第三話「取材コンビとの出会い」
昼下がり。
雲が空をうっすら覆い始めた神社の回廊で、僕は一息ついていた。
今朝から何件か刻印の依頼を片付けて、ようやく落ち着ける。
もっとも、昨夜の“血塗れの筆”のことは頭から離れないのだけれど。
「ひえーっ!」
突然、境内のほうで派手な声が響いた。
見ると、小柄な女の子が鳥居のそばで足元をもつれさせ、巻物やら紙束やらを盛大にぶちまけている。
そりゃもう、見事なくらいの転倒ぶりだ。
「あわわ、うわー、巻物が……! あれ? これ、破けた……?」
見ていられなくなって、思わず駆け寄る。
地面には長い巻物や古い資料が散らばっていて、彼女は慌ててそれを掻き集めようとしているが、どうにも動きが空回りしている。
「だ、大丈夫ですか? 怪我は……」
「き、気にしないでくださいっ……わ、わああっ! また落とした!」
その拍子に、さらに数枚の紙が飛び散っていく。
僕は何とか手を伸ばして拾い集め、乱雑になった紙束を彼女に手渡した。
「うう、ありがとう……私、篝火 幸って言います。ドジってよく言われるけど、ここまでひどいのは久しぶりかも……ひえー……」
「いや、そんな。怪我してなければいいですよ。僕は名鏡 空夜です。刻師なんですけど……その資料、大事そうですね?」
そう言って紙束を彼女に返すと、幸はぱっと顔を上げる。
あどけない雰囲気とは裏腹に、その瞳には好奇心めいた光が瞬いている。
「あ、うん、すごく大事! ここ、祭導ノ界に伝わる古文書とか神事とか、いろいろ調べに来てて。ほら、これ見てくださいよ! この文字、なんて書いてあるのか私もよくわかんないんだけど……」
彼女が冊子を開いたとき、背後から落ち着いた男の声が響いた。
「幸、騒ぎすぎだ。巻物はほとんど無事か? ああ、すみません、こちらがうるさくて」
振り返ると、すらりとした長身の男性が立っていて、眼鏡の奥で静かな視線を投げかけてくる。
彼の名は和泉 朝臣どうやら幸と一緒に行動しているらしく、彼女をフォローする立場のようだ。
「えへへ、どじっちゃって……ごめんね、朝臣さん。こっちの人が手伝ってくれたんだ」
「そうか。助けられたなら何より。……俺は和泉 朝臣。あなたは?」
「名鏡 空夜です。ええと、一応、刻師をしていて……。ところで、お二人は観光ですか?」
僕がそう尋ねると、幸はぱっと表情を明るくして勢い込む。
「観光っていうか、取材? 私たち、いろんな伝承とか神秘を追いかけて、各地を回ってるんです! この祭導ノ界には“認識が力を持つ”って独特の文化があるでしょ? それを調べに来たんですよー」
「取材……なるほど」
取材と聞くと、少し身構えてしまう。
下手に突っ込まれると、昨日の奇妙な筆の話とか、僕の“多重人格”疑惑みたいなものに触れられそうで怖い。
朝臣はクールな調子で補足する。
「古語や古文書を収集するのが主な仕事だ。祭導ノ界が持つ歴史や神事について知りたいと思ってな。あなたは刻師と言ったが、文字を刻んで奉納を集める……それもこの世界ならではの力の使い方なんだろう?」
「そう……ですね。 まあ、地味な職人芸ですけど」
幸が目を輝かせて、「すごいじゃないですか! 私たちが欲しい情報がたくさん聞けそう!」と紙束を大事そうに抱える。
しかし、またしても慌てた拍子に足元をもつれさせかけたので、僕は反射的に支える。
「わあ、ありがとう……ほんと、何でこんなに転ぶんだろう、私……ひえー……」
「まあまあ。無理しないでください。……それにしても、取材って具体的に何を探してるんですか?」
僕が問い返すと、幸は紙束を広げながら嬉しそうに頷く。
「えっとね、たとえば“町を支える大きな門に、刻印が施されると災害から護られる”とか、そういう噂とか伝承。実際に刻師さんがどんな風に仕事するのか見たいし、あわよくば話も聞きたい!」
朝臣も静かに同意するように頷いた。
「記録を取りたいんだ。祭導ノ界ならではの力の源泉――それが、俺たちが追う“神秘の断片”になるかもしれない」
僕は内心ホッとする。
少なくとも今のところ、誰かの“血”とか“人格”みたいな物騒な話題に踏み込む気配はなさそうだ。
ならば普通に町を案内して、刻師の仕事を少し紹介するくらいなら問題ないだろう。
「わかりました。祭りの準備中で忙しいとは思いますけど、僕も合間なら案内できますよ。ちょうど神社の大きな門にも刻印がありますし……」
「えっ、ほんと?! うれしい、ありがとう!」
幸は飛び上がらんばかりに喜ぶ。 その足元で紙束が再び崩れかけるのを、朝臣が素早くキャッチしてやれやれと息をついた。
「騒がしい奴ですまないね。でも彼女はこう見えて、古語マニアなんだ。あなたからもいろいろ教わりたいと思う」
「い、いえいえ。僕も人に話すのはそんなに得意じゃないですけど、興味を持ってもらえるのはうれしいですよ」
そう言うと、幸が「ひえー、助かる!」と再びはしゃぐ。
彼女の雰囲気はまるで子犬のように無邪気で、一緒にいると場が明るくなるタイプらしい。
その分ドジっ娘全開だが、朝臣がクールにフォローしているのが対照的で、なかなか微笑ましい。
「じゃあ早速行きましょうか。ここの参道を抜ければ大通りに出るので、そこから神社の門へ……」
そう促して歩き出すと、幸がまるで子どものようにはしゃぎながら僕の横に並ぶ。
「ところで空夜さんって、どうして刻師になろうと思ったんです? 修行とか必要なんですか? はたまた天性の資質とか……わわ、聞きたいことがいっぱい!」
「ま、まあ、ゆっくり話しますよ。そんなに焦らなくても……」
軽く困惑する僕をよそに、幸は早口で「ひえー、楽しみ!」と興奮している。
後ろをついてくる朝臣がノートを取り出して、ひそかに筆を走らせるのが見えた。
きっとこのやりとりも取材メモにしているのだろう。
(僕の“秘密”にだけは、あまり触れないでほしいんだけど……)
そんな内心を抱えつつ、二人との談笑はなぜか悪くない。
昨日から胸を塞いでいた“血塗れの筆”の不安が、ほんの少しだけ薄らいでいく気がするのも不思議だ。
こうして、ひょんなことから出会った取材コンビ――篝火 幸と和泉 朝臣。
彼らが、僕のささやかな日常をどう変えていくのかは、このときはまだ想像すらしていなかった。
「転ばないように、気をつけてくださいね」
「はーい! ……って、あれれ? 足元にまた段差が……わっ!?」
「……やれやれ」
微笑ましく、ちょっと気苦労も多そうな“記録者”との出会い。
僕は彼らの後ろ姿を追いながら、境内を抜けていく。
薄雲の向こうから、祭りの喧騒が絶えず響いていた。