プロローグ
悪くは無い。
そんな言葉を道端に吐きたい気分で、ぼくは夜の街を歩いていた。
ずっしりと指に来る食材の入った二重丸のマークが入った何処かのオープンキャンパスで貰ったエコバッグが、重量過多、と嬉しそうに左手の下で揺れている。
宙ぶらりんなぼくの心を表すように一定に揺れるエコバッグは、中に入ったビニール袋を常に鳴らしていた。
空腹感が腹奥からせり上がって来て、夕飯にこの肉をどうやって食そうか迷ってしまう。
焼いても良いし、煮ても良いし、生は硬いから薄く切るのも良いかもしれない。
肉。
食材。
食べる。
人という生物なら当たり前な思考回路。
けれど、ぼくの部屋の同居人はそれを、おかしい、と言った。
もっと食べる部分はあるだろう、と愚痴を零しながらも結局食べる彼女は図々しいのかもしれない。
彼女とは恋人のような甘い関係では無い。
かといって他人と切り捨てるような間柄でも無い。
言わば、同志だろうか。
似たような趣味嗜好を持って生まれて来たぼくらは、微妙に馬が合うのだ。
携帯が震えて、彼女らしい名前がディスプレイに写る。
『ボクらの嗜好は愉快だとは思わないか?』
彼女は電話越しで「くくくっ」と内側の何かを抑えるような笑い方をして彼女は続けた。
『人は人である限り人にしかなれない。突然に隠された力に目覚める事も、ネクロノミコンを用いて悪魔と契約する事も、誰かのためにヒーローとなる事も、正義を抱いて神となる事もできやしない。 停滞気味な生物進化のボクらはいつだって非日常を求めて漫画やアニメや小説や映画やらに手を出して勝手に糧にして満足する。それは妄想の、虚実な世界観であるからこそ意味を成す満足だ』
確かにそうだね、とぼくは相槌を打ったと思う。
『だが、ボクらの嗜好はどうだろう。人間が家畜を食べて生き永らえる事に快楽という感情を混入してしまったボクらは、果たして満足するに至るかどうか。答えは、否だ』
ぼくもそう答えるよ、とぼくは相槌を打ったと思う。
『人は誰かにこの気持ちを聞いて欲しいという願望により世界を作っている。小さい家族という世界、いや、コミニュティを徐々に広げて拡げて世界を形取る。他人の意思という小石を散らばせ、自分がもっとも正しいと考える小石を取る。同じ意思は無いというのに、同じ思考は誰にでも存在し、常識という世界のルールを作り上げる』
世界は広いようで狭そうだね、とぼくは相槌を打ったと思う。
『隣人を愛せ、と神とやらが言ったらしいがボクらにはそれは無理そうだ。何故“家畜”を愛さなきゃいけないんだかボクには到底理解ができない』
まぁ確かに、とぼくは相槌を打ったと思う。
『君が肉を好むように、ボクもまた骨が大好きだ。常に飴玉のように口の中で転がしていたい程に大好きだ。なら、きっとこんなに美味しい物を独り占めできないように、法とやらを戒めに考えた奴は、殺人を許さないんだろうよ』
独占禁止法って奴だね、とぼくはくだらない事を言ったと思う。
「だからだね、ボクが言いたいのはきちんと骨も回収して来てよ? という事に尽きるのさ」
そう彼女はカリンコリンと口の中で骨を弄びながら、ぼくらが住むアパートの二階の手摺に座ってぼくへ直接言った。
だと思ったさ、と今まで上の空だったぼくは適当に相槌を打った。
高町市のオンボロなアパートに住むぼくらは、救えない奴らの救い難い話をこれからも見るだろう。
題材なんて沢山ある。
有り触れてしまって魑魅魍魎ってくらいだ。
なんせこの街には、“犠牲者”が沢山居るのだから。