腐令嬢、並走す
「って、何であんたまで付いてくるの!?」
「わ、わかりません! でも、こうしなきゃならないと思ったんで!」
何故か同行してきたファルセと並んで走りながら、私は吠えた。
「ウッザ! どうせリゲルのダークサイドに引いて、逃げてきただけじゃん!? 可愛いだけの女なんか、この世にゃいねーんだよ! バーカバーカ! 世の真理を早めに知ることができまちたねー! 良かったでちゅねー!」
「はいはい、そうっすねー! 第三王子殿下のご婚約者でいらっしゃるレヴァンタ一爵令嬢がその代表っすもんねー! サッカーばかりで恋愛事には疎かったので、とーっても勉強になりました! どーもありがとうございますぅー!」
「何だと、この野郎! 遠回しに嫌味でディスってんじゃねーぞ! アステリア王国王子三人衆に、鞭と蝋燭と拘束具で痛ぶられて喜ぶお前の絵を描いてバラまいてやろうか、ああん!?」
「嫌味じゃないって! まあ、それもちょっとはあるけど……いや、マジで心から感謝してますってば! つうか何すか、その恐ろしい妄想!? そんなものバラまいたら、俺だけじゃなくてレヴァンタ家も無事に済まないっすよ!? どっちがバカなんすか!」
言い合いをしている内に緊張が解けてきたようで、ファルセの口調は大分砕けたものになっていた。
そうそう、ゲームでもこんな感じだったよね。まあ、ヒロインとはここまで荒々しく言い争うことはなかったけど。
「ところでさー、何でリゲルをダンスに誘おうとしたの? 接点なんかあったっけ?」
「接点ってほどじゃないけど、部活の時に飛んでったボールをオーバーヘッドキックで返してくれたことがあるんっすよ! それが弾丸シュートみたいなすげえ勢いで、受け止めた瞬間に心を持ってかれたんす!」
恐らく、我が部で時折行う男子の部活を眺めて楽しむ『屋外活動』の際のことだろう。その時私は他の部を回っていたため、その場面に遭遇しなかったと思われる。サッカーやバスケを見ると、ハンドボール熱が疼いて男子を愛でるどころじゃなくなるからね。
というか、リゲルに惚れたきっかけはキックかよ……つくづくサッカーバカなんだなぁ。
「オーバーヘッドキックくらい私でもできるし、イマドキ女子なら珍しいことでも何でもないよ? そんなんで惚れてたらキリないわ」
「えっ、そうなんすか!? イマドキの女子は、誰でもオーバーヘッドキックできるのが普通なんすか!? うっわー、知らなかったっすーー!!」
大いに感心してるので『ごめん……ちょっと盛った、誰でもできるわけじゃない』とは言い出せず、私はファルセから目を逸らして誤魔化した。
「サッカーが好きなのはいいけど、サッカーしか知らないのはもったいないと思う。もっと視野を広げたら? 例えばアンドリアだけど、あいつのテニスは凄まじいぞぉぉぉ……本気で戦ったら、世界獲れるレベルだからね!」
これは、断じて盛っていない。
一度アンドリアとテニスで対戦したのだが、豪速球のサーブに凍り、打ち返そうにもどのショットも重くて腕は痺れ、スマッシュが落ちた芝生は無惨にも焼けて穴が空いていた。
恐ろしいのは、これだけ凄まじい球を放つくせに『とてつもなくノーコン』という点だ。
アンドリアさえその気になれば、世界を獲れると思う。テニス界で、ではなく武力的な意味で。
「レヴァンタ先輩の言う通り、かもしれないっすね。サッカーばっかで、他のことが見えてませんでした。マリリーダ先輩の気持ちを、少しも考えてなかったです。彼女は俺のために、あんなふうに突き放してくれたんですよね……ひどく悩ませてしまったのに、それすら飲み込んで」
二年生の教室がある棟に到着すると、我々はアンドリアのクラスがある三階を目指した。
アンドリアはそれほど行動範囲が広くない。なので教室で迎えが来る時間まで待機しているだろうと踏んだのだが――私の予想は大当たりだった。
二年二組を覗いてみれば、窓際の席にブルーアッシュの縦ロールがぽつんと座っている。灯りの点いていない教室内で夕陽の逆光が映し出すその姿は、薄く香り始めた秋の空気よりも物悲しく物寂しげだった。
私はファルセに待機を命じ、一人だけで教室に入った。
「アンドリア」
声をかけると、アンドリアの身がびくりと揺らいだ。が、窓の方を向いたまま振り向かない。
「アンドリア……いいのよ。私の前では本音を隠さないで。あなたがどんな理不尽なことを言っても、全て受け止めるわ」
「うっ……クラティラスさぁぁぁん……!」
肩に手を置いて優しく説いた私に、アンドリアはやっと泣いてボロボロになった顔を見せた。
「わ、私……本当は、嬉しかったの。異性に好意を抱かれるなんて初めてで……悩んでいると言いながら、すごく、浮かれてたの。会ってみたら想像以上に良い子で、こんな素敵な男子とダンスを踊れるなんて……と、夢見心地になってしまったの」
グレーの瞳から大粒の涙を零しながら、嗚咽混じりに言葉を吐くアンドリアを、私はそっと胸に包み込み、抱き締めた。
「夢見心地になるのは当たり前よ。だって、女の子だもの。素敵な人に求められれば、誰だって有頂天になるわ」
「でっ、でも……私じゃなかったぁぁぁ! 私じゃなくてリゲルさんだったぁぁぁ! リゲルさんは私なんかより可愛くて、優しくて、感性も豊かで……私なんか、選ばれるわけなかったのよぉぉぉ! 勘違いして喜んでいた自分が恥ずかしくて、消えてしまいたいのよぉぉぉ!!」
彼女の叫びは、制服に吸い込まれてくぐもった音声となった。けれども距離が近い分、その声は私の身に深く染み入った。