腐令嬢、我忘れかける
「…………クラティラス様も、ヴァリティタ様に会いに行こうとされていたのですね?」
「ええ、今しかないと思って。でもまさか、ネフェロも同じことを考えていたとは思わなかったわ」
後部座席に乗せられた私は、車の運転をするネフェロに気付かれないよう、やや腰を浮かせた状態で答えた。
だってあなた、ネフェロが運転する姿を見るなんて初めてなんすよ?
真剣に正面を見据える麗しい横顔を拝みたいじゃない? バックミラーやらサイドミラーやらに鋭い眼差しを送る度にドキッとしたいじゃない? あの繊細な手でギアチェンジする様に萌え萌えしたいじゃない?
あー、やっぱ助手席が良かったなぁー! 運転は慣れてないから後ろじゃなきゃ危なくて乗せられないって言われて我慢したけど、もっと粘るんだったぁー!!
「クラティラス様、身を乗り出さないでください。ちゃんと座ってくださらないなら、お家に戻りますよ?」
白熱するあまり、腰を上げすぎたらしい。バックミラー越しに気付かれたか、荒ぶりすぎた鼻息を浴びせたせいでバレたのか、ネフェロに注意されて私は渋々座席にお尻を乗せた。
「それにしても、真面目一直線のネフェロがこんなことをするとは思いもしなかったわ。屋敷を抜け出すだけならまだしも、こっそり車まで借りてきたなんて」
見たことのない車種だったので聞いてみたらば、この車はレヴァンタ家の所有しているものではなく、ネフェロが自身で業者からレンタルしたのだという。
この世界では、車はほとんど貴族しか使わない高級品だ。なので一日だけのレンタルとはいえ、それなりの料金を支払わねばならないと思われる。
けれどネフェロは、アズィムに怒られる危険をおし、さらには大枚はたいてまでお兄様の元へ行こうとしたのだ。
「ネフェロは昔から、お兄様お兄様だったものね」
これまでのネフェロによるお兄様溺愛行動の数々を思い出し、私は大きく吐息をついた。
「おかげで私はいつもお兄様の次、いいえ、次の次の次の次くらいだったわよね。扱いも全然違うし、どうしてお兄様ばかり! って嫉妬したこともあったんだから」
「誤解なさらないでください。私はクラティラス様のことも、心から慕っております」
子どもじみた私の愚痴にも、ネフェロは生真面目に答えた。こういうところがネフェロの長所であり短所でもあるんだよねー。
そうさ、オイラは一目見た時からヴァリティタ一筋さイエア☆ってくらい、たまには砕けてくれても……。
「私には、弟がいたのです」
しかし続けて吐き出された告白に、私のチャラネフェロ妄想は瞬時にかき消えた。
だってネフェロが自分の過去について語ってくれるなんて、初めてだもん!
「とても利発で活発で、けれど悪戯好きで私を困らせることも多くて……そういうところが、ヴァリティタ様に似ておりました。ですから、つい重ねてしまったのでしょうね。私は二度と会えない弟の面影を、ヴァリティタ様に見ていたのです」
二度と会えない。その言葉はやけに重く、どういう意味なのかと尋ねる気にはとてもなれなかった。
「といっても、最初の頃だけですよ? ヴァリティタ様はもう弟の面影など欠片も見られぬまでに成長されて、立派な紳士になられましたから。現在はどちらかというと、クラティラス様に弟を感じることが多いです」
「へ? 私?」
こちらに振られるとは思っていなかったので、私は半分裏返った間抜けな声で問い返した。
「重ねるというのとは、少し違うのですが……彼と今も一緒にいられたら、クラティラス様との日常のような日々を過ごせていたのではないかと夢想するのです。クラティラス様ときたら、もうすぐ成人なされるとは思えないほど子どもで、令嬢とは思えないほどお転婆で……いつまでも天真爛漫で、いつも私はペースを乱されて」
そこでネフェロはふふっと、聞こえるか聞こえないかといった小さな笑いを漏らした。
「言っておきますけれど、私はルーグ……いえ、弟に大声で怒ったり、拳骨を落としたり、頬を抓って黙らせたりなどといった暴力的な行為は一切したことがありませんからね? こんな荒っぽいことをしてしまうのは、クラティラス様のせいです。こんなことをするのは、クラティラス様に対してだけです」
嫌な特別扱いだなぁ。殴るのは君だけだよって、モロにヤンデレ攻めじゃん。しかし暗黒ネフェロが実在したと思えば、萌えなくもない……かも?
「けれども…………あの子と時を重ねることができていたら、今の私とクラティラス様に近い関係になっていたのかもしれません。大切で愛おしいからこそ、本気で怒って本音を見せられる。クラティラス様は、私が想像もできなかった成長した弟を見せてくれるのです」
ぽかーんと、私は口を半開きにしたまま固まった。
おいおい、今すんげーさらっと『大切で愛おしい』っつったよな? もちろん、私のことだよな? ネフェロに本気と書いてマジでボコられてるのって、私だけだし!?
「クラティラス様、到着しましたよ。……クラティラス様?」
車を停めたネフェロが私の名を呼ぶ。しかしこちらは、それに応えるどころではなかった。
っかーーーー! ネフェロがデレやがったぞーー! 滅多に起こらない超絶萌え案件ぞーー!
大切で愛おしい……この声、クラティラス、覚えた! 二度と忘れないよう、脳内リピートしまくりんぐ! そんで物真似極めて、皆に披露して萌えの輪を広げりんぐするのだーー!!
突然投下された過度の萌え摂取による副作用で足腰が立たなくなった私は、ネフェロの介助を受けてやっとの思いで車から降りることができた。
危うく当初の目的を忘れて、とっとと家に帰ろうって言い出すとこだったよ……だってネフェロの前で本人物真似の練習しながら、それを嫌がる表情をスケッチしたみがスパーキング寸前だったもん。ネフェロモン、まじヤバみがエグい。