4.アメリアの正体
「アメリアさん、それが新しい精霊ですか?」
「そうよ。いいでしょう?」
大樹の虚から出たアメリアは、順番を待っていた精霊使いの先頭にいた赤髪碧眼の青年に声をかけられ、右手に持つランタンを掲げて、左腕に抱いているクルツを自慢げに見せびらかす。彼女の童顔は、一層子供っぽさを増した。
「おや、今度は毛玉――」
「猫よ」
間髪入れず反論する契約者の言葉を補足するかのように、クルツは毛の中に隠していた短い耳をぴょんと立てた。
「猫でしたか。可愛いですね」
「でしょう?」
「明日の出陣に連れて行くのですね」
「――行かない」
笑みを浮かべて輝いていた彼女の顔は忽ち不機嫌の色に塗り代わり、何故立腹させたのか分からず呆然とする青年を置いてきぼりにして、肩を怒らせ立ち去った。
「出陣って何だ?」
「あんたには関係ない」
「関係ある。精霊使いと精霊は最後まで行動も運命も共にするのだ。出陣の事を教えてくれ」
立ち止まったアメリアは、両目を閉じてクルツに頬ずりをし、彼の頬の毛に唇を押し当てて長いキスを続ける。すると、彼女の閉じた瞼から一滴の涙が流れ落ち、やがて止め処もなく流れて彼女の頬とクルツの毛を濡らしていく。
「いいの。もう除隊願を出したから。あの人が知らなかっただけ」
「受理されたのか?」
毛に唇を埋めたままアメリアが答えるので、くすぐったいクルツはもぞもぞと動いてさらに問いかけた。
「うん」
「許可が下りたのかって意味だぞ」
「――細かいわね。夕方に出しただけ。結果は聞いていない」
「いつ分かる?」
「明日には」
「なら、その涙、何があった?」
レイアは、このクルツの質問に対して、自分の答えを持っていた。おそらく、アメリアは戦闘中に精霊を失ったのだ。それに責任を感じて除隊願を出した。クルツもそれを薄々知っているはずで、それでいて問いかけるのも酷な話であるが、互いの信頼関係が大切な精霊使いと精霊だけに、隠し事は無しにしたいのだろう。
「とりあえず、私の部屋まで行きましょう」
クルツから唇を離して鼻を啜ったアメリアは、歩みを再開し、その後のクルツの問いに一切答えなかった。
一時間後。一行が精霊の森から抜け出ると、幌のない二人乗りで一頭立ての竜車が明かりを灯して帰還者を待っていた。二足歩行で深緑色の小柄な竜は、クルツと微精霊に興味を示し、振り返ってまじまじと見つめている。猫人族の御者は欠伸を噛み殺し、精霊など興味はないとばかり、アメリアに軽く会釈をすると直ちに前方を向いて帽子を被り直す。アメリアが車体を揺らして乗り込み、右側の座席に腰を下ろして「行って」と告げると、御者はいつまでも振り返っている竜に鞭を振るった。レイアとフリーダは、左の座席の上にフワリと着地して仲良く並んだが、竜車が急発進したので背凭れに体がぶつかって弾んだ。
「行き先変更よ。ヴァインベルガーの宿舎へ」
「へい。運賃割り増しになりやすが、ようござんすか?」
「帰り道の分はツケにして、第二大隊の」
「お客さん。あそこは、こう言っちゃなんですが、溜まりに溜まって――」
「この戦いが終わるまでよ」
「――――」
除隊願を出した一兵卒のツケを軍隊が払うのかは甚だ疑問ではあるが、クルツは言葉を挟まなかった。御者は彼女の事情を知らないようで、第二大隊のツケがまた増えると諦め顔で手綱の向きを変え、他に精霊使いを待っている複数の竜車を横目に鞭を振るう。
『森から遠く離れると、俺は精霊使いから呼ばれたとき以外は姿を消す。お前はどうするかは任せるが、長くは姿を現さない方が良い』
森の外の景色に興味津々でそちらに意識を向けるレイアは、クルツの念話で意識が引き戻された。
『森の外はマナが希薄だから、セーブするために姿を消すのでしょうか?』
『せーぶは何のことか分からんが、浪費をしないという意味なら正しい』
『何故希薄なのでしょうか?』
『お前は、あれは何これは何と聞く子供だな』
『すみません。こことは違う世界から来て、こちらの知識がないので』
『灰色のシュミットから聞いたが、その世界とは二本だったか一本だったか?』
『言葉は同じでも、たぶん考えているのは違うと思いますが』
『まあいい。詳しくは知らん。森が膨大なマナを集めているからとか、人間どもが環境を破壊しているからとか主張する精霊が多いが、それらは根拠に乏しい。いずれにしても、精霊以下は人間界では姿を消している時間が長いと思え。長時間実体化できるのは、大精霊くらいだ』
森の外でやらねばならぬ事が増えて不安になるレイアは、悪路で揺れる座席の上で問いかける。
『あのー、どうやれば姿を消せるのでしょうか?』
『見習い精霊が成長する段階で覚えたのではないか?』
『いえ、そこを飛び越したので、分かりません』
『世話の焼ける奴だ。うぎゃ!』
急に悲鳴で念話が中断されたが、理由はアメリアがクルツを強く抱きしめたからだ。
「そろそろ姿を消すが良いか?」
「ダメ。許さない。このままでしばらくいなさい」
「眠くなってきたが」
「ご主人様の言うことは絶対よ。その円らな瞳をずっと開けていなさい」
アメリアが起きている限り、クルツの苦行はこの先も続くことが確定した。彼女のこの性格を契約前に見通せなかったのは彼の最大の敗因であろう。苦笑するレイアだったが、自分が同じ立場であってもその見通しは無理だろうと思えて、同情を禁じ得ない。
三時間後。東の空が白み始める頃、竜車は田園地帯を抜け、検問所の前で停止した。
道を塞ぐ横木の前で帯剣する人間の兵士四人が黒い軍服の上から紫色のマントを羽織って立っていて、道端にある篝火の光まで厳めしい。四人が互いに顔を見合わせると、真ん中の二人が地面に置いてあったランタンを手に取り、火を灯してから竜車に近づいて来た。アメリアは、それまで完全に上着を隠していたマントの前を開き、彼らに軍服見せる。すると兵士達は、アメリアの形から同じ軍の関係者だと判断し、僅かに警戒を緩めた。初めて目の前で軍服を見せられたクルツは、彼女に聞こえないほどの小さな舌打ちをする。長いマントでもズボンの一部とブーツは見えていたはずだが、跪いて気付かなかったのか、余所見をしていたのか。
「所属と名前は?」
「第二大隊第三中隊第五小隊所属、精霊使いアメリア・ゾンネンバウム」
「証拠を見せろ」
一瞬躊躇ったようにも見えたアメリアだが、胸ポケットから掌に載る大きさのカードを取りだして彼らの前に差し出した。一人の兵士がそれを受け取って、ランタンの光を頼りに彼女の顔とカードを行き来した後、「行け」と一言添えて彼女にカードを返す。除隊願を出しても許可が下りていないので、まだ身分証明書を所持していたのが幸いした。この異世界は技術が進んでいて写真を貼った身分証明書でもあるのかと思ったレイアが、念話でクルツに尋ねると、『名前と年齢と特徴が書いてあるだけだ』とあっさりした答えが返ってきた。
無事に検問所を通り抜けると、五分ほど走った竜車は、蒲鉾形の建物がたくさん並んでいる場所でアメリア達を降ろした。頭を掻く御者の背中と何度も振り返る竜を見送った後、うつむき加減で溜め息を吐きながら歩み始めたアメリアに向かって、建物の中から出てきた二つのランタンの光と二人の影が近づいてきた。一人は恐ろしく背が高くて痩身で、もう一人は背が低くて恰幅が良い。どちらも黒い軍服の上に紫色のマントを羽織っている。
「おや、アメリア・ゾンネンバウム。新たな精霊と契約を済ませるとは、賢明な判断だ」
「おはようございます、ベルリヒンゲン中隊長、メービウス小隊長。これは魔物狩り用です」
銀髪緑眼で痩身のベルリヒンゲンが顎髭を撫でながら目を細めて微笑むと、アメリアは直立不動になって挨拶する。
「ああ、そのことだが、除隊後の生活は送れないと決まった。残念だな、魔物狩りに勤しめなくて」
「と言うことは――」
「あの敗退はアメリアに責はない。シュルツ大隊長が全責任を負うと。良かったな、あの大隊長がお前を庇ったのだぞ。除隊願は当然不受理だ」
「――――」
アメリアの泣きそうな顔が大隊長の慈悲に感動したように思えたのか、恰幅が良く禿頭で灼眼のメービウスが破顔して彼女を励ます。
「俺と共に、あの精霊殺しの奴に一泡吹かせてやろうな。早速だが、そこにいる微精霊二匹を内偵用に貸してほしい。俺の使い魔で運んでやるから、敵に潜入して作戦を盗み出して欲しいのだ」
ついに溢れ出た涙でクルツの毛を濡らすアメリアは、微精霊を一瞥すると、メービウスに向かって「はい」とやや力なく頷いた。
「おい、そこの二匹、こっちに来い。仕事のやり方を教えてやる」
「ちょっと待った。そいつらは俺のお付きだ。俺にも行かせて欲しい」
「ダメだ」
クルツが会話に割り込んだが、メービウスはあっさり拒絶する。
「精霊は世情に疎いだろうから教えてやる。我が軍――シュヴァルツカッツェン辺境伯軍が北のグリューンブリュン大公国に敗退したことにより、南のブラオンバーレン公国が蜂起した。南北の国は敵対関係にあるから挟撃作戦はないはずだが、まずは二匹が北の作戦――一時的な同盟関係が成立しないか等を探り、一方で今から第二大隊は南下して蜂起を鎮圧する。つまり――」
メービウスがクルツを指差して、ニヤリと笑う。
「お前、いや、お前達の腕前を見せてくれということだ」
「内偵は微精霊には荷が重い。話の感じでは、精霊殺しは北にいるのではないか?」
「精霊にしては勘が鋭いな。そうだ、奴は北にいる」
「なら、なおさら任務は危険だ。俺が――」
「精霊の分際で、いちいち人間の作戦に口を挟むな! お前達は言われたとおりに動けばいいのだ!! おい、アメリア・ゾンネンバウム。お前はこの作戦に同意するな?」
上官の言葉の勢いに負けて、アメリアは躊躇いがちに首肯する。
「なら決まった。精霊使いが同意したから、作戦は実行に移してもらう。以後、言葉に慎め、新米精霊めが」
鼻を鳴らしたメービウスが背を向けて歩み始め、指で顎髭の形を気にするベルリヒンゲンが頷きながら彼の跡を追った。
クルツは泣き濡れるアメリアを見上げて、彼女の頬から落ちる涙を顔に受けながら声をかける。
「もう……、もう……、精霊を失いたくないのに……」
「いつかここを離れて、俺と一緒に魔物狩りをしよう。それまでの辛抱だ」
「でも、また同じことが起きたら――」
「俺はそう簡単に消えないぞ。大精霊に次ぐ存在だからな」
「ホントに?」
ぐしょぐしょに濡れた彼女の顔に光が差した。
「ああ、本当だ」
「信じていい?」
「信じろ」
「わかった。任せる」
「おお、任せろ」
クルツに頬ずりを繰り返すアメリアは、彼の耳元で「ありがとう」と囁いた。




