3.精霊使いの少女アメリア
漆黒の闇と化した森の中を歩く白い毛玉と浮遊する光の玉。魑魅魍魎の世界で妖怪と人魂が何処ともなく立ち去るという絵面ではあるが、実際には、妖怪は目的地に向かって迷うことなく進み、人魂はそれに遅れまいと必死になって付いていく。
「あのー、どこまで行くのでしょうか?」
「そんなことより、付いてくるのが精一杯で、道を覚えていないなどと言うまいな?」
「――――」
クルツに痛い所を指摘されて愕然としたレイアは、これまで進んできた道順を記憶から辿る。右に左にと曲がった記憶はなく、精霊界の門を出て左へほぼ真っ直ぐ進んできたはずだ。途中で巨木を迂回したことは何度かあったが、方角は変わっていない。これで安心したレイアだが、あることに気付いて、はたと停止した。
「思い出しました。灰色のシュミットさんが、追っ手を巻くために景色を変えました。木々の配置は変わっているはずです」
「それでも契約の場所までの方角は変わらない。道を遮る木の数が変わるだけだぞ」
確かにその通りだと納得したレイアは移動を再開した。
しばらく進んでいくと、墨を流したような闇の左斜め前の方角に橙色の光が見えてきた。それは、精霊と違って夜目の利かない人間が森の中を歩く際に手にしていた明かりだった。三つあるので三人がいるようだ。一方、右斜め前の方角に、精霊や準精霊のお付きとして集まっているらしい微精霊の発する輝きが蛍の光のように揺れていた。そして、前方には――左右の光に挟まれて――今まで見たこともないほどの太さの大樹があった。直径は十メートルを下らないのではないか。この前方の大樹を見上げたクルツが立ち止まって、レイアの方へ振り返った。
「ここが契約の場所だ。覚えておけ」
「はい。契約はここでしか出来ないのでしょうか?」
「他にもある。栗色のランゲが向かったのもその一つだ」
「精霊使いさんが三人いるみたいですね。今日は多い方でしょうか?」
「さあな。訓練で出遅れた分、どれだけ契約が済んだのか分からん」
「すみません」
「いちいち謝るな。訓練を提案したのは俺の方だ。こうなることは想定済み」
それから、クルツは歩きながら、精霊使いとの契約についてレイアへ簡単に解説した。
精霊使いは、半月の日の真夜中に、森の中でも一際太くて目立つこの大樹を目指し、一人ずつその虚に入る。中には坂道があって地底まで降りていくと、人間が三十人ほど立って入れる岩に囲まれた空間がある。精霊使いはその岩の部屋の中央で跪き、正面の岩壁に空いている直径一メートルの穴に向かって契約の祈りを捧げる。その穴は、精霊と準精霊が待機している部屋に繋がっているが、途中に結界が張られていて、人間側から見ると暗闇、精霊側から見ると部屋が丸見えのマジックミラー状態になっている。
「精霊を呼び出すと、空中から光に包まれてフワッと出て来る感じがしていたのですが、奥の部屋でご指名を待っていて、呼ばれたら出て行くんですね」
「ご指名? 逆だぞ」
「え?」
「こっちが自分と相性の良い精霊使いを選ぶのだ」
「そうなのですか?」
「火の精霊と契約したい精霊使いがいたとして、そいつの願いに叶う精霊が都合良く湧いて出て来るとでも思ったか?」
「はい。そうなのかなぁと思って――」
「レイアのいた世界はそうかも知らんが、精霊だって精霊使いの人柄を見極めて契約したいのだ。何せ、精霊使いが死ぬまで契約が続くからな」
「――――」
「中には、精霊を酷使して消滅させてしまい、また新たな契約をしに来る奴もいる。そんな奴と契約したら最後、こちとらの人生も終わりだからな」
「――――」
「時には、誰が契約するかで揉めて精霊同士で喧嘩になる時もある。以前、三つ巴の喧嘩になって、なかなか精霊が出てこないからって帰って行った精霊使いもいたがな」
契約は慎重にという精霊目線に目が鱗のレイアだが、精霊使いの一生という長期間の契約であることに改めて気付かされ、正に人生の伴侶を決めるに等しいのだと感動した。一方で、酷使して消滅させられるという事実にも気付かされ、相手の見極めを間違えると身の破滅になるという恐怖は感動を霧散させた。
「奴らも真剣だが、こっちも真剣だ。契約とはそう言うもの。よく覚えておくんだな」
「はい。でも、人は見掛けによらぬものと言いますから、見た目の判断だけでは難しいですよね?」
「それを言ったら、お互い様だがな」
「はあ……」
「さて、微精霊は待機する部屋には入れないから、精霊使いがいる場所とは反対側の幹の裏で待っていろ。契約が完了したら、俺が念話で呼び出すから、表に回って虚から中へ入れ」
そう言い残してクルツはフッと消えた。おそらく、転移魔法で待機する部屋へ移動したのだろう。取り残されて急に不安になったレイアは、微精霊が屯している大樹の裏へ怖々と近づいていった。
今日は半月でも、空全体に厚い雲が掛かっていて、今は星の光も届かない。微精霊の光は、空から落ちてきた星が美しく輝いているかのように見えるが、レイアはそんな情緒に浸っている気分ではなかった。
すでに待機している微精霊は十体ほどで、誰しもが無言になって空中で漂っている。ゆっくりと近づいていったレイアは、彼らが一斉に自分を見た気がして、それが近寄りがたい雰囲気を醸し出したので、やや遠巻きに漂った。
しばらくその状態で浮いていたレイアだが、ユミッチだったら気兼ねなく彼らに語りかけて友達になるだろうなぁ、そういえばユミッチは大丈夫かなぁ、別の場所でランゲさんが契約して精霊使いに紹介されているのかなぁ等と想像を膨らませていると、急に寂しさに襲われた。
そんなレイアが徐々に地面へ向かって力なく降りていき、地面すれすれに漂っていると、
「ねえ、あんた」
突然の女性の声にギョッとしたレイアは大きく揺れ、声の方へ意識を向けると、いつの間にか微精霊の一体が近くに迫っていたことに気付いた。
「は、はい」
「あんたの親分は誰?」
「親分?」
「お付きを指名した精霊だよ」
「白のクルツさんです」
「えええ!? あんたって、そんな凄い精霊のお付きなのかい!?」
声をかけた相手が大物のお付きだと分かった微精霊は、大きく上下に揺れた。微精霊の間でも有名なクルツに自分は指名されていることに、レイアは少し鼻が高くなる。
「うちの親分なんか、荒っぽい精霊使いに酷使されて消えちまってさ。うちだって、消されかけたんだよ。で、今回、猫の格好した準精霊のお付きになったんだけど、ちょっと頼りなくてさ」
「はあ」
「なあ。白のクルツを紹介してくれない? そっちの方が安全だわ」
「そう言われても――」
「微精霊のいい所は、契約に縛られないこと。お付きだって好き勝手に変えられる。自由気ままに生きられるのが素敵だ。だから、やめられないね」
「そうなんですか?」
「うちはフリーダ。あんたは?」
「レイア。レイア・マキシマです」
「へー。家名まであるなんて、すげーな。だから、白のクルツのお付きになったのかな?」
クルツが見込んだのはそこではないことを知っているレイアは、なんて答えようかと迷っていると、急に頭の中でクルツの声がした。
『ちょっと来てくれ! 助けて欲しい!』
あの大精霊ヒルデガルトの側近が念話で助けを呼んでいる。そんな緊急事態に未熟な自分は何が出来るのかと思って躊躇するレイアだったが、ここで尻込みしていてはいけないと自分を奮い立たせ、全速力で――と言っても秒速およそ五十センチメートルだが――大樹の虚へと急ぐ。
「あ、待ってよ! どこへ行くの!?」
「呼ばれているの!」
「ってことは、契約完了かな?」
「分かりません!」
「まあ、いいや。どっちにしても、あんたに付いていくよ」
フリーダが勝手に跡をつけてくるが、それに構っていられないレイアは、ランタンのような物を携えて外で待機している精霊使い達に注目されつつ虚の中へ飛び込み、ひんやりした空気が流れる坂の通路を下り、冷気が漂う岩の部屋へたどり着いた。そこには――、
「キャー! モフモフ、可愛いー!」
「あ、ちょ、ちょっと痛いって!」
紫色のマントを羽織った金髪の少女が背を向けてしゃがんでいて、ショートボブの髪を揺らしながらご機嫌の様子だ。レイアは、会話の内容から考えて、少女に抱きしめられて苦しそうにもがいているクルツを思い描いた。
「この毛触りといい、柔らかさといい、私の好みだわ!」
「好みなのは分かったから、放してくれ」
「放さない。私が契約したんだから」
「だからって、抱きついたままって訳にもいかんだろ!」
「いくわよ」
「勘弁してくれ!」
「うふふ」
「そうだ。契約には条件があるからな」
「何? 聞いていないんだけど」
「言う前に、突然抱きしめられたから言えなかったのだ」
「そうなの? じゃあ、その条件って当ててみましょうか? ――きっと、このことよね?」
少女が頭だけ振り返り、童顔の人間ではあるが碧眼からは鋭い視線が放たれる。彼女は背を向けていても微精霊の気配を感じ取っていたのか、はてまた、精霊が出す条件は微精霊のお付きの事だろうと始めから想定していたのか。はしゃいでいた少女のらしからぬ視線に、レイアはゾクッとした。
「微精霊なんか要らないんだけど。可愛くないし」
早速の用済み宣言にレイアは狼狽えたが、彼女から見えない位置で胸に抱かれているクルツが助け船を出した。
「その微精霊は役に立つ。使ってくれ。その条件が呑めないのなら、悪いが今回の契約は無しだ」
「二匹も使えと言うの?」
「なにぃ!?」
「ほら――ね」
抱きしめたクルツを微精霊の方へ向けた少女は、驚愕で金眼を見開いたクルツに頬ずりをして唇を綻ばせる。
「いいよ、二匹とも採用して。このアメリア様は寛大なお人なんだから」
「いや、二匹だとは――」
「精霊使いに二言はないの。採用と言ったら採用。さあ、『わかった』と言いなさい」
「わ、わかった」
「――で、あなた達、名前はあるの?」
このクルツを手駒にする勢いのアメリアに怖れを成したレイアは、そわそわしながら「レイア・マキシマです」と名乗り、フリーダは元気溢れる声で「うちはフリーダ! よろしくです!」と名乗る。
「ふーん。レイアって大人しそうだけど、もしかして、見かけだけ? ちょっと変わった波長の微精霊ってとこが気になるわねぇ……。ふふん、楽しみだわ」
微精霊フリーダとの違いを感じ取ってそれを「波長」という言葉で表現したアメリアは、口元に笑みを浮かべつつ、心の奥底まで覗き込むような眼差しをレイアへ向けた。
「アメリア様。どうか、このフリーダのことも楽しみにしていてください。これでも経験豊富ですから」
「あんたよりも気になるの、レイアのことが」
「えー、そんなぁ……」
クルツを抱きしめたまま立ち上がったアメリアが、ゆっくりとレイアに近づいてくる。唇は微笑んでいるが、目は真剣で、数秒後に何かを探り当てたらしく喜びで輝いた。
「レイア。まさか、微精霊に化けていないわよね?」
「い、いいえ」
「ホントに?」
「私は微精霊です」
「まあ、いいでしょう。レイアには、しっかり働いてもらいますからね。あ、もう一匹、フリーダだっけ? あんたも」
口端を吊り上げたアメリアはクルツを左手で強く抱きしめ、右手で足下のランタンを取り、微精霊達へ一瞥を与えてから坂道を上っていった。
『この精霊使いは勘が鋭いようだ。誤魔化しは利かないと思え。可愛い物を溺愛する少女という感じがするが、おそらく、見かけだけだ。騙されるな』
念話で語りかけるクルツの言葉を肝に銘じたレイアは、しょげているフリーダに声をかけて、歩くアメリアがなびかせるマントの後ろを追いかけていった。




