第七話「崩れる書架と、古びた鍵――ドジっ娘がつかんだ糸口」
午後の柔らかな光が差し込むころ。
僕のもとに、篝火 幸が落ち着かない様子でやってきた。
「ねえねえ、空夜さん。ちょっと付き合ってほしい場所があるんだけど……ダメかな?」
胸の前で両手を組み、“お願い”のポーズをしてくる彼女。
顔にはわくわくとした好奇心の色が浮かんでいたので、何やら厄介そうな予感がしつつも、断る理由は見つからない。
「行きたい場所、って……どこ?」
「実はね、この町のはずれに大きな蔵があって、そこに古い資料がいっぱい眠ってるんだって。 取材も兼ねて、中をのぞいてみたくてさ。 でも、私ひとりだとちょっと心配だから……」
うっすら埃の匂いが漂ってきそうな蔵のイメージが脳裏に浮かぶ。
僕は軽く首を傾げながら、幸の熱い視線に押されるようにうなずいた。
「まあ、いいけど……変なところをいじって壊したりするなよ? 何かあったら困るし」
「うん、大丈夫! たぶん!」
その返事だけであまり安心できないが、ともあれ一緒に行ったほうが安全だろう。
そうして僕らは町はずれにある年代物の蔵へ足を運んだ。
古びた扉を開けると、薄暗い空間に古書や巻物の匂いが立ちこめている。
蔵の奥には書架がいくつも並び、長らく放置されていたせいか、棚板が歪んでいる部分も見える。
「うわあ……思った以上に埃っぽい。 くしゃみ出そ……」
幸は大きな目をきらきらさせながら、慎重に奥へ進む。
好奇心に火がついた彼女を止めるのは容易じゃないだろうな――なんて思っていると、案の定、勢いよく書架に手を伸ばし始めた。
「ちょっと待って、バランス崩れてるぞ……」
注意を促した矢先、幸が引っ張り出した巻物の重みで棚全体がぐらりと揺れた。
古い木材が軋む音がして、一部の棚板が今にも倒れかける。
「わ、やば……ひえーっ!」
幸の悲鳴。
僕は即座に駆け寄り、棚に体を押し当てて彼女を引き寄せる。
それでも棚は微妙に傾き、上段に積まれていた箱や書類があちこちへ転げ落ちていく。
「わわわ、空夜さん!」
「大丈夫、動かないで!」
幸をかばうように抱き寄せると、僕の頭の中で一瞬ノイズのようなきらめきが走った。
まるで“きづき”を連想させる画面がパッと浮かび、耳元で「ブッ壊せ」という荒々しい囁きがかすめる。
一瞬だけ“もう一人の自分”が表に出かかって……けれど何とか踏みとどまる。
(危ない、またあの声が……)
幸は僕の腕の中で少し震えつつ、「ごめんね……助かった」と息を吐く。
僕も胸を押さえ、残りの荷物が落ちきるまで棚を支える。 やがて騒動が収まり、埃っぽい空気だけが漂う。
「はあ、はあ……気をつけてくれよ。 棚がこんなに脆いなんて思わなかったけど、無茶しすぎだって」
「うう……反省してます。 ほんとごめん……あ、空夜さん、今の声……もしかして少し荒っぽかったような……?」
幸がちらっと顔をのぞかせ、不思議そうに首をかしげる。
バレそうで焦るが、僕はなんとか笑顔を作って誤魔化した。
「え、そ、そう? 必死だったからかもな……気にしないで」
書架の倒壊を防いだぶん、体が少し軋む。
埃を払いながら棚の脇を整理していると、小さな木箱が地面に落ちていた。
蓋が半分開き、中から古びた巻物と、何冊かの古文書らしきものが顔をのぞかせている。
「これ……何かすごく古そうだよ」
幸が慎重に手に取る。
二人で埃を拭いながらめくってみると、“理の狭間”や“混沌”“認識”といったキーワードがいくつも記されているではないか。
――“認識が力を生む世界において、奉納は存在を強固にする要”
――“理の狭間がゆるみしとき、再び無の深淵(混沌)が来たる”
――“万の名を持つ神、その本質を封じし鍵は……”
断片的な記述ながら、どれも見逃せない単語ばかりだ。
特に“認識が力を生む”というくだりは、まさにこの祭導ノ界を支える根幹と一致しているし、混沌の脅威についても示唆しているように思える。
「す、すごい! これ、ただの古文書じゃない。 実際の警告文みたいな感じ!」
幸が目を輝かせ、古語の一部を読み解こうと必死だ。
僕は少し離れてページを覗き込み、ぞわりと背筋が震える。
読めば読むほど、この世界の危うさが浮き彫りになるような言葉が並んでいるのだ。
「理の狭間がゆるむ……。 やっぱり混沌が侵攻してくる可能性が示されてるのか。 ここにも‘認識こそが鍵’とあるし……」
一方で僕の心はそわついている。
再び頭痛がしそうな気配
あの“もう一つの人格”が語りかけてきてもおかしくない状況だ。
棚が崩れかけたとき、確かに片鱗が出かかった……もし、あの声に飲まれていたらどうなっていただろう。
「ええと、‘万の名を持つ神、封じし鍵は……’ ここで文が途切れてる。 …うわー、もったいない!」
幸は残念そうに巻物を閉じる。
でも、これだけでも大きな収穫だろう。
いずれ詳細を調べたら、“認識と奉納”の仕組みや“混沌の正体”にもっと深く迫れるかもしれない。
「興奮するのはいいけど、もうあんまり触らないでね。 また棚が崩れたらシャレにならない」
「あ、うん、わかってる。ごめんごめん。 でも、やっぱり来てよかった。 こんな文献が眠ってるなんて、知らなかったよ!」
満面の笑みを浮かべる幸。
彼女の天真爛漫な姿を見ると、先ほどのヒヤリとした出来事すら遠い幻のように感じられるが……
実際には棚が倒壊しかけ、僕の中の“荒神”が顔を出しそうになった事実は消えない。
「無茶しないようにね。 一歩間違えたら大怪我するぞ」
「はい、気をつけます。 ごめんなさい、ほんと。 でも空夜さんのおかげで救われたよ。 ありがと!」
僕は曖昧に笑って応じながら、頭の奥をチクリと刺す不安に耐える。
このままじゃ、何かの拍子であの人格が爆発する日はそう遠くない気がする。
古びた蔵の薄暗い静寂。
埃の匂いとほんの少しの外光が差す中で、僕らはひとまず散らかった物を簡単に元の場所へ戻した。
見つけた古文書は大きな手がかりになりそうだが、同時に“大きな脅威”へとつながる臭いもする。
外へ出たときには、夕方のオレンジ色の光が町並みを染めていた。
幸は大満足の笑みで「ねえ、朝臣さんにも見せに行こう!」と腕をぶんぶん振っている。
その横で、僕は小さくため息をついた。
(認識が力を生む……混沌は理の狭間から……僕の中には“荒神”が……)
思考を振りほどくように首を振り、蔵の扉をそっと閉める。
気づかれないように、ほんの僅かに歯を食いしばった。
「よし、行こうか。 帰り際、町の神社に寄っていってもいい?」
「あ、いいよー。 あそこに寄ればまた資料の話とか聞けそうだし!」
幸はすぐに賛成し、僕らは足早に町の中心へと向かった。
背後には寂しげにたたずむ蔵が、まだ何か大切な秘密を隠しているかのように見える。
僕らが手にしたこの古文書の一端が、今後どんな道筋を示すのかは、まだ誰にもわからない。
ただ、一歩間違えればさらなる混沌を招き寄せるかもしれない
そんな不安を押し込めながら、僕は夕暮れの通りを歩きだした。