14.ファンタジー小説とよく似た人間界
ヒルデガルトがレイアとユミッチを掌の上に乗せて、「では、行きましょう」と口にした瞬間、辺りの景色が一変して高木ばかりが生い茂る緑林になった。精霊界の外にある森ほど密生しておらず、陽光が真上から差し込んで辺りは明るいが、蒼空を見上げても太陽のような光の球体が見当たらない。
「ちょっと浮いていていいですか?」
「「はい」」
掌に目を落としたヒルデガルトが、これから起こることにレイア達が驚くであろうと思っているのか、悪戯っぽい笑みを浮かべる。ヒルデガルトの左肩付近に浮き上がったレイアとユミッチは、「見ていてご覧なさい」と言って両手を挙げる大精霊の前に、周囲の高木の十倍はある太さの巨木が出現したので度胆を抜かれた。しかも、その巨木は木造の小屋の上に生えていて、屋根から極太の根を下ろし、小屋全体を包み込んでいる。
小屋の扉の両側には、槍を持った金髪灼眼の女性の兵士が二人立っていて、大精霊を前にして槍を銃に見立てて捧げ銃の姿勢を取る。彼女らは筒の形状の灰色帽を被り、灰色の短いコートを羽織って灰色のブーツを履いている。あまりにスカート丈が短いが、動きやすくするためか。
「狭くて質素な家ですが、驚かないでくださいね」
レイアもユミッチも自分の体から見て何もかもが巨大なので説得力はないが、歩み始めたヒルデガルトに遅れまいと彼女達がフワフワ飛んでいると、
「「大精霊ヒルデガルト様。左肩に見習い精霊が跡をつけて――」」
「客人です」
目だけ動かして我先に異変を報告する二人の衛兵の言葉を、ヒルデガルトはピシャリと遮った。声が低いのもあるが、その言葉が刃のように鋭く感じて、レイア達は震え上がった。立ち振る舞いから優しそうに見えるが、彼女に会う者は誰も彼も跪いて敬意を表することを考えると、畏怖の念を起こすほどの精霊なのかも知れない。そんな彼女の左肩付近に漂っていると、オーラで焼き焦がされそうな気分になってくる。
ヒルデガルトが扉に近づくと、独りでに内開きになり、明るい室内の光景が目に飛び込んだ。中へ入ると、第一印象は山小屋。床は板が何枚も張られ、壁と天井は丸太が積み上がっていて、木枠の窓から明るい日差しが斜めに差し込んでいる。部屋の真ん中に机と四脚の木の椅子があり、他に一切の調度品がない。
だが、レイアは、それよりも不思議な現象が気になっていた。まず、外から見たときの家のサイズと、中の部屋の大きさが一致しない。陽光は真上から差していたはずが、窓からの光は斜めだ。ここだけ別空間なのかと思っていると、ヒルデガルトがテーブルの上座に着席した。
「さあ、そちらの椅子に……って座れませんね。ごめんなさい。浮いていてもらえますか?」
「机の上でもいいですけど」
「ユミッチ、それ、お行儀悪い」
結局、レイアはヒルデガルトの正面の椅子を、ユミッチはその隣の椅子を選び、背凭れ付近に浮いて止まった。それを見届けたヒルデガルトの前に、美しい模様が描かれた皿と金で縁取られた豪華なティーカップが現れた。瞬間移動あり、突然の出現ありで、この精霊界ではもう見慣れた「突然に何かが起こる」光景だが、それでもレイア達は新鮮な驚きを覚えて目を見張る。
「それでは、二本という国を詳しく教えてください」
シュミットの誤解がインプットされているのは明白だが、レイアは訂正せず、自分達のいた世界について思いつくままに話して聞かせた。話題の内容によってはユミッチが話の主導権を握ったが、それらの未知の知識を貪欲に吸収するヒルデガルトは、驚いて目を丸くしたり笑ったりで、大精霊は聞き手上手な一人の女性になっていた。
「では、こちらの人間界についてお話ししましょう」
精霊界の話よりもレイア達が取っ付き易いと思ったのか、ヒルデガルトは人間界の解説を始めた。レイアもユミッチも自分達のファンタジー世界の知識と比較して、理解を進めたが、ほぼ一緒であることに驚愕する。時代は中世、魔法使いも精霊使いもいて、魔物が跋扈し、ドラゴンが空を飛ぶ。
「お話を伺っていますと、こちらの人間界は、私の世界の小説に出て来る異世界とかなり似ています」
「それは、驚きですね。その、何でしたっけ、スマホでしたっけ? 遠く離れた人と連絡が取れる器具はこちらの人間界では魔法の道具ですから、それを発明するほど知恵があるのでしたら、こちらの世界を覗き見る魔法が編み出されていて、作家が利用したのかも知れませんね」
いや、それはないだろうと思ったレイアとユミッチだが、神々しいオーラを発する大精霊の誤解を解くには勇気が要るので笑って誤魔化した。
話が弾み、互いの文化の相違点と共通点を確認しあった後、レイアはずっと気になっていたことを質問した。
「あのー、大精霊ヒルデガルト様は、お茶を飲まれないのですか?」
「ああ、これですか? 雰囲気です。精霊は人間界の生き物と違って、マナを取り入れるだけで、彼らのような飲食はしません」
道理で、カップを両手で抱える事はあっても、取っ手は持たず、一切カップに口を付けなかった訳だ。腑に落ちたレイアは、ほんの僅か、ヒルデガルトの顔が曇ったことに気付いた。
「憧れなのです」
「憧れ――ですか?」
「はい、前世の」
「人間への憧れでしょうか?」
「そうですね」
「よくわかります。私たちは、前世は女子高生――いや、学生でした。私たちも人間の姿に憧れています。大精霊ヒルデガルト様も人間でいらしたのでしょうか?」
レイアは、言ってから『しまった』と大いに後悔した。誰しも言いたくない過去がある。それは前世も同じだろう。
「こんなお茶の道具一つでも、昔を偲ばせてくれます。楽しかったこと、辛かったこと。そのような思いが一杯に詰まっています」
カップに目を落としたヒルデガルトがその言葉を最後に無言となった。レイアがこの空気をどう変えようかと頭をフル回転していると、
「昔、余命幾ばくもない父親のために、結婚を決意した一人娘がいました。彼女の家は、貴族の中でも弱小の部類で没落寸前。数多の貴族の求婚が領地を乗っ取ろうとするように見えた彼女は、旅する純朴な精霊使いの青年に恋をし、婿に迎えました」
こう切り出したヒルデガルトは、なおもカップを見つめながら話を続ける。
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相手の精霊使いは、性根の腐った結婚詐欺師だと気付いた時にはすでに遅く、彼女は監禁された山小屋に火を付けられ、焼き殺された。領民には「これは彼女の失火が原因だ」と嘘をつき、娘の父が失意のうちに急死すると、自ら領主となって国を治め、領地を広げて繁栄させ、弱小から中堅の貴族の地位を獲得し、再婚相手に子供をたくさんもうけて、多くの子孫を作った。
一方、死んだ娘は見習い精霊から身を起こし、百年後に準精霊に上り詰めた時に黒猫の姿を獲得した。この黒猫は、亡き結婚詐欺師が残した子孫を根絶やしに、彼らの館に火を放ち、復讐を遂げた。
人間はこの黒猫を捕らえた。復讐を遂げたので、抵抗はなかった。だが、黒猫の申し開きに人間は同情せず、悪行の数々を重ねた邪精霊と見做され、即刻精霊使いの手によって消滅させられた。
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「私はこの時、まだ微精霊で、ただ見ていることしか出来ませんでした」
途中までヒルデガルトが自分の悲惨な前世を語っているのかと思っていたレイアは、「黒猫」の登場で別人の話だと分かり安堵の胸を撫で下ろしたが、彼女の付け加えた情報で黒猫の周辺にいた目撃者であると判明し、次にどんな話が出て来るのか、気になって身を乗り出した。
「私は、彼女が飼っていた小鳥でした」
顔を上げたヒルデガルトは、動揺して揺れるレイアとユミッチへ交互に視線を送る。
「そうです。山小屋で一緒に焼き殺されたのです。このお茶の道具は、彼女が死ぬ直前までお茶を飲む時に使っていた物を再現したのです」
静寂の空気が流れる中、ヒルデガルトが優しく微笑む。
「ごめんなさい、驚いたでしょう?」
「いえ、こちらこそ、思い出したくないことを思い出させてしまって、申し訳ありません」
「謝ることはありませんよ。思い出したくないのなら、これはここに置きませんから。何故置いているのかは――」
白い歯を見せたヒルデガルトだが、急に真顔になった。
「灰色のシュミットが劣勢です。これは、援護に行かないといけなさそうですね」
彼女の目には、向かいに漂う二人の見習い精霊以外に、シュミットの駆けつけた現場が見えているらしい。
「しばらく、ここで待っていてもらいませんか?」
「はい」
「お気をつけて」
立ち上がったヒルデガルトは、カップと皿を消して立ち上がり、扉を開けて出て行った。見送ったレイアとユミッチが顔を見合わせる。
「姫。ビビったわ。大精霊の前の姿が黒猫かと思っちゃって」
「そうね。でも、一度姿を獲得した精霊が別の姿になれないって、ヒンメルが言っていたから、多分違うかなあと」
「大精霊ならわかんないよ」
「まあ、そうだけど」
「――さてと、暇だから、ちょっと探検」
ユミッチがそう言って室内をフワフワと飛んでいると、何かを発見したらしく床へ下降した。
「ねえ、ここに鏡が落ちている」
「どこ?」
「机の下」
それは人の掌に載る大きさの手鏡だった。ヒルデガルトが化粧用に使うにしては小さすぎるが、見習い精霊の体には十分大きく見える。二人がそばまで近寄ってみたが、天井の丸太が映っているだけだ。
「うちらの姿って、映んないんだね」
「本当だ」
「もっと近づいたら映るとか?」
「それはないと思うけど」
好奇心旺盛な二人が鏡の表面まで近づくと――、
「うわー! 吸い込まれるー!」
「きゃー!」
レイアとユミッチは、悲鳴を残して姿を消した。




