劣化の話
劣化の話
いままでなにもしてこなかったせいか(完全な自己責任である)、時を重ねて劣化が大きい(気がしている)昨今、何かしている人も当然劣化はしていくけれども、そのスピードはなだらかではないかと勝手に思っている。
そんな中で大きいのは体力なのではないかと。(もともとないが)
いままで一万歩、歩いたら疲れた、となっていたものが五千歩で疲れるようになった。日常も自転車がバス移動になり、電車で座るようになった。こんなことがチリ積もっていく。
夏休みに映画を見に出かけることが無くなった。
体力ダウンに加えて、家のなかでさえ、二時間ドラマを一気に集中して見る体力が無くなり、一時間のドラマでさえCMを挟みながらでも見る気力がなくなり、出ている役者の名前が分からなくなっていく。そのうち、顔の区別もつかなくなる予定だ。もうすでに片足、突っ込んでいる。歌手などわからないからだ。
三十分のアニメも録画でしか見れなくなり、発売日に買っていた漫画や本が減っていくか、買わずになっていく。読む気力もなくなっていくからだ。若い人は電子に移行していくのかもしれないが、そうではない自分は減っていく一方だ。
フルで音楽が一曲聞けなくなり、パソコンに向かうことも減った。机に向かうなど十日に一回でもあろうか!
そんな、ない事が増える中、便利だけは進んでいる。
ドラマもアニメも録画が出来るようになり、ためて置けるようになりDVDが一枚、二枚と重ねて置いて行くうちに恐ろしいことになっている。
そんな日々の中、気力を出して三日に別けて全十二話のドラマを頑張って見たのだが、七年前のものだった…。出ている役者の若い事!(それは当然)
見ただけでも褒めたい。その一話に一時間も本編はない、CMも入っている、実質四十分位を十二回、それを見ている間に次の録画が増えて行く。減らない。だが、時間もだが、気力は確実に使った。
メモも紙だったものが携帯のおかげで便利になっている。どこかにメモ用紙が無くなってしまうことも無く、文字の間違いも減り、手間も減っている。なのに、これを整理整頓して打って、載せるだけの気力が無い。(これを書いている間も不安しかない、話がまとまらず、他に書きたい話が浮かび、完結しないまま日々が過ぎているからだ)
便利になっても、ならなくとも体力も気力も視力も聴力も減っていく中で、同じ年齢の努力している人を見て、自分も頑張ればできるはずだと自分に言い聞かせ、何もしていない自分の耳をふさぎながら、ごまかしながら生きて行くのだ。
自分よりも先を歩いている人を見て、自分の劣化の道は遅かれ早かれ、何事も無ければこうなるはずだと思いながら、勝手に起こるであろう便利にぶちぶち文句を付けながら、書こうというガッツを奮い起こしている。