない環境が無ければ、後はもう慣れと経験と時間が鍛えてくれるだろうけれども急には強くなれない。
それに、武器があると「持っている」という安心感からついつい武器を主体に考えてしまうため隙や粗を突かれて死にやすい。
素人には拳銃を持たせ、玄人には刃物を持たせるのがセオリーというか育成に関しては常識化しているので、吟醸さんは弾を斬れたりするのかなと勝手に高望みしながら、ぼくはその背を追いかける。
「よぉ、昨日振りだな。元気そうで……って骨子くんどうした? 顔が若干青褪めてるが……」
「何もこうしたも無いですよ。死体処理班に九歳児のお守りとか何を考えてるんですか」
「ん……? まぁ、なんだ。お前さんの瞳を見てな、確信したんだわ。こりゃ確かに熱が入るのも仕方が無いってな」
玄さんは彼女を見やりながらニマニマと老人が孫に見せるような笑みを浮かべて。
「お前さんーー良い奴だろ」
そう呆気からんと続けた。
ぼくが良い奴だって?
勘弁して欲しい。こんな肥溜めの底のような奴が良い奴なわけが無いじゃないか。
人殺しで食人家で死体処理班グループの片割れ、何処をどんな風に見ればそんな世迷い言のような戯言を吐き出せると言うのか、ぼくには分からないし、分かりたくもない。
そんなぼくの穢れた心内を覗き見たのか、玄さんは意地悪そうな微笑を浮かべた。
まるで、自分には分かってると堂々と宣うような、そんな想いが込められていた気がした。
数秒ぼくは黙祷の如く沈黙し、頭を冷やす。
仮面を被り直すように、ぼくは気持ちを切り替える。
「それで、ぼくらは誰を護ればよろしいんですかね」
「……まぁ、そうだな。先に訂正しておくがーー」
戸が開かれ、紺ブレザーに淡い青のスカートを履いた純和風の大和撫子な女子高生が現れた。
「うちの娘は十八だぞ?」
「え」
恨めしいといった様子で彼女はぼくを見るが、確かに九歳と書かれていたのだからこれはぼくの責任じゃない。
そんなぼくらの様子に玄さんは笑う。
「ああ、そういう事か。そういや、写真古いのしか持ってなくてな。確かにあの時は小学三年生ん時の写真を見せたんだったな。半蔵さんが勘違いしたのか、すまんすまん」
「……は、ははは」
「ええと……わたくしはまだ出番でなかったようですね?」
混沌ここに極まるといった様子で顔合わせが台無しになった。
ぼくは目で礼金アップを催促しながら気疲れでぐったりとした彼女を宥めなから介抱する。
何というか……嘆息が出た。