朴念仁とちんちくりんの恋
だいぶ走って周りが落ち着いてきてから、知世はスマホのアプリでタクシーを呼んだ。
イーニアスと共に乗り込むと、今度はなるべく人のいない場所がいい、と呟きながら、スマホで候補地を高速で調べ始める。
するとイーニアスが知世のその手を止めた。何事かと彼に振り向く。
「チセ、逃げるのなら今度は人の多い場所の方がいいです。
私のような明らかにこの国の人間でないものが珍しくない場所、木の葉が紛れ込める森を探してください」
「そっか…一理ある。えっと…外国人の多い場所は、っと…。
…近場に花畑の有名な海浜公園があるかな…。でも今の時期はお花咲いてないかも…」
知世は必死に検索するが、やはりそういうことは乗る前にやってほしいのだろう、運転手の舌打ちが聞こえてきた。
焦った知世は勢いのままに指定地を口にする。
「こっ…ここから近くの海浜公園までお願いします!」
タクシーが走り出す。知世とイーニアスは長いため息を吐き出し、ようやく一息付けた。
「…先程のところよりは人が多いかもしれませんが、まばらですね…」
「ごめんなさい…、選択を間違えました…」
「まあまあ、今度は私が目立つ行動を控えればいいだけのことですよ。おとなしくしていましょう。
それにほら、ここは景色がいいし、風も気持ちいいです」
イーニアスが腕を広げ、公園の空気を胸いっぱいに吸い込む。知世も真似をしてやってみた。
確かに風も気持ちいいし、花の時期でなくても十分美しいこの公園を、ゆったり散歩できれば気分も落ち着きそうだ。
そう思ったとき、知世は思い出してしまった。
急に黙って下を向いた知世を心配して、イーニアスが顔を覗き込む。知世は小さく、弱々しく笑って見せた。
「………思い出しちゃったんだ。私の夢、っていうか…叶えたかったこと」
「それは…、興味があるのですが、あまり良いことではなさそうですね…」
「つまらない話なんだけど…よかったら聞いてくれないかな…ニア」
知世が公園内を歩きながら話そうとすると、イーニアスは手を取ってベンチに知世を誘った。
「しっかり聞きたいので、できれば座って話しましょう」
そう大した話ではないのだが、知世はイーニアスの心遣いをありがたく受け取り、ベンチに二人並んで座った。
少し冷たいけれど気持ちのいい風を浴びながら、知世は公園内の人たちを何気なく眺めた。
皆一様に楽しそう、幸せそうな顔をして歩く、カップルや家族連れが多い。知世はその中の三人家族を指さした。
「あれが、夢だったの。
家族で仲良くお散歩。してみたかったんだ…」
知世が指さした三人家族の真ん中にいる子供は、親二人と手を繋いで、無邪気にぶら下がって宙に浮いている。
幸せそうで、羨ましかった。
「…確かに、いいですよね、ああいうの…」
イーニアスも散歩する三人家族を見送りながら、少し寂しそうな顔をする。
知世は上を向いて、空を見た。いろんな形の雲が、平和そうに浮いている。自分たちはこんなに寂しい思いをしているのに。
「…ニアは、ニアのお母さんと仲いいんだっけ?そう誰かに聞いた気がするんだけど」
「はい、母とは仲が良かったです。でも躾の厳しい人でしたから、あまり甘やかされた覚えはないですね…。
まああれも、私が人前に出たときに恥をかかないようにするための、愛情故の教育だったのでしょうけど」
「愛情故の…教育…」
「母からはまだ教わりたいことがたくさんありました。あんなに早く亡くなってしまうとは思っていなかった。
返したい恩もたくさんあったのに、寂しいものです…」
「…いいな。…私、恩を返したいなんて、どっちの親にも思えない。何も思い描けない。
ずっと一人で、すごく空っぽで、無価値で、どうしようもなかった…」
「チセ…」
「…だから、夢がお散歩なの。
まあ、もうどっちの親にも望めないことだけどね」
イーニアスがすっと手を差し出し、指で知世の目元を拭う。そこで初めて知世は自分が泣いていたことに気付いた。
恥ずかしくて、服の袖でぐしぐし顔をこする。そしてこんなシケた話は終わりにしようと、笑顔を作ってイーニアスの方に向いた。
そこに彼はいなかった。
不思議に思って目をぱちくりさせると、ここです、とイーニアスの声がした。知世の足元から。
視線を横から前へ戻す。イーニアスは知世の前に片膝立ちで、まるでかしづくかのような姿勢だった。
そっ…と右手を取られる。彼の手の温度にドキリとした。
「チセ…、あなたが言うのなら、きっとそれはもう叶えられない夢なのでしょう。
でも、夢が「親との散歩」でなく、「家族との散歩」なら、まだ叶えられるのではないでしょうか。
生まれの家族には望めなくても、これから自分で選んでいける家族となら、きっとできるはずです」
「………自分で、選ぶ…家族……」
「セレスティアやロニだって、経緯はどうあれ今やあなたの立派な家族ではないですか。
あなたが選んで、勝ち取った家族です。そして…」
イーニアスが掴んだ知世の手に、少し力を込める。真剣な眼で、丸く開かれた知世の瞳を覗き込むように見つめる。
「…そして、私もあなたの家族にしてほしい…。一緒に、散歩を楽しみたいです。
…結婚してくれませんか、チセ」
知世の驚きを表すように、通りを闊歩していた白い鳩たちが一斉に飛び立つ。
騒がしい羽音の中、知世は動けず、瞳を逸らすこともできず、ただイーニアスと見つめ合った。
見つめ合う中、やけに冷静な知世が頭の片隅からこの出来事を客観視していた。
ロマンチック、あまりにもロマンチックなプロポーズじゃないか。鳥まで飛んだよ、ホラ。
イーニアス、結構な声量で言ってくれたからな、見ろ、さっきから周りの人たちがチラチラこっち見てるよ。
ほらほら早く答えないと、ギャラリーと王子様が飽きちゃうぜ?いいのかい?知世。
知世はぶんぶんと頭を横に振って、頭の中の一番うるさい野次馬を追い払った。
だが、急に知世に首を振られて動揺したイーニアスの緊張が、繋いでいる手を通して伝わってきてしまった。
「ち、ちちちちちちちがうの!!!違うのこれは、嫌だっていってるんじゃなくて!!
………で、でもあの、いいっていうのでもなくて…。ごめん、うまく言えないけど…。
…とても、とても大切なお話だから、きちんと考えて答えを出す時間をください…」
知世は言い終わると、ぎゅっと目を閉じて俯いてしまった。
そんな知世の頭を、イーニアスがもう片方の手で優しく撫でる。
「…ちゃんと、チセの言葉で、チセの気持ちを聞かせてくれましたね…。よかった…。
私は待ちます。あなたの心が、気持ちが、私の求婚に追いついて、答えを出せるその日まで…」
待ってくれる。それに安堵すると同時に、知世はイーニアスの穏やかな愛の根本を見た気がした。
目を開けて、イーニアスを見る。少し眉尻の下がった、寂し気な笑顔。
頬というよりは目元が少し赤くて、放っておいたら泣いてしまうんじゃないだろうかと、こちらが不安になってしまう笑みだった。
知世は自然と動いていた。
繋いでいる手を引き、膝立ちしているイーニアスの前にかがんで、傷のある頬にそっと顔を寄せる。
そのまま、軽く触れるだけのキスをした。
イーニアスの眼が大きく見開かれる。
知世は顔を離すと、目を逸らしつつ言葉を紡ぐ。
「…お、お返事は…必ず、します…。
こ、これは……その約束の、証です…」
立ち上がったイーニアスが、握り合ったままの手を強く引き寄せた。知世はつられて立ち上がったがバランスを崩す。
倒れこんできた知世を受け止め、イーニアスは知世の後ろ頭を手で支え、顔を寄せた。
唇が触れ合うって、濡れた感触がするんだ。
心の片隅の冷静な知世が、そんな感想を弾き出す。
知世にとって、生まれて初めての唇同士でのキスだった。
イーニアスが名残惜しそうに唇を離すとき、「ちゅっ」と音がした。その音で知世はようやく自分が何をしたかの実感が湧いた。
顔が一気に熱くなる。知世は両手で頬を抑え、次いで顔を抑えた。
赤らんだ頬で見下ろすイーニアスは、その反応を満足げに眺め、いたずらっぽく笑って知世に告げる。
「…すみません、さすがに我慢できませんでした」
その言葉に、知世の顔はさらに赤くなる。そのままへたり込んでしまいそうになったとき、周りからまばらに手を打つ音が聞こえ始めた。
やがて連鎖したようにそれは増え、拍手になり、知世をさらに追い詰める。
異世界語で話していたはずだから、周りに言葉は聞こえていないはずなのに、全てバレバレに伝わってしまっていたのが心から恥ずかしい。
そして照れながらも笑顔で周囲の拍手に応えているイーニアスが、心から憎い。
知世はその場から逃げるために走り出した。イーニアスと手を繋いだままで。
家族未満恋人未満の二人は、公園を共に散歩ならぬ、共にランニングから始める仲となった。
主な登場人物
知世・イーニアス
今週の金曜日(2025/11/21)に完結の予定です~。
毎日アップにお付き合いくださりありがとうございます!
最終話までどうぞよろしくお願いします~。




