3.錬金術師と人造精霊
精霊見習いの移動速度は、時速約五百四十メートル。片や、今この白フクロウの飛行速度はおよそ時速三十キロメートル。五十五倍ものスピードで十キロメートル以上離れた城に向かっているので、レイア達が夜どころか翌日の明け方に到着するのではと思われる距離をたったの二十数分で飛んでいく。
尖塔の上部は紺色で他は乳白色の石造りの城は、ややこぢんまりとしていて、なだらかな山の斜面に建てられていた。使われている石材が硝子質を含むため、晴天の太陽光を受けて光の粒を纏っているかのように輝いている。
城の向かいはレイア達が脱出を試みて難儀した深い森が茫漠たる海のように広がり、山麓が波打ち際に見え、城の下まで密生している樹木は寄せる波のよう。ただし、城から上は灰色の岩肌で、ここだけ世界が隔絶されている感じがする。
後でレイア達は、山に囲まれた大海のような森を含むこの一帯が「精霊の谷」と呼ばれていて、精霊界の入り口であると知ることになる。
目的の城へ近づくと滑翔を始めた白フクロウは、一つだけ開け放たれた窓を迷わず目指す。そして、窓の前で羽ばたくと「お師匠さん!」と声をかけた。
「今度はネズミでも捕まえたのか?」
「違いますぜ! 狂喜乱舞間違いなしの物にご期待あれ!」
「――物扱いされた」
部屋の中から青年の面倒くさそうな気持ちを感じさせる声が聞こえ、羽ばたく白フクロウが言葉を弾ませると、それを聞いた勇美子は猛禽類の鋭い爪を持つ足が優しく包む中で文句を言う。
「その声、精霊か?」
「ただの精霊じゃないですぜ。見習いのくせに輝き方が違う」
「何? 本当か?」
部屋の中からパタパタと足音が聞こえ、胸まで伸びたボサボサの赤毛と赤い無精髭の面長な青年が金色の双眸を輝かせて窓から顔を出した。彼は紺色の作務衣を痩身に纏い、大きなガラス瓶を手にしていて、蓋をパカッと開けた。
「よっこらせ」
「おお、これはでかした!」
「人造精霊の足しになりやすかね?」
「いや、もっと凄いぞ、これは」
瓶の中に足を入れてレイアと勇美子を放した白フクロウは、窓辺に止まって羽を休め、瓶の蓋を閉めて愉悦に浸る師匠を見上げた。一瞬解放されたかのように見えた二人は、再度捕らえられたので、瓶の中で寄り添い、粗雑な作りのガラス瓶越しに、歪む視界の向こうに見える乱雑な部屋の様子を窺う。
奇妙な形で用途不明の実験器具が机や床の上にたくさん置かれていて、この部屋の住人は整理することに無頓着ではないかと思われる。もしかすると、この乱雑な状態が実は適正な配置になっているのかも知れないが、ここまで酷いとカオスを越えて不気味な様相を呈していると言える。そんな中、理科の実験で使うフラスコやビーカーやアルコールランプが混じっているのが見えて、異世界に自分達が知っている器具を発見してなぜかホッとする。
と、その時、歪んで見える青年の顔が近づいてきて、ギラギラした金眼と鷲鼻とあまり白くない歯をむき出して笑う相貌にゾッとし、熱い視線を注がれる二人はピタリとくっついて細かく震える。
「どこから来たのかな?」
問いかけつつ部屋の奥へ歩いて、椅子に座った青年は、机の上にソッと瓶を置いて猫背になる。この人物が自分達を人間の姿にしてくれるらしいので、怖いながらもレイアは勇気を振り絞って声を出した。
「日本です」
「にほん? 数のことかな?」
「いや、日本です」
「にっぽん? ん? 一本と聞き間違えたかな?」
どうやら、この異世界は――白フクロウに遭遇してからすでに気付いていたのだが――ちゃんと日本語が通じるようだ。ファンタジーあるあるが現実になって、レイアは安堵する。しかも、狂喜乱舞という四文字熟語も使っているらしい。でも、固有名詞がどこまで通じるかは未知数だ。
「いえ、国の名前です」
「にっぽんが? そんな国、聞いたことがないな。新興国情報は割と耳聡いんだが」
「お師匠さん。もしかして、そいつら、俺達の知らない世界で死んだんじゃないですかね?」
「ヴィッセンもそう思うかい? 僕もそんな気がしてきたよ。だから、輝き方が違うのかも」
ヴィッセンと呼ばれた白フクロウが、いつの間にか青年の右肩に止まって、瓶を覗き込んでいる。
「だったら、あの人造精霊が一気に完成するんじゃ――」
「そうかも知れないが、ちょっと勿体ないな」
頭だけ百八十度回転させたヴィッセンが何を見ているか気になったレイアだが、青年の顔と体が邪魔して見えない。ただ、何となくだが、「人造精霊」とか「完成」とかの単語と彼女のファンタジーの知識を使って察するところ、大きなガラスケースの中で液体に浸かった少女が体育座りの格好で眠っているのが目に浮かんだ。
その子を完成させるために、自分達はどう利用されるのだろう。食べられるのか、埋め込まれるのか。何だか生贄になるようでゾッとする。勇美子も同じ恐怖を味わっているのか、小刻みに揺れているのが分かる。
「そいつら、人間の姿になりたいらしいんで、実験してはどうですかね?」
「見習いは人間になれないよ」
人造精霊から向き直ったヴィッセンの提案があっさり否定され、レイアは視界全体が真っ白になるホワイトアウトみたいな気分になる。
「ただ、魔法回路を増強すれば、マナを取り込む力が増えるから、上手くいけば微精霊を飛び越えて準精霊になるかも。姿は動物しかなれないけど、後は努力次第で精霊になれば人間になれる」
「つまり、時間短縮ってやつですね! 願いが叶うぞ、お前ら、良かったな!」
何とも気の長い話に思えた二人は、すぐにでも人間の姿になれると期待を抱いて損したと落胆する。ただ、人造精霊の糧になるよりはましなので、状況的に魔法回路の増強で妥協するしかないと考えた。もちろん、ヴィッセンが「保証しない」という言葉を口にしているので、ここから逃走するという選択肢もあるのだが、逃げおおせる自信はないので観念したというのが正しい。
「まず、君達に実験の同意を求める。が、その前にお互い名乗っておこう。僕はクーノ・プンペンマイヤー。錬金術師だよ。君達は?」
如何にもファンタジーに出て来る職業を耳にしてレイアは心時めくも、名乗るとなると勇美子と一緒に少し躊躇ったが、互いに無言で頷くように上下へ回転し、覚悟を決めた。
「真樹嶌レイアです」
「烏丸勇美子です」
「また難しい名前だね。でも、マキシマ・レイアって、こっちの世界ならレイア・マキシマって名乗ればみんなすぐに覚えてくれるよ。その方がしっくりくる名前だし。もう一人の方は……」
「ゆみこ・からすま、でしょうか?」
「うーん……。しっくりくる名前がないなぁ」
クーノが頭髪に細い指を突っ込んでゴシゴシと擦りながら片眉を上げ、頭の中で知りうる名前を列挙し、近い物を選択しては気に入らず捨てている。
「ゆみちんでも良いです。ってか、いつの間にか、こっちの世界の名前に改名する話になってません?」
「カルラ・ユングとかどう?」
「聞いちゃいない……」
「若い女性っぽいよ」
「十七です、でした」
カとユしか一致していない名前を与えられた勇美子は、不機嫌ながらも、この世界で名乗るならそれしかないのだろうかと思い始めていた。
「さて、名前も交換したし、実験に同意するよね?」
「魔法回路の増強さ。分かるよな?」
ヴィッセンに補足されても理解が追いつかない二人だったが、それしか選択肢がないので不安が一杯でも上下に回転して相槌を打った。