領主仕事は王子様の導き次第?いやいやそんなに甘くない
知世は時計を見た。今日も残業決定だ…辛いな。
ため息をつきつつ、手は一切休むことなくパソコンを打ち続けている。
経理の仕事、表計算ソフトの膨大なデータの山。たまに会議資料作成の別ソフトを立ち上げたり、ひたすら会場説明図を作ったり…。
そのうちパソコンの画面は赤と黒で明滅を始める。知世の手は止まらない。パソコンがガタガタピーと変な音を立て始め、煙を噴き上げる。
それでも知世の手は止まらない。気づけば知世も機械の体になってしまっている。
そんな夢で今朝は目覚めた。
まだ働いたことはない知世だったが、いったいどこの社畜イメージだったのだろう…。怖さに鳥肌がおさまらなかった。
試練の一ヵ月、一日目。
朝の準備をメイドたちに手伝ってもらい、食卓の間に通されるとイーニアスがすでに席に着いていた。
「おはようございます、セレスティア殿。
申し訳ありません、私は食事は部屋でとるくらいでいいと言ったのですが…」
「おはようございます、イーニアス殿下。
むしろ殿下に対してろくにもてなしができず、こちらこそ誠に申し訳ございません。
お食事は、もし殿下さえよろしければご一緒していただきたいです。
一人で食べるのもさみしいので…」
「そう言っていただけて光栄です、ではお言葉に甘えて…」
綺麗に微笑む王子を前に、知世の心臓はバクバクしていた。
台詞、台詞がスラスラ出てきて本当に良かった。「セレスティアの経験」上乗せ機能ホントに万歳。
あと、孤食が寂しいは全くの嘘である。できれば一人で食べたかったくらいだが、この人はこれからのことも考えて、何としても味方につけておかねば。
駆け巡る打算を必死に隠し、知世も「満面の笑み」で応えて見せた。
並ぶシンプルな朝食のおいしそうな匂いに、知世の腹がぐぅと鳴る。異性の前での失態に首まで赤くなった。
実に楽しそうに笑うイーニアスは、食事の前の祈りのポーズをし、知世にも促してきた。知世も慌てて手を組む。
食事への感謝を口では述べながら、知世は別の祈りを神に捧げていた。
どうか、どうか――――この試練が及第点で終われますように。
「口に出ていますよ」
「ひゃっ…?!」
「セレスティア殿、試練の神より食の神のほうが敵に回してはいけない存在ですよ。
食は万人をしあわせにする古からの魔法。不安や悩みも「食べる」ことで軽減されるものです。
心配なお気持ちはわかりますが、ここはきちんと食に感謝して、おいしく朝食をいただきましょう。
あと…説教くさくてすみません。根が老人なんです」
器用に片目を瞑りウインクしながら、そんなお茶目さまで披露してしまう王子に知世は鳥肌が立った。
――――こいつ、コミュ強すぎる…!
試練の神、食の神のどっちよりもイーニアスが怖くなってしまった知世は、プルプル震えながら半熟卵にフォークを突き刺した。
まずは領主の仕事を知ることから始める。
領主の主な仕事は、領地とそこに住む人々を管理し、統治すること。
具体的には、税の徴収、裁判の実施、治安維持、領地の開発などが挙げられる。
イーニアス先生は知識においては惜しみなく知世に伝えてくれるようだ。
だが本人からも釘を刺されているが、手出しだけは絶対にしない、知世が考えてやりきること、それがこの試練の条件である。
領主の仕事もやれることは膨大のようだが、まずは一つ一つやってみなければならない。
知世は自分の得意な分野が生かせる仕事から始めることにした。
知世はリケジョである特性を生かし、得意な計算が役に立ちそうな「税の徴収」から始めることにした。
――――開始一分で項垂れてため息が出た。
過去の記録を見せてもらったら、なんとペラい紙切れが出てきたのだ。
商会相手なら仕入れ値や収益、そういうものを一覧にして税率を計算し、税を納めさせる。
素人でもそのくらいの図式は頭に思い描けるのに、そういう類が紙切れには一切書かれていない。
納めなければいけない税が、何の計算も考慮もなく決められているのだ。しかも何十年とそれは変わっていないようだ。
だから過去のデータなど一切なく、ただ誰々はいくら、何々はいくら、と書かれているだけなのだ。
ずさんすぎる。知世は頭を抱えた。
それと同時に自分ならどうするか、その閃きが頭の中に次から次へ溢れてくる。
それを紙に書き記していく。ペンは止まらず、知世は一日で必要な計算表、欲しい情報一覧、役割分担、決まりごとの改正などの草案をまとめた。
そして街の主要な権力者を招集して、議会開催を呼びかける。
武器である知世がまとめたそれらを引っ提げて、意気揚々とイーニアスに敬礼する。
「いってきます…!」
そして開始一分で泣きながら会場から出てくる羽目になった。
知世を小娘と舐め切った権力者たちの、聞くに堪えないセクハラ発言オンパレードで会議どころではなかった。
ベッドに立てこもった知世は、上掛けでまんまるになりながらグスグスと泣いている。
イーニアスが執事の許可を得て寝室に入り、まんまるを前に片膝をついて声をかけた。
「…草案、読ませていただきました。素晴らしい出来に大変驚いています…」
「…うっ、でも…うっ…ぐ、な…んの…意味もなか…った…!」
「…悔しいお気持ちは私もよくわかります。本当に……よくわかります」
「殿下……イ、イーニアス…様…、どうして…いい案ができたのに、誰も聞いてくれなくて…あんな…」
「…今、私が自分の経験から答えることは簡単です。
ですが…、あなたが領主になられるのなら…大事な答えであればあるほど、人から聞いてはいけないんですよ…」
「…自分で……答えを…見つける…」
「難しい道ですが。でも、きっとそれが一番の近道なんです…」
イーニアスの言葉には、苦難を乗り越えてきたものの深みがあるように知世は感じた。
まんまるの中からもぞもぞと顔だけ出す。涙でぐちゃぐちゃの顔だったが、不思議とイーニアスに見られるのは恥ずかしいことではないような気がした。
知世はしばし考え、そしてとりあえずまとまった答えを口にしようとした。
「セレスティア様っ…!お嬢様大変です…ぶふっ」
慌てて部屋に駆け込んできたメイドの、焦った顔から吹き出す顔になるまでの一瞬よ。
知世は泣きはらした腫れぼったい顔を、またゆっくりとまんまるの中に押し込めてひとしきり泣いた。
「これは………随分たくさんいますね…」
屋敷の正門前広間に集まった町人たちを見て、イーニアスは驚きの声を上げた。
メイドが報告に来た一大事というのは、オルガナ前領主の肝入り政策、病人救済の件だった。
オルガナが亡くなる少し前から、多忙を理由に無料の診療がお休みしていたのが問題だったらしい。
町にも病院や医者はいるのだが、近くに無料で腕がいい診療所があるとなれば皆が飛びつくのも道理。
結果こうして皆押しかけてきてしまった、という話だった。
知世は困り果てたような顔をしている町の人々を見ながら、裏で考える。
屋敷のオルガナの寝室、その地下にはさまざまな研究器具、薬草、そして人間とおぼしき骨や内臓もあった。
まさか生きているものを…とは考えたくはないが、死者ならおそらく…若返りの薬の研究の糧として使っていた可能性も大いにある。
無償で薬を分け与えてもいたというが、中には試験薬を渡されたものもいるのではないだろうか。
その証拠はもはや、何もかも燃え尽きてしまっているので、これは知世の想像に過ぎないのだが。
正門前の人たちからワッとどよめきが起こる。中には泣き始めるものもいた。執事がオルガナの訃報を公表したのだ。
町の人たちはただ悲しみ、哀悼の意を表すだけではない。今後の自分たちはどうすればいいのか、その問いかけが大半だった。
知世は町人たちのその姿を見て、一つ決意する。町人をなだめる執事の前に出た。
「…私はセレスティア・ノル・マクファーレン。皆も知る通り、前領主オルガナの一人娘です。
診療所については再開を考えています。ですが今少しだけお時間をいただけないでしょうか。
私は母の行いについて、恥ずかしながら何も知らぬ身。まずは診療に必要な準備をしたいのです」
町の人たちのざわつきが一気に収まる。
「…あれ?お嬢様ってあんな人だったっけ…?」「もっとこう…凶暴で横暴なイメージがあったようななかったような…」そんなことがひそひそ囁かれていた。
何はともあれ、近日再開の情報が得られた町人たちは頷き合い、知世に激励の言葉を残して町に帰っていった。
知世もやぶれかぶれでこんなことを言い出したわけではない。
元の世界にいた頃、母親には医者か薬剤師を目指せと口酸っぱく言われていたこともあり、人体や薬、病気や怪我についての知識が多少なりともあるのだ。
もちろんこの世界でそれらが通用するとは思えないが、似通った部分があれば知識の吸収は早いはず。
うまくいかなかった税徴収問題はとりあえず置いといて、こちらの領主仕事から手を付けてみてもいい、そう思ったのだ。
そう考えていたのが顔に出ていたのだろう、イーニアスが声をかけてきた。
「少し自信が戻ったようですね、大丈夫ですか?」
「…わからないですが、やってみようと思います。
少し部屋にこもります。リン、セラ、お母様の診療記録などが残っていないか探してください。
あと薬草系、薬学系の書籍は片っ端ら私の部屋に運び込むように。他のものも協力してください。
調合部屋は…離れですね。よかった、お母様の寝室の近くだったら焼けていたかもしれない。
診療所再開は遅くとも一週間以内には実現させます。皆協力お願いします…!」
知世の力のこもった呼びかけに使用人たちは応え、早速動き始めた。
「セレスティアの経験」を知世は辿ってみた。どこにも薬学の知識はない。母親を敵視していただけあって、母親の事業に関わることは一切していないらしい。
薬草なら「薬草園」に唸るほどある。薬を準備する施設もある。あとは知世の知識と技量の問題。
…やれる、やってみせる。知世は震える拳を隠して研究にのめりこんだ。
――――結果から言うと、そううまくはいかなかった。
薬に関しての知識、技量を一週間以内で身につけるのも大変だったが、それ以上に知世が頭を悩ませたのが接客である。
病気に関してはただの風邪だったり、症状の軽い患者が多かったが、何より皆おしゃべりなのだ。
知世はそれを一から十まで聞いていた。結果すさまじい疲弊感をため込んでしまったのだ。
たまには症状の重い患者も来る。診断や薬が彼らの命を左右する場面になると、責任感で胸が潰れそうになった。
ストレスで寝不足になり、ぼーっとして調合ミスをする、誰かの話を聞いても頭に入ってこない。そうなれば周りの不満は高まっていく。
わかっているから焦る、焦ってミスをする、また不満が高まる、負の連鎖だった。
その必死な姿をずっと傍で見守ってきたイーニアスも、思わず目を背けたくなるような姿になっていく彼女にひどく同情していた。
しかし自分は一国の王子、領土の長を決める大事な場面に私情を差し挟んではならない。イーニアスもまた必死だった。
廊下を歩く知世が、何もないのにつまづいてよろけた。手には大量の診療記録を持っており、手放すわけにはいかない。そのまま倒れる。知世は目を瞑った。
知世は目を開ける。支えてくれた手があった。何故かそれが、とても力強いものに感じる。知世は手の主の顔を見上げた。
「まぁったく、こんなことになってんじゃないかと思ったわよ」
「…………………ロニ…?」
「ヴェロニカだっつってんだろ、この小娘。
何持ってんの?診療記録?アンタ、診察も一人でやってんの?」
「え…?診察って、一人でやるものじゃ……」
「やんないやんない、オルガナ様だって診察までやってなかったわよ。
あの人はあくまで薬師、やってたのは雇った医者の診察にあわせた調合までよ。
屋敷の人間に何にも聞かなかったの?」
思いがけない事実に、知世の目がまんまるになる。ロニは大仰にため息をついた。
「…ったく、やっぱりあたしがいないとこの屋敷はダメね。
アンタは…とりあえず寝なさい。起きたら結構話まとまってるはずだから、安心しなさい」
その言葉に何故か本当に安心感が湧く。どうやら「セレスティアの経験」から来るものらしい。
知世はこくりと頷くと、書類をロニに渡してよろよろと自室に戻った。ベッドに倒れ、そのまま久々の安らかな眠りに落ちた。
主な登場人物
もう本文は書きあげているのでこれから毎日アップ予定。
挿絵は間に合ったら&気が向いたらつけます。
もしよければこれからも読んでやってくださいませー。




