7.少年との出会い
飼い主を表明する白フクロウとの距離をジリジリと詰める大蛇は、相手が右へ回避行動を取った途端、大人を一飲みする口腔を開けて象牙のような歯を光らせ、視覚では捉えられない速さで首を伸ばす。大蛇の口を閉じる音が響き、ヴィッセンの尾羽が噛まれたが、その羽を数本抜いて窮地を脱出する。
「あっぶねー! おわっ!」
ところが、後ろから大蛇が頭を振り、バットで弾かれた白い打球は再び巨木へ激突した。敵が首を縮めて狙いを定めるまでの時間がヴィッセンにとっての余裕であったはずだが、噛み付き行動から首振りまでの有り得ない短時間が回避行動を奪う。その後、ヴィッセンは辛くも飲み込まれなかったが、息つく暇もなく、幹に叩きつけられ地面にめり込み、白い体は忽ち哀れを誘うほど汚れていく。
「畜生! 攻撃すら出来ない! なんて奴だ!」
「名前を聞きたいか? 消える前に」
「嫌だね! いったん撤収!」
「させねえよ」
地面に転がるヴィッセンが起き上がって羽ばたいた瞬間、ついに大蛇が彼を一飲みにした。雌雄を決する戦いに終止符が打たれたかと思いきや――、
「ん?」
不審に思ったらしい大蛇が口を開けると、中から白い一筋の煙が出てきて前方へ逃げていく。
「野郎。煙に化けたな」
「へへーんだ! ここまでおいで!」
声の方向を睨む大蛇は、十メートル先で白い煙が集まって再登場したヴィッセンが飛び去るのを見て、風を切る音を残して跳躍した。尋常ならぬ気配に頭を振り返ったヴィッセンは、巨体が空中を矢の如く追尾するのを見て、金色の丸い目をさらに丸くする。
「わわわっ!」
悲鳴と枝が盛大に折れる音と大蛇が落下した地響きが交じり合う。そんな光景を一部始終目に焼き付けて体が竦む幼女に、瓶の中からレイアが声をかける。
「逃げて! 今のうちよ!」
その言葉で呪縛から逃れた幼女は、逃走を開始する。しかし、十歩ほど進んだ時に、背後で地面を揺らして何かが落下した。
「おっと、どこへ行くんだ?」
狩りは終わったのか、いつの間にか大蛇が鎌首を擡げて見下ろしている。瓶を後生大事に抱える彼女は、近くの大木の裏に身を潜めてしゃがんだ。
「かくれんぼかい?」
「来ないで!」
ヴィッセンを攻撃した時と同じ要領で右手を斜めに挙げた彼女は、身を隠す幹に向かって灼熱の光を発射すると、大人の腕の太さで始まり円錐状に広がる光は堅い幹を焼きながら貫通し、さらに後ろにいた大蛇を襲う。
「おっと、危ねえな」
大蛇は魔力の気配を感じたからか、すでに体は右側に避けていて、標的を失った光は森に穴を開けて青空を覗かせた。
「そんなにマナを消費すると、消えるぞ。その体なら、あと二回ってとこだな」
「うん、そうだよ。だから、もうやめた方が良いよ」
大蛇の低い声に続いて、足音と一緒に少年の声が聞こえてきた。幼女が新たな敵に警戒して動かないでいると、緑髪碧眼で耳の長い少年が幹の裏から笑顔を見せた。見た目はエルフのような彼は、茶色い質素な服を着ていて、足袋のような物を履いている。
「こんにちは。ごめんね、僕の友達が怖がらせちゃったみたいで」
「友達?」
「そう。グロッスって言うんだ。でっかいからね」
「食べない?」
「大丈夫、こいつは君を食べたりなんかしないよ」
なおも警戒する幼女に向かって、大蛇が少年の後ろから姿を現して詫びを入れる。
「すまないな。あのフクロウ野郎が『飼っている』って言うから、これは何か事情があるなと思って、俺の獲物だって嘘を言ったのさ」
「君も精霊だろう? ちょっと魔力の波長が変わっているけど」
「フクロウ野郎も精霊だったけどな。あいつは、ちょっと邪悪な匂いがする」
「結局どうなったの?」
「逃げられた。運の良い奴だぜ、ったくよ」
彼らの言葉に安心したのか、幼女は瓶を抱えて立ち上がった。
「おや? その瓶の中にいる精霊、見たことがない輝きをしているね。何、それ?」
「精霊」
「いや、それは分かるけど」
「逃がしてあげるの」
「どこへ?」
「精霊界へ」
「ああ、なるほどね。で、ここからの行き方分かる?」
「わかる。頭の中で『こっちよ』と誰かが呼んでいるから」
レイア達は、逃走する人造精霊は、やはり何者かに導かれていたのだと納得した。
「かなりの距離あるよ。途中、危ないから一緒に行ってあげる」
「……うん」
またも迷わず歩く幼女を先頭に、少年と大蛇が随行する。
「僕の名前はヒンメル。こいつはグロッス」
「さっき、紹介したろ」
「で、君の名前は?」
ヒンメルの問いかけに、名前を付けられていないらしい人造精霊は俯いたまま無言で歩く。そんな彼女に向かって、痺れを切らした勇美子が瓶の中から「カルラ・ユング」と声をかけた。
「ちょっと、ゆみちん、何言ってんの?」
「いいじゃん、困ってるみたいだし」
「カルラ・ユング」
勇美子の言葉を復唱した人造精霊は、その時からカルラ・ユングになった。クーノから勝手に付けられた名前を譲渡できた勇美子は喜んでいて、レイアは彼女をジト目で見るのだが、端から見ると光の玉でしかないので、感情が伝わらない。
「へー、良い名前だね。で、そっちの精霊は? 名前ついてる?」
「知らない」
カルラが首を横に振るのはもっともなことなので、レイアと勇美子が瓶の中からヒンメル達に自己紹介する。
「レイア・マキシマです」
「ゆみこ・からすまです」
「ユミコ……言いにくいな。ユーリなんかどう?」
今度はヒンメルにも勝手に名前を付けられて、彼女は憤慨する。
「却下! ゆみちん、ゆみっち、どっちでも!」
「そんなに名前があるの? なら、……ユミッチだ。知り合いにボジッチって言うのがいるから言いやすい」
あくまでも異世界基準で名付けられる勇美子だが、どうやら共通点を見出せて落ち着いたようだ。
追っ手も来ない様子でゆっくり歩く二人と一匹だったが、突然、大蛇が後ろを振り向いた。
「グロッス、どうしたの? 誰か来る?」
「いや、精霊界のザワつきが始まったみたいだぜ」
「また?」
「ああ」
「今度は何だと思う?」
「それは、おそらく――」
グロッスが、グイッと人造精霊達に顔を近づけた。
「カルラご一行様の登場だからだぜ、間違いなく」




