32.エルザの一喝
聖遺物を巡る状況を一通り把握したレイアは、容器を握りしめる手に力が入った。手にしている物を「はい」と渡すほど簡単ではないのは、ある程度想像が付いていたが、これほど厄介で解決すべき問題がいくつも壁のように立ちはだかっているとは想像だにしなかった。
精霊教会の内部には、聖遺物の偽物を利用して金儲けをしている連中しかいない。本物を返還するにしても、彼らを排除しなければ、復古派の人々の居場所がないのだ。
それ以前に、本物を元に戻そうとしても、邪魔をする黒煙の精霊がいる。
邪魔な精霊を封印するには、宝物庫から壺を取り出す必要がある。それは、シュミットとエルザの力を借りて、何とか出来そうな気もするが、どうやって封印しよう。
仮にそれが達成出来たとしても、教会内に巣くう悪漢を全員追い出すにはどうすれば良いのだろう。
さらに、軍隊に入隊した精霊使いや魔法使いの事が気になる。軍事力の増強を推進しているのはローテンベルゲン公らしいが、最悪、聖遺物の悪用を指示している黒幕だったりしないだろうか。あの、魔法使いのヨーコが精霊に憑依させられた事を考えると、聖遺物で能力を引き上げられた精霊を憑依させている可能性も十分考えられる。
となれば、この国の長を敵に回すことにもなりかねないのだ。
こうなると、正直言って、何から手を付けて良いのか、見当も付かない。
いや、これ以上、人間界の騒動に首を突っ込んで良いのだろうかと、不安で心が掻き乱される。
『大精霊ヒルデガルト様の言葉でも思い出しているのかい?』
床に目を落として逡巡するレイアは、シュミットの念話が聞こえてビクッとした。
そう。図星だ。
今ちょうど、これ以上人間界のゴタゴタに関わらない方が得策なのだろうかと、後ろ向きな考えが膨れ上がって頭の中でリフレインのように響いていた。それは正に、大精霊の忠告に他ならない。
『思い出していない、と言うと嘘になります。でも、困っている皆さんを何とかしてあげたくて』
『考え中?』
『ええ』
『考えるのは良いけど、出来ると思う?』
『――思います。多分、としか今は言えませんが』
『じゃあ、どうするの?』
いつもこうだ。シュミットは、自分の考えを述べずに答えを求めてくる。
きっと、何を言っても、「分かった」の一言で済まされるだろう。「やっぱり、やめます」と前言を撤回しても、「分かった」で終わるはず。精霊界へ帰るまで、大精霊ヒルデガルトの言いつけ通りにレイアの守り役に徹する彼は、ある意味、レイアの言いなりだ。
嘆息するレイアは俯くも、頭にクラウス達の熱い視線を感じて顔を上げる。縋るような目、涙を浮かべる目、言葉を待つ目。どれも見ていて辛くなる。
これを渡すから、後は自分達でどうするか考えて、と言って聖遺物を差し出したくなる衝動に何度も駆られた。肩と背中にずっしりと伸し掛かる重荷を、今すぐにでも降ろしたい。誰だってこの状況ではそう言う気持ちになる、と自分を慰める。
思い悩むレイアの表情を見て、クラウスが沈黙を破った。
「大変なことをお願いしていることは重々承知の上で申し上げます。僕らを助けるつもりで協力してください」
「――――」
「とにかく、それをあの台座に置けるのは、精霊である貴方しかいないのですから」
クラウスの身振り手振りを交えた嘆願に、レイアは首を縦に振りそうになる。「いいでしょう」という言葉が喉から出かかって、舌の上にまで届いたのを飲み込む。
なぜなら、どうすればミッションを達成できるかが全く分からないまま承諾する事が、あまりに無責任な気がしたからだ。へまをすれば、彼らの命が危なくなるかも知れない。敵は、人を虫けらのように平気で殺す連中だ。
「こうしましょう。作戦は僕らで考えます。貴方は、僕らの指示に従ってください」
責任の重みで決断が出来ないと思われたのか、クラウスが重荷を半分背負うような提案をする。これなら出来そうだと思えてきたレイアは、首肯する。
「分かりました」
「では、協力してくれるのですね!?」
レイアの言葉に、満面に笑みを浮かべたクラウスの両腕が伸びる。だが、握手を求める彼の手に対して、容器を抱える彼女は手を伸ばせず、眉をハの字にする。
「ええ。教会の中は全く分かりませんし、どんな相手がいるのかも分かりません。そこは全面的に支援していただきますが」
「勿論です! どんな事でも聞いてください!」
すると、エルザがあからさまに溜め息を吐いてから「そんなの、当たり前よ。こっちは中の事、何も知らないのだから」と呟いた。
「あんたも安請け合いしちゃって。どうなっても知らないわよ」
冷や水を浴びせられた気分のレイアだったが、クラウスは横から茶々を入れられた程度にしか思っていなくて、笑い顔で受け流す。
「話を聞いていると、ローテンベルゲン公が裏にいる気がして、かなり面倒な事に首を突っ込むことになりそうだけど、あんた、いいの?」
エルザの鋭い指摘に、レイアはおろか、クラウスまでも真顔になり、地下室内は静寂に満たされた。
「国を敵に回すのよ? それでもいいの? ってか、クラウスの方に聞くわ」
そう言ってエルザは、金眼でクラウスを睨み付ける。
「覚悟は出来ているのね?」
「――――」
「精霊を使って本物の聖遺物をあの教会に置く話が、国を敵に回す話になってもいいって、覚悟が出来ているの? って聞いているのよ」
すると、クラウスはフッと笑って肩を竦める。
「いやいや、――さすがに国を敵に回す話にはならないと思うよ」
「どうして?」
「だって、偽物を拝まされていたと怒りの声を上げる信者はごまんといる。彼らを殺戮したり弾圧したりするほど、ローテンベルゲン公は馬鹿――おっと、言い過ぎたか、浅はかではない」
「馬鹿と浅はかは、結局、同じじゃない?」
「確かにそうだね。ローテンベルゲン公の前でどっちも口にしたら、首を刎ねられる。――それはそうと、ローテンベルゲン公が裏で画策してやったことでも、きっと、司祭にすり替えの全責任を負わせて一件落着にするだろうね。トカゲの尻尾切りみたいに」
エルザは「ふーん」と言って、クラウスを見つめる。
「だから、国を敵に回す話にはならない」
「で、いつ、本物を教会へ置きに行くのよ?」
急に話が飛ぶエルザに、クラウスは苦笑して答える。
「それをこれから考えるのさ。いつ、どうやってやるかを」
「今、行けばいいのに」
「今? それまた急な話だね」
「こういうのは、さっさとやるのよ」
クラウスが眉を顰めると、エルザは首を傾げる。
「何、グズグズしているのよ。本物は、もう、ここにあるのよ」
「いやいや。そうは言っても――」
「ちゃっちゃと正面から入って行けばいいのよ」
「それこそ、浅はかだよ」
二人の言い合う声が地下室に響いている時、「大変よ!」とフリーダの声がして、鍵穴から細長くて輝く煙が出てきたかと思うと、人魂の姿になった。
「壁の向こうで、言い争っている声がするの」
「どんな声なの?」
振り返ったレイアが問いかけると、フリーダは大きく揺れて答えた。
「男が『この建物に、黒くて細長い物を持った子供が入ったはずで、そいつはどこへ行ったのか?』って。すると、女の人が『知らない』と答えると、男が『嘘を言うと、ただでは済まないぞ』って」
舌打ちをしたクラウスが立ち上がった。
「連中に跡をつけられたな。マリア達に迷惑が掛かる。何とかしないと」
すると、エルザがフワリと宙に浮いて、クラウスを見下ろした。
「私がやっつけるわよ」
「えっ?」
「あんたは、何かと腰が重いから、見ているとイライラするの」
「――――」
「マリアだか誰だかに迷惑が掛かるのでしょう? まさか、見捨てる訳はないわよね?」
「それは……」
「とにかく、急がないと駄目よ!」
「分かった。壁の結界を解除する」
エルザは、今度はレイアの方を向いた。
「レイア。あんたは私に付いてきなさい」
「はい?」
「私が敵をやっつけたら、そのまま教会まで突っ走るから、付いてくるのよ!」
「はいい!?」
「何、驚いているのよ! それを元の場所へ返すのでしょう?」
「でも――」
「いいから、付いてきなさい!!」
エルザの一喝に、レイアは思わず「はい!」と返事をして立ち上がった。




