腐令嬢、賭ける
九月最終の日曜日、体育祭当日は清々しいほどの秋晴れとなった。
私にとっては、アステリア学園に入学して初の運動会。しかし私よりも、付き添いでやって来たネフェロの方がウキウキで、ずっとニコニコ笑顔だ。
聖アリス女学院の体育祭にも毎年来てくれていたけれど、お遊戯会に徒競走をプラスしたような半日で終わるプチイベントだったからね。お弁当の献立を考えたり、お父様に頼み込んでカメラを借りて使い方を学んだりと、ネフェロはこの日のために相当気合を入れてたよ。
でも、ネフェロがこんなに嬉しそうなのには、もう一つ理由がある。今日の体育祭には、お兄様も来るのだ。
もちろん目的は、妹ではなくて婚約者のサヴラの応援なんだけれど。
ちなみにネフェロは今、お兄様の世話係を外されて私専属になっている。というのも、お兄様が十五歳の成人を迎えるとすぐ、アズィムがその役割に就くことになったせいだ。現在お兄様は学業に加え、アズィムの指導の下、レヴァンタ家を継ぐ者としての教育を受けている。
しかし世話係として接することはなくなったものの、ネフェロはお兄様と今も仲が良いらしい。妹である私を始め、両親にも心を開かなくなったお兄様にとって、ネフェロはレヴァンタ家で唯一気を許せる相手のようだ。
なのでお兄様は、ネフェロにはいろいろと話していると思われる。ネフェロは何も言わないけれど、わざやざお兄様から聞かずとも私達の関係については勘付いているはずだ。だからこの運動会をきっかけに、私達兄妹がまた仲良しに戻れば、と考えているのかもしれない。
……ってのは建前で、単に久しぶりにお兄様とお出かけできて嬉しいだけ、のような気もする。だってネフェロってば、朝からずっとご機嫌でお兄様のお側にべったりなんだもん。
ヴァリ✕ネフェ推進派としては妄想が捗るから眼福だけど、家族としては正直ちょっと複雑な気持ちになるなぁ。
ネフェロの次によく話すのはアズィム、その次がステファニといった具合なんだもん。私との仲の回復は諦めるとしても、せめて反抗期が過ぎたら、お父様とお母様にまで冷たく接するのはやめてほしい。二人共、お兄様のことを心から心配しているみたいだから。
保護者達の見学用の区画で、多くの者の中にあっても一際目を引く麗しい美男子コンビの方を見ないようにしながら、私は開会式や柔軟体操に集中した。アンドリアの姉上であるイスティアさんが絶えずキエエエエ! と奇声を発していたけれど、それも聞こえないフリをした。
あの方、アンドリアと同じでイケメン好きなんだ……今日もネフェロが来ると聞いて、妹を応援するという名目で参加したんだろう。けど今からあんだけ叫んでたら、後半まで保たなさそうだな。
ちなみに色分けは奇数クラスが赤組、偶数クラスが白組となっている。五組の私は、赤組だ。
運動会とは競技を楽しむイベントであって、勝ち負けに拘る必要はない。しかし、そういった考えでない者もいる。
その代表が、徒競走でたまたま同じ組になったサヴラだ。
「あなたなんかには、負けませんからね。あたくしはこの日のために、夏休みは特訓していたのよ。目にものを見せてやりますわ!」
と、グループ分けをされるや、このように敵対心剥き出しで挑んできやがった。
合宿の一件については、私からもサヴラからもあれ以降は全く触れていない。ついでに言うと、口を利くのも合宿以来初めてだ。
挨拶しても無視するし、教科書を借りに行ってもスルーされるしで、彼女なりに反省しているだろうという期待は見事に打ち砕かれた。あれからも、私への敵意をずっと熟成させていたらしい。
サヴラは六組、敵の白組である。だったら、こちらも手加減無用。やったろうじゃないの!
「いいわよ、何を賭ける?」
不敵な笑みで、私はサヴラを迎え撃った。するとサヴラの翡翠色の目が揺らぐ。
「あら、何も賭けずに勝負するつもりだったの? リスクを負わずに戦おうなんて、あまりにヘタレすぎるのではなくて?」
追い打ちをかけるように、挑発的な口調でさらに私は煽った。
サヴラはぐっと淡紅色の――ロイオンに似合うと勧められた色に近いリップを塗ったくちびるを噛み、それから小さな声で告げた。
「…………を」
「え、何? 聞こえない」
「…………ヴァリティタ様を」
想像だにしていなかった人の名前を認識すると、今度は私が固まった。
「あたくしが勝ったら、ヴァリティタ様には妹としても気安く接しないで。代わりに、あなたが勝てば……」
そこでサヴラが、言葉を止める。しかし何故か、私もその先を言わせてはならない、と強く感じた。
「わ、私が勝ったら、パスハリア家で毎年開催される新年の宴に、お兄様の招待を控えていただく、というのはどうかしら? これからずっとではなくて、来年だけでいいの。たまには私も、家族水入らずで新年を過ごしたいのよ」
私の提案に、サヴラは何とも形容し難い不思議な表情をした。ホッとしたような納得いかないような、消化不良感に満ちた顔の裏で、彼女が何を考えていたのかはわからない。
けれどサヴラは静かに頷き、私から前方に目を向けた。
スタートラインは、もう間近。
妖精に例えられるほど美しい彼女の横顔には、決して負けぬという強い闘志が燃え滾っていた。
「位置について! 用意……スタート!」
笛の音と共に、私とサヴラは駆け出した。
サヴラに乞われるまでもなく、既に兄妹仲は他人以下に冷え切っている。なのでお兄様が家にいたところで、私と共に新年を祝うなんてありえない。
この上なく不毛な願いを賭けて、私達は我先にとゴールを目指した。