望まぬ領主候補、現れる王子様、そして謎の薬
でもどこの世界でも、空腹のときの食事はおいしい。
結局あれから知世とオルガナは同じ卓で食事をした。
知世は緊張のあまり、最初は何も喉を通らないだろうと思っていた。
だが一口食べるとそのおいしさに、緊張よりも食欲が勝つのを感じ、黙って食事を平らげてしまった。
異世界を生き抜くための図太さが少しはあるのかもしれない、知世は自分に微妙な自信を持った。
夕食を終えればメイドたちにかしずかれながらの湯浴みタイム。
大勢に裸を見られる恥ずかしさに、知世は死にたくなる思いをしながら体を洗われた。
寝巻きの着付けが終わると、あとは自室で過ごす時間が与えられた。
知世は他人の寝床にしか感じないベッドで、思い切って横になってみる。
ふかふかの心地よさに、すぐに睡魔に襲われた。
死ぬつもりだった今日、命拾いをして異世界に来て…。
魔女が不愛想で夕食がおいしくて…。
久しぶりに、明日が怖くない…。
知世は何物にも縛られぬ贅沢な深い睡眠に落ちて行った。
でもどこの世界でも、そんな睡眠のときほど目覚めは一瞬で来る。
しかもどことなく屋敷内が騒がしい。人の行き交う音がひっきりなしにする。
と思ったら、ノックのあと返事も待たずに知世の部屋のドアが開けられる。
侵入者は様々な道具と服を持ったメイド部隊。知世はこれから起こることの予想がついた。
されるがままに朝の支度をしてもらう知世だが、やはり雰囲気がおかしいことに気付く。
皆真剣なのだ。何の余裕もないほどに。真剣でピリピリしている。
嫌な予感しか、しなかった。
「昨晩、オルガナ・エナム・マクファーレン伯爵が身罷られた」
急いで着付けされ、通された魔女領主の寝室にて、知世は耳を疑う事態を聞かされた。
寝室にはベッドに血の気なく横たわるオルガナの遺体と、オルガナをじっと見つめるメイド長のロニだけがいた。違和感があった。
「…ロニ、こういうときって近しいものが集められたりするものなんじゃないの…?
親戚の人とか、呼んでこなくていいの…?」
ロニにチッ、と舌打ちされる。知世はびくりと身を竦ませた。
「…アンタ、本当に中身はお嬢じゃないんだね…。
お嬢だったらそんな愚問、口が裂けても言わないよ」
知世は「セレスティアの経験」から記憶を辿ろうとするが、ロニが首を振って先に答えた。
「…主…オルガナ様の家族はアンタだけだよ。
アンタの父親はだーーーれも知らない。結婚してないんだよ、未婚の母さ。
まあ、過去にゃいろいろあったからね、親類縁者は全部切り捨ててこの辺境で領主をしていたのさ。
だからこの部屋に呼ばれるのは、実質アンタだけで間違っちゃいない。
…あたしは…この人とは一番付き合いが長いからねぇ…。ま、おまけでここにいるのさ」
ロニはため息交じりにオルガナの死に顔を見やる。
「…医者にはさっき見せたけど、正直死因はよくわからないそうだよ。
寝てる間の自然死、それが一番濃厚だそうだ。
…さあ、今は静かだけど、これからうるさい親戚を名乗る連中がここに押し寄せるかもしれない。
魔女と名高い領主だから、誰も近づかないかもしれない。
…それで、お嬢、アンタのこれからだけどね…」
ロニは深くため息を吐くと、真っ直ぐに知世を――――「セレスティア」を見て言った。
「逃げな」
知世は息をのむ。とてもシンプルで難しい、この先の道が提示された。
「こっから先ここに留まれば、アンタは領主跡継ぎ候補の一人になるだろう。
もし遠縁の親戚が候補にしゃしゃり出てくれば戦争、運よく領主になれても中身が「お嬢」じゃないなら終了。
右も左もわからない「アンタ」じゃ、ここに留まるだけ不幸になるのが目に見えてんのさ。
これ以上嫌な目にあいたくなきゃ、今すぐここから逃げな」
「………逃げるって、どこへ…?」
「………幸せになれる、どっかへ、さ」
そんなところ、どこにあるんだろうか。
望んだわけではないけれど、自分の世界から逃げ、異世界でこれから生きていけるのかもしれない、そんな淡い期待を抱いた朝だったというのに。
知世の目の前が真っ暗になる。ここじゃないどこかへ逃げたい、足が自然に動き出す。
「どこいくんだい」
「………すこ、し、…時間を……くださ…い…」
途切れ途切れの言葉を残して、知世はオルガナの寝室を後にした。
行く当てのない知世は、とりあえず庭に出た。
美しいバラの咲くきれいな庭は、今の知世の心には眩しすぎる。
そのとき「セレスティアの経験」から記憶が呼び覚まされる。
この館には手入れの人間以外、人がろくに寄り付かない「薬草園」という庭園がある。
見る限り緑の葉っぱばかりという、とてもつまらない庭だが、今の知世には落ち着ける場所のように思えた。
何の気なしに庭園を散歩する。草しかない。たまに花を見つけたりもするが、皆一様に毒々しい姿をしている。
本当につまらない庭だ。それがかえって知世の心を落ち着かせた。
庭園で唯一きれいだと思えた花に触れようとすると、記憶が再生される。
それは一般人でもよく知る猛毒の花だった。
――――触ったら、今ここで死ねる、のかな…。
知世は思い描く。
ここに残って次期領主に…は、どうあってもなれないだろう。必要なものを何一つ持っていない。
なら、新しい領主が決まったら、メイドとして雇ってもらうのは…そこまで考えて家事スキルなど皆無なことに気付く。
今の自分にあるもの…。勉学の頭脳くらいしか元の世界から持ってこれたものはない。
ここを出て研究職などに就くことは…そんなものがあるのかどうかもどう探すのかもわからない。
元の世界でもかなりのコミュ障の自覚があった知世だ、誰かに助けてもらう未来など、全く思い描けなかった。
絶望がじわりと心を侵食する。
知世は無意識に猛毒の花に手を伸ばしていた。
「それは有名な毒の花だ。私でも知っているぞ」
知世は伸ばしかけた手を引っ込めた。声のした方に振り向く。
まず目を引いたのは日本の男性を思い出させる黒髪と、あまり見慣れない浅黒い肌。琥珀色の瞳が心配そうにこちらを見ていた。
背の高いその男性が知世に向かって一歩踏み出そうとしたとき、側に控えていた鎧の兵士の二人が、彼を護るように立って知世を威圧した。
驚いた知世はその場から走り去ろうとするが、彼の声に呼び止められる。
「お待ちください、驚かせてしまってすみません。
まずは自己紹介をさせてください。私は旅商人のエドガーと申します。
領主様に新しいお薬の流通の件でお話ししたく、参った所存です」
エドガーと名乗った男性は、恭しくお辞儀をした。だが知世の警戒心は解けない。
「…商人が兵士をお連れとは…珍しいですね」
「ああ、これは危険な街道を通るときに雇った傭兵でして。
最後までお供するとのことなので連れてまいりました」
「…商人の身分証をご提示いただけますか?」
エドガーの顔色が変わる。知世もそんなものがあるのかどうかは知らず、ただ当てずっぽうに言って引っ掛けてみただけだった。
「…申し訳ございません、いやこれは…参りましたな。
どうやら忘れてきてしまったようなのですが…何とかお目通りは願えませんでしょうか?」
困ったようにエドガーの眉尻が下がる。身分証というのはどうやら存在するもののようだが、持っていないのは怪しい。
だがもし本当にお客人だった場合どうしたらよいのだろう。領主はすでに亡くなっている。
それは今安易に教えていいものではないような気もする。知世は自分の立ち位置について考えた。
返答しあぐねていると、今度はエドガー側から質問をされた。
「時に貴女様はどなたなのか…お教えいただけませんか?
私どもだけ身分確認をして、まさか貴女様のことはお教えいただけないということはありませんよね…?」
暗に答えないことは許さないという口調で詰められる。
知世、いやここはセレスティアのことを明かすのか…。一応名乗らないわけにもいかず、知世はエドガーに向き直りお辞儀する。
「申し遅れました、私は領主オルガナの娘でセレスティア・ノル・マクファーレンです」
「…ご本人であるという証拠は?」
意外なことを聞かれ戸惑ったが、そのときまた知世の脳裏に「セレスティアの経験」からの知識が流れ込んでくる。
この世界において「魔法」を使える人間はごくわずかだ。魔法においては素養が全てなのである。
だが魔法単体ではそれほど強く複雑な効果を持つものを身に着けているものはおらず、それを補うために「魔術学」がある。魔法の素養があるものだけが学べる学問である。
ここの領主が「魔女」と呼ばれているのは有名な話だ。だからその娘ならば魔法の素養や魔術が扱えるのは当然と考えられるだろう。
何か術を披露すれば、それがおそらく身分証明になる。知世は右手に意識を集中した。
現れた人の拳ほどの大きさの氷塊を、エドガーに掲げて見せる。兵士も合わせた三人から感嘆の声が漏れた。
エドガーは佇まいを正すと、咳払いをしてから真剣な眼差しで知世に向き直る。
「非礼をお詫びします、セレスティア嬢…。
私は今、貴女を謀り嘘の身分をお伝えしました。
…私はグノーゼル王国第三王子、イーニアスと申します。
改めて、領主オルガナ殿にお目通り願いたい」
「第三王子…ですか?確か近々会食予定のある…」
「その通りです。ですが今日は会食に参ったのではありません。
…できればこれから話すことについて、貴女には是非こちら側についていただきたい…」
話が不穏な空気を纏う。知世は視線で続きを促した。
「…噂では、マクファーレン領領主オルガナ殿は、不老不死の薬を作っている、とか…。
もちろんそれを鵜呑みにしたわけではありません。
ですが…あれだけ「魔女領主」と謳われた、稀代の薬師でもあるオルガナ殿なら…あるいは。
もしそんなものが本当に完成していれば、国王から蛮族までありとあらゆるものたちがそれを欲しがるでしょう。
とても大きな、争いの火種になる可能性があるのです。私はそれを、芽になる前に摘みたい。
…今日はとりあえず、その様子見に伺ったのです」
嘘をついたのは、これが公式訪問として記録に残らないようにするためだったらしい。
本当にあくまで噂は噂であり、様子見は様子見でしかなかったのだ、とイーニアスは付け加えた。
知世は頭が真っ白になるくらい狼狽えた。
なにせここに来たのは昨日で、セレスティアになったのも昨日なのに、出ていかなければならないかもしれなくて、そして今度は不老不死の薬ですか。
もう何をどうするべきなのか、頭が考えることを拒否していた。
その様子に思うところがあったのか、イーニアスは兵士を押しのけて知世に近づき、両肩に手を置いた。
「…動揺させてしまって申し訳ありません。
ただ、貴女が我々に協力してくださるなら、今後の貴女の身の保証は私が致します。
どんな結果であれ、決して悪いようにはしません」
その言葉は、精神的な支柱なくぐらつく知世にとって、何よりも甘美な響きを持っていた。
頭は考えることを放棄している。知世は頷くと、全てをこの王子様に任せることにしてしまった。
主な登場人物
もう本文は書きあげているのでこれから毎日アップ予定。
挿絵は間に合ったら&気が向いたらつけます。
もしよければこれからも読んでやってくださいませー。




