23.昇格
グリューンブリュン大公が、三千人以上の自軍が野営している場所から精霊と傭兵の奇襲で捕縛されるという珍事は大公軍の急速な士気低下を招き、兵士達は甚雨の中をしゃがみ込んで呆けたり、氷漬けの後遺症が治まるまで雨に打たれていたりした。
一方、林に隠れて奇襲の成功を鶴首していた騎兵達は、エルリカからの念話で勝利の情報を入手したブルーノの言葉に湧いたものの、ハンスだけはやけに慎重だった。
――こんな簡単に勝利するはずがない。捕まえたのは影武者ではないかと。
彼は自分の疑念を晴らすため、エルリカが運んできた竜車の中を覗くと、窓から鬼の形相になった大公が顔を出して、自分より遥かに身分が低い下級兵士が検分する事に対して吠えたが、結界に阻まれた。
「ねえ。敵がぼちぼち帰って行くよ」
フリーダの声にエルリカが後ろを振り返ると、彼女の目にも撤退を始めている敵兵の姿が見えた。ブルーノから間接的にフリーダの言葉を聞いたハンスは、影武者なら撤退はないだろうと考えたものの、まだ信用できないので、エルリカとヨーコに十五人の護衛を付けて先に帰還させ、しばらく自分はブルーノとフリーダと十五名の騎兵でその場に残る。
それから三十分経つと大公軍の撤退は本格的になり、こちらに向かって竜車を追ってくる様子もないので、ハンスは納得し、皆を連れてエルリカ達を追った。
ハンスが成功を疑うほどの出来事は、大公軍からの鷲の伝令によって三時間後にローテンベルゲン公国軍へもたらされる。元々、公国軍はシュプレンゲルの町に近い川岸で待機し、鷲の伝令がもたらす攻撃開始時刻の情報を元に、大公軍と歩調を合わせて、連合軍が一斉に渡河する予定だった。それが攻撃開始時刻ではなく「大公が捕虜になった」だったので、愕然とした公国軍は無駄足だった行軍に怒りを募らせ、そのまま自国へ戻った。
敵の突然の撤退理由が分からないアメリアとクルツは、顔を見合わせる。
「これって、もしかして、エルリカとブルーノの奇襲が成功したってこと?」
「かも知れないな。ただし、ブルーノは何の役にも立っていないと思うが」
「どうして?」
「敵陣へ乗り込む勇気は無いだろう、あの優男」
「そっか」
クルツの言葉にアメリアが妙に納得していると、その頃、ブルーノは宿舎に向かって街道を走る竜の背中で、くしゃみが止まらなかった。
「畜生。雨の中に居すぎたなぁ」
「ハハハ。でも、恵みの雨で良かった」
「ほんと、敵の動きが止まったのは雷雨のお陰ですからね」
「そして、貴方の精霊のお陰です」
鼻を啜るブルーノに声をかけるハンスは、上機嫌に笑った。
□■□◆□■□
グリューンブリュン大公は実際には投獄されず、宿舎の中でも上等な部屋に隔離され、見事な茶器に注がれた高級茶や、豪華な食事まで振る舞われた。もちろん、部屋の外では見張りを幾重にも配置しているのだが。捕虜とは言え、一国の長を冷遇したとあれば、周辺国が黙っていない。非常識な領主の首を刎ねよ、と結託して侵攻しかねないのだ。
グリューンブリュン大公国は、その後、空位で混乱に陥り、覇権を巡る貴族同士の武力抗争に発展した。ブラオンバーレン公国は、強国が辺境伯領を攻めない限り、自ら進んで動かないので、グリューンブリュン大公国の騒乱が収まってからどうするかを考えるであろう。
翌朝、ブルーノは報酬を受け取った後、「旅に出る」と言ってエルリカを連れて何処ともなく立ち去った。アメリアもレイアも、それぞれの思いを抱いて彼らを見送った後、クルツとフリーダも一緒にアメリアの部屋へ集合した。
「ねえ、レイア。これからどうするの?」
「私は白のクルツさんのお付きですから、ここに残ります」
「うちも師匠が残るなら、ここにいますよ」
宙に浮いているレイアとフリーダが上下に揺れると、アメリアが微笑んでから短く息を吐いた。
「私、除隊願を出すの」
「辞めるのですか?」
「そう。今度こそ田舎でのんびり暮らして、たまに魔物狩りを手伝って」
「じゃあ、私も手伝います」
「うちも」
すると、床で丸くなっていたクルツが「レイア」と言って浮かび上がり、彼女の前へスーッと近づいた。
「はい!?」
何事かと思ったレイアは、クルツの圧を感じて少し後ろへ下がると、
「お前は精霊界へ戻れ」
耳を疑うような言葉をクルツから掛けられて呆然としたレイアは、すぐには言葉が出ない。
「――――」
「もうお前は俺のお付きではない」
「えええ!?」
「大精霊ヒルデガルト様のところへ行け」
「どうしてでしょうか? まだ教わることがたくさんあるのに」
すると、クルツは金色に輝く目を閉じた。
「確かに教わることが一杯ある」
この時、レイアの頭の中では「なのに教えない白のクルツは手抜きよ」と腕組みをして怒るエルリカの姿が浮かんだが、すぐにその想像を拭き消した。
少しの間だが言葉を切ったクルツが、ゆっくり開目する。
「それは俺ではなく、別の奴に教われ。お前はもう準精霊なのだから」
「準精霊?」
「そうだ。俺以外に教わって、『よし』となってから、精霊使いと契約して上を目指せ」
「その人――いや、精霊さんは誰なのですか?」
「大精霊ヒルデガルト様に選抜してもらえ。俺が大精霊なら、お前に側近の二番手を与えるがな」
二番手とはいえ、あのエルリカの次なのだから、かなりの腕前だろう。レイアが期待で胸を膨らませていると、アメリアの部屋の扉がノックされた。
「どなた?」
「ここがアメリアの部屋と聞いたが、間違いないか?」
扉の向こうから聞こえてくる女性の声は、ヨーコだ。
「――どうぞ」
本当は、仲間を殺した彼女を部屋に入れたくないのだが、今は別人であるし、グリューンブリュン大公を捕虜にした功労者の一人でもあるので、アメリアは蟠りが残っているものの入室を許可した。
扉を開けて入ってきたのは、灰色の軍服から薄青色の作務衣のような服に着替えたヨーコだった。
「悪い。ノックする前にクルツの声がしたので、聞いてしまった」
ヨーコは頭を掻きながら、宙に浮いているレイアへゆっくり近づく。
「私は、精霊使いに鞍替えすることにしたよ。そこで、なんだな……、その……、あの……」
「レイアと契約したいと?」
半眼になったアメリアが、なかなか言い出せないヨーコを代弁する。
「そう。契約してくれるといいなぁと」
「唾付けるんだ」
「その言い方……」
「だって、そうじゃない?」
アメリアの突っ込みに苦笑するヨーコが、レイアに向かって両手を合わせて「この通り」と拝むポーズを取る。
「レイア、駄目かな?」
呆れ顔のアメリアが、レイアに「どうする?」と尋ねると、レイアが上下に大きく揺れた。
「はい! 喜んで!」
「本当に!?」
「でも、いつになるか分かりませんよ?」
「全然いいよ」
ヨーコは黒髪を掻き上げ、レイアに向かってウインクしながら破顔する。
「待ってるよ。いつまでも」




