8.見習い精霊の反撃
「本当に、カルラ達を歓迎しているの?」
「信用できないなら、その耳で聞いてみな」
グロッスが長い舌でヒンメルの尖った耳を舐める真似をすると、それを避けた彼は数歩先の巨木の幹に背中を預け、両耳の後ろに手を当てて瞑目し、聴覚に意識を集中する。森の中では囀る鳥達の声や風が揺らす木々の枝葉の音や虫の音が聞こえているが、耳を澄ますと、そこには常人には聞こえないほど微弱な精霊の声が含まれている。彼の脳内では、大多数を占める環境音を無視し、聞き取りたい精霊の声だけを拾い上げて解読している。しばらくして、瞼を開いた彼は碧眼を光らせた。
「なるほど、わかった」
「だろ?」
「聞こえてくる声は、森に逃げ込んだ精霊を追っている奴らを撃退して喜んでいる声が三分の二、残りの半分は精霊を歓迎している声、あとの残りは厄介者が来たと警戒している声」
「ほら、やっぱりカルラの事だろ? 追っ手を撃退したのは俺だし」
「でも、男の子が逃げてきたって声も聞こえたよ。あの子、男じゃないよね?」
「何? 他にも精霊が逃げ込んでいるのか? ――って話をしている間に、カルラがあんな所まで行っちまったぞ」
「あっ、カルラ! 一人で先に行かないで!」
グロッスが右方向へ向ける鼻先を視線で追ったヒンメルは、二十メートルほど先を歩く白い人影が幹の裏へフッと消える瞬間を目撃した。いくら頭の中で聞こえている声に導かれて森を歩いているにしても、その進路は安全とは限らない。ここには精霊を食らう邪精霊も潜んでいるし、現にこの森へ逃げ込んだカルラ達を厄介者扱いしている声も飛び交っているから、何をされるか分からない。不安に駆られたヒンメルが足を踏み出した途端――、
パリーン!
突然、カルラが消えた方角からガラス瓶の割れる音が響いた。血相を変えたヒンメルがグロッスと一緒に現場へ急行すると、腰を抜かして立てないでいるカルラの十メートル先に、三つの黒い人影が見えた。彼女の後頭部付近には、割れた瓶から飛び出したレイア達が身を隠すように浮いている。
カルラの前に立ち塞がっているのは黒いプレートアーマーを着用した兵士で、落ち葉を踏みながら重い足音で距離を詰めてくる。ヒンメルは今まで見たこともない異様な姿に恐怖を覚え、彼女の救出に二の足を踏んでいると、
「来ないで!」
カルラが右手から灼熱の光が放たれ、円錐状に広がりながら直進し、森の中を明るくする。中央にいた兵士が無慈悲な光の直撃を受けて煙となって霧散し、勢いが衰えない光は哀れな兵士の後方にあった木々の幹を次々と焼いて大きな穴を開けた。
「やめろ! それ以上は使うな!」
グロッスは叫びながら宙を飛び、風を切る音を残して彼女の頭上を飛び越え、剣で薙ぎ払うように頭を横へ降って二人の兵士を吹き飛ばす。彼らは大木の幹に激突して煙となり、灼熱の光の犠牲になった同僚の跡を追った。
「何です、何です、この使えない連中は?」
「お師匠さん! 気をつけてくださいよ! 俺をこんな目に遭わせたのはあの蛇ですから!」
穴を自動修復中の幹の裏からゆっくり現れたのは、右肩にヴィッセンを乗せたクーノだ。彼は右の袖に白煙が上がっているのを息で吹き消し、舌打ちをする。
「三人とも逃げた連中を精霊に掻っ攫われて手ぶらで帰ってくるから、最後の一人で汚名返上の機会を与えてやったのに、このざまは何ですか?」
この言い方では、クーノも逃げた精霊を取り逃がした失態を演じているはずだが、それは棚に上げたようだ。ヴィッセンもそれを知っていて、知らぬ振りをしている。
「いやー、さすが僕の作品は素晴らしい出来ですね。突然、木に穴が開いて服の袖を焦がしてしまいましたが、それは許しましょう」
「貴様、フクロウ野郎の飼い主か?」
「いかにも。使い魔といった方が正しいですが」
「カルラには手を出させねえぞ」
「君、顔が近いし、臭いし、ジッとしていてくれます?」
クーノが右手を挙げてフィンガースナップを響かせると、グロッスが長い舌を出したまま時が止まったようになった。
「グロッス! 大丈夫!?」
「おや、そこにエルフまで。この蛇のご主人様とか?」
「僕のグロッスに何をした!?」
「君もうるさいですね。お静かに」
またも森にフィンガースナップの音が鳴り渡り、ヒンメルが石のように動かなくなった。
「さあ、お家に帰りましょう」
「いや」
「瓶を割ったことは許します。怒らないから、おいで」
「いや」
「中にいた見習い精霊は、どこにいるのですか?」
「知らない」
「強情ですねぇ」
先ほどの兵士のようにゆっくりと近づいてくるクーノは、カルラを安心させるための笑顔が徐々に崩れ、口角は吊り上がり、目はギラギラと輝く。そんな相手にカルラが光を発射しないのは、グロッスから「それ以上、使うな」と言われたことをちゃんと守っているからだ。
緊迫した空気が漂う中、カルラの後ろでヒソヒソと話し合う二人がいた。
「ねえ、姫。何だか、体にもの凄い力が湧いてくる感じがするよ」
「私も。きっと、空気中のマナを吸収しているのだと思う」
「あいつ、やっつけられるかな?」
「よした方が良いよ。魔法の使い方、知らないでしょう?」
「念じるんでしょう? 魔法をイメージして」
「そんな本の受け売りがこの世界で通用するかは――」
「いいや、やっちゃえ! ぶっつけ本番! 何とかなる!」
「待って! 危ない!」
勇美子がスーッと浮き上がり、カルラの前に出た。
「おや、そこに隠れていましたか。カルラですか? それともレイアの方ですか?」
「燃えよ、鉄拳!」
「は?」
クーノの笑顔が驚きの顔に変化した瞬間、光の玉からカルラの灼熱の光より十倍太い螺旋状の炎が噴き出し、あっという間に彼とヴィッセンを襲った。
「力が出ない……」
急激に輝きを失った光の玉がゆっくりと落下していくので、カルラは両手を差し出して受け止めた。
「や、やりますね……」
火の魔法の直撃を食らって尻餅をついたクーノは、焼けて縮れた頭髪に指を突っ込み、焦げた服の惨状を確認する。彼の背後では、焦げたヴィッセンが気絶していた。
「立ち去りなさい。さもないと、氷の刃をお見舞いします」
やや緊張気味のレイアがカルラの前に出て、強い光を放つ。彼女は「氷の刃」と言っているが、単に勇美子が火の魔法を使ったので、次は水系の魔法をと言うことで、適当に思いついただけだ。
「ま、待て待て待て!」
「さあ、早く」
「わ、分かった! 降参する! 諦める! 城に帰る!」
「今すぐに」
「はいはい」
クーノは嘆息して立ち上がって尻に付いた泥を両手で払うと、右手を前に突き出した。
「いやはや、婆さん、なんてことしてくれたんだか。見習い精霊が準精霊並みの攻撃魔法を使えるなんて反則だ。でも、防御魔法は使えるのかな?」
レイアは、クーノの格好が無詠唱で何らかの魔法を不意打ちにように発動する構えに見えたので、思いつきで選んだ「氷の刃」を具体的にイメージした。透明ながらも少し青白く、鋼に負けない堅さで、鋭利な刃。大きさは大太刀くらい。
「おや、震えていますね? そんな小さい体で人間相手ではビビるでしょうね」
「覚悟なさい」
「強がっても無駄ですよ」
「氷の刃!」
詠唱とも叫びともつかないレイアの声に呼応して、空中から彼女のイメージした氷の大太刀が現れた。
「おお、なんか凄いのが出てきましたね。それで?」
「えいや!」
レイアが掛け声を発すると、大太刀は意志を持っているかのように目の前の敵に斬りかかった。
「うわっ! 危ないじゃないか!」
「立ち去りなさい!」
逃げ回るクーノを追いかけて、大太刀は横薙ぎに、袈裟懸けに斬りつける。
「ヴィッセン、逃げますよ! うわわわっ!! やめてくれ!!」
気絶したままのヴィッセンを逃げる途中で拾い上げたクーノは、なおも斬りかかる大太刀に恐怖の叫び声を上げて、レイア達に背中を向けて遁走した。
「助かったぁ……」
急に力が出なくなったレイアは視界が闇に包まれる。彼女はそのまま落下して、カルラが掌で優しく受け止めた。
術者がいなくなったことで呪縛から解けたグロッスとヒンメルは、カルラの掌を覗き込み、体が硬直している最中に見ていたレイア達の活躍ぶりを賞賛したが、眠る彼女達の耳には届かなかった。




