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第二話「祭りの街と刻師の仕事」

朝早くから、町はもう落ち着きなくざわついていた。


提灯を吊るす長い梯子の上では、祭りのはちまきを締めた若者たちが声を掛け合い、道路わきでは屋台の準備を始めた人たちが威勢のいい呼び込みの練習をしている。


お祭りの特有の匂い、甘辛い屋台料理と清めの塩と、どこか炭火めいた煙の気配が混じり合い、僕の鼻腔をくすぐった。


「……やっぱり、にぎやかだな」


誰に言うでもなく呟き、僕はひとつ息をつく。


昨日の不可解な筆のことが頭をかすめるけれど、今はそれを横に置いておくしかない。


小さな仕事鞄の中には、いくつかの筆と巻物を入れてきてある。あの“血塗れ”だった筆はそっと布にくるんでしまったままだ。


そんな気がかりを抱えながらも、僕、名鏡なかがみ 空夜くうやは今日も“刻師こくし”としての仕事をこなす。


祭導さいどうノ界には、伝統的な社や門、あるいは現代的なビルやモニュメントまで、実に多彩な建造物が混在している。


ここでは、人々からの“奉納”が集まるほど刻まれた文字が力を増す――つまり、刻師の仕事は町の安全や繁栄を支える重要な職人芸だ。


奉納、というと寄付金のようなものを想像されるけれど、実際はもっと幅広い。


お金だけではなく、労力や祈り、果ては生贄じみたものさえ、価値観の違う世界では当たり前に捧げられると聞く。


もちろん祭導ノ界では、資金と労働、そして心からの祈りが一般的だ。


「おう、空夜っ! ちょうどいいところに!」


声をかけてきたのは、神社の修繕を請け負っている大工のヤマダさん。


彼は手にのこぎりを持ち、木材の山から顔だけぴょこっと出している。


「門のはりを補強したのはいいが、やっぱりお前の“刻印”が欲しいんだ。火除けの護りを強めたいって宮司さんが言っててな」


「わかりました。文字は『護』でよろしいですか?」


「頼む。奉納は俺らの労働力で払う形になるが、いいか?」


「もちろん、大丈夫です」


僕は足場を借りて軽く登り、用意してきた筆を取り出す。


指先に少し意識を込めると、脳裏に小さな“ステータスウィンドウ”めいたものがかすかに浮かび上がる。


どれだけの奉納が集まるかで、刻む文字の力も変わってくる。


今回、ベテラン大工たちの手間暇をいただけるというなら、それなりに強い神威が宿るはずだ。


木肌にさらりと筆先を当てる。


ほんの一瞬、墨の走るあとが薄く光をまとい、揺れながら文字を形成していく。


“護”。


素朴なひと文字が浮かび上がったかと思うと、じわりと沈み込むように刻まれていき、やがて安定した輝きへと収束する。


ヤマダさんが感嘆の声を上げる。


「おお……何度見ても不思議だな。ほんの一筆で、ここがまるで鎧でも着たみたいに強固になるんだろ?」


「まあ、すぐに劇的な変化が出るわけじゃありませんけど。 みんなが“この門は護られている”って思ってくれれば、その分、字が力を増してくれます」


そう、“認識”と“奉納”が合わさることで真の効力が発現する。


地味だが、僕の役目はこうやって一筆入れるだけで町を護る盾になるかもしれない。


足場を降りて振り返ると、あちこちで祭りの準備が進んでいた。


大通りには屋台がずらりと並び、古風な石畳と現代的な舗装が入り混じる道路に、提灯の灯りを吊るす作業員が忙しそうに動き回っている。


だけど。


見た目のにぎわいに反して、僕の胸には妙な息苦しさがつきまとっていた。


昨夜の“血塗れの筆”はどう考えても普通じゃない。 しかし今は仕事に集中しなくてはいけない。


そうわかっていても、どこか町の景色がほんの少しだけ歪んで見えるような気がするのだ。


「なあ、空夜さん、ちょっとそっちも見てくれない?」


別の作業員から声をかけられた。今度は観光客用の案内板に刻印を入れてほしいという。


昨日からの嫌な胸騒ぎを振り払うように、僕はうなずいてそこへ向かう。


「案内板に“さち”の字を刻むと、足を運んでくれたお客さんに福が来るって聞いたんだ。まあ縁起かつぎだが、やっときたいんだよね」


「いいですよ。それなら、この筆で……」


今度は別の筆を引き抜く。


もちろん“あの筆”じゃない。


布に包んだ例の筆を思い出したくはないが、どうしても頭をよぎる。


血のような液がこびりついて、妙に取れなくて


いや、考えるな。ここは作業に集中だ。


案内板の表面を掃いながら、“幸”の字を描き込む。


その文字からほんのり淡い光が生まれ、すぐに木面に溶け込むように馴染んだ。


こんなささやかな仕掛けでも、祭りに来る人たちが笑顔になってくれれば幸いだ。


「助かったよ、空夜さん。奉納は、この案内板作りの人件費ってことで……あと昼飯でも奢るわ」


「ありがとうございます。じゃあ、もし時間が合えば、ご馳走になりますね」


ああやって労働や金銭、その他もろもろを対価としてもらうのが祭導ノ界流。


刻師としての僕は、こうして町中を歩き回りながら、地味だけど大切な“文字”を一つ一つ重ねていく。


そのどれもが、いずれ大きな力を発揮しうる可能性を孕んでいるから。


午前中だけで、小規模な仕事があちこちから舞い込んだ。


門や屋根、幟の柱、商店の看板に至るまで、依頼は多岐にわたる。


町のあちこちを動き回るうち、汗がにじんでシャツが少し重くなる。


「にしても、やっぱり今日は人が多いな……」


観光客はもちろん、地元の人たちも朝から腰を振るい、流し踊りの練習を始めている。


通りを挟んで小さな広場があり、そこでは笛や太鼓の音がリズムを刻むように響いていた。


賑わいを眺めながら、いつもなら僕も心が軽くなるはずなのに、今日はなぜかそういった高揚感は出てこない。


(どこかに……歪みがあるような……)


頭の片隅で、“もしこの祭りの最中に何かが起きたら”というシミュレーションをしてしまう。


地元の神社を中心とした結界は、いままで大きな異変など起こしたことがない。


それでも、昨日のあの奇妙な筆や、町のどこかに滲む不穏な空気を考えると、気が休まらない。


「大丈夫だ。まだ何も起きちゃいない。僕が気にしすぎなだけ……」


自分にそう言い聞かせて、次の刻印を入れるため神社の方へ足を向ける。


正面の石段を登ると、蒸し暑い空気の中に、なぜか少しだけひんやりした風が流れてきた。


拝殿の前には宮司さんの姿があり、手招きをしている。


「空夜くん、来てくれたか。ちょうど今、扉に刻印を増やしてもらいたかったんだ」


「はい、承知しました。お祭りの日に併せて、結界の強度も上げたいんですよね?」


「そうだね。最近、夜中に奇妙な光がさしてるって話もあってな。大ごとじゃないとは思うが、備えあれば憂いなしだ」


拝殿の扉に、文字を書き足す。


たてまつる”の一字は、町の人たちの祈りを集めるかなめとなる。


もし数多くの参拝客が真摯に神を敬えば、その“奉”が大きく強化されていくだろう。


文字を刻むたび、微妙に指先が熱を帯びる。


それはきっと、“奉納される想い”が文字を媒介に伝わってきている証。


町や人を護るのが僕の役目……そう思えば、少しだけ心が落ち着く。


「ありがとうございました。お礼はあとでちゃんと用意するよ」


「いえ、気にしないでください。町が無事でいてくれれば、それだけで」


宮司が嬉しそうに笑ってくれる。


僕は会釈して社の境内を出る。


……そして気づいた。


広い空に、雲ひとつなく日差しが容赦なく照りつけているにもかかわらず、背筋が少し寒い。


鳥居をくぐったあたりで、背後に誰か――いや、何かの視線を感じるような錯覚を味わった。


「……っ」


一瞬立ち止まったが、振り返っても誰もいない。


人混みのざわめきが、耳にじわりと染みるだけ。


(昨日の筆のことは……やっぱり早く何とかしないと……)


どこかで手がかりを探さなければならない。


けれど、今日のところは仕事が山積みだし、祭り当日とあって町中から呼び出しがくるだろう。


祭りの華やぎと、心の中の暗雲。


それらを抱え込んだまま、僕は通りのにぎわいへ再び足を踏み出す。


半透明のノイズのような得体の知れない文字で「刻印数:12 奉納状況:安定」と出ているのを、流し目で確認しながら。


この世界、認識されたものが強くなる祭導さいどうノ界。


にぎやかなお祭りを楽しむ人々と、何かを警告するような胸のざわめき。


それらすべてが、まるで綱渡りの上にあるように見えてしまうのは、僕の考えすぎなのだろうか。


(どうか、このまま無事に……)


心の奥で何度も祈る。


けれど、懐にしまった“血塗れの筆”を思い出すたび、その祈りに小さな亀裂が走るのを感じずにはいられなかった。


この穏やかさは、いったいいつまで保てるのだろう。


頭の片隅が、ずっと警報を鳴らし続けているようだ。


僕は食いしばった歯を緩めることなく、次の依頼へ向かった。


ただ黙々と、一文字ずつ町に刻印を施しながら。


そして、その文字が守るものが、いつか本当に役立つことを信じるために。


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