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第五話「漂う夢、交わる声――揺らぐ自我の境界で」

混沌こんとんとの激突から一晩。


僕、名鏡なかがみ 空夜くうやは、町の小さな医者の家で寝かされている。


昨日、無理をして刻印バトルをしたせいか、意識が混濁して倒れ込んでしまったらしい。


薄暗いランプの光が霞んで見え、ぼんやりとした熱が頭にこもっている。


微かに聞こえる通りの喧騒が、遠い夢のようだ。


身体が動かせず、まぶたを閉じると、自分の中で何かがざわつく感覚がより鮮明になる。


「……オレが……護る……」


誰かの声


いや、僕自身の声なのかもしれない。


ただ、その響きはいつもの僕とは違う低く荒々しい調子で、唇が勝手に動いている感じがした。


胸に染みつくような怠さに耐えながら、じっとそれに耳を澄ますしかない。


町医者がそばで脈を診ながら、「とにかく休養が必要だ」と小さく呟いている。


「大きな外傷はないんだが……随分と気力がすり減ってるようだな」


声だけははっきり聞こえるが、体は鉛のように重く、応じる気力もない。


すると、控えめにノックがあり、慌ただしい足音が二つ。


「すみません、空夜さんは……?」


篝火かがりび さち和泉いずみ 朝臣あさおみだ。


医者が「あまり騒がせないように」と声をかけたが、彼らは心配そうな面持ちでベッド脇へ寄ってくる。


「……空夜さん、聞こえます? 大丈夫……?」


幸は目に涙を浮かべそうな表情で、しきりに手を握ろうとしている。


朝臣は少し離れて、冷静に僕の顔色を観察しているようだ。


「あまり無理しなくていいから、ゆっくり休んで。きっと疲れが出ただけだから……」


幸はそう言いかけて、ふと眉をひそめる。


僕の喉奥から、また違う声がかすかに漏れたようだからだ。


「……おれが……やらなきゃ……全部、守る……」


男らしく凶暴な口調とは違うが、語り口は明らかに“僕”とは違う響き。


幸と朝臣は顔を見合わせ、「まただ……昨日もこんな風に」と不安げにつぶやく。


ベッドに横たわる僕は、夢うつつの狭間で何もできない。


まるで視線だけが生々しく残され、手足は別の誰かに奪われているかのような感覚だ。


瞼を閉じると、深い闇の中に白い霧がうごめき、そこで声が交錯する。


(オレがいるから、お前は……オレは……)


内容が掴めず、ただ恐怖だけがぐるぐる回る。


自分の意識がどこにあるのかさえわからなくなるほどだ。


まるで別々の人格が、ひとつの体を巡って言い争っているような混乱に陥る。


「せめて着けておいてやれ」


朝臣の静かな声が耳にしみる。


彼が手にするのは、僕がいつも携帯していた数珠。


古い造りだが、何やら不思議な印が刻まれている。


もしかすると、これが“もう一つの人格”を抑える鍵になっているのかもしれない――そんな思いが脳裏をよぎる。


幸がそっと数珠を僕の腕に巻きなおす。


「これ……外れかけてたみたい。 医者さんも‘護符みたいなものなんだろうか’って言ってたけど……どうなの?」


「……さあな。ただ、空夜がこうなる前から常に身に着けていたんだろう? 何らかの封印の役目があるのかもな」


朝臣は持参していた古い巻物をパラパラとめくりつつ、疑念を深めているようだ。


頭の中には再び、昨日の戦闘シーンが浮かぶ。


黒い裂け目。触手のような怪異。


そのとき僕は“荒神”にも似た凶暴な声が出かけた。


そして今、うわ言で「護る」と繰り返している


どちらも本当に僕自身なのか?


幸が心配そうに眉を寄せ、「さっきから、ぼそぼそ何かを呟いてるね。 ‘俺が……護る’とか、そういうの」と朝臣に向けて言う。


朝臣はノートにさらさらと書き込みながら、険しい表情で首を振った。


「つまり空夜本人の無意識化で、複数の人格がぶつかってるということか……」


町医者が軽く咳ばらいをして、薬草を煎じた器を置いていく。


「会話はほどほどにして、あとは静かに休ませてやってくれ。今は体力の回復が先決だろう」


二人は小声で謝り、僕のベッド脇から少し離れた場所で立ち話を続ける。


(ああ……僕、どうしちゃったんだろう)


夢の底でそんな言葉が浮かぶ。


理性は薄く残っているのに、身体はぐったり重くて動けない。


そして耳元にこびりつくような“もう一人の囁き”。


(いずれわかる。 オレは逃げないし、封じられたりしない)


ぞくりと背筋に鳥肌が立つ。


まるで僕の弱まった心を見透かすように、その声は自信満々に語る。


反発したいのに意識が混濁し、声を発することもできない。


ふと、差し込む淡い光の加減が変わったのか、まぶたの裏がじわりと赤みを帯びる。


外は夕方から夜に移ろっているのだろう。


このまま眠り込んで朝を迎えれば、少しは回復するかもしれない――けれど。


(本当に元通りの“僕”でいられるんだろうか?)


そんな疑問が頭をよぎる。


数珠がぎゅっと腕に食い込み、ささやかな熱を宿しているのがわかる。


それが何とか、僕の意識を一本の線に繋ぎとめてくれている気がした。


外では幸と朝臣が話す声がかすかに聞こえる。


「……あれはやっぱり多重人格……というか、神憑かみがかりの類かもね」


「混沌の気配を浴びたせいで刺激が強まったのか。それとも、もともと内に抱えていたものが顕在化したか……」


耳に届く断片的な言葉に胸がざわめく。


自分が本当に何者なのか、知っているのはどっちの“僕”なんだろう。


そして“あの声”は本当に敵か、それともこの町を護ろうとしている味方なのか。


どちらにせよ、僕自身がそれを制御しなければ、いつか大変なことになるのは明白だ。


不安と焦りに胸が締め付けられるが、今は動けない。


頭が重く、眠気がまた波のように押し寄せてくる。


幸が「しばらくそばにいるから、安心して休んでね」と言ってくれて、朝臣も「情報は後でまとめよう」と頷いた。


少しだけ胸が温かくなる。


二人がいてくれるなら、きっと大丈夫だ……と、僅かな希望が生まれてくる。


だけどまた、その隙間を縫うように声がこぼれる。


「……オレが……守る…… この命、使い潰してでも……」


深い眠りに落ちかけていた僕の言葉を、幸と朝臣は唖然として聞いていたようだ。


同時に、再度証明される“もう一人の存在”。


それは、彼らを混乱させるのと同じくらい、僕自身をも恐怖に陥れていた。


暗い部屋に消え入りそうな明かりが揺れている。


町医者の静かな足音が遠ざかり、心地よい薬草の香りだけが残る。


意識の深層から響く声が、今宵も僕の眠りを乱し続けそうだ。


こうして、僕の中に確かに“別の声”があることを、改めて誰もが意識し始めた。


真夜中になれば、この闇のささやきはさらに大きくなってしまうのかもしれない――


そんな不安を押し殺すように、僕はただ布団をきつく握りしめて、微睡まどろみに溶けていくのだった。

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