異世界に来たら何をする?まずは服だね
ここは郊外の病院だったらしい。走っているとすぐに広い森と道路と、行き交う車だけの景色になった。
イーニアスは車に気を引かれていたが、今は追手を気にするべきときとわかっているため、車には近づかないようにしていた。
走っていると、看板と横道が現れた。看板を見た知世が、ビッと指で横道に入るよう指示を出す。イーニアスはそれに従った。
横道の先には小さな公園があった。とりあえず安全な場所だということはイーニアスにも伝わったのだろう、彼は近くのベンチにそっと知世を降ろした。
イーニアスは隣に座ると、ぜいぜいと肩で息をして空を仰いだ。頭上には鳥が飛ぶ青い空が開けている。
「………空は同じなのだな…」
小さな呟きを聞いて、知世はイーニアスに話しかけようとして気づく。イーニアスの言葉は日本語ではなかった。
知世は記憶を辿る。「セレスティアの経験」が自身の中で生きていることを確認すると、きちんと異世界の言葉でイーニアスに語り掛けた。
「…イーニアス様…、あの、ありがとうございます…」
「…あの白い部屋でも、あなたは私の名前を呼んでいましたね。
今更確認なのですが…、ひょっとして、チセ、ですか…?」
「はい…、あの、私…元の体に戻っちゃったみたいで…。
こっちが本来の…私、です…」
そこまで言って知世は猛烈に恥ずかしさを覚えた。美しいセレスティアの体からちんちくりんの「私」へ戻ってしまった。それをイーニアスに見られている。
イーニアスはどう思っているだろう、そう考えると知世は彼の目の前から消えたい衝動にかられ、ぎゅっと目を瞑った。
その知世の頭を、優しくイーニアスの手が撫でる。知世がそっと顔を盗み見ると、どこか満足げな顔つきで知世を見ている彼と目が合う。
「………本来のチセは、黒髪なのですね……」
「えっ?えっと…、はい……。………お気に、召しました…か…?」
知世が問うと、イーニアスは破顔し笑い出した。
訳が分からず知世が疑問符を浮かべていると、イーニアスは知世の頭をぽんぽんと優しく叩き、微笑む。
「…言葉がわからなかったので、内容はさっぱりでしたが、あの部屋で強い言葉で詰られ、青ざめているあなたを放っておかなくてよかった…。
チセだと確信が持てないままでしたが、咄嗟に連れ出してしまったこと、お詫びします…」
「いえっ…!あの、ありがとうございました…。私、あのままだったらきっと…また母の言いなりの自分に戻っていたかもしれないです…。
ほんとに…イーニアス様が助け出してくださって、助かりました…」
お礼を言ったのに、なぜかイーニアスは不服そうな顔をした。知世が首を傾げる。
「チセ…「ニア」ですよ?
最近はあなたから砕けた話し方も時折されるようになって喜んでいたのに、なぜそんなにガチガチに丁寧なのですか…」
「ひゃっ…?!だ、だって、それはセレスティアの美しさがあったから…ちょっと、その、強気になってまして…。
い、今の私は標準日本人のちんちくりんだから…その…」
知世が真っ赤になって俯くと、イーニアスは身を乗り出し、知世の耳に顔を近づけた。
吐息が耳にかかる。すぐ近くまで顔を寄せられている。知世がさらに緊張で縮こまった。
そんな二人の目の前に空間の裂け目。
中から顔を出したキルスは、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべ、二人を見守っていた。
雰囲気がぶち壊されたことに知世は内心ほっとするが、イーニアスは面白くなさそうに憮然とした顔でキルスを見た。
「ん~~~、若いのはほっとくとすーーーぐいちゃいちゃしおって…。けしからん、もっとやれ」
「ではお言葉に甘えて」
「イ、…ニ、ニアッ!!!」
知世の腰に手を回してきたイーニアスを、防御本能で押しのけて知世は必死に貞操を守った。
その反応がツボに入ったらしく、キルスはケタケタと大声で笑い始めた。
「ハハハハ…、まあもう余興はそのぐらいで良い良い。
ほれ、いいもの見せてもらった礼だ、受け取れ。
せっかく少人数での転移も成功したし、一日こっちの世界で遊んで来い」
そう言って知世が渡されたのは、真新しいスマホとゴールドに輝くカード…いわゆる上級者向けクレジットカードだった。
「さすがにブラックは審査が厳しくての~、ゴールドで我慢せい。暗証番号は4649だ」
「…ど、どどどどどどどこからどうやって……」
「ん?何も怪しいことはしてないぞ。ちゃんと儂名義のカードだ。心配せず使え」
意味のわかっていないイーニアスは首を傾げているだけだが、知世にとっては天地がひっくり返る衝撃だった。
「フフ、そなたらは知らんだろうがな、異世界を繋いだとなれば、そこには大きなビジネスチャンスが生まれる。
さあ、これからも儂はやりたい放題に生きて、どっちの世界でもがっぽり稼ぐぞ~~~」
「こ、こここここここここ怖いいいいぃぃぃ~~~~~~」
ガクガク震え出した知世の背に心配そうに手を当てるイーニアスだったが、知世の心からの怯えは止まなかった。
ではの~、と軽い挨拶でまたしても消えてしまったキルスに吐ける悪態はもうなく、知世はがっくり肩を落とした。
よくわかっていないイーニアスは、知世のその態度より気になった言葉を繰り返した。
「…一日こっちの世界で遊んで来い…?」
「………む、迎えには来てくれるってことみたい…だね…」
知世が顔を上げると、イーニアスが嬉しそうに知世を見ていた。知世が疑問符を浮かべる。
「口調…、いい感じですよ、その調子でお願いします」
「あっ…、…い、いいの?ニアは…その…、こ、こんなちんちくりん女に…タメ語で話されて…」
「とても嬉しいです…!」
「うっ……、ニ、ニアはどうなの?ずっと丁寧な言葉遣い…」
「これはもう、物心つく前からの教育の賜物ですから、変えることは難しいです。
チセは気にしないで、ぜひ私には自然な言葉で語り掛けてください」
「…う、うん…じゃあ…」
知世はごくりと唾を飲み込むと、涙目でイーニアスに訴えた。
「服…なんとかしよう…。これじゃ病院抜け出してコスプレイヤーと密会してるみたいだよ~…」
イーニアスはラフとはいえ、異世界の上級貴族服だ。それとは対照的に知世は病院の患者服。あのスッカスカの簡易着だ。
「コスプレイヤー」はわからなかったものの、服の着替えには一理あると踏んだイーニアスは、知世のその提案におとなしく頷いた。
知世はもらったスマホのアプリを使い、タクシーを呼んだ。
おそらく病院の方からすぐに来てくれたであろうタクシーの運転手も、二人の格好を見て怪訝な顔つきをしていた。
知世は何か言われる前にさっさと乗り込み、物珍し気にペタペタ車に触っているイーニアスを中に引っ張り込んだ。
走り出した車にイーニアスは驚きを隠せない。興奮した様子で窓の外を見ている。
「速い…!馬車よりずっと速い…!いったいどんな仕組みで動いているんだこれは…!!」
赤信号で止まっているとき、運転手にまた胡乱げな眼差しを送られたが、知世は笑顔で何とかごまかした。
イーニアスの言葉は異世界語。傍から見たら外人が日本観光で興奮しているように見えるはず。
知世は自分に必死にそう言い聞かせ、平常心を保つよう心掛けた。
そんな知世の心を知ってか知らずか、イーニアスはとても楽しげな様子だった。
それを見ていると、せっかくイーニアスと二人で過ごせる一日をもらったのに、楽しんでいない自分がもったいないような気がしてきた。
知世は周りの目をなるべく気にしないように、深呼吸して気持ちを切り替えた。
そして、運転手に内容がバレない異世界語で、イーニアスに話しかける。
「ニア…、今乗ってるのは車って言ってね、ガソリンや電気を燃料にエンジンを動かして走る乗り物で…」
興味深そうに目をキラキラさせて知世の話を聞くイーニアスが、とてもかわいかった。
近場の街に出て、タクシーを降りる。そのとき運転手の計らいで、知世は簡易サンダルを受け取った。心遣いに感謝して履かせてもらう。
先に降りていたイーニアスは、口を開けて広がる光景に驚いていた。彼にとってはここはまさに異世界そのものだろう。圧倒されているようだ。
「…ど、どういう建築物なんだ…?それにこの人の波は…?!ここは王都…なのか?」
「ううん、郊外…多分田舎の方だと思う」
「これで田舎…!!目が眩むな、異世界というのは…!」
わかる気がした。知世はあっちの世界に転送されたばかりのときを思い出していた。
「じゃあ…とりあえず、あのおっきい建物に入るね、服が売ってると思う」
「わかりました、行きましょう、楽しみです…!」
知世は手近なデパートに入った。できればウニクロみたいなシンプルな服専門店があったらよかったのだが、ここには昔ながらの店しかなさそうだった。
建物内部の煌びやかな装飾に見とれ、エスカレーターに苦戦しているイーニアスは、見るもの触るもの全てが楽しいようだ。
知世もサポートしながら、とりあえずメンズ服売り場に向かう。その途中、ちらっとカードを見てみた。
カードには名前が書かれていて、キルス・ジャルザーンと記してあった。これは知世が使ったら怪しまれるやつだ。
先程タクシーでも疑問に思わず使ってしまったが、運転手がちらりと知世の顔を見てきたのはそういうことだったのだろう。
何も言わずにサンダルまでくれた運転手に、心の中で感謝の意を伝える。
これからは会計のときは、さりげなくイーニアスから出してもらうようにするしかない。
知世は、「これはお金の代わりになる」と伝えてカードをイーニアスに渡した。
イーニアスは不思議そうにカードを見ていたが、大事なものだということは伝わったようだった。懐にしまってくれた。
そのやり取りが終わるころ、ちょうど目指すメンズ服売り場に到着した。
個人店が軒を連ねているタイプだ。入ったら声をかけられそうな感じがする。知世の苦手とするタイプの店だった。
そんな知世の気持ちを露ほども知らぬイーニアスは、ずかずかと手近な服売り場に入ってしまう。案の定女性店員に声を掛けられていた。
知世は後を追い、自分が通訳するので服をお願いします、と頼んだ。女性店員は頷くと、手近な服からあてがってくれる。
その女性店員の手つきに、知世は違和感を覚えた。やたらとイーニアスに対してボディータッチが多い気がする。
イーニアスも時折不快そうにしていたが、服を選んでもらっている手前、仕方なく従っている感じだった。
…ここに来てようやく、イーニアスイケメン説が信憑性を帯びてきた。
やっぱり…やっぱり、放っておいてもモテる男だったんだ…。知世は唇を噛んだ。
そんな知世をどう受け止めたのか、イーニアスはいろいろな服をあてがう店員を無視し、自分で服を何着か選んだ。
フィッティングルームのことも知世に聞いて、さっさと入りさっさと着替えて出てきた彼の眩しさと言ったらなかった。
シックなカーキ色のVネックニットに、黒のテーパードパンツと、靴は履きやすい黒のフェイクレザーだった。
これで髪を少し整えたら、本当に雑誌の表紙が飾れるモデルになれるんじゃないだろうか。知世は珍しく遠慮なくイーニアスに見とれていた。
「こら、お嬢ちゃん、見とれてる場合じゃないでしょ」
知世はぎょっとして振り向いた。さっきまでイーニアスの服選びを手伝っていた女性店員に声を掛けられたのだ。
「どうしたのあなたの格好…それ病院着?抜け出してきたの?お忍びデートか何かなの?
靴もサンダルだし、下着から買わなきゃダメじゃない。待ってて、お姉さん全部そろえてくるから。採寸だけさせて」
言い終わると女性店員は知世をフィッティングルームに押し込み、服をはがしてぐるぐると採寸を始めた。
その間に、彼女持ち彼氏にコナかけようとしたことを白状され、謝られた。知世は驚いて首をブンブン振るだけだった。
知世に服を着せ、フィッティングルームから出ていったお姉さんの行動は早かった。
あっという間に全部を見繕って持ってきてくれた。選択肢はない、知世は用意された服に着替えていった。
出来上がった自分の姿に、知世は少し気後れしてしまう。
ボディラインのはっきり出るクリーム色のワイドリブニットに、下は上品な赤紫色のロングフレアスカートだ。
ダークブラウンのブーツもとてもかわいい。キャメル色の肩掛けバックも持ってきてくれていた。これもかわいい。
だが自分に似合っているんだろうか。せめてコンタクトにすべきだろうか…、知世が眼鏡を弄りつつ考えていると、外で声がした。
先程の女性店員とイーニアスが、ジェスチャーでしゃべっているようだ。イーニアスの笑い声がする、雰囲気は悪くないらしい。
そう思った途端知世の体は自然に動いていた。二人の前に着替えた姿で現れる。
イーニアスは目を丸くして、食い入るように知世を見つめていた。視線が痛すぎて居たたまれない。知世は赤くなって俯いた。
「…とてもよく似合っていますよ、チセ…」
その優しい声に知世は顔を上げる。嬉しそうに微笑むイーニアスと、隣でうんうん頷いてる女性店員の姿があった。
「………その、ありが、とう…ございます……」
知世は不器用に二人に礼を言った。女性店員はサッとレジへ案内してくれる。お会計だ、チセはイーニアスにカードを出すよう耳打ちした。
イーニアスは動揺することなくカードを店員に渡す。暗証番号入力も知世の指示で難なく終え、二人は礼を言って店を後にした。
デパートを出て外の空気を吸った途端、知世はほっとして大きく長いため息を吐き出す。イーニアスも伸びをした。
そして大きな腹の鳴る音が二つ重なった。知世とイーニアスは顔を見合わせて、ぷっと吹き出した。
「何か食べよう、ニア。初めての異世界のお食事だよ、何でも好きなもの言ってね」
「ありがとうございます。でも正直何もわからないので、チセの食べたいもので大丈夫です。何がいいですか?」
「えっと…、久々に和食が食べたいかな…?お蕎麦屋さん、いいかな?」
「行きましょう、あなたとならどこへでも」
知世はスマホでカードが使える近場の蕎麦屋を検索し、そこに向かって二人で歩き始めた。
主な登場人物
知世・イーニアス
今週の金曜日(2025/11/21)に完結の予定です~。
毎日アップにお付き合いくださりありがとうございます!
最終話までどうぞよろしくお願いします~。




