腐令嬢、忘れる
――ねえ、もしかして落ち込んでる?
うん……おちんこでてる。
――ちょっと、下品なことを言うのはやめなさいよ。まがりなりにも一爵令嬢でしょう?
違うもん。私、そんなんじゃないもん。ただの美大生だもん。BL好きなだけの腐女子だもん。
――いいえ、違わないわ。あなたはクラティラス・レヴァンタ一爵令嬢よ。
私には無理だよぅ……もうどうしていいかわかんない。
――…………死ぬことが、怖い?
静かに問われて、私は少し考えてから小さく首を横に振った。
死ぬのは嫌だ。
でも死ぬよりももっと、怖いことがある。
――大丈夫、大丈夫よ。私がついているわ。私だけじゃない。彼もあの人も。
彼? あの人?
――私が励ます側になるなんて、おかしな感じね。いつも助けられてばかりだったのに。
ふふっと含み笑いが耳を打つ。それを聞くと落ち着くような、落ち着かないような複雑な気持ちになった。
――だったら、元気の出る話をしてあげる。
ほう? 大したことじゃなかったら許さんぞ。
――実は私ね、今度…………。
「ええっ!? マジで!? すげえじゃん!!」
思わず私は飛び起きた。
「うるさいわねぇ……にゃんにゃにょよ、んもぅ」
プルトナがもそもそ文句を垂れる。ついでに爪を引っ掛けて、私が跳ね除けた掛け布団を自分の身に寄せた。相変わらず部屋の主を差し置いて、デブーンとベッドの真ん中を陣取っていらっしゃる。
いつものように隅に追いやられた状態で、私はデブ猫の皮を被った自称精霊がベッドを占領する光景をぼんやり眺めていた。が、すぐ我に返る。
ん? 私、何に驚いたんだ?
夢の中で誰かと話していたような気がするけど、どんな夢で相手は誰だった? その相手に、とんでもないサプライズ発言をされた――ような。
ついさっきまで見ていた夢だったはずなのに、何も思い出せない。それどころか、どんどん記憶が曖昧になってフェードアウトしていく。
だけど気持ちだけは妙に明るくなっていた。昨日までは刻一刻と迫る死の未来に焦って、ひどく滅入っていたのに。
何にせよ、気分が上がったことはありがたい。
だって今日は、高等部に入って初めての卒業式――二年後にクラティラス断罪が起こる、節目の日なのだから。
一年のこのイベントでは、攻略対象の一人であるヴァリティタが卒業を迎える。そのため学校イベントからは消えるけれど、この日以降は彼だけ特別に文通という機能が開放される。
その素敵ツールで文才が高いというヒロインの特技を発揮して、こまめにコミュニケーションを取りながら好感度を上げたり、お出かけイベントにお誘いしたりできるっちゅーわけ。
しかしなぁ……お手紙の内容も選択式だったけど、ろくな文面じゃなかったんだよね。
『ヴァリティタ様、お元気ですか? あたしは最近怒涛の竜巻に巻き込まれ、跳ね飛ばされつつも激しい轟音をBGMにして共に巻き込まれた草木達と軽やかに舞い、大自然の大いなる力を全身で堪能しました。とても楽しく貴重な経験ができました!』
『ヴァリティタ様、ヤッホー! ううん? 聞こえないぞ? ヤッホー!! やっぱり聞こえない。ヴァリティタ様との距離を実感して、寂しいです……ってこれ、手紙でしたっけ! そりゃ聞こえませんよね! うっかリゲルしちゃった、テヘタハー♡』
『我はリゲル……文字を編み、言葉を伝え、思いを届けし者…………。手紙が、ほしいか……? ならば求めよ……さすれば与えられん……』
江宮が初めての手紙の選択肢を覚えてて、ノートに書いてたのを見たら確かこんなような感じだったな。
私も何となくひどかったのは覚えてたけど、改めてテキストにおこして読み返したらひどいとかのレベルじゃなかったよね。他にもおじさん構文みたいなのとか厨二丸出しの謎ポエムとかあって、文才とは? ってゲームプレイしながら何度も首傾げたもん。
しかしゲームと違い、ヴァリティタ・レヴァンタはこの日卒業しない。壇上のお兄様は卒業生代表として答辞をする代わりに、在校生代表として送辞を行っている。
お兄様――ヴァリティタ・レヴァンタは続編のラノベの主人公。だからお兄様がこの学校に留まろうと悪知恵を働かせたとしても、世界の力が無理矢理にでも卒業させるかと思ってた。
うーん……私にはクソふざけたド汚え手を使ってまでアステリア学園高等部に行かせたのに、お兄様の二年もの留年は放置ってズルくない? お兄様がここで卒業する必要はなかったってことなのかな?
確かに物語が始まるのは、リゲルが卒業してイリオスと結ばれてからだけど、納得いかねーったらありゃしない!
地味にイライラしながら卒業式を終えると、私は在校生による卒業生の見送りをそっと抜け出して、とある場所に向かった。
桜並木に彩られ、校門へと続く花道とは正反対の校舎裏。やや拓けたところに、古くて大きな桜の木が一つだけ鎮座している。
ここは二年後、リゲルが最も好感度の高い攻略対象者に呼び出される場所。そしてクラティラスがこれまでヒロインに施した悪行を暴露され、イリオスに婚約破棄を申し渡される断罪の場所だ。
いつでも行ける場所ではある。だけど私は今日というこの日に、この場所を訪れておきたかった。
しかしそこには、既に先客がいた。