家庭学習ができない。
僕が今更家庭学習をするなんて不可能だ。
学校とはペンを握り、ノートへと板書をする、いわゆる学習をする場なわけだが、では家は?
家はその学習活動によって生じた疲れを休める場となっている。
つまり、学校では勉強をし、家では休息をとる。そのサイクルを小学校の頃から十年以上続けてきているのである。その習慣が身についている状態で家庭学習をするのは不可能だ。
一度休みの日に学校でペンを執ったことがある。授業中でもないのにすらすらと勉強ができた。このことからも、学校に来るということは勉強しにきていると体に染みついている証拠だ。家ではそもそもノートを開く気になれない。
宿題、といったものは家庭学習に入らないと思う。家庭学習ができずとも、宿題を家でやるのは、やってこなければなんらかのペナルティが課されるという学校側の意向によるもので、決して自分の意思で行うものではないからだ。
そういう意味では宿題をサボってくる奴のほうが意思があるといえる。自分の考えに基づいて行動しているのだから。
僕が高校受験に合格できたのは、塾というものに頼ったからだ。学校とは異なる環境での学習活動、しかしこれも家庭学習でないことは明白だ。塾というのは第二の学校も同然、親なり塾の講師なりからペナルティを受ける。当然、それを避けようと必死に頑張る。その結果が僕の高校合格だったわけだ。
つまり、いままでの習慣を壊さなければ家庭での学習は無理。だが、文字通り鉄の意志さえあれば不可能や無理という言葉は適切ではなくなる。それは僕にとって絵空事だが。いまから十年以上続いてきた習慣を変えるのは並大抵のことではない。
よって僕は諦め、いままで通りの生活を続けていくことになる。授業をきちんと聞いてさえいれば落ちこぼれることだけはない。同時に、より高見を目指すこともできない。