1.ある少年のお話
「これはひとりの少年のお話。歴史に突如現れ一瞬だけ強く光って消えた、少年のお話」
パサッ
本の開く音がする。
…夢……か?
「ちょっと起きなよ、あんた誰だい?」
頭の上でそう呼ぶ声で目が覚めた。目を開けるとうっすらと古く黒ずんだ木の天井が目に入った。裸電球がぶら下がっている。
――ここはどこだ?
そう考えるや否や続けて声が飛んでくる。
「いい加減出て行きな! あんた誰だい!」
道具を持った掃除婦が、目の前で仁王立ちをして怒鳴っている。
部屋には簡易ベッドが幾つか並べられ、体格のいい男が2,3名こちらを眺めながら寝転んでいる。窓からは穏やかに風が入っており暑くも寒くない。心臓だけがバクバクと鼓動を打つ。
――自分の部屋じゃない?
何がどうなったのか理解できないまま、掃除婦にせっつかれるように2階から階段を降りた。1階では幾名かの人がたむろっていたが、よく見ると何かが変だ。
先ほどの男のように体格がいい男に毛むくじゃらの男、耳が尖った男に頭にネコ耳がある者もいる。あれは人間じゃない……
――これは夢?
混乱する自分に一人の男が話しかける。
「お前、ニンゲンか?」
その言葉にその場にいたほぼ全員の視線が自分と男に向けられた。
「…はい」
とっさに答えたのだが、その返事を境に場の空気が変わった。
「出ていけ。すぐにここから出ていけ!」
出口の方を指さしながら男が声を荒げる。一緒にいた耳の少し尖った女性が男をたしなめたが、居た堪れなくなったので言われるままに外へ出た。
そしてその光景を見てただただ驚き、言葉を失った。
建物はレンガや木材を使った中世ヨーロッパ風、道路も舗装されておらず車などもない。それはまだいいのだが、歩く人達は剣や槍、盾などを装備しており、何よりその多くが「人間」ではなかった。
耳が大きく尖った人、背が低く毛むくじゃらの男、二足歩行する顔がトカゲの様な者。自分の頬を叩き、腕をつねってみたがこれは夢ではなかった。
――何か違う世界に来てしまったのか
とにかく突然の事態に戸惑い、これからどうすればよいのだろうかと呆然となった。
情報、まずは情報だ。
右も左も分からない場所では何もできない。幸い言葉は通じるようなので手当たり次第に聞き込みをした。
だがここで思わぬ壁にぶつかる。
多くの人達が自分の姿を見ると「ニンゲンだ」と言ってまともに話をしてくれなかった。敵意をむき出しにする者や侮蔑の言葉を投げる者もいる。
その中でも幾つか分かったこともある。
整理するとまずここは【始まりの国】だということ。それに街の外にいるモンスターを倒せば幾らかの金になるとのこと。
そして自分の様な「ニンゲン」は忌み嫌われる存在だ、という事だった。
資金調達。
冷静になってしばらく考え、出した答えが生きるために必要な金の調達だった。
元の世界に戻りたい気持ちもあったが何より今、目の前に広がっている世界が「現実」でありまずはここで生きて行く方法を考えなくてはならない。実際お腹も減って来ているし、喉も乾いている。今夜、寝る場所も考えなくてはならない。
資金調達についてはモンスターを倒すのが最も確実なのだろう。ただ何の装備もなしに行くのは無謀だ。試しに装備資金のため手持ちの物を売って見ようと考えた。
とは言っても今あるのは普通の服に履いているスニーカー程度。売れるか分からないが、街で教えてもらった質屋に向かう。
街中には様々な種族の人が歩いている。稀に人間っぽい人もいるのだが違うのだろうか。幾つもの視線を感じながら教えてもらった質屋に入る。
「いらっしゃい」
中背のオヤジ、種族は分からない。ニンゲンである自分を見ても表情は変えない。広くはない店内に所狭しと様々な物が置かれている。武器に防具、使い道の分からないガラクタの様なもの。多くが埃を被っている。
「この服とか、靴とか売りたいんですが」
「どれどれ」
直ぐに履いていた靴や服をオヤジに手渡した。
服や靴を丹念に眺めるオヤジ。特に靴の方を何度も手で触ったり匂いを嗅いだりしている。興味があるようだ。
「服の方はほぼ価値なしだな。ただ靴は面白い。見たことのない素材だ」
この世界にはない人工皮革のような素材なので珍しいのだろうか。靴には金貨1枚の値が付いた。外で売られていたパンの様なものが銅貨3枚だからまずまずの高値だろう。すぐに売却をお願いした。
続けてオヤジにモンスターについて尋ねた。妙なことを聞くとやや不思議がられたが、特に顔に出すこともなく質問に答えてくれた。
街の近くにいるモンスターは比較的弱く初級者でも倒せる。ただ最低限の装備は必要。そして彼らが落とすアイテムや宝石は、街の至る所で換金できるとのことだ。
オヤジのアドバイスで革製の胸当てを購入。手頃な武器はないので近くの武器屋に行けと言われた。
最後にオヤジにどうしてニンゲンが嫌われているか聞いてみた。
「ニンゲンは敵だからだよ」
ただオヤジ自身、客に対して種族による差別はしないそうだ。商売は別、らしい。
――ニンゲンは敵
衝撃的な言葉に驚きながらも、オヤジに礼を言い武器屋に向かった。いずれその意味をちゃんと聞いてみたいと思う。
しかしこの時まだ「自分がニンゲン」であることの意味、そしてこの世を覆いつくす「別のニンゲン」の存在など知る由もなかった。