5.奇跡の治癒魔法
笑い顔のヘルマンに対してレイアは釣られて微笑んだが、娘が心配なゲオルグは不安げな表情を少しも変えない。二つの感情のどちらがこの場に相応しいのかを、将来の義父から漂う雰囲気で気付いたヘルマンは、真顔になって皆を家の中へ招き入れたが、それはゲオルグが娘の婚約者の横をすり抜けようとする寸前だった。
ヘルマンの家は、外観の大きさとは裏腹に、中は豪奢とは無縁なものだった。貴族の家にありがちな絵画、彫刻、陶磁器は皆無で、金銀に輝く物もなく、壁に装飾の類いもない。部屋の広さも、小ぶりで質素な調度品も、慎ましい生活を過ごしていると思わせるものだった。
おそらく、家族や同居する親族が増え、木造で土壁の古い家を増築してここまで広げたのだろう。明らかに経年が違う壁がいくつも繋がっている。天井の板はなく、組まれた材木がランタンの光に照らされ、質感や立体感が強調されて上から迫る。
そんな光景には目もくれず、ゲオルグは大股だが静かに歩き、ヘルマンは彼に歩調を合わせて従う。レイアは、異世界で初めて見る農家の家屋の内部構造に目を奪われて遅れ気味に歩き、彼女の前を宙に浮いて進むクルツは、時折体ごと後ろを振り返る。
「僕は、医者を起こしてきます」
クルツの帰還を待つ間、医者がこの家で仮眠していたのだろう。最奥から二番目にある部屋の扉の前に立ったヘルマンが、小声で皆にそう伝えて立ち去ると、彼を見送りもしないゲオルグは、音で病人の目を覚まさせないよう、扉を慎重に開けた。
レイアがゲオルグの後ろに付いて部屋の中へ入って辺りを見渡すと、広さから子供部屋を連想した。右側にシングルベッドが二つ、壁の近くに枕が置かれて並んでおり、部屋が妙に窮屈な感じがする。兄弟が多くて一部屋に二人が詰め込まれているのだろうか。
入り口に近い方には、金髪の男の子がうなされていて、奥には小康状態なのか静かに眠るアメリアの姿があった。ゲオルグが、ランタンを持って抜き足差し足でアメリアの所へ近づき、娘の顔を覗き込む。
「来る度に、こんな調子――昏睡状態なのだ。いつ、息をしなくなるのかと思うと……」
ゲオルグは目を閉じて、言葉を詰まらせる。父親の気持ちが痛いほどわかるレイアは、精霊の森で彼女を守れなかった事を激しく後悔した。
あの時、自分は人魂の姿だった。暗殺者を魔法で氷漬けにしたのは、アメリアが襲われた後の話。あまりに相手の攻撃が早過ぎたから仕方ないと自分を慰めても、口惜しい思いは消えず。
それは、精霊使いを守る精霊として、クルツも同じ思いだったはずだが、球根を医者へ届ける事を優先するためか、アメリアを一瞥しただけで部屋から出て行った。こう言うドライな対応は、レイアには理解できない。自分は精霊よりも人間に近い感覚だと思う瞬間である。
ゲオルグはランタンを机の上に置き、ベッドのそばにあった丸椅子に腰掛け、娘を見つめる。完全に彼の視界から消えているレイアは、アメリアのベッドにも近づけず、居た堪れない気持ちになり、部屋の外へ出た。
出てしまうと、見舞いに来たのに何をしているのだろうと猛省し、もう一度部屋に入る。でも、アメリアのベッドに近づけない。足が踏み出せないのだ。すると、モジモジする彼女が視界に入って気になったのか、娘の手を握るゲオルグが顔を上げて、顎で少年の方を指し示す。
「レオの手を握ってあげたら?」
アメリアばかり見ていたが、病人はもう一人いる。すっかり意識の外へ置き去りにしたレオへの贖罪のため、レイアはベッドとの距離を詰めた。
熱に浮かされるレオは、小声で聞き取れない言葉を発し、両手の拳を固く握りしめていた。爪が掌に食い込むほど強く握るのは、余程苦しいのだろう。レイアは、レオのベッドの左側に膝を突いて座り、左の拳を両手で優しく包み込むと、人間の体温とは思えないほどの高熱に驚く。彼女は、少年に顔を近づけて「大丈夫よ」と声をかけた。
このまま握っていると、彼の熱を自分が吸い取れるのではないかと思えてくる。そんな馬鹿げた空想が発展し、自分の治癒魔法で熱が下がるのではないかとの考えが浮かんで来た。
『でも、そんな事は、白のクルツさんがとっくに試したはず』
クルツが二人の病人に対して、どの程度の治療を試みたのかは何も聞かされていなかったが、医者に球根を採ってこいと言われたのだから、当然、先に治癒魔法を実行しているだろうと決めてかかる。そうして短く息を吐き、妄想めいたアイデアを捨てようとしたが、どうしても捨てきれない。
――直感が「出来る」と言っている。
この直感を本当に信じて良いのか、逡巡していると、背後に精霊の気配を感じた。振り返ると、クルツだった。
『何をしている?』
『手を握っていろと、ゲオルグさんに言われて』
クルツの念話による問いかけに答えると、
『治癒魔法でも始めるかと思ったぞ』
『それなんですが、私、治癒魔法で治せる気がするのです。でも、やってもいいのか、迷っていまして』
目を丸くするクルツを見て、レイアは何か突拍子もない事を言って呆れられていると思い、後悔し始めるが、
『なら、やってみろ』
今度は、レイアが目を丸くした。
『いいのですか!?』
『ああ。責任は俺が取る』
言葉で背中を押されたレイアは、クルツに感謝して目を閉じ、治癒魔法の発動のため、魔法回路へ意識を集中させる。訓練ではやったことがない治療だが、不思議と成功する自信がある。理由は分からないが、患者を治療する聖遺物に触れた事により、その力を得たと勝手に解釈する。
こうすると、不思議と、初めての事でも成功できるような気がしてきた。
目を開けたレイアは、少年の左拳を握る両手に力を入れて治癒魔法を発動する。すると、魔方陣は出現しなかったが、指の間から緑色の柔らかで暖かい光が漏れ出てきた。
――お願い! 上手くいって!
心の中で無事を祈る。
一分後、少年のうわごとが消えた。拳から伝わっていた熱も、ほんの少しだが、下がったように感じる。
『レイア』
『は、はい!』
急に念話で語りかけられたので、急いでクルツへ振り返る。
『お前は、どこでそれを覚えたのか知らんが、とんでもない力を手に入れたようだな』
『――――』
『熱が下がってきたぞ』
『本当ですか!?』
『ああ。ここから見ても分かる。この俺ですら、その子を治癒魔法で治せなかった。それを、やってのけるとはな。大したものだ』
目で笑うクルツを見たレイアは、安堵して微笑んだ。




