はじめての略称とはじめての本名 ふたりで食べるぶどうの味は?
町を歩けば、道行く人々に声を掛けられる。セレスティア様、セレスティア様…。
皆が笑顔で語り掛けてくれる、それはマクファーレン領で自分が認められているということ。知世にはそれが何よりありがたかった。
それゆえ声を掛けられれば止まって話を聞かざるを得ない。目指す川辺までの道のりが遠く感じられた。
セレスティアが町の人たちの話に耳を傾けたり、贈り物をもらったりする姿を、イーニアスは微笑ましく思っていた。
マクファーレン領は結構な辺境だ。町の人たちはほとんどの人がイーニアスが誰なのか知らないのだろう。
セレスティアの傍らで待機していると、お付きのものだと思われたのか、子供たちが遊んでとまとわりついてきた。
一人、小さな男の子を担ぎ上げ、そのまま肩車をしてみる。男の子は無邪気に喜び、周りの子供たちは羨ましがった。
イーニアスもつられて笑い声をあげる。穏やかな時間だった。
「イーニアス様っ…!」
笑い声が聞こえたので振り返れば、国の第三王子が子供たちに群がられ、襲われていた。
知世は駆け寄り、真っ青になって子供たちを引きはがそうとするが、イーニアスがそれを片手で制する。
「セレスティア殿、その名前はここでは…。
私のことは…そうですね、ニアとお呼びいただければ幸いです」
「ニア…様…?」
「普通に、ニアとお呼びください。ほら、子供たちも変な顔していますよ」
くすくすと笑うイーニアスは機嫌がよさそうで、とりあえずほっとした知世は落ち着きを取り戻した。
「…ニ、ニア?あの…ヨシュアさんの奥さんからぶどうをいただいてしまいました。
よろしければ目指す川辺で…」
「ああ、いいですね。ちょうど喉が渇いていたところだったんです。
ごめんな、子供たち、そろそろ行かなくちゃ」
イーニアスが肩車をしていた子供をゆっくり地面に降ろすと、周りの子供たちから不満のブーイングが放たれた。
それに笑顔で手を振ると、イーニアスは知世からぶどう籠を受け取り、知世の前を歩き出した。
知世はその大きな背中を頼りに、川辺までの散歩を楽しんだ。
「…異世界から来た……チセ…?」
イーニアスはぶどうを食べる手を止めて知世を見た。驚くのも無理はない。突拍子もない話過ぎる。
川辺には人気がなく、知世は安心して自分の話をすることができた。二人並んで座り、もらったぶどうをいただきながら続きを話す。
「この体の主である『セレスティア』の編み出した魔術、「異世界相互転送」により、この体に入ることになったのが私…、『豊敷 知世』なのです。
…今まで『セレスティア』であると偽っていて、申し訳ありませんでした…」
「いや…、それは別に構わないのだが…、異世界…?」
「…そして本物のセレスティアは今この世界に帰ってきています…。
魂のみでの帰還だったため、私が体を返すわけにもいかず、今はあの水色のぬいぐるみを仮の体としてもらっています」
「…………ああ、それでか…」
「ニア?」
「いえ、「お嬢様が別人のよう」の理由はそれかと…」
「…別人ですからね…、そうなります」
二人は川の流れを見つめながら、同時にぶどうを口に入れた。瑞々しく甘酸っぱいぶどうは、喉の渇きをいやし、体と頭の疲れを取り去ってくれる。
「…ずっと、チセ殿、だったのですね…、私が会っていたのは」
「はい…、申し訳ありません…」
「いえ、咎めているのではありません。…ただ、ずっと私が話していたのは、異世界の女性だったのだな、と…。
私も散々異族扱いされてきましたが、それともまた違った段階の話ですね…。
…にわかには信じがたいですが、異世界を行き来する魔術を編み出した世紀の魔法使いが…あの私をフッたぬいぐるみ…」
「…根に持たれてます…?」
「いえ、悲しい話ですが、比べられてフラれるのは慣れております故…。
今はただ…、驚きでいっぱいです…」
「…セレスティアはきっと、本人が思っている以上に天才で、劣等感を感じるほどだった母親をも、ある意味では超えているのではないかと…」
「若返りの秘術を生み出した前領主、オルガナ殿か…」
「…そういえば、若返りの薬やロニの起こした事件などは、不問となったのでしょうか?」
知世がぶどうを食べる手を止め、イーニアスの横顔を見つめる。イーニアスは川の流れを眺めつつ答えた。
「物証が丸焼けですしね…。
生きた証拠のロニは別人過ぎて、本人が認めない限り秘薬使用の罪に問えるとはとても思えないのです…」
「ロニ自身は秘薬の製作には関与していないようですし、マクファーレン領の管理においては遺憾なく力を発揮してもらっています。
…正直に申し上げて、今の私にはなくてはならない存在です。
彼女が罪に問われないならば、本当に…心の底からありがたいのですが…」
「大丈夫ですよ、セレ…チセ殿。
秘薬を悪用する危険性さえなければ、我々がどうこうするつもりはありませんから」
その答えに、知世はほっとして肩の力を抜いた。それを見たイーニアスが笑いながらぶどうの続きを勧めた。
知世はぶどうを一粒取り、口に運ぼうとして思い出したようにぽつりと呟く。その一言にイーニアスは耳を疑った。
「そうだ、あの…セレスティアのことなんですが、折を見て私も魂の移送についての術を学び、この体は彼女に返そうかと思っているんです」
「………あなたは?あなたはどうなるのですか?」
「私はあのぬいぐるみでもいいかな…と。もともとこんなに表舞台に立つ役柄は苦手でしたし…」
「そんな…何を殊勝なことを言っているのですか。
領主を引き継ぎ、薬師として領民の信頼を得、苦労の末今の安寧を築き上げたのはあなたではないですか…!
それらを全て、セレスティア殿にただでくれてやるおつもりですか?うまくいくとお思いか?!」
「…セレスティアは天才です。本気さえ出せばきっと私以上にうまくやれるはずです。
彼女とロニは常に憎まれ口の叩き合いをしていますが、昔からの仲だな、と感じる場面も多くあります。きっと大丈夫です」
「………………そこまで、今の地位から逃げたいと…?」
「………………私でいい、私で最善だ、なんて…いつも思えていません…」
二人の間を、川のせせらぎがさらさらと流れてゆく。イーニアスは空を仰ぎ見た。
「…自分ではない誰かなら、もっとうまくやったのではないか…その可能性という不安…。
それがあなたを苦しめているのですね…」
「…逃げることには変わりありませんよね…。
申し訳ありません、なんだかあなたには、話す予定のなかったことまで話してしま…」
「ぬいぐるみに移るんでしたよね。それ私がもらいます」
「しまい…ま?」
「ほころびは繕って、汚いところは洗って、世界一可愛いぬいぐるみとして一生私の傍にいてもらいます。
時に語らい、時に踊り、喜びも悲しみも共にしていく仲になりましょう」
「……ニア…様…?」
イーニアスは知世の方を向き、真剣な眼差しで語り始めた。知世はイーニアスの琥珀の瞳を覗き込む。
「…チセ、私はもともと、それほど話好きな方ではありません。
でも、あなたといるとまるで長い付き合いであるかのように話せる気がするのです。
探り合いもなく、煽りも蔑みもなく、上辺だけのやりとりではない普通の会話…それができることが、私にはとてもうれしいことなのです」
「ニア…それはきっと、お城での冷遇が過ぎたためです…。
普通に町人としてここで暮らしていれば、あなたが望む普通なんていくらでも手に入るでしょう」
「…そうかもしれませんね…。
でも現実はそうはいかない。私はこの見た目ですが、国の王子ですからね…。
誰からも敬われ、同時に誰からも否定される存在、そういうしがらみの中で生きていく他ない…。
でもあなたは、そういう理やしがらみの外から来た。だからあなたにはこの世界の常識は通用しない。
そんなあなたと話していると感じる、この心地よさ…。手放したくはない…」
「…ニア…」
「………精一杯、口説いているんですよ…。
………なびいてくれませんか、チセ………」
風が舞い、二人の髪がなびく。イーニアスと知世は、見つめ合ったまま永い時を過ごした。
実際には、長かったのか短かったのか定かではない。ただ、傍で見ていたものの感想だと「長い」らしい。
傍で見ていたもの――――ヴィンセントにとっては。
「………なぜそこでキスをするとか押し倒すとか、そういう選択肢がサッと出てこないのかなお前は。
甲斐性なしだと思われても仕方ないぞ、弟よ」
「………最低なところで出てくるあなたに言われたくありませんね…、どうしたんですか、異様に草まみれですよ」
「いやぁ、妙なアロマを嗅がされる前にこっそり退散しようとしたら…このザマだ。
ヴェロニカは引くほど本気だね、逃げ切るか絡めとられるか…気が気じゃなかったよ」
「少しは痛い目でも見ればよかったのに…ちょ、何を…?!」
ヴィンセントはイーニアスをまたぐと、するりと二人の間に入り、知世の隣に体を密着させるようにして座った。
戸惑う知世の肩を抱き、美貌の際立つ綺麗な微笑みで知世を見つめた。知世は目線を逸らし、顔を俯ける。
「そんなに下を向かないで…可愛い人。
弟の青臭い口説き文句を許してやってほしい…こういう経験が不足しているのだ。
乙女心をくすぐる言葉というものがどういうものか、まるでわかっていないのだ…」
言いながら、ヴィンセントは知世の…セレスティアの美しい金髪を、指で愛おしそうに撫でる。
毛先を弄び、自分の口元に寄せると軽くキスをして見せる。知世は俯いたままだ。
「奥ゆかしいお嬢さん…あなたの美しい心の内…ほんの少しでしたが、僕も伺うことができました。
あなたが望むなら、望むままにお生きなさい。一度きりの人生なのですから。
そしてあなたの望みを叶えるために僕にできることがあれば何なりと。
僕と出会うことで、また違う望みが産まれたなら、それもよし…共に叶えていきましょう…」
ヴィンセントの美しい指先が俯いた知世の顎を捉える。イーニアスは拳を震わせながら、暗い顔でそれを見ていた。
だが上向かされた知世の表情を見て、王子二人は驚きを隠せなかった。
「………………反吐が出る………」
眉間にたっぷりしわを寄せ、渋柿でも口に放り込まれたかと思うくらい嫌そうな顔をした知世は、ヴィンセントの態度を拒絶した。
最初は呆気にとられていた王子二人だったが、ヴィンセントが大声でカラカラと笑い出した。
「あっはっはっは…あはは、あは、本当におもしろい子だよ、キミは!会いに来てよかった!!!
僕も本気で口説き落としたくなったところだけど…ここは弟に免じて、おとなしく退散するよ!」
ヴィンセントは立ち上がると、ヒラリと軽い身のこなしで二人と距離をとり、そして去っていった。
「…何がしたかったんでしょう、あの人」
知世はいまだヴィンセントの消えていった方角を睨みつけている。相当嫌そうな反応だ。イーニアスはそれが不思議でならない。
「チセ…聞いてもいいでしょうか?なぜ…兄に落ちなかったのですか?」
「…イケメンが自分の隣にいるって、そんなに素敵な状況でしょうか?」
「失礼、イケメンとは?」
「…キラキラした百戦錬磨の男前が、ちんちくりんで残念な女の隣に立ったら、残念な方の影が濃くなるじゃないですか。
そんな惨めな状況にどうやって喜べっていうのか…」
そこまで言って思い出す。今知世の外見は金髪美女だった。つり合うかもしれない。でも、それでも。
「ニアを青臭いと言ったこと、許せない」
あれほど誠実に向き合い、言葉を選んでくれた人を軽んじるような奴は、いらない。
その知世の怒る姿を見て、イーニアスがほろ苦い笑いを浮かべる。
「………フフ、そうか…。伝わってはいたんですね、よかった……。
今はもう…、それで十分な気がします…」
そろそろ日が暮れて風が冷たくなる。残ったぶどうは包んで屋敷に持ち帰ることにし、イーニアスと知世は並んで歩き出した。
川辺に来たときよりも、縮まった距離で。
主な登場人物
もう本文は書きあげているのでこれから毎日アップ予定。
挿絵は間に合ったら&気が向いたらつけます。
もしよければこれからも読んでやってくださいませー。




