腐令嬢、立ち直らせる
「聞いて、ロイオン。家柄はどうにもできない。好きになった人と結ばれないのが、私達貴族に生まれた者の宿命よ」
自分で言っておいてアレだけど、我ながら痛い言葉だ。
好きな人と結ばれないだけならまだしも、私は数年後に死ぬ。決まったルートでしか生きられない宿命は、最早呪いと変わらない。
それでもロイオンは私と違う。彼にはまだ『未来』がある。だからこそ、足掻いてほしいと思った。
「でも大人の真似をして気持ちを殺すのは、まだ早いわ。私達には、いいえ、誰しもに今を楽しむ権利がある。だって、心だけは自由だもの。なのに自分を嫌って、閉じ籠もって何もかも諦めてしまうなんて、勿体ないわよ。それならサヴラみたいに自分を懸命に磨いて、無謀でも諦めずに挑戦する方が有意義だと思わない?」
「サヴラさん、みたいに……」
微かな声で呟くと、ロイオンは握られていなかった反対側の手を恐る恐るといった感じで私のそれに重ねた。
「あ、ありがとう、クラティラスさん。ボクも、やってみる。サヴラさんみたいに、一生懸命自分磨きを頑張ってみる。こんなに親身になってくれて、何て言っていいのか……なのにボク、失礼なことたくさん言っちゃったよね。本当にごめんなさい」
「気にしなくていいわよ。わざとキツい言い方をして、あなたの本音を引き出す作戦だったんだから。見事、大成功だったわね。どう、私の策に引っ掛かった気分は? 噂に違わぬ性格の悪さを、とくと味わっていただけたかしら?」
挑発的な言葉を吐いたのも、もちろんわざとだ。
だだだだって!
まさかロイオンから手を握られるなんて思ってもみなかったんだもん! こんなん動揺するに決まってんじゃん!!
なのにそんな稚拙な誤魔化しに対して、ロイオンは天使のように可愛らしい笑顔で迎え撃った。
「クラティラスさんは、性格悪くなんてない。すごく優しくてあたたかくて……厳しいけれど恵みを注いでくれる、太陽みたいな人だと思ったよ」
『儚いけれど光を注いでくれる、月みたいな人だと思ったよ』
変声期を迎えていない美しいボーイソプラノに、ゲームのハニジュエの台詞が重なる。そこで私は、はっと我に返った。
あれ……?
これ、もしかしてやっちゃった?
あのままロイオンを素直に諦めさせれば、手痛い失恋という未来はなくなったはずだ。なのに私は、彼を立ち直らせてしまった。消えかけた火に息を吹きかけて再燃を促すかの如く、無謀な恋へと煽り立ててしまった。
こ、これはもしや……いや、やはりゲームの力が働いて……!?
「もう、こんなところにいたのね! あれほど寝る時は一人にするなと……」
関節が錆びたような動きで、私は背後を振り向いた。
そこにいたのは、今最も会いたくなかった人物――――サヴラ。
手を握り合う私とロイオンを見つめたまま、彼女は凍り付いていた。夜目にもわかるほど血の気の引いた顔で。
「こ、これは……」
弁解しようとした私の言葉を遮るように、低い唸りにも似た音声が響く。唸りは跳ね上がるように急上昇し、そこで私はやっと、それがサヴラの放つ笑い声なのだと気付いた。
「ああ、そう……そういうことだったのね。道理でおかしいと思っていましたわ」
何がおかしいのか笑いに笑い、気が済むまで笑い倒すと、彼女は我々に向き直った。
「やたら馴れ馴れしく話しかけてくる男がいると思ったら、あなたの入れ知恵だったのね。あたくしにイリオス様を諦めさせようと躍起になるあまり、形振り構っていられなかったのかしら? 王子と婚約した身でありながら他の男を囲い込む神経も理解できませんけれど、まさかそれを刺客にまで使ってくるとは……あなたって、末恐ろしい女ね」
想像の遥か彼方へ吹っ飛ぶレベルの凄まじい誤解をなされているらしい。
「ねえ、それ全部勘違いだから! ロイオンとは変な仲なんかじゃないから!」
抗議の声を上げたもののサヴラは鼻で笑い、ひらひらと手を振って軽くいなした。
「はいはい、皆にそう言うのよね? 本気なのはあなただけ、あなたが一番、そうして皆騙されるのよね? イリオス様もそこの男も、それにヴァリティタ様も」
これには、我慢ならなかった。
「ちょっと、何でここでお兄様の名前まで出てくるの? 私は誰も騙してない! 意味のわからないことを言うのはやめてくれる!?」
「うるさいっ!」
サヴラの金切り声と共に、左肩に鋭い衝撃が走った。
あんにゃろ、石を投げ付けてきやがったぞ!
「何すんだよ、危ねーな!」
「うるさい! うるさいうるさいうるさいうるさいっ!」
駄々っ子みたいに叫びながら、サヴラは手当り次第に石を投げ続ける。
慌てて私はロイオンを胸に抱えて庇い、攻撃が止むのを待った。
私に怪我をさせてやろうと思ったのではなく、ただ怒りを発散させるためだけに投石していたようで、ほとんど当たらなかったけど……それにしたって、バカすぎるしガキすぎる!
石が落ちる音が止まったので、そっと背後を窺ってみると――サヴラは地面に膝を付いて顔を覆い、身を震わせていた。
サヴラが、泣いてる……? どうして……?
するとロイオンは私の腕をすり抜け、サヴラの元へと駆け寄った。
「サヴラさん、違うんです。クラティラスさんは、ボクの相談に乗ってくれていただけなんです。誓ってあなたが考えているような関係ではありません。本当です、信じてください」
ロイオンがそっと肩に手を置いた瞬間、サヴラは弾かれたようにその手を思い切り振り払った。
「触らないでっ!」
バランスを崩したロイオンは蹌踉めき、ついでに自分の足に躓いた。転んだ先は、川の中。
まるでコントみたいな状況だが、笑ってる場合じゃない。
「ロイオン、大丈夫!?」
「ボクは大丈夫……ちょっと濡れたけど、平気」
尻餅を付く形で川に落ちたロイオンが、よろよろと立ち上がる。
彼の無事を確認すると私はずかずかとサヴラに近付き、フリルに彩られたサマードレスの襟元を掴んで引き起こした。