序章「グールズ」ー1
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寝ぼけたようなふわふわとした微睡みからぼくを叩き起こすのは、彼女が入れてくれた朝珈琲の香りだ。
家事ができる癖に仕事以外には出不精な彼女。
彼女のルーチンワークになっている朝珈琲にご一緒する。
そのため起きる時間が一定になり、今では珈琲の香りで覚醒するような変な体質になってしまった。
だが、彼女の美味い珈琲のためなら今更そんな変な体質も悪くない。
ぼくらが住むこの空部屋ばかりのオンボロアパートは、大家の半蔵さんから来るお仕事をこなす事で家賃が無料になるシステムがある。
契約と呼んだ方が良いかも知れないが、契約特有の縛りがこの取引には存在しないため、軽い意味合いでシステムとぼくは呼んでいる。
システムに参加する条件はただ一つ。
このアパートの住人になる事だ。
それだけか、と安月給の独り身や貧乏学生が食い付きそうな物件ではあるが、住人になるためには半蔵さんとの一対一の面接が必要だ。
『紙っぺらに書かれた物には興味が無いんでね、直球で尋ねたい。君、異常性癖とかってあるかな』
頭を紙袋で覆い目を右だけ穴を開けた前衛的かつ斬新な第一印象に、その格好で仕事ですか、と尋ねたいくらいにフォーマルなダークスーツを着た、恐らく青年以上の男性の半蔵さんと気兼ね無く話せるなら一度来てみると良い。
ちなみにぼくは「食人です」と即答したら気に入れられて即合格だった。
『いやぁ、その死体のような瞳の死に具合が良いね。気に入ったよ。蟲森嚞哉君だったね。君を歓迎するよ。ああ、後で仕事の斡旋もあるから403号室で待っててね。ん? 仕事の内容は君が好みそうな物を持ってくるから安心すると良いよ。あ、そうそう。403号室には骨骨骨子って君くらいの歳の子の同居人が居るから期待しててね』
と、半蔵さんはぼくを大家室に置き去りにした。
403号室は二階にある。
どっからどう見ても二階建てのアパートなのに403号室。
あの人の趣味は何処かぶっ飛んでるな、と仲良くなれそうな気分でぼくは彼女と邂逅したのを覚えている。
「そういえばあの時もその格好だったね」
「藪から棒にどうしたんだい? 四日前もそんな事を言っていた覚えがあるが」
「いや、そろそろレパートリー増やさないとねって話さ」
ジーパンを少し覆う暖色系のセーターがお椀程度の胸を浮き彫りにし、首裏でゴムで適当に結ばれた肩甲骨くらいまで伸びる黒髪のテール、何処か知的ではあるがぶっ飛んだ思考回路を内臓している残念美人。
“人骨を愛する”異常性癖を持つ骨骨骨子はぼく同様に、“元”殺人鬼という肩書きを持っていた。
今現在、死体処理班グループ≪グールズ≫としてぼくらはこの街を生きている。
喧騒に飲まれるように殺人鬼が狂気を振りまき、闇に飲まれるように殺し屋が恐怖を突き付け、欲望に飲まれるようにぼくらが死体に「いただきます」をしても、この街は壊れずに循環してゆく。
この街にグループが幾つあるのかはぼくには知らないが、彼女なら知っているかもしれない。
ぼくよりもこの街のベテランたる彼女。
肉裁ち鋏を相棒とする彼女。
肉切り包丁を相棒とするぼく。
どちらも食する事に重点を置いたぼくらが馬が合わない訳が無かった。
「ふぅむ? そうかな。ボクは別段衣服に執着が無いから、今のままでも問題無いと思うのだけど」
「そうかな? お洒落頑張ってみても罰は当たらないよ」
「………………いや、問題無いな」
正直に言えば女の子らしい格好の彼女が見たかっただけで、確かに問題は無い。
考えてくれただけでぼくとしては十分だ。
三角が一つ描かれた量産性を感じない黒いシャツを好むぼくから言うのは、烏滸がましい話題だったかもしれないな。
珈琲にキューブ状の砂糖を入れるように小さな指の骨を二つ投下する彼女の姿は見慣れたもので、砂糖を入れていると勘違いしてしまいそうになる程に自然に感じる。
いや、実際に底を鳴らしているから砂糖では無いのは確実だけど。
珈琲を飲み終えた彼女が台所で朝食の準備をし始めた頃に、カタンと玄関の窓口へ回覧板が投下された音が聞こえた。
「ぼくが取るよ」
手作りの香草入りウインナーを焼いている彼女の背に言って、ぼくは半蔵さんからの回覧板を取り出して中を見る。
この回覧板はシステムの依頼書が纏まっていて、他の同業者も居る中で半蔵さんが朝早くに取った仕事をこちらに斡旋してくれる有難い物だ。
今日の依頼書は二件。
贔屓にしてくれている中串組から、死体処理依頼。
≪ロシアンルーレット≫という洒落た名の殺し屋グループから、死体回収依頼。
死体処理と死体回収は違う。
前者は文字通りに処理、後者は運びの依頼だ。
処理の場合、ぼくらが美味しくいただく事ができるが、運びの場合は目標が死んだ事を証明するためにクライアントが指定した場所に運ぶだけで、死体はいただけない。
だが、殺し屋の依頼故に、数パーセントの報酬金を貰えるので日銭を稼ぐ気分で大概受ける事にしている。
「処理と回収の二件。時間指定がダブってるね」
彼女は解体の技術があるため処理担当、ぼくは口封じが得意だから回収を担当している。
時間指定が違えば一緒に行動するが、今回のように、時間指定11:00、と書かれているのが二つあるとバラバラで行動する決まりになっていて、同時に受けないよう半蔵さんが気を回してくれる。
そういえばあの人の性癖は何だろう。
結局教えてくれなかったから分からず終いだ。
そんな事を考えながら円テーブルに並んだ朝食に手を合わせる。
「いただきます」
声が重なる。
調理してくれた彼女と、農作してくれた見知らぬ誰かと、食材になった人に感謝してから食べる。
人は生物を食べなくては生きていけない。
この生物は自分たちよりも下の存在を指す。
ミミズだってオケラだってアメンボだって生きていても食物連鎖に問答無用で組み込まれるのだから、人だってその中に組み込まれるべきだとぼくは思う。
食物連鎖に従い、草を食べた牛を人が食べて、牛を食べた人を人が食べたっておかしくはない。
実際にこうやって食卓の一メニューに並んでいるのだからぼくらにとっては当たり前の事だ。
他人をそういう目で見れるぼくらは、異端と、異常と、気狂いと、色んな侮蔑を込めて“グールズ”と呼ばれた。
けれども、ぼくらの思考は侮蔑を込めて呼んだ人と同じ種族、人間という生物の欲望から生まれたのだから、間違った事じゃない。
欲望に素直になっただけで、自分でも気付けない無意識にそれが紛れ込んでいるのを見つけてしまっただけで、悪くは無い。
法という常識が無ければ異常と呼ばれるそれらは当たり前に変貌し、常識へと昇華されるに違いない。
「御馳走様でした」
「お粗末様。おや、珍しいな。君の頬に米粒がついているよ」
「何処?」
「ここだね」
彼女の細い指が頬を拭い、人差し指に乗っかる米粒があった。
ペロリとそれを食べた彼女の姿は何処か色っぽく感じた。
相手が気にしていないからこその背徳感という奴だろうか。
自分だけ知っているという満足感かもしれない。
いつまでも余韻に浸ると悟られてしまうのでぼくは動揺を隠しながら、空の皿を台所に持ってゆく。
半蔵さんはこの街の裏世界で結構有名な人で依頼の交渉だけでも金が舞い込むらしく、ぼくらが家賃を払わず済む理由がこれだ。
『こんなに広い世界で認められるべき趣味嗜好を持つ仲間が狭い場所に集まれば、愉快な事に繋がるとは思わないかい?』
格好のせいで台無しな決め台詞を極めた半蔵さんは、終始楽しそうな声色でぼくの手伝いをしてくれた。
優しい人も居るんだな程度にしか心に響いていないが、確かにこの場所の生活は楽園のように感じれる。
理解されるという事がこんなにも素敵な気分にさせるだなんて知りもしなかった。
しかし、一番心というモノが揺れたのは彼女という異性の存在かもしれない。
お互いに喰い合う事をしないと決めたから、食材の女性としてでは無く、人間の女性というのを初めて知れた気がした。
「場所は……ああ、あの廃工場か」
「こっちは組の中のようだね。手間が省けて楽だよ」
肌寒い季節になってきたから上着は必須になってくる。
彼女はぼくが贈ったシザーケースを腰へ回し、ぼくは彼女から贈られた脇下に隠すホルスタータイプの物を改造した包丁ケースを装着した。
彼女はロックな英文が書かれたジャンバーを、ぼくは黒いトレンチコートを着込む。
お互いに顔を見て笑みを浮かべる。
「それじゃ」
「行きますか」