魔法戦・9
傍に居た人間たちが、白エルフから子供を奪い取った。リレーのように手渡しで、ドアから外へ連れ出していく。子供が泣き出し、白エルフへ手を伸ばす。彼女も必死に手を伸ばすのを、人間たちに抑えつけられた。
「どういうこったい、こりゃあ……」
また腹から笑いが込み上げてきた。白エルフが悲痛に泣き叫ぶほどに、おかしさが込み上げてくる。
「悲しいねえ! 人間たちのために戦って、挙句に子供を奪われるのかい! お前さん、いったい何のために戦ったんだろうなあ!」
『……ここまで……こんな所まで抉り出すなんて……』
強い思念を感じた。今にも襲い掛からんとする、獣のような殺気だった。
「マズイねえ……これが最後だねえ!」
クラトピアは来た道を戻った。廊下の明るい方向へと。
(さっきの攻撃は、無意識だったらしい。でなけりゃ、あの扉を開く前にやられてたはずさ)
まだ、彼女の攻撃がままならないうちに、止めをささなければならない。
『どこへ行くって言うの?』
白エルフの声に、焦りと怯えを感じた。クラトピアの口角が上がった。
「あの扉の前に一つ、キレイな扉があってねえ。あんたの最後の、良い思い出の扉だよ」
『止めて、それは……』
「ああ、そうだろうねえ! さっきのガキの生まれた場面だろうさ!」
『それが消えたら、子供のいたことすら忘れられる?』
「ええ?」
思わず立ち止まった。
『子供を奪われた記憶が、消えるのかしら……?』
クラトピアはまた笑い出した。しゃくりあげるように込み上げてくる笑いに、身体をくねらせた。
「甘いよ……あたしがそんな親切に見えるかい? 器用なものでさあ、記憶ってのは薄れるもんなんだ。嫌なことも嬉しいこともねえ。いつ、だれが、何を、どうしたかって細かいことから、どんどんとね」
話しながら息を整え、クラトピアは歩き始めた。ゆっくりと、死刑を宣告するように。
「でも不器用なところもあってさあ。その時の感情ってのは長く残るもんなんだ。そしてねえ、楽しいことより辛いこと、嬉しいことより悲しいこと。挫折感や喪失感っていうものは、記憶を越えて心に深く長く刻み込まれるんだ。心の傷ってやつさ」
『何よ、それ……』
目的の扉の前で立ち止まり、ノブに手をかけた。
『やめて……いやよ』
「そうさ、旦那の顔もガキの顔も覚えてないのに、大切な何かを失った悲しみは消えないのさ。何で悲しいのか分からない。自分が何を失ったのか、思い出せない。お前はこの先、ずっと自分に問いかけ続けるんだ! 『何を失ったの?』『どうして悲しいの?』 ってさ。そうして誰の声も耳に入らない、何の刺激にも応えない、廃人になっちまうのさ!」
『ダメよ!』
これ以上ない愉悦を感じながら、クラトピアは扉を開けた。
取り上げられた赤子を抱く白エルフと、笑顔で寄り添う人間の男が見えた。黒エルフは扉の中に入り、三人の顔を間近で眺めた。男は顔が消えているが、喜んでいるのは明らかだった。そして幸せそうな白エルフ、二人に囲まれて眠る赤子。
(この幸せも、笑顔も永遠に消えるのさ……)
ククク、と笑いを漏らして、黒エルフは右手を振り上げた。
その時、赤子を抱く白エルフが歌い出した。
眠れ 眠れ ゆりかごで
眠れ 眠れ ゆりかごの側で
鳥の声を聴きながら
眠れ 眠れ 温かいベッドで
眠れ 眠れ 窓の外から
草木の揺れる音で
眠れ 眠れ 母の胸で
眠れ 眠れ お空の上から
月がささやくよ
「な、何だって……」
クラトピアは右手を振り下ろせなかった。
「なんで、その歌を知っているんだ! それは、あたしらの……」
『白エルフの子守歌よ。私も母から聞いて育った……』
「嘘をつけ! それはあたしら黒エルフが歌ってきた」
『それは知らないけど、ねえ、忘れられるこの子も、気の毒だと思わない?』
「知った、ことか!」
歌う白エルフを狙おうと、もう一度彼女を見た。
目が合った。
「え……」
「やっと、入って来たわね」
「――――!」
背後で扉の閉じる音がした。慌てて右手を振り下ろそうとしたが、白エルフに掴まれた。同時に首根も掴まれた。細い腕からは考えられない力で締め上げてくる。
「うう……あ……」
「あなたったら、ドアの外から攻撃するもんだから、やきもきしてたのよ」
「ずっと、罠を……?」
「私たちはまだ、あなたたちほど精神魔法は使えない。これも、防御魔法の応用よ。拘束するのが精いっぱい」
「さ、っき、のは……」
「私も驚いたわ。闇の攻撃魔法を使えた白エルフって初めてかも。でも、実戦で使うには研究が足りないし、確実な方を採ったのよ。知ってるでしょ、防御魔法を生み出すまでは、新たな魔法は使わないって白エルフのルール」
「こ、んな……」
「ここは、本当の記憶の収まっている場所ではないの。あなたがドアの違いに気づくと思って、用意した罠と監禁の部屋よ。ここまで、たくさんの記憶を犠牲にしたけどね」
いつの間にか、部屋の情景は消え、暗い石壁に囲まれた部屋になっていた。ドアもなくなっている。
「か、か、んき……ん?」
「ここで拘束している間に、あなたの実体を殺す。身体と精神は繋がってるから、あなたも死ぬ」
部屋の壁が動き出した。どんどん中央に迫って来る。前後左右から、天井も降りてきた。
「もど、れると……」
「戻れるわよ。私の精神なんだから。抜け穴も用意できる」
「つ、ぶ、されて……」
部屋の明かりも消え、白エルフの姿も見えなくなった。ただ、力強い腕の感触だけが残ってクラトピアを締め付けてくる。
「あなたに消されてたかもしれないって? 大丈夫よ、あなたが消すはずがない所にあるから」
「……まさ、か……」
「そう。魔王の亡骸の下よ。いくら記憶でも、敬愛する魔王様の亡骸を傷つけたりはしないでしょう?」
「こ、ろ、し、て……」
「復讐って、どっちも終わらせられないわよね。でも、あなたの復讐は、ここで終わらせる」
石壁の感触が頬に触れる。手足も腰も胸も、石に埋まったように動かない。呼吸するために胸を動かすことも出来ないほどに、黒エルフの全身を石が埋め包んでしまった。