12.精霊界
地面に降りていたカルラは、術者の呪縛から解放されたヒンメルとグロッスを両脇に従えるように立っていた。両方の掌の上ではレイアとユミッチが近寄ってくるコボルトを見つめ、小説で知っていた実物に興奮して小さく上下に揺れる。
「はじめまして。僕はシュミット。同じ名前が多いから、みんなは灰色のシュミットと呼んでいるよ。君の名前は?」
「カルラ。カルラ・ユング」
「へー。先に来た四人は、『名前はない』って言っていたけど、君はあるんだ」
感心するシュミットは、彼女の手に乗る見習い精霊に視線を向けて目を皿のようにする。
「うわー、何これ!? 見たこともない輝きの見習い精霊だね」
「レイア・マキシマです」
「ユミッチ――です」
まじまじと眺めるシュミットは、背後を振り返りミノタウロスにもこの見習い精霊達をよく見ろと促す。
「ね? これ、凄いよね? 精霊界に入ったら、絶対注目されるよ」
「確かに。仰るとおりです、シュミット様」
「向こうにいる見習い精霊達にジロジロ見られました」
ユミッチが興奮気味に話すと、シュミットは「そりゃそうだろう」と笑う。すると、カルラの全身が光り始めた。それに気付いたシュミットとミノタウロスは片膝を突いて頭を垂れた。
「急ぎなさい。追っ手が来ます」
「承知いたしました、大精霊ヒルデガルト様」
カルラの口から、憑依したヒルデガルトの警告を聞いた二人は、同時に背後を振り返る。
「ああ、あれか。迂闊だった。気付かなかったなぁ」
シュミットが嘆息して立ち上がり、体を百八十度回転させると、斜め上に右手を向けた。
「姑息な手を使う人間どもだ」
そう言って手の先に輝く魔方陣を出現させて稲妻を発射すると、三十メートル後方の大木の近くに浮いていた丸鏡が雷撃の直撃を受けて粉々に吹き飛んだ。
「あれは追尾型だね。ここの位置を覚えられたかも知れないけど、とりあえず、もう一回掻き回すか」
再び両手を高く上げたシュミットが景色を塗り替えて、短い息を吐いた。
ミノタウロスの右肩にシュミットが左肩に光が消えたカルラが乗り、大股で森の奥へと入っていく。グロッスは滑るように這っていき、その後ろをヒンメルが息を切らしてやや遅れ気味に走る。シュミットは時々背後を振り返り、新たな追っ手が来ないかを警戒するが、あの丸鏡が奥の手だったらしく、気配すらないので安堵する。
黄昏時の深い森は墨染めの光景になりつつあり、常人は明かりがないと足下がおぼつかないが、精霊達は夜目が利くので彼らには昼間を歩いているのと同じだ。
こんな感じで歩き続けること、三十分。
「姫。何だか、うちら、真っ直ぐに進んでいなくて、ジグザグに行って右に曲がって左に曲がってを繰り返している気がするんだけど」
「本当ね。遠回りしているような」
「そうだよ。あの鏡みたいのがまた付いてくるのか、試すのもあって」
シュミットが両足をプラプラさせてレイア達の会話に入ってくる。
「あのー、コボルトさんって、みんなお洋服を着ていらっしゃるのですか?」
「そんな緊張しなくていいよ。仲間なんだし、気軽に話しかけて全然構わないから」
「あ、はい」
レイアが恐る恐る話しかけるので、シュミットは緊張を解きほぐしてやる。
「コボルトと言っても、いろいろだよ。人間だって、いろいろでしょう? あっちの世界ではほとんどの人が服を着ているけど、裸の人もいる。精霊も同じ」
「精霊って、人や動物が生まれ変わってなるのですか?」
シュミットはその問いにはすぐに答えず、瞳に複雑な色を浮かべてレイアから視線を切り、前方を見つめる。
「――事実としては、この世界の人や動物や昆虫や、その他諸々の生き物が死んで精霊になる。全部が、じゃないけどね。彼らの体内にあるオドの具合によってそうなると信じられているけど、僕らはそのオドがないから――マナでしか体を維持できないから――詳しくは知らない。マナが枯渇したら消滅するというのだけは分かっている」
なおも、前を向くシュミットは遠い目になった。
「木も草も、物だって精霊になるんだよ。人は『木の精霊が宿っている』と言うけど、あれは枯れて朽ち果てた木から生まれ変わった精霊が、仲間の木に寄り添っている。中には人間になりたいって奴もいてね。現に元は木だった花だったって仲間を知っている」
「物が精霊になるって、付喪神みたいなものですか?」
「つくもがみ?」
「百年経つと器物に宿る精霊です」
「そんな名前の精霊は聞いたことがないけど、物が壊れて精霊になるのはあるね。仲間に寄り添っていれば、傍から見れば物に宿ったように見えるけど」
「ああ、こちらの世界ではそうなのですね」
シュミットは、はたと膝を叩いて、目を輝かせながらレイアを見た。
「ねえ。今『こちらの世界では』って言ったよね」
「は、はい」
「君達、この世界の何かが死んだり枯れたり壊れたりして生まれた精霊じゃないのかな?」
「ええ」
「ねえねえ、どこから来たの?」
ミノタウロスの頬に体を近づけるシュミットは、「この角、邪魔」とミノタウロスの角を左腕で押しながら、レイア達を食い入るように見つめた。またクーノとのやり取りと同じ羽目になると思ったレイアだが、
「日本です」
「にほん? 数の二本?」
「いや、日本です」
「にっぽん? 一本の聞き間違え?」
ほぼ再現フイルム状態に嘆息するレイアだったが、「とにかく、そう言う名前の国から来ました」と締めくくった。
「へー。三本とか四本とかいう国もある世界なんだ」
「ありません」
レイアは、なぜ日本と書いて『にほん』と読むのだろうと今更ながら考えていると、
「だから特別な輝きをしているんだね」
納得して破顔するシュミットが何故腑に落ちたのか理解できないレイアだったが、話がややこしくなりそうなので問いかけをやめることにしたところ、
「一本という国があって、君達は二本という国から来て――」
「それはきっと、誤解していると思います」
「そう? まあ、いいや。とにかく、この世界とは別の世界から来た。凄いなぁ! そんな精霊、聞いたことないぞ!」
さらに雑談で互いの世界の情報を交換し、驚いたり感心したりする中、時が過ぎるのも忘れていると、辺りはすっかり暗くなった。しかし、彼らは森の中の様子が明瞭に見えていた。夜目が利くとはこういうことかと、レイアもユミッチも自分達の能力に感動した。ここで、彼女達は、後ろを走る哀れなヒンメルのことをすっかり忘れていたと付け加えておく。
ミノタウロスの両側で笑い声が巻き起こる中、巨躯の歩みがようやく止まった。
「着いたよ」
肩から飛び降りたシュミットに続いて、カルラもフワリと地面に着地する。しかし、辺りは鬱蒼と生い茂る大木があるだけで、どこにも入り口らしい物がない。
「レイア。ここは森の中だと思う?」
「はい」
「人間はおろか、精霊にもそうとしか見えないけど、これはまやかしの風景。見ててごらん」
ミノタウロスが長槍の石突で地面を叩くと、半径十メートル圏内にある木々が消えて整地された空き地になり、その中心に突如として、彼の背丈の倍はある巨大で縦長の鉄扉が現れた。黒光りする扉は幾何学模様の装飾が過剰なほど施され、見ている方は威圧感で震えがくる。
「追っ手を撒くために時間をかけてすまなかったね。でも、君達の世界の面白い話が聞けて楽しかったよ。その、何だっけ、チートだっけ、滅茶苦茶強いって意味の」
「ええ」
「大精霊様は全員チートだよ。ってか、精霊の中の最強が大精霊様になるんだから」
「そうなんですか?」
「うん。大精霊様が束になって人間界に乗り込んでいったら、彼らの世界は破滅するね」
笑顔でサラッと恐ろしいことを口にしたシュミットは、レイアに向けていた視線を切り、扉へ向き直る際に彼女達には見えない位置で急に寂しそうな顔になって「いつになれば、なれるのかねぇ」と呟いた。
「開けて」
真顔のシュミットがミノタウロスに向かって命じると、番人の長槍の石突が二回地面を叩いた。すると、鉄扉は内開きに音もなく開いた。その先は漆黒の闇が広がり、さすがの精霊でも奥に何があるのか視認は不可能だ。
「この場面を後ろから誰か見ていないの?」
「大丈夫。木が消えた時点で、結界が張られたから」
「結界? 何も見えないけど」
「ああ、君達がさっき、結界に色があるみたいなことを言っていたけど、ないのもあるよ。これは無色透明」
「そうなんですか?」
「だって、結界の外に誰がいるか、相手の色まで知りたいときがあるじゃない?」
そう言いながらシュミットはスタスタと闇の奥へと入っていく。少し遅れて、カルラ、グロッス、ヒンメルも入っていったが、ミノタウロスは留まった。
「ちゃんと見張ってね。今度は土に埋められるんじゃないよ」
シュミットは後ろを振り返らずに、右手をヒラヒラさせながら闇に飲み込まれた。カルラも闇に足を踏み入れると、レイアもユミッチも久々の暗闇に辺りを見渡す。
「姫。意識が飛んだとき以来の闇だわ、これ」
「そうね。あんな暗い森でも景色が見えていたのに、ここには本当に何もない」
「うん。ここは、虚無の空間さ。こういうのを作らないと、人間が易々と精霊界に侵入してしまうから。奴らが建物――城の周りに作る堀みたいな物さ」
前方からシュミットの声が聞こえてくるが、トンネルの中で響く感じはしない。
「虚無って、浮いているの?」
「そんな感じかな? 天地左右の概念はないけど」
「人間が入るとどうなるの?」
「この虚無に飲み込まれて、消えるね。堀の水に沈んで行くみたいに」
「精霊は沈まないの?」
「そんな馬鹿な罠を精霊が作ると思う?」
シュミットに鼻で笑われたレイアはシュンとなって、カルラの掌の上で動かなくなった。
常闇とも思える虚無空間にいると永遠の時間をかけて歩いているような感覚に襲われるが、実際にはシュミット達は一分も歩いていない。やがて、前方にうっすらと丸い白光が見えてきて、それが徐々に広がり、シュミット達の姿が闇に浮かんだ。
「着いたよ。って、さっきも言ったか」
笑いを添えてカルラ達の方へ振り返ったシュミットは、体毛も服も前方からの目映い光を乱反射させているので、まるで光の粒を振りかけられたかのように見える。さらに歩いて行くと、白くて強い光が丸い壁のように立ちはだかる。しかし、彼らは恐れることなく、そこを通過した。
眼前に現れたのは、雲一つない青空に、起伏のない茫漠たる大草原。風が長めの草を撫でて深緑の大波を起こし、葉の香りを乗せて耳朶を打つ。カルラの髪が大きく靡き、シュミットの体毛も揺れる。
「わー、綺麗!」
「姫、見て見て! あそこに誰かがいる!」
見渡した際には草原に誰もいなかったのだが、ユミッチの声で、いつの間にか大人一人と子供四人が草原の真ん中に立っているのに気付いた。
「大精霊ヒルデガルト様と、カルラと一緒に逃げた精霊達だよ」
シュミットが解説すると、遠くにいた五人が瞬間移動して、目の前に現れた。早くもシュミットは片膝を突いて頭を垂れ、カルラは両手にレイア達を持っているので、スカートをつままないカーテシーのポーズを取る。ヒンメルもシュミットに倣い、グロッスはとぐろを巻いて頭を地に着ける。
中央に立つのは、羽衣のようなドレスを纏った丸顔で背の高い女性。亜麻色のロングヘアが風に靡き、緑眼は知的に輝き、鼻筋が通り、桜色の唇は新たな精霊を迎える喜びに微笑みを湛えている。両脇に立つのは、カルラと同じ背丈の女の子三人に男の子一人。四人とも白いドレスを着ていて、髪の色も目も色も様々だ。
空間と時間を超越した五人の登場に目を白黒させたレイアとユミッチが、大精霊と人造精霊達の五人を子細に観察していると、
「ようこそ、精霊界へ」
カルラの全身が光ったときに彼女が発した言葉と同じ声。レイアもユミッチも興奮して、光の玉が小刻みに揺れた。
「人間どもが作り上げたこの精霊はすでにご存じと思いますが、この者が持っている二人の見習い精霊は、一本――じゃなかった二本という国から参ったと申しております」
「それはそれは、とても珍しい名前の国ですね。どこにあるのですか?」
明らかに間違って伝わっていることを言葉で感じたレイアだが、訂正せずに、別の言葉ではっきりと答えた。
「異世界です」
「いせかい?」
「大精霊ヒルデガルト様。この者達と道中に話を聞いたのですが、どうも、森の外の人間界ではない世界なのだそうです」
「人間界とは別の世界があるのですか?」
ヒルデガルトは、驚きの表情を浮かべるが、目には警戒の色がなく、むしろ好奇心をそそられたようだ。
「詳しく聞かせてもらえますか? 貴方のいた世界の事を」
「はい」
緊張が一気にほどけたレイアは、上下に揺れた。




