23.聖遺物とレイア
風の魔法で跳躍するレイアは、輝く羽の入った透明な容器を天井の穴にぶつからないよう垂直方向に抱え、緊張気味に肩幅を狭めて穴を抜けると、穴の縁で仲間の脱出を待つシュミットとエルザの前を通り過ぎ、彼らを見下ろす位置まで浮き上がった。屋根は平らで広く、好きな位置に着地できる。彼女は、とりあえず後方へ放物線を描いて軽やかに着地した。咄嗟ではあったが、我ながら風の魔法を上手く使えた、と喜びで唇が綻ぶ。師匠を追いかけて全速力で浮き上がるフリーダが穴を抜けると、シュミットが木製の板で穴を塞ぎ、その上から腰を下ろして胡座をかいた。
無事に脱出して安心したレイアだったが、跳躍の頂点に達したとき、銀行の前の大通りを行き交う通行人や竜車が視界に入った事を、ふと思い出す。こちらから見えるなら、向こうからも見えるはず。もしかして、誰かに見られたかも知れない。そう思った途端、街の喧騒を運んでローブを靡かせる生暖かい風に寒気を覚えた。
調子に乗って高く跳びすぎたようだ。屋上は落下防止の塀などなく、身を隠す物もない真っ平らな場所。レイアは、容器を横に抱え直し、しゃがみ込んで頭を低くした。
この三階建ての銀行を越える建物は見当たらず、ほとんどが三角屋根の二階建て。通行人が目撃していなくても、二階の窓から誰かが、突然屋根の上に跳躍して現れた少女達に気付いた可能性もある。今ちょうど、行員達が階段を駆け上がって来ている最中だと思うと、焦りで足がヒリヒリし、ジッとしていられなくなる。一刻も早く、ここから逃げないといけないと身体が訴えている。
「飛ぶわよ!」
容器を抱えて不安と焦燥感に包まれるレイアは、エルザのきつめの声で鼓膜を揺らされ、ハッと顔を上げた。その提案に無言で同意するシュミットは、フリーダを透明な球体の結界で包むが、レイアは彼に向かって目で不同意を伝える。
「あんた、何やってるの!? 早くしなさい!」
エルザに急かされるレイアは、しゃがんだ姿勢で眉根を寄せた。
「今、飛んだら、大勢の人に見られるでしょう?」
「それが何だって言うの?」
「目撃者が多いと、逃げ切れない。ここはいったん、何処かへ隠れて、夜の闇に紛れて飛んで城壁の外へ出る方がいいと思う」
「闇に紛れる?」
「そう。月が明るいなら、姿を消して」
「ふーん。暗い中をねぇ」
エルザが半眼になって呆れたように言う。何か矛盾点に気付いたのだろうかと、レイアは不安が過った。
「ねえ、あんた? 夜ならいいって言うけど、光る聖遺物、隠せるの?」
何を言うかと思えば、そんなことか。姿を消すときに衣服も消えるので、身につけている物が消えるなら、手に触れている物も消えるのではないか。その先入観があるレイアは、自分が考えた案にツッコミを入れるエルザを睨み付けて姿を消してみた。ところが、光る羽の入った容器が宙に浮くという奇術を彼らに見せる結果となり、呆然として、抱えている物を危うく落としそうになった。
「ほらね? 消えるのは自分が擬態した体と服と、自分の魔法で取り出したそのローブだけよ」
「灰色のシュミットさん。この容器全体を見えないように出来ますか?」
「僕には無理だなぁ」
物を包むと物ごと透明になる風呂敷でも出してくれたら有り難かったのだが、さすがのシュミットも無理だと匙を投げるので、レイアは大いに落胆する。
精霊に反応して光る羽が仇となっているのだ。今、この建物から飛び降りて、衆人環視の中を逃げ切れるだろうか。どこに隠れ場所があるのか。容器を隠すための黒い布を失敬出来るのか。今から夜まで待って、闇に紛れて逃走する作戦を実行するには、難題がいくつもある。
「結局、聖遺物がある限り、見られるのを覚悟で逃げるしかないの。だから、今すぐ、ここから飛んで逃げるのよ」
エルザに説得されたレイアは、聖遺物の奪回から運搬まで全部自分に押しつけられて憤懣やるかたないが、ここは渋々従うことにした。光る羽を見られたくないので空高く飛び、姿を見られるのは嫌なので姿を消したい。あとは、容器を抱えて風の魔法で舞い上がるか、大きな鳥に擬態して足で容器を掴んで飛ぶか。どちらがいいだろうかと考えていると、
「ん? ここを開けようとしているよ」
板の上で胡座をかくシュミットが下を見て指差す。「開かないぞ」と言う声が下から聞こえるが、行員の声だろう。
「行くわよ!」
痺れを切らしたエルザが、跳躍してグングンと空高く舞い上がる。シュミットも立ち上がった。もう迷っている暇はない。レイアは容器をしっかりと抱えて姿を消し、風の魔法で飛び立った。
「あれれ? 姿を消すのか。それじゃ、気配を追うしかないね」
肩を竦めるシュミットはそう呟いて、自分も姿を消して空を飛んだ。
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「クノル銀行で殺人事件発生! 屋上から白猫が空を飛んで逃走中! 金庫の中に誰かが閉じ込められているので、救援頼む!」
アハトブリュッケンの守備隊が犯人を白猫と睨んで捜索を開始したのは、レイア達が逃走した五分後。行員の通報を受けて二十人ほどが慌ただしく動き出したが、その頃には、白猫エルザはとっくに城壁の外へ出ていて、林の中に消えていた。
「あら? どうだった?」
黒のエルザが落ち葉の上で寝そべっていて、走って来た白のエルザに声をかけると、同じく寝そべっていた灰色のエルザが頭を上げた。
「やっぱり、銀行にあったわよ」
「そうだったの。で、その聖遺物は?」
「ぶつくさ言う女の子が持っているわよ」
「その子はどこに?」
「一緒に来るはずだけど」
だが、後ろを振り返る白のエルザの目には、レイアの姿も聖遺物の入った容器も映らない。
「何をしているのかしら、あの子?」
「道に迷ったとか?」
「そんなはずはないわ。だって、私の後ろを飛んでいたはずだし」
白のエルザは飛翔中にそう思っていただけで、実際には一度も振り返っていない。てっきり付いてくると思って、自分だけさっさと帰還したのだ。
その後、三匹のエルザは、首を長くしてレイア達の到着を待っていた。町から追っ手がやって来る事も知らずに。
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空を飛んで城壁の外へ逃げる白猫の姿を多数の目撃者から得ていた守備隊は、魔法使いを五人集めて二十人のチームを作り、林の方へ捜索に向かった。一方で、新たな目撃情報があり、そちらの捜索には守備隊の五人が担当した。その目撃情報とは、以下の内容だった。
「金色に光る細長い物が、空から貧民街へ落下した」
白猫が空を飛んで逃げたのと、ほぼ同じ頃の情報なので、何か関係があるのではないかと彼らが動いたのだが、それがマナ不足で地上に落下したレイアが抱えていた聖遺物である事を知っているのはシュミットだけだった。
「レイア、大丈夫かい?」
「ごめんなさい。大事なときに、マナ不足だなんて」
姿を消したまま城壁の冷たい石を背にして、容器を強く抱きしめながら悔しさに震えるレイアは、今にも泣きそうな顔でシュミットの背中に向かって謝罪する。風の魔法で空を飛んだのはいいが、長時間少女の姿に擬態していたので、マナ不足により目眩が起こり、落下したという情けなさに涙が込み上げる。
落下地点は城壁近くの空き地に出来た貧民街の一角で、空から金目の物が振ってきたと、双眸を光らせる老若男女が数人集まってきた。そこへ姿を現したシュミットが駆けつけて、人々を風の魔法で――多少手加減して――追い払うが、欲望に負けて立ち上がる彼らの根性に辟易する。やむなく、姿を消したままのレイアと貧民街を逃げ回るが、追いかける人の数が徐々に増えてきた。
いよいよ壁際に追い詰められた二人だが、シュミットの堪忍袋の緒が切れて、近づいてきた二十人ほどの連中を一気に吹き飛ばして失神させた。地べたに転がって気を失っている彼らに哀れみの目を向けるレイアは、また目眩が襲ってきて、視界がボンヤリし、腕と膝の力が抜けた。
パリーン!
背後でガラスが割れる音がして、驚いたシュミットは振り返る。すると、レイアが抱えていたはずの容器が落下していて、地面に転がっていた石に当たって割れ、破片の隙間から羽が飛び出ているのが見えた。
思わず羽に手を伸ばしたシュミットは、慌てて手を引っ込めた。なぜなら、精霊が触れてしまうと、天国か地獄かの運命が待ち受けているからだ。
ところが、意識が朦朧としていたレイアは、ガラスが割れる音で自分が何をしてしまったのかに気付いて激しく後悔し、地面に右膝を突いて破片を集めているときに、うっかり右手が羽に触れてしまった。
姿が見えないレイアが何をしているのか、気配だけでは良く判らないシュミットだったが、破片と羽が独りでに動いたことで、彼女が何をしたのかに気付いて戦慄する。
――レイアが、聖遺物に触れてしまった。
と、その時、シュミットの目の前に目映い光の塊が現れた。それは、地面に片膝を突いて、黄金に輝く羽に右手が触れた少女の形をした光だった。




