悠久の暇人の戯れで揺らぐ世界
「ここまで来てもオルガナの魔力が感知できんとはな。彼女は死んだか」
そんな独り言が知世の執務室に響いた。いつの間に開いたのか、風を感じた窓の方を知世は振り返る。
陽光を受けて真っ白に輝く髪をふわふわとなびかせる、濁った蒼い眼の青年がつまらなそうに窓のへりにしゃがんでいた。
「どうやって…」
「つまらんなぁ…」
知世の問いに答えを返さず、青年は一言ぼやくと重心を後ろにずらす。そのまま窓の外に落ちていった。
「…っここ、二階…?!」
知世は焦って窓に駆け寄るが、窓の外には青年の姿はない。
人を呼んで確かめさせようにも、白昼夢の出来事のようで知世自身青年が実在の人物か確信が持てなかった。
ただ――――あの濁った蒼い瞳が何かを語っていたように感じる。
知世の嫌な予感は、すぐに現実のものとなるのだった。
「マクファーレン領領主、セレスティア・ノル・マクファーレン伯爵に申し渡す!
手持ちの薬品、薬草の一切をグノーゼル王国王立騎士団員の手当てに回すように!
これは決定事項である!逆らえば処されると心得よ!繰り返す、これは決定事項である!!」
白髪の青年の件から数日後、蹄の音をけたたましく響かせながら、王立騎士団の騎馬部隊の数名が領地に乗り込んできた。
何事かと出迎えた知世たちに向かって一枚の紙きれを掲げ、高らかにそう宣言され、屋敷のものたちは皆唖然としていた。
いち早く現状に立ち戻ったロニが、騎馬隊に向かって恭しく頭を垂れた。
「ご機嫌麗しゅう、騎士団の皆々様。薬の調達が急務であること、承知いたしました。
しかしこちらも全ての薬品を差し出すとあらば、その理由をお聞かせ願いたく…」
「黙れ!これは国の一大事、国王陛下の勅命なれば、下々の意見するところにあらず…」
「ま、待てよ…、マクファーレン領って確か、魔女領主の…」
高圧的に話を進めようとする兵士に向かって、他の兵士が何かに怯えたように話に割って入った。
そのままひそひそと耳打ちすると、高圧的だった兵士は一つ大きく咳ばらいをし、理由を語り始めた。
「…町のものには他言無用だ。やすやすと広めてはならぬぞ。
ここからそう遠くない穀倉地帯で巨大な爆発があった。地は深く広く抉れ、その爆発の中心には…一人の男が立っていた。
男は白髪で、年齢は二十代から三十代、空を自在に浮遊する。魔法使い、魔術師の類と見て間違いない」
そこまで聞いて、知世の頭には数日前の白髪の青年の姿が浮かんだ。同一人物だろうか。
「王立騎士団の騎馬部隊は、風の魔法魔術師部隊の力を借り、空を駆けその男に挑んだ。
…だが、我らはそのような戦法に慣れていない。一騎、また一騎と打ち落とされ、最後に残ったイーニアス殿下の渾身の一撃も弾き返された…。
しかも殿下の怪我の具合がひどくてな…、一撃でざっくり、だ。
落ちてくる殿下を魔術師部隊が風で受け止めなかったら、地面に叩きつけられて亡くなっていたことだろう…」
一撃でざっくり、そこからは何も聞こえなかった。
知世はイーニアスが戦地にいた事実を受け止めきれず、耳が声を拒絶し、視界は白くかすみ始めていた。
もに、と右頬が柔らかい何かに押される感覚がして、知世は意識を取り戻す。知世の肩に乗ったてぃあの平手打ちがめり込んだのだ。
反対側の肩をロニに叩かれ、知世は視線を上げる。ロニは知世を真っ直ぐに見据え、無言でこくりと頷いた。
「チャンスだ」
何が?
「血まみれの敗残兵がうろつく戦場に降り立つ、美しき看護メイド、ヴェロニカ…!
彼女の献身的な看護と傷を癒す薬により、戦場には希望の灯火が輝き始める…!
そんじょそこいらの泥臭い戦場ならまっぴらごめんだけど、今回そこにいらっしゃるのは王立騎士団の皆々様方…!!
貴族も騎士も入れ食い状態!皆あたしの美貌と癒しの腕にトキメキズキューンよぉ!!!
ふふ…、間違いなくここが勝機…!結婚相手、見つけてくるわ!!!」
「……………………ロ、ロニ……」
「皆まで言うな我がお嬢!!イーニアス殿下はついでにパパッと傷口縫ってきてやるから!!大手を振って私を派遣しなさい!!」
右肩に乗っていたてぃあを両手に抱え直し、知世は大きくため息をついた。手の中のてぃあから悔しそうな声が上がる。
「きいぃぃぃ~~~!!!!クソ羨ましい!!
体が…!人間の体でさえあったなら~~!!!私だって未来の旦那様捕まえにいくのにぃぃ~~!!!」
「ノン、ノン、甘いわねレス嬢。あんた戦場の光景なんて知らないだろう?
…知らない方がいい、見ない方がいいようなもんさ。行くのは知ってるあたしだけで十分ってね。
まぁあんたらは後方支援ってことで追加の薬作りに専念しな。
あとあたしがいないからって領主の仕事サボんじゃないわよ、しっかりね」
知世はロニに再度肩を叩かれた。
今すぐイーニアスのもとに飛んでいきたい気持ちもあったが、ロニの言う通りそんな血生臭い場所で重傷の彼を見たりしたら…正気を保てる自信がない。
そんな鬼気迫る場所で足手まといになるくらいなら、ここでしっかりした品質の薬を精製する方が役に立てるのは間違いない。
知世はロニの肩を叩き返し、戦地へ赴く彼女への激励とした。
ちなみにこの会話を間近で聞いていた騎士団の方々は、青ざめたり白い目だったり「さすが魔女領主とそのお供…」とかぼやいてたけど、知世は何も聞こえなかったことにした。
ロニがスキップで戦地に赴いてからの知世は大変だった。
まず薬のストックがほぼなくなった。傷薬系だけかと思いきや、頭痛胃痛便秘薬、不安不眠改善のために向精神薬まで持ち出されてしまった。
とりあえず在庫を増やさねばと、朝から晩まで薬の精製をしたかと思ったら、王立騎士団来訪の噂を聞きつけた町長はじめ住人たちが、何事かと乗り込んでくる始末。
相変わらず対人技術の乏しい知世は、苦手な彼らの相手を早々に諦めた。
何もかも自分でやらなければ、と空回っていた初めの頃とは違い、月日を経た信頼で結ばれた使用人たちの中には、ロニのような接客ができるものもいる。
皆に仕事を割り振り、屋敷のものたち全員で危機を乗り越えていく。それはさながら「会社」のようだったが、知世はそれを「家」や「家族」と密かに思っていた。
ずっと欲しかった、あたたかな憧れ。大切な人たち。この「家」があれば例え危機に瀕したとしても、もう知世は一人で倒れることはないと信じることができた。
「…チセの仕事の仕方ってさー」
黙々と橋の補修費用の書類に目を通していた知世に、机に寝転がったてぃあが足をふりふりしながら話しかける。
「お母様と…なんか全然違うのね」
「オルガナさんと?どんなふうに違うの?
…そ、そりゃ私なんか足元にも及ばない感じかもしれないけど…」
「違う違う、そういうんじゃなくて…なんかねー、色があるのよねー。
お母様の仕事は、冷え切って氷点下真っ白って感じだったけど、チセはこう…うっすい肌色」
「…ごめん、全然わからない。けど、何となくけなされてる気はしないよ、ありがとう」
知世はてぃあに微笑みかけた。てぃあは「けっ!」と吐き捨てつつも、それ以上何か言おうとはしなかった。
そんなてぃあを片手でモフりつつ、作業員給与の欄に判を押そうとして知世は思い出した。
「そうだてぃあ、魔法で傷を癒すことってできるよね?
王立騎士団にはそういう魔法使いはいないのかな?」
存分にモフられていたてぃあは、むくりと起き上がると片手をチチチ、と振りながら話し始めた。
「あんた私の記憶の継承どーなってんの?
回復の魔法使いなんて滅多に現れるもんじゃないし、そもそも魔法はそんなに強い力を持ち合わせてる人はいないよ。
魔法ってのは個人が生まれながらに持つ「奇跡」であって、魔術を学ぶための条件程度の意味合いしかないから。
ちなみに回復の魔術もなくはないよ。でもそのほとんどが薬と併用だったり、魔力消費の割にはあんまり回復できなかったり、困った分野なのよねー」
「「セレスティアの経験」を辿っても、そういう知識って全然出てこないんだけど…これってやっぱり…」
「…そうよ、お母様の分野だったんだもの…。好き好んで学ぼうなんて、思わなかったわ。
私は昔っから、自分の興味の向くことしか集中力保てなくって、押し付けられたことは全然できなかったから、薬はさっぱりよ。
それに今はこの体。ほんとお役に立てなくてすみませーんでーしたーーーー」
てぃあは最後にはふてくされて机の上に仰向けに転がってしまった。知世は苦笑いするしかなかった。
雨粒が窓に打ち付ける音がする。知世は窓の外の暗い雲を眺めた。イーニアスたちやロニは無事だろうか。
思いは馳せつつも、今はこの「家」を護るため、目の前の仕事に打ち込むしかない。知世はペンを手に取り、仕事に意識を戻した。
それから幾日もしないうちに事態は急転する。
重傷のイーニアスがロニによって知世のもとに運ばれてきたのだ。
「ふがいない姿を晒してしまって、申し訳ありません…」
開口一番、イーニアスは知世に謝罪した。知世は首を横に振り、客間へ通すよう指示を出した。
仕事をさぼり、付きっ切りで看病したいところだったが、そんなことをしたら何より国を守るために傷を負ったイーニアスに顔向けできない。
知世が仕事を終えて客間へ向かえたのは、休憩時間と決めていた小一時間になってからだった。
ノックして部屋に入ると、イーニアスの包帯をロニが替えているところだった。
慌てて出ていこうとすると、ロニが鼻で笑って知世を小娘扱いしてきた。少しムカついた知世は、意地でそのまま部屋に入った。
傍に行くと、イーニアスの傷の深さがわかる。左肩から右わき腹にかけてばっさり一直線、縫われてはいたがひどい怪我だった。
「…何も護ることもできず、深手だけ負ってしまいました。第一分隊隊長として恥ずかしい限りです」
「アンタのおかげで先走った若いのは無事だったんだ、大したもんじゃないか。自分を卑下しても始まらないよ」
ロニがてきぱき怪我の処置をしながら言う。言い方はきつかったが、知世もロニの意見に同調し、こくりと頷く。
患者用の簡易服を着せ終わると、ロニと知世で支えながらイーニアスをベッドに横たえた。
終始暗い顔のイーニアスに、知世は声を掛けた。
「…もし体調に影響がなければで構いません。現地のこと、少し聞かせてもらえませんか…?」
「ええ…、あまり大した話はできないかもしれませんが、それでもよければ…」
イーニアスはとつとつと語り始めた。
相手が動くことは全くなかったこと。最初は話し合いを試みたこと。
目的は暇つぶし。どうしたら退いてくれるかの問いには、気が向かなくなったら、と答えが返った。
その会話に焦れた部下が先に仕掛けてしまったこと。
一対大勢で仕掛けたのに戦力差は歴然で、まるで歯が立たなかったこと。
魔法使いとしてあれほど強力な個体は見たことがないこと。
怪我人は多数だが、相手から余計な攻撃を仕掛けてくることがないので、現在は膠着状態だということ。
現在現場でできることは監視のみになったことと、怪我の具合からイーニアスは何人かと一緒に後方に下がらされたこと。
ヴィンセントは騎士団に所属していないので、王城にいて無事だということ。
特に最後の話にロニは大きく胸を撫でおろしていた。だが知世が興味を示したのはその先の話だった。
「なるほど…攻撃は弾かれた、とチセは聞いているのですね」
「はい、先日屋敷に通達に来た兵士から、確かにそのように聞きました」
イーニアスは少し考え込んだあと、重い口を開いた。
「…その話、正しくは違います。
槍の攻撃は奴に届いたのです。確かに貫通しましたが、…その傷は私の目の前で塞がりました。瞬時に」
「…回復魔法、ですか?」
「いえ…、傷が癒えたというより…何事もなかったようになっていたあれは…不死、なのではないかと…」
「不死…」
突拍子もない話ではあるのですが、とイーニアスが付け加えていたが、その声は知世には届かなかった。
知世はキーワードを繋げて呟いてみる。
「不死…白髪の青年…空を飛ぶ魔法使い…そして、オルガナを訪ねてきたこと…、彼女は不老不死の薬の研究をしていた…」
全て繋がる気がした。それを聞いた二人も思うところがあったようで、三人は視線を合わせた。
「この事態が起こる少し前に、「オルガナの魔力が感知できない、つまらない」と言って去っていった白髪の青年がいたんです。
淀んだ蒼い瞳をしていて…。どことなく気味は悪かったけど、大したことじゃないと思っていました…」
「瞳の色…確かに青色だった気がする…。同一人物とみて間違いないでしょうか」
「オルガナ様関連ならレス嬢…てぃあなら何か知ってるんじゃない?聞いて…あれ?あいつどこ行ったの?来てないの?」
ロニの言葉に、そういえばあの騒がしいぬいぐるみが傍にいないことに知世も気づいた。
イーニアスが運ばれてきたのに、顔を見せないのは何か不自然な気がする。知世は胸騒ぎを覚えた。
知世とロニは客間を退室し、てぃあの捜索を始めた。ほどなくして彼女は執務室で見つかる。
机の上に仰向けに寝転がったてぃあを揺すって声を掛けてみる。ぎこちない反応が返ってきた。
「………チ、セ………ロニ………うご…、か……な……」
「てぃあ、てぃあ?!どうしたの?!魔力は毎朝ちゃんと込めてるのに、魔力切れ…?」
「いや…、これはまさか、魂が抜けかけてるんじゃ…?」
「そんな…!このぬいぐるみじゃ不十分だった?!
確かに人型じゃないし、中身も綿だから魂の定着具合はあまりよくないのかもしれない…けど、どうしてこんなときに…!」
「チセ、あたしゃ正直魔術の話はさっぱりだ。
この屋敷じゃアンタしか対応できないことだよ。どうする?」
知世はぎゅっと目を瞑った。セレスティアとの出会い、体を巡っての対立、ぬいぐるみのてぃあとの他愛のないやり取り…彼女とのこれまでが頭の中を駆け抜ける。
「………失いたくない」
呟き、目を開いた。具体的な対処は知世と屋敷の魔術書だけではおそらく不十分だ。
なら誰かに聞くしかない。知世が頭に思い描いたのは、白髪の桁違いの魔法使い。
彼についての情報が少なすぎるが、不死の魔法使いなら魂についても何か詳しい可能性は高い。
「ロニ!旅支度を急いで!
不死の魔法使いに会いに行くわ…!」
ロニとイーニアスの制止を振り切り、知世は未知の存在に助けを乞うべく、戦地を目指した。
主な登場人物
もう本文は書きあげているのでこれから毎日アップ予定。
挿絵は間に合ったら&気が向いたらつけます。
もしよければこれからも読んでやってくださいませー。




