頭脳で闘う小娘、勝利を掴みとれ!
夜が明け、日が昇ると同時に知世は前線から屋敷に向けて出発した。
今回はついて行っても足手まといになりそうだ、とイーニアスは同行を自ら辞退した。
前線の兵士らに必ず策を講じて戻ってくる旨を伝え、知世は馬車にて帰路を急ぐ。
その目に不安や迷いはなかった。イーニアスと唱えた言葉を、ただ実行するのみだった。
屋敷に着くなり知世は、ロニたちへの挨拶もそこそこに自室にこもった。
まずは考えを形にするために必要なものを集める。
薬品精製器具で実験道具はカバーし、役に立ちそうな薬や魔術書を固めて置いておき、氷生成のための省魔力用水を大量に運び込む。
メタンは時間が惜しかったので、少々汚いし危険だが、牧草地帯の家畜の糞尿と藁を混ぜて置いてある場所から採取した。
あとは部屋で、手が入れられる小さな氷の小箱を作り、部屋の中での低温を実現し、とりあえず片っ端からメタン入り氷を生成してみた。
もちろん結果は失敗。だが知世はめげなかった。
魔術書をあさり、「千里眼」なる魔術の応用で、近場のものをさらに細かく見られるようになる魔術を考案。
その魔術だけだと限界があったので、自身の目に作用する薬を併用、分子レベルを視認できるようになった。
だが体への負荷が思った以上に激しく、数時間たつと知世は激しい頭痛で胃の中の物を全て吐いてしまった。
それでもあきらめなかった。何度も何度も吐いて、それでも氷の生成をやめなかった。
生まれ持った奇跡程度の意味合いしかないはずの氷の魔法は、集中すればするほど知世の意思に応えるように、自在に操れるようになってきた。
氷の温度を変え、氷圧を加え、いくつも失敗品を作り出しては吐いて、ついにコツを掴むことができたときには、部屋にはすさまじい異臭が漂っていた。
もちろんそれは部屋の外にも漂っていたが、不審がる使用人たちをロニが完全に抑え、決して知世の自室には人を入れなかった。
知世の研究が始まってから、徹夜で丸々二日が経った。三日目の早朝、部屋の扉が微かに開く。
げっそりやつれて部屋から出てきた知世は、手に分厚い氷の箱を持っており、その中にはいくつかの白い氷の塊があった。
「………それで何とかなるのかい?」
さすがのロニも怪訝そうに聞いてきたが、知世は首を振って答える。結果はわからない、と。
そしてそのまま馬車に乗り込もうとする知世の首根っこをロニが捕まえて、手早く強制風呂タイムをとらせる。
もちろん風呂の間も知世は氷の箱を手放せない。常に魔力を通して温度を保たねばならないからである。
その辺はわきまえているロニは、うまく箱を躱しつつ知世の着付けをし、サンドイッチの弁当を持たせて馬車に放り込んだ。
これでロニの今日の一番重要な仕事は完了である。
知世は揺れる馬車の中、手の中の氷の箱が溶けないよう、常に魔力を放出して冷やし続けた。
そしてもう片手でサンドイッチを貪る。何としても寝てはならぬ、力尽きてはならぬ、その思いだけで、知世は再び前線を目指した。
前線で出迎えた兵士たちも、イーニアスですらも、知世の顔を見るなり心配そうに顔を曇らせた。
きっちり整えられはしたが、やはり顔に疲れは出ているのだろう。だがそんなことは知世にはどうでもよかった。
今の自分にできる全てを詰め込んだ。これでもう一度、キルスと対峙する。
八割の疲れと一割の恐怖、そして残り一割の高揚感。知世は限界まで自分を試した今回の結果がどうなるか、ほんの少しだけわくわくした気持ちを持っていた。
「…いってきます…!」
氷の箱を抱え直した知世は、前と同じように氷の足場を足元に作り、それを高くしていくことでキルスの浮かぶ場所まで辿り着く。
キルスは完全な無の状態のまま、一ミリも動いていないようだった。彼の絶望の深さが窺える。
何もかもが通り過ぎていく中、自分だけが終わることのない世界で言いようのない孤独と常に向き合い続ける。
程度の差は大きくあっても、知世にはほんの少しだけ、キルスの気持ちがわかる気がした。
そんな彼の心の氷を、この燃える氷で溶かせたらいい――――
知世は手を氷でコーティングしてから、氷の箱に手を入れ、白い氷塊を取り出した。
それを掲げ持ち、地表の魔術師に合図する。
「火花を!」
地表の魔術師の一人が、ほんの小さな火の玉を、知世の手の中の氷塊に向かって飛ばした。
ボン!
知世の手の中の氷は、瞬く間に激しい青い炎となり燃え上がった。知世は手をコーティングする氷をさらに分厚くする。思ったよりかなり熱かった。
「…メタンハイドレートです」
キルスに向かって燃える氷を見せつけ、名称を告げる。
青い炎と聞きなれない名に興味を持ったのか、キルスの視線が動いた。知世には十分な手応えだった。
「………氷が燃えているな。どんな原理か知らんが、それがどうした?」
「原理を、知らないのですね?」
「………………」
「CH4・5.75H2O…。それがこの氷の化学式。異世界の知恵の結晶、人工メタンハイドレートです。
…燃える氷を作る魔法なんて、この世界には存在しない。探したところで意味がないから。
でも私たちの世界では、これを「燃料」とし、様々な「機械」を動かす試みが行われていた。
…ここではない世界、「異世界」の話です。異世界は、存在するんです」
キルスの瞳に青い炎が映る。そこに絶望の淀みはなかった。知世はさらに畳みかける。
「…そして異世界転送は可能な魔術なんです。
あなたの血を引いた天才、セレスティアがすでに私をこの世界に連れてきている。
正しくは魂の相互転送でしたが、私は今セレスティアの体で、ここにこうして存在できている。
…ワクワクしませんか?キルス。あなたが何も知らない世界が、手を伸ばせば届く場所にあるかもしれないんですよ…?」
話を黙って聞いていたキルスが、視線を虚空に戻す。知世は返事を待った。
しばらくして、キルスの口元に動きがあった。ニッと笑みの形に歪んだのだ。
「…そなた、悪い顔をしているぞ。
釣り針にかかった魚を引き上げるときの満足げな、悪い顔だ」
「気に障ったのなら謝ります。…でも、もうあなたの頭の中は、そんなことはどうでもいいと言っているでしょう?」
「…クク…、本当に…悪い娘だ…。
そんなに年寄りを邪魔者扱いするものではないぞ。心配せずともすぐ消えてやる。「この世界」からな」
キルスの瞳に光が戻る。知世はそれを見逃さず、すかさずお願いした。
「では、あなたの老後の楽しみを開発したあなたの娘に、どうかお慈悲をくださいませんか…!」
知世は燃える氷を握りつぶし、氷の箱ごと残りのメタンハイドレートを地表に投げ捨てる。
氷の足場をキルスにもっと近づけ、文字通り詰め寄った。キルスは視線だけ知世に寄こす。
「…魂が抜けかけているのだったな。容れ物が悪かったのだろう。
きちんとした人形を使えば、魂定着など儂には造作もないこと…」
その台詞が終わらないうちに、知世は氷のコーティングを解いた手でがっちりとキルスの腕を掴んだ。大物確保の瞬間である。
キルスは大きなため息をつき、立ち上がった。そのまま知世の腕を掴み返し、共に空中に浮く。
そのままふわふわと地表に落下すると、待ち構えていた王立騎士団に両手を上げて見せて、降参の合図を送る。
騎士団全員から大きな歓声と拍手が沸き上がった。イーニアスが知世に近づいて話しかける。
「チセ!やりましたね…!いったい何がどうなったのか詳しく説明…」
「ニア!…いえ、イーニアス様、お願いです、一刻も早くマクファーレンの屋敷へ、どうか馬車を…!」
驚いたイーニアスが知世の深刻な顔に気付き、何も言わずこくりと頷く。
馬車の手配をしてもらっている間も、知世はセレスティアのことが気がかりで仕方なかった。
主な登場人物
もう本文は書きあげているのでこれから毎日アップ予定。
挿絵は間に合ったら&気が向いたらつけます。
もしよければこれからも読んでやってくださいませー。




