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「でも、私がいろはさんにしつこかったのをどうして知ってるんですか? 継一郎さんが話すとは思えないのですけど」
「もっちろん、継ちゃんがそんな話するわけナイナイ。でも、そういう口さがない人間ってのはどこにもいるもんよ? あたしの耳に入れたところで、トヨハとヤマイの関係が壊れるはずがないし、嶺華ちゃんがヤマイから追放されるワケがないってのにねぇ」
繊里の話を聞いて、嶺華は吐き出しそうになった溜息を飲み込んだ。溜息は幸せを逃がしてしまう愚行である。目を閉じてこめかみを軽く押さえて落ち着きを取り戻す。
話に出て来た「継一郎」とは繊里の弟であり、現在は北南高校の二年生で、皐会の会長を務めている「豊波継一郎」のことである。山井嬢としては、同年代ながら尊敬できる数少ない人物で、学校の中で唯一絶対に逆らえない対象だ。
おそらく、嶺華を快く思っていない人間は、最初に継一郎に耳打ちしたのだが、彼がまるで取り合わなかったので、次善の策として姉の繊里へ進言したのだろう。
嶺華は世界的にも有名なヤマイの創業者一族の末席に座っている。この手のやっかみは散々受けてきたし、皐会が単純な仲良しサークルでないのも重々承知している。自分を陥れようとしている人間、もしくは一派がいるなんて驚くにも値しない。
(だからといって、愉快な話でもありませんね)
繊里がわざわざ豊田まで呼び出して、二人きりになって伝えてきたということは、嶺華に行動を示せと発破をかけているのは間違いない。さもなくば……と。
今後の算段を――とカップを手に取った嶺華だが、すでに空になっていた。
それに気付いた繊里が微笑みながら立ち上がる。
「おかわり持ってくるね。ここに来てから、マスターにコーヒーとか紅茶の淹れ方を習ってるんだけど、奥深くて面白いんだよねぇ。すっかり凝っちゃって」
「はあ」
「あ、そうだ。ついでだから、須郷姉妹にもいろいろ教えてもらおうかな」
「赤と紫に代わって、丁重にお断りします」
「えーなんでー? あの二人の味なら、もしかしたらマスターより上かも知れないのに」
「素人とプロを比較すること自体が烏滸がましいというものですわ」
……どうにか納得させるまで、なかなかの労力を要した。




