9.懐旧
???___
「この機会に教えておいてやろう、我がアートルム家の家訓は、『汚点は徹底的に消せ』だ。だが残念なことに、この家には最大の汚点がある」
淡々とそこまで言い終えた後、彼は眉をつりあげる。
「あのゴミを学園にいる間に始末しておけ。あくまで事故として処理するのだ、できるだけ騒ぎにするなよ。あれの懐に潜り込み、チャンスを伺え」
「あの方は、貴方様のご子息では...」
「構わん、代わりならもう居るからな」
彼は吐き捨てるようにそんな台詞を言った。
バン、と机を強く叩く音が部屋に響く。
「いいか、これは命令だ。失敗は許されない」
「...承りました」
・・・
あの日から数ヶ月が経った。元々こそこそすんのは得意だったから、見つからないよう気配を消すのにも慣れた。
目線の先には、誰が見ても気心の知れた兄弟にしか見えない2人がいる。容姿だってよく似ているが、これで血は繋がっていないのだから不思議なものだ。
自分にはもう手に入らないであろう、唯一無二の宝物がそこにはあった。ずっと夢見ていた、眩しいくらいにキラキラして、あったかい日々。
羨ましくて、憎らしくて、伸ばしかけた手を慌てて引っ込める。いいんだ、あんなものなくなって。それに引き換え金は裏切らない。自分には金さえあれば十分なのだ。自分の得意な戦闘込みの仕事で金を稼げて、その中で死ねるのなら万々歳だ。
そう思わなければ…自分が惨めで、やってられない。
とっくの昔に感情なんて捨てたはずなのに。はずだったのに。どうして、こんなに……いや、考えるだけ無駄だ、こんなこと。嫌な感情が胸の中でぐるぐると渦巻く。
いけない、冷静にならなければ。こんな孤児、雇ってもらえてるだけでも奇跡なのだから。叶わない我儘を言ってる場合じゃない。
幸せそうな他人事の世界から目を逸らして、また同じように命令通りに動く。生きる意味の無いような、単調な毎日。
だけど、今日はほんの少しだけ違った。
「あ、いたいた」
ちょうどよかったと能天気にトコトコ近づいてくる暗殺対象のノーチェ・アートルム。
別の意味で面倒なやつに捕まってしまった。こんなところでは命令を遂行しようにも目立ってしまう。この距離で無視するわけにもいかず、仕方なく対話に応じた。
「何か、ご用件がおありでしょうか」
「ああ。お前の名前を教えてくれ」
(……な、まえ…?何故……?)
暗殺されるのを知っていて何か企んでいるのかと勘ぐったが、流石にこの短期間で情報が漏れているとは思えない。考えを巡らせていたが、何とでもないように聞く彼に、疑うのが馬鹿らしくなった。元々奴隷だったやつに名前を聞くなんて、
(変なやつだな、こいつ)
あいつ以外は、皆俺みたいな人間を名前で呼ぼうとはしなかった。モノとして扱われる、それが当たり前で。
「…アガット、と申します」
その名前を口にしたのはいつぶりだろう。
「そうか。よろしく、アガット」
顔のパーツはあの父親とそう変わらないはずなのに、彼は善人みたいな顔で笑みを作った。正直言って、その目元の酷い隈さえなければ万人受けする容姿だろうにとは思ったが、口には出さなかった。
名前が聞けて満足したのか、彼は「また明日なー」と手をヒラヒラ振りながら部屋に向かっていく。
(……ほんと、変なやつ)
……今はまだ、暗殺する時じゃない。そう、もっと彼の信頼を勝ち取り、隙を見せた時だ。失敗は許されないのだから。
その時、俺はただ漠然と、何かが変わりそうな予感がした。
Noche___
動揺がバレないように、早歩きで部屋へ向かう。
(やばい……)
アガット。その名前には心当たりしかない。
何故なら……そう、彼も漫画の登場人物だからである。漫画での登場回数が他のキャラより少なく、すぐには気づけなかったが間違いない。名前を聞いて確信した。
アガットは、ソワールと共にノーチェを裏切り主人公に協力するキャラで、元々はスラムの出だ。そこから何故貴族の護衛兼執事に抜擢されたのか…その所以は、彼の身体能力の高さと要領の良さにある。作中では一二を争うレベルの戦闘力を誇り、持つ魔法はなんと攻撃力の高い炎系。魔力の調節は苦手だが教えれば飲み込みも早く、好戦的で突っ走りがちな性格ではあるが、戦う相手には冷静に判断を下しなぎ倒す。
金好きな彼の過去編で金を集め続ける理由を知った時は思わず涙したものだ。……っていかん、話が逸れたな。
ともかく、着々と物語の始まりが迫っているということだ。これには気を引き締めなければならない。
入学まであと1ヶ月。
(絶対、漫画の展開なんかに負けねぇからな……)
特にこれといった、禁忌の魔導書の回避方法を用意しているわけではないけれども。
グースカ寝ているティパーを横目に、今日もまた俺は試験勉強に励むのだった。