腐令嬢、凄む
「ええと、あの、私にお手紙をくださりましたわよね?」
アンドリアもおかしな空気を察知したのか、躊躇いがちにファルセに問い質す。するとファルセの健康的に日焼けした顔が、みるみる内に蒼白していった。
「えっ……あ、ま、間違えた? 俺、うっかり下足箱を、間違えた、みたい、です……」
「はあ!? 間違えたって、何!? 何やらかしてんの!? バカか、てめえは!」
先輩の面も令嬢の面もかなぐり捨てて吠え、私はファルセに掴み掛かった。
「すみませんすみません! 遠目だったんで、しっかりと確認できなかったんですっ! 俺が手紙を出したのは、淡い茶色の肩くらいの髪に金色の目の……!」
「…………リゲルさん、ですわね」
怒りの悪役令嬢に凄まれて焦り狂うファルセに、アンドリアは静かな声で告げた。
「リゲル・トゥリアン、二年五組の生徒ですわ。そちら、クラティラス・レヴァンタさん……ああ、第三王子殿下のご婚約者ですから、彼女のことはご存知のばずよね。失礼しました。クラティラスさんとも仲良くしている方よ。リゲルさんなら恐らく今、この部室にいるでしょう。彼女は我々の部活『花園の宴 紅薔薇支部』の副部長ですから」
それから彼女は制服のポケットから例の手紙を取り出すと、ファルセに差し出した。
「今度は、ちゃんとお渡しなさい。間違いのないよう、自分の手で」
ファルセはそれを受け取り、アンドリアを暫く見つめてから恐る恐る口を開いた。
「あ、あの……本当にすみま……」
「謝らないで!」
私も驚くほどの鋭さで、アンドリアは彼の言葉を遮った。
「私に謝罪など不要です。こんな愚にもつかない些細なことで、二爵子息が頭を下げるなんて以ての外よ。もしかして、勘違いさせて傷付けてしまったとでも思っているのかしら? だとしたらそれは思いやりではなく、私を侮っているだけよ。バカにしないでちょうだい。この程度のこと、私は何とも思っておりませんわ」
令嬢らしい毅然とした物言いに、私は聖アリス女学院初等部の頃の彼女を思い出した。
アンドリアはサヴラと同じく、良い意味でも悪い意味でもプライドの高い子だった。BLを知ってからはそれをみだりに振り回したりせず、また身分の低い者を見下すような真似もしなくなったから、うっかり忘れかけていた。
彼女は誇りを失ってしまったわけではない、ということを。
誰にも見せなくなっただけで、アンドリアは二爵令嬢として――いやそれ以上に、誰よりも自分自身に誇れる者であろうとしていたのだ、と。
「これも何かの縁でしょうから、私もあなたの恋がうまくいくよう祈っております。リゲルさんは、とても良い方ですわ。けれど、彼女を傷付けるようなことがあれば今度は許しませんので、心しておいてくださいませ」
アンドリアに応援宣言をされても、ファルセは青い顔のまま呆然と佇むばかりだった。
「クラティラスさん、私はお先に失礼します。私がいては、彼もお話ししにくいと思いますので。周りの皆も手紙のことは知ってますし、気を遣わせてしまっては申し訳ないですから」
ふっと力が抜けたように微笑んでみせてから、アンドリアは走り去った――りせず、優雅に一礼して美しい歩き姿で階段の方へと戻っていった。
彼女の姿が廊下から消えると、ファルセはほっとしたように吐息を漏らした。
「よ、良かった……怒っていらっしゃらないようで安心しました。まさか、マリリーダ二爵令嬢に間違えて手紙を渡してしまうなんて」
確かに、アンドリアは怒ってはいないようだった。けれども……。
「ええと、それで……リゲル・トゥリアンさん、でしたか? 今、こちらの部室にいらっしゃるんですよね?」
そわそわとした様子で、ファルセが部室の扉に目を向ける。その瞬間、私は再びファルセの制服の胸元を引っ掴んだ。
「お前、マジでふざけんなよ? こんなとんでもないことやらかしたくせに、まだリゲルを誘おうなんて思ってんじゃねーだろうな?」
低い声で凄むと、ファルセは頬を引き攣らせながら弁明した。
「だだ、だって、ここで引き下がるのは男としてどうかと思います。マリリーダさんも背を押してくださったことですし……」
彼の言葉を聞くや、私の中でついに怒りが爆発した。
「バカじゃないの!? アンドリアはお前に手紙もらって、死ぬほど悩んでたんだよ! 熱を出して、学校まで休むくらいに!」
ファルセの端正な顔から、表情が消える。構わず私は続けた。
「男として? 面と向かって誘うこともできなかったくせに、笑わせんな! この期に及んで男を気取ってんじゃねーよ、ヘタレ! 女の子を傷付けて、それにも気付かずに別の子にホイホイ行くような奴なんか男でも何でもねーわ! お前にゃ当て馬役すらもったいねーよ! チンチラ以下モブ以下の、集合絵でもハブかれる完全スルー案件だ!」
私の盛大な怒鳴り声を聞き付けたのだろう、誰かが部室の扉を開けた。そこから顔を覗かせたのは――ファルセの想い人であるリゲルだった。
「クラティラスさん、ヘタレな当て馬がホイホイとチンチラやらモブやらに手を出した集合絵がどうとか叫んでましたけど、何かありましたか? あれ、その人は…………はっ、まさか百合の刺客!?」
途端に敵意を剥き出す彼女に、私は毒気を抜かれてファルセから手を離した。
「尋問したところ、百合の刺客ではないと判明したわ。大丈夫よ」
「なぁんだ、それなら良かった。今から文化祭の準備をしていると奴らに知られては、計画が台無しですからねっ! 腐腐腐……今年こそ奴らに目に物見せてやりましょう」
胸を撫で下ろすと、リゲルはニタァと邪悪な笑みを浮かべた。見惚れていたファルセが凍る。
あなたの方は本性を知られて、可愛い顔も一目惚れ要素も台無しにしているようですけどねっ!
私は溜息を吐き、ファルセに向けて冷ややかに告げた。
「あとはご勝手に。あなたの仰る『男』とやらを、どうぞ貫いてちょうだい」
ファルセが、ちらりと横目にリゲルを見る。リゲルが軽く小首を傾げたところで、私は背を向けた。
「アンドリアは、今日は部活を休むそうよ。ひどく具合が悪そうだったし、心配だから迎えの者が来るまで私が側に付いているわ」
「アンドリアさん、ここ最近ずっと不調でしたもんね……了解しました、部活のことは任せてください!」
心強いリゲルの声が、私の背中を押す。そのまま、私は走り出した。きっと一人で落ち込んでいるであろう、アンドリアの元へ。