腐令嬢、紙の世界へ行き損ねる
蝉の合唱ライブは、これからも暫く続くらしい。そして熱いステージを彩るスポットライトみたいに降り注ぐ、痛いほど肌を刺す厳しい日差しもまた、まだまだ弱まる気配はないようだ。
二学期が開始すると、私は体調管理に気を配って無理せず無茶せず無謀に及ばず、できるだけ大人しく過ごした。去年のようにアステリエンザにだけはかかりたくなかったので。
だって、今年こそは体育祭に出たいんだもん!
アステリア学園中等部の体育祭は九月半ばに行われる。球技大会のない高等部では、ゲームと同じく十月の開催だ。競技内容は前世で経験した運動会とほぼ同じ。しかしラストの項目に、乙女ゲームのイベントならではの男女ペアで踊るダンスがある。よく少女漫画なんかで見る、おてて繋いでくるくるするやつな。
そんなもんに時間割くくらいなら得点になる競技を加えてくれれば良かったのに、とは思うけれど、私の個人的な本音はさておき、アステリア学園の体育祭のダンスには実はとある風習がある。中等部高等部に共通して『男子は気になる女子に、前もってダンスの予約をする』というものだ。
ゲームでは、ここで一定レベルの好感度を上げた攻略対象から申し込みがあり、当日に踊るか踊らないか、相手が複数人の場合は誰と踊るかを選ぶという方式だった。
私?
もちろん誘いなんざ一つも来てねーよ。ここで第三王子を押し退けてアタックしてくれる勇者が現れたら、喜んでそいつの手を取って魔王イリオスを退治に行けたっていうのに現実は厳しいものなのですわ。
不安だったのが、リゲル。
ダンスの申し込みが殺到するあまり、この世界が回線落ちするんじゃないかとまで心配していたけれど、彼女も私と同じで予約ゼロ件だった。実に意外である。
「意外って……お誘いがないのが普通ですよ。だって『自分と踊ってほしい』って伝えるということは、愛の告白をするも同然でしょう? 特に仲の良い男子もいませんし、いたとしても敢えてあたしなんか選びませんって。大体、今時いちいちそんな回りくどい方法を取る人なんています? その慣習が始まった時代では、そういった奥ゆかしさが美学だったのかもしれませんけれどね」
リゲルが指摘した通り、ダンスの申し込みはほぼイコール告白と変わらない。なのでそれを行動に移すということは、余程の勝算があるか、お近付きになるための一歩として自分の存在をアピールしたいかのどちらかとなる。
前者はともかくとして、後者はかなりの危険が伴う。存在と共に好意まで伝えるわけだから、スルーされれば大きな痛手になるもんね。
だったら廊下の曲がり角で待ち構えてボディアタック食らわせて知り合う方が楽だし、手っ取り早いよなー。
そんな会話をリゲルと交わしたことも忘れ、『紅薔薇支部』の部活動に勤しんでいた時だった。
「ねえ、トカナ。同級生のファルセ・ガルデニオという方はご存知?」
部室でアンドリアが後輩のトカナに向けてその名を口にした瞬間、絵を描いていた私は手にしたペンごと前にのめり、机に頭を盛大にぶつけた。
「クラティラスさん、どうしました? 妄想に萌え滾るあまり、紙の世界に入ろうとでもしたんですか?」
リゲルが心配そうに私の顔を覗き込む。今の今まで、ステファニが怯えるほどヤンデレを極めたイリオスネタを語っていたとは思えないほど可愛い。
が、今はそのギャップに目眩を感じて平衡感覚失くしてる場合じゃない!
「ファルセ・ガルデニオなら、クラスは違うけれど知っていますよ。サッカーがすごく得意で、既にプロリーグに声をかけられているという噂もある子です。おまけにすごくカッコイイから、同級生だけじゃなくて上級生も騒いでるので有名ですよ」
…………やっぱりかーー!!
トカナの答えを聞いて、私は心の中で叫んだ。
ファルセ・ガルデニオ、我々の一つ年下となる後輩。
類稀なるサッカーの才能に恵まれたスポーツ少年で、ホワイトに近いベビーブルーの短髪とマリンブルーの瞳が爽やかなイケメンだ。加えて、二爵家子息と家柄も申し分ない。
何故、この私が彼の情報をこんなにもよく知っているのかって?
そう――――ファルセなる人物もイリオス、お兄様、ハニジュエ改めデスリベと同じ、ゲームの攻略対象だからだ!
ヒロインのリゲル・トゥリアンは高等部の入学式が終わった後、広い校内を一人で散策している内に迷ってしまう。それを助けるのが彼、ファルセ・ガルデニオ。そこから二人は顔見知りとなり、中等部と高等部に分かれた身でありながら交流を深めていく。
ファルセとヴァリティタは、学年イベントに参加できない分、攻略の難度が高かったんだよね。
といっても最高難易度を誇るのは、イリオスだけど。他の奴より選択肢が多くて、しかも選択によってはマイナスもデカいから好感度が上がりにくいの。他の奴の好感度にも大きく左右されるし、無難な発言も曲解して受け取ったりするし、本当にクソ面倒臭いキャラだったわー。どこぞのクソオタイガーな誰かさんと同じで。