9.決戦
以前の戦闘でヨーコに精霊を消された復讐を果たすべくアメリアが作戦を練っていると、前方から人が這う音がして目の前の草むらがもぞもぞと動き、男の兵士が草の間から顔を出した。
「中隊長が『来い』ってさ。俺とあんたと位置を交代」
「わかった」
それまで左脇に寄り添うように居てもらったクルツに、草を分けるようにして進んでベルリヒンゲン中隊長を探してもらい、温もりのある倒れた草束を同僚に明け渡して、匍匐前進でクルツの気配を追う。すると、橋に近い草むらで伏せている集団があって、クルツが誰かのブーツのそばにいてアメリアの方を向いたので、その足に向かって「お呼びですか」と小声をかけた。すると、足の主が「左横に来い」と小声で命令するので、彼女はクルツと一緒にさらに這って指定の場所まで進んだ。
「精霊の気配を消せ」
「はい」
アメリアは即答したものの、こちらの最大の武器を隠したその後をどうするのだろうと思っていると、
「精霊殺しは精霊の気配を探るはずだ。感づかれたら、伏兵にも気付かれる」
それは迂闊だったとアメリアが中隊長の忠告に反省しているうちに、クルツは主人の命を待つまでもなく、瞬時に消えた。今回何故、ヨーコが先鋒隊を陣頭指揮するかのように先頭に立っているのかがこれで分かった。グリューンブリュン大公国軍の下士官でもなく、随一の武人でもないヨーコが――精霊殺しと異名を持つ単なる魔法使いが――やるとしたら、この役目しかないではないか。
「いいか、よく聞け。敵兵の先頭集団が橋を渡り終える寸前で、精霊を召還し、兵士ごと橋を焼き払え」
「――――」
「それから、対岸に残った兵士を出来るだけ焼き殺せ」
「――――」
「形振り構うなというのがシュルツ大隊長の言葉だ。よいな?」
「――はい」
中隊長の残忍性が如実に表れる作戦はいつものことで、毎度彼女を悩ませる。これは戦争だと自分に言い聞かせても、何故か心に引っかかるものを覚え、爪を立てて掻きむしりたくなるのだ。だが、レイア達が敵地から持ち帰った敵兵二千人の数字は、前回の二倍だ。千人で敗北したのに、倍増した敵を相手に勝利するには、同じ戦いでは済まないことは理解できる。でも、ここまでやる必要があるのだろうか。
「あ、敵が山の上で終結している」
「こら、気配を消しなさい」
「はーい」
いつの間にかそばに来ていた二匹の微精霊を小声で叱ったアメリアは、微精霊が消えるのを待って、中隊長にフリーダの報告を伝える。
「と言うことは、月が隠れるのを待って動くのだな。狼人族の奴らは暗くても多少は見えるからな」
「そうなると、こちらは橋を渡る敵兵が見えなくなります」
「足音で判断するとか、お前に任せる」
その言葉に重大な責任を感じ、このまま自分のいる場所だけ重力が増加して潰れそうに思えてきたアメリアは、震えが止まらなくなってきた。敵兵の事よりも対ヨーコの事しか考えていなかった自分なりの作戦は、やりきれない思いで悶々としている頭の中でベルリヒンゲン中隊長の残虐な作戦に塗り変わる。
一歩間違えれば、敵の越境を許し、自分も味方も戦渦に巻き込まれるのだから、味方の命運を握っていると言っても過言ではない。昼間にブラオンバーレン公国軍相手に戦った時みたいに、敵の動きが手に取るように分かったのとはまるで条件が違うのだ。
薄雲が半月を隠した頃、中隊長の予想通り、その闇に紛れて敵が左右の山から静かに下りてきた。忽ち、川の向こうの平地は人影で埋め尽くされていく。灰色の軍服を着た狼人族の兵士達は左右から百二人ずつ。つまり四個中隊規模の先鋒隊だ。
彼らの先頭に立つのは、同じ軍服を着用し軍帽を目深に被った黒髪黒眼のヨーコ・ヴォルフェンヴァイラー。今ちょうど、使い魔の虎のザックスを召還したところだ。彼女の前を歩くザックスは、体長が三メートルを超え、尾の長さも一メートルは優に超える。盛り上がる筋肉を揺らし、辺りに妖気を漂わせ、喉を静かに鳴らしながら先鋒隊の先導役を務める。
この使い魔の出現と同時に薄雲の裂け目から漏れた月明かりが辺りを照らし、草むらに潜むアメリア達第三中隊の兵士には、敵の集団が対岸に突如出現したかのように見えた。四倍の兵力という数値を示さなくとも、全員の双眸に映る数多の敵影から兵力差で圧倒的に不利なのは明らか。こちらにはこんな兵力差をひっくり返す精霊使いアメリアと精霊クルツが付いていると思っても、大地から突然湧いてきたような敵を前にして、兵士達の顔には一様に動揺の色が浮かんだ。
使い魔とヨーコ達は橋をノロノロと進み、その後ろを兵士達が密集して付いていく。
彼女達がゆっくり歩いているのは、何も虎のザックスが悠々と先頭を歩いているからではない。橋が途中で落ちる細工に怯えているのでもない。精霊の気配をどんな些細なものでも逃すまいと慎重に探しているのだ。
ここで、薄雲が厚い雲となり、辺りは完全な暗闇となった。大人数の兵士達の重みで橋が軋む音が聞こえる。使い魔は足音を立てていないので、どこまで進んだかは直感でしか測れない。
雲がなかなか切れないことに焦燥するアメリアは、気配を消したクルツを召還するタイミングを、頭の中で描いた使い魔との距離で測ることにした。
もう先頭は半分を渡りきったはず。さらに残りの半分を進んでからクルツを呼ぶべきか。いや、ギリギリまで待とう。でも、その時に虎のザックスが想定外に進んで橋を渡りきったら、味方に甚大な被害が出る――。
焦りが我慢の限界値を無意識に引き下げ、始終鼓膜を揺らす橋の軋み音が恐怖を増加させる。ついに耐えきれなくなったアメリアは、黒闇の中でクルツを召還した。
「――我の前に顕現せよ、火の精霊クルツ」
と、その時、雲の切れ間から月の光が差し込み、橋を渡りきる直前のザックスと、その三メートル後ろにいるヨーコと、橋を渡る無数の兵士の姿が浮かび上がった。クルツはと見ると、ザックスの三メートル手前で座り込み、街道の真ん中に転がる白い小さな毛玉を演じている。
これが精霊だと判断したヨーコの動きは速かった。クルツが空中に直径二メートルの赤く輝く魔方陣を出現させるが早いか、ヨーコは右手を突き出し、使い魔と自分と後続の兵士を防ぐ透明の結界を出現させる。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
赤い魔方陣から飛び出した太さ二メートルの横向きの火柱が、巨大な火竜が吐く火炎の如く、最前列の使い魔と彼女を襲う。これがブラオンバーレン公国軍を恐慌状態に陥れたクルツの魔法で、アメリア達の記憶に新しく、彼女達は勝利を確信した。
ところが、炎はびくともしない結界に阻まれ、火柱は熱気を残して消え去った。してやったりの表情を浮かべて鼻で笑うヨーコが結界を張った状態で一歩踏み出し、アメリア達を失意のどん底に陥れる。
「不意打ちのつもりだろうが、この私にそんな攻撃が通用するとでも思ったら大間違いだ」
「ふん。精霊殺しに敬意を表して挨拶したまで。それで勝ったつもりでいるとは、お前は大した奴ではないな」
「さては、アメリア・ゾンネンバウムと契約した精霊だな? 前はムキムキの男だったが、今度は口八丁の毛玉か。これは笑えるな。勝負にならない」
「ほう? 見かけで判断すると痛い目に遭うぞ」
「毛玉が偉そうに。口では何とでも言える。何が出来るか見せてみろ」
さらに、ヨーコが一歩前に出た。
「そんなに見たいのか?」
「ああ。どうせまた、火を出して驚かす程度だろう?」
「俺を見下しているお前の想像は、俺の毛一本程度のちっぽけなものだぞ」
「なら、やってみろ。先ほどの小手調べに毛が生えた程度なら、許さんからな」
「その言葉、後悔するでないぞ。まずは、お前の後ろにいる見物人にはご退場願う。ちょっと騒がしくなるから、耳を塞げ」
「――――?」
「これでも俺は大精霊の側近だからな。刮目せよ」
毛玉の精霊が大精霊の側近と聞いてヨーコは瞠目し、直ぐさま後ろを振り返ったが、すでに遅かった。狼人族の兵士達の上空に無数の赤い魔方陣が出現したかと思うと、無尽蔵の火矢が地上の兵士達を目がけて垂直に豪雨の如く降り注ぐ。瞬く間に先鋒隊全員が火だるまとなり、橋の上と対岸の草原は阿鼻叫喚の地獄と化した。火矢は橋にも欄干にも突き刺さり、連日乾燥した気候だったため、忽ち橋全体に火の手が上がった。
「貴様! 許さん!」
ヨーコが結界を解除して、ザックスに精霊の討伐を命令する。咆哮するザックスがクルツに飛びかかったが、上空から降り注いだ何十本もの火矢に全身を射貫かれ、煙となって消滅した。
「出でよ、ジーク!」
ヨーコの召喚に応じて、使い魔である狼のジークが彼女の前に出現した。体長は二メートルほどで、針金のような銀色の毛に覆われた獰猛な狼だ。
「精霊使いが近くにいるはずだ! 殺せ!」
精霊使いを食い殺せば、毛玉の精霊は消える。ヨーコの命を受けて鼻をヒクヒクさせたジークは、アメリアの気配を見つけて草むらへ飛び込んだ。彼女の一大事とばかり一斉に立ち上がった兵士達は彼女の楯となったが、ジークに体当たりをされたりに噛みつかれたりで次々と倒される。ヨーコはジークの向かう先にアメリアが身を潜めていると考えて、右手を突き出して掌から魔法弾を掃射する。クルツは、それを止めるためヨーコに火矢を放つが、素速く結界が張られて全てが防がれた。
デタラメに飛んでくる魔法弾が近くでいくつも爆発して恐怖するアメリアは、頭を抱えて伏せていたが、すぐそばで誰かが倒れ込んだので思わず顔を上げてしまう。それは中隊長だったのだが、それを確認する前に妖気が漂う狼と間近で目が合ってしまった。万事休すと思われたその時――、
「伏せて!」
足の方から女の子の声が聞こえてきて、反射的に顔を地面へ押し当てると、今度は頭上から狼の悲鳴が聞こえてきた。何事かと思って顔を上げると、狼の額に氷柱が突き刺さっていて、ちょうど横向きに倒れ込むところだった。
「女を捕まえろ!」
中隊長の叫び声がしたので、今度は何が起きたのかとアメリアがもっと顔を上げると、燃える橋の袂で、氷柱が刺さった右足を抱えながら倒れているヨーコを炎の光が浮かび上がらせ、何人かの同僚が剣を抜いて駆け寄っているのが見えた。その時、顔の右横に光の玉が二つ漂ってきた。姿を現したレイアとフリーダだ。
「アメリアさん、大丈夫ですか?」
気遣うレイアにアメリアが無言で頷くと、フリーダが上下に大きく揺れる。
「師匠! 凄い凄い! 使い魔もあの女も一度に倒すなんて!」
「夢中で狼に何本も氷柱を発射したら、ヨーコの方にまで飛んで行っちゃった」
「結界を破壊して凄いですね!」
「破壊してないわ。たまたま結界に守られていない足に飛んだだけ。流れ弾って奴だから、自慢にならないけど」
「でも、ほら、ヨーコも捕まったし敵も甚大な被害を受けたしで、白のクルツ様様、師匠様様ですよ!」
会話中の二人にアメリアが顔を近づけ、レイアの方を見つめる。
「ねえ。あの氷柱って貴方のよね?」
「――はい」
恥ずかしそうに答えるレイアに、アメリアは優しく微笑んだ。
「貴方のことは、もう微精霊なんて言えないわね。どう見ても立派な準精霊よ。ありがとう、レイア」




