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第六話「祭りの喧騒に潜む小さなひび割れ」

あれから数日が経った。


混沌こんとんとの衝突で体調を崩して以来、僕は休みがちだった刻師こくしの仕事を、ようやく普段通りに再開している。


「空夜くん、屋根の補修が終わったら、こっちの門にも刻印を頼むよ」


大工のヤマダさんが、足場の下から声をかける。


彼らと一緒に建物の修繕を手伝うのも、もはや日常の風景。


ここ祭導さいどうノ界は、刻印によって街を護る


そんな文化が根づいているからだ。


僕はとびのようにひょいと屋根の端に腰を下ろし、筆を握りしめる。


薄い風を切るようにして、瓦の表面へ小さな文字を描くと、すぐに墨跡がさらりと吸い込まれる。


その瞬間、視界の端にぼんやりと蒼白い文字が浮かんだ。


一見すると“ステータス画面”のようにも見えるが、僕には慣れ親しんだ“脳内の計測”だ。


── 鎮守門:刻印追加(護)


── 街の結界安定度:おおむね良好


まるで一瞬きらめいては消える幻のように、情報が脳裏に走り去る。


ごく自然な感覚だけど、これを初めて見た人からしたら驚くかもしれない。


いっそ普通の「体感」としか言いようがないくらい、僕にとっては日常の一部だった。


「助かるよ、空夜くん。この町が賑わってるのは嬉しいが、祭りの準備は忙しくてな」


ヤマダさんの明るい声が、下から聞こえてくる。


溶け込むような平和な景色


そう、今は一見すべてが順調そうに見える。


けれど。


どこか胸の奥がしっくりこないのは、気のせいだろうか。


まるで空間の端っこに小さな亀裂が走っているような、不安な予感が拭えない。


そんな思いを抱えながら足場を降りると、篝火かがりび さち和泉いずみ 朝臣あさおみの二人が、通りをふらつきながらこっちを見上げていた。


取材を名目にして、まるで僕の“護衛”をしてくれているかのように感じられるのは気のせいじゃないはずだ。


「空夜さん、お疲れー! もうそっち終わった?」


幸が柔らかな笑顔で手を振る。


「ああ、屋根は大丈夫。これでひと通り刻印も追加したし」


「よかった。…それにしても、さっきあなたまたぼうっとしてたね。大丈夫?」


「大丈夫大丈夫。ちょっと考えごとをしてただけだよ」


答えながら、また視界の隅にちらりと“文字”が見えたような気がして、軽く瞬きをする。


── 雑踏指数:上昇中(+5)


こんな具合に街の“賑わい”を示す指標らしきものが浮かぶが、これもすぐに消えてしまう。


そのとき、朝臣がクールな声で口をはさんだ。


「町は次の小祭りに向けて盛り上がってるようだが……噂じゃ夜中に妙な裂け目を見た人もいるとか。気のせいであればいいんだが」


一瞬、僕の胸がぎゅっと締まる。


やはり混沌の影が少しずつ忍び寄っているのか。


街の人々は気づいていないかもしれないけれど、この間の一件のように“理の狭間”が少しずつ壊れかけているなら、また何かが起こりかねない。


幸が「きっと大丈夫だよね……?」と不安げに言葉を続ける。


しかし僕は胸中のざわつきを隠すため、いつものように曖昧な笑みを返すしかない。


「実際、大きな事件は起きてないし、きっと平気だよ。 町のみんなだって、仕事や祭りの支度に集中してる」


「……そうだといいけど」


朝臣は真顔のままノートを取り出し、何かメモを取る。


どうやら僕の言動をずっと観察しているらしい。


そんなやりとりを続けながら、三人でメイン通りへ向かう。


どこもかしこも祭りの飾りが増え、屋台の準備や試運転のようなことが行われていて、良い匂いと活気に包まれている。


人々の笑い声、はしゃぐ子どもの姿――まるで不穏など存在しないかのような楽しい空気だ。


(本当にこのまま、何も起こらずにいられたらいいのに…)


そう思いながら、歩を止めた瞬間、口先が勝手にかすかに動きそうになる。


「オレが……」と出かかり、慌てて咳払いして誤魔化す。


また別の人格が声を出しかけたのだと自覚して、心が冷える。


幸が「大丈夫?」と心配そうに覗き込む。


朝臣もちらりとこちらを見るが、僕はせいぜい笑って見せるしかない。


こんな何でもない会話の最中でも、あの声が目を覚ましそうで怖いのだ。


一方、街の町衆は誰もそんな僕らの不安など気にせず、祭りの準備に没頭している。


提灯を吊るす者、大道芸の練習をする者、踊りのリハーサルをする者


視界が鮮やかな色であふれていて、日常が眩しく映る。


だけど、その裏にうっすらと綻びが広がっているとしたら、僕はどうするべきか。


(脳内の“ステータス”がどんな警告を出す日が来るんだろう。 今は見え隠れしているだけだけど…)


脳裏では、祭りの進行度や街の認知度といった断片情報が泡のように浮かんでは消えていく。


こんなの、ほんの数日前までは当たり前のように使っていた“感覚”だったのに、今は妙に落ち着かない。


そのとき。


わずかにビリッとした異様な感覚が頭に走った。


思わず立ち止まると、朝臣が「どうかした?」と声をかけてくる。


「いや……うん、何でもない」


指先がわずかにしびれるような、空間が震えたような錯覚。


けれど周囲はいつも通りの賑わいだ。


遠くで笛や太鼓の音が鳴り始め、祭りの予行練習が本格化したらしい。


僕は息を吐いて、頭を軽く振る。


“普通の日常”に戻ってきた・・・はずなのに、なぜこうも落ち着かない。


この小さな町が、かすかな亀裂を抱えてしまっているせいなのか。


あるいは僕自身が“荒神”の声を封じられずにいるからなのか。


「ほら、空夜さん、ついてきて! こっちで舞のリハーサルやるって!」


幸が楽しげに手招きしてくれる。


僕は動揺を悟られぬよう、できるだけ自然に駆け寄る。


朝臣も軽くノートをしまって、無表情ながらも興味を示すようにそちらを向いた。


にぎわう街角の風景が、一瞬鮮やかすぎて目が痛む。


まばらに揺れる提灯の光が、まるで遠い未来への灯火みたいに見え――同時に、いつ消えてもおかしくない危うさをはらんでいるようにも感じる。


(どうか、無事に過ぎてくれ)


そんな願いを胸に抱えながら、僕は二人の後を追う。


頭の片隅でまた文字がひらめいて消えかけるが、意図的に無視を決め込む。


本当に“普通の平穏”を守りきりたいだけなんだ。


だが、その祈りを嘲笑うかのように、視界の端で“???”という怪しい表示がちらっと湧いて消える。


ほんの一瞬の今まで見かけたことのない正体不明の文字に、心臓が跳ねる。


……見なかったことにするしかない。


祭りの笛の音が、やけに遠く感じられた。


こうして、何気ない日常の中にひそむ小さなひび割れを感じ取りつつも、誰も確信を持てずに過ぎゆく日々。


胸にかすむ不安を抱えたまま、僕は笑顔の裏で静かに息を詰めていた。

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