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#3 新たな国王

「今はなんとなく、戦いたい気分なので。」


そう言うと同時に、セクエは光の刃でリガルを切り裂こうとした。だが、リガルはその瞬間に転移魔法で真上へと移動してそれを避けた。


転移魔法を使うなら、避けるだけではなく部屋の外に逃げることも可能だ。だが、リガルはそうしなかった。セクエを襲って来た相手としてではなく、倒すべき相手として認識しているのだろう。やはり、目の前の彼は今までの優しい王ではない。そう思うと胸の奥が苦しくなる気がした。


(だからこそ、止めないと。)


セクエは再び光の刃をリガルに向ける。リガルが再び転移魔法を使うのを予測して、セクエは素早く唱えた。


光の束縛フィオウラ・ギゼル!」


部屋に満ちていた日光が一瞬にして固体に変わり、部屋の中を埋めた。相手の動きを止め、転移の逃げ場を消すためだ。当然、セクエも身動きが取れなくなるが、セクエはすり抜けの魔法を使って体の自由を確保した。そして、リガルの周囲の固体にさらに命令を加える。


光の刃フィオウラ・シュテート。」


セクエがそう唱えると同時に、固体は刃の形になり、リガルの体を切った。だが、それほど深くはしない。


(血が出る程度でいい。魔力さえ流れれば、きっと正気に戻るはず…!)


初めからそれが狙いだった。人格が変わってしまったのが魔力のせいであるなら、その魔力さえなくなればいい。


(でも…。)


それからどうするかは、決めていない。今魔力が減って元に戻ったとしても、傷が治ればまた人格は変わってしまう。何をしたところで、同じことを繰り返すだけで、本当は止めることなどできない。セクエにはどうしようもないのだ。殺す以外には、何も浮かばなかった。


身動きの取れないリガルの息が苦しそうになったところで、セクエは攻撃をやめ、固体を消した。そしてその体をゆっくりと床に下ろす。リガルは手を床について下を向き、しばらく荒い息を繰り返した。


「セクエ…。」


リガルは唸るようにセクエを呼んだ。


「まさか…本当に止められるとはな…。」


顔を上げ、リガルはわずかに微笑んだように見えた。


「止めるというのは、殺すことと同じ意味だとばかり思っていた。」

「……。」


セクエは何も言えなかった。かける言葉が見つからなかったのだ。確かに、止めることと殺すことは同じではない。だが、だからといって止めることが助けることと同じかといえば、そうではないのだ。


「すまないな、セクエ。今さら謝って済むことでもないが、私はそなたに酷いことをさせた。」


セクエに向かって言うというよりも、自分に言い聞かせるようにリガルは呟いた。そしてゆっくりと立ち上がる。


「そなたは逃げろ。…いや、逃げてくれ。私は命令はできない。ゆえに頼むことしかできないが、もうそなたを巻き込みたくはないのだ。」


リガルはそう言いながら、自分の右側に炎を作り出した。


「この国にいてはならない。どうかこの国から逃げて、そして二度と戻ってこないでくれ。そなたをこの国に連れてきたのは、間違いだった。」


セクエは考える。彼のそばにできた炎が、誰に向けられたものなのか。


「待ってください、陛下。」

「感謝する。最後に正気に戻って話ができて、私は救われた。」

「陛下!」


セクエはすぐに彼の近く、炎の正面に転移した。


炎の槍ヴァナス・カズム!」

「消滅せよ!」


二人が同時に唱える。リガルの呪文によって作り出された魔法がセクエによってかき消された。


その時、別の方向から魔力を感じた。振り向いたときには、もう遅かった。


リガルの背に、赤いものが突き刺さっているのが見えた。それが先ほど唱えた魔法であることに気づくのに、そう時間はかからなかった。セクエがたった今消した魔法は、囮だったのだ。


「……。」


セクエは何も言えなかった。リガルがやけにゆっくりと倒れたように見えた。倒れたとほぼ同時に背中の炎は消え、それと同時にリガルが死んだのだと分かった。


セクエはその場に座り込み、動くことができなかった。止まることなく流れ続ける血から、目を逸らすことすらできなかった。


「兄上!」


そう声が聞こえた。誰かが近づいてくる気配がした。そこでセクエはようやく動いた。男が近づいて来るのが見えた。


(逃げなきゃ…!)


セクエは立ち上がる。そして走り出す。その時、転移魔法を使えばいいだとか、相手が誰なのか、といった事を考える余裕は無かった。


だが、すぐにその足は止まった。左の首筋に焼かれるような激痛が走った。そしてその直後、全身を激しい痛みが襲った。


その痛みはまるで全身を鋭利な刃で切り裂かれているかのようだった。国王が死んだことによる混乱と、全身を襲う激痛の中で、セクエは意識を失った。


ーーーーーー


「その話、お前はどう思う?」


セクエから得られた証言を聞いたツァダルは、グアノにそう尋ねた。


「真実に近いと思われます。彼女にかけられた呪いは、相手を傷つけると自身の体にも同じ傷ができるというもので、もし陛下を殺していたのなら、セクエも無事では済まなかったはずですから。」


グアノは答える。


「そうか…。」


ツァダルはわずかに視線を下げ、しばらく黙った。


「火炎魔法は、兄上の得意とする魔法だったな…。」


思い出したようにそう呟き、ツァダルは視線を上げた。


「まずは、即位式を開かねばな。民を不安にさせてはいけない。」

「分かりました。それでは、早急に準備を進めましょう。」

「いや、いい。」


グアノはその一言に少し驚いた。だが、すぐに意図を理解した。


「お前は、私の補佐ではない。今回の件は、ライに頼もうと思う。」


やはりそうか。グアノは納得する。ライというのは、ツァダルの側近を務めている青年の名前だ。ツァダルよりも少し若く、剣術、魔法の腕はグアノや兵士達と比べればそれほど優れているわけではない。だが、人を動かすのがうまく、周囲から信頼を寄せられている。


「お前には、別に頼みたいことがあるのだ。」

「…彼女のことですか?」


グアノの問いに、ツァダルは静かに頷いた。


「そうだ。彼女に呪いがかけられている以上、それを無視して故郷に帰すことはできない。呪いのことは隠した上で、しばらくこの国で預かろうと思う。そしてその世話を、お前に一任したいのだ。」


ツァダルはそう切り出した。たしかに、セクエがこの国に来た経緯はグアノが一番よく分かっている。何か起こった時の対処も、 適切にこなせるだろう。だが。


(殿下は、彼女を恐れているのだろうか。)


なぜか、そうとしか思えなかった。彼女を恐れるからこそ、自分はセクエの件から身を引き、グアノに全てを任せようとしているのではないかと。だが、それを悟られてはいけない気がして、グアノはあくまで平静を装った。


「それでは…彼女の扱いに関しては、訳あって預かることになった異国の子供、と説明しておきましょう。というより、そうとしか言えないように思います。下手に嘘をつくと、それが知られた時に周囲から反感を買うことになります。かといって本当のことを話すわけにもいきませんから。」


グアノはそう言った。ツァダルが頷くのを確認して、グアノは続けた。


「それから、しばらくはオルサ様に面倒を見てもらうのはいかがでしょうか。」


グアノは提案する。オルサは、まだリガルとツァダルが幼かった頃、乳母を務めていた女性だ。今はもう城での仕事を辞めているが、子供好きで、城で働く人たちの子供を預かることもあると聞いている。ただ、今ではかなり歳をとっているはずなので、そこが少し気がかりだった。


「オルサか…そうだな。彼女なら、喜んで引き受けてくれるだろう。」

「セクエは、今後どこに住ませるつもりでいるのです?」

「今まで使っていた部屋をそのまま使って構わない。」

「分かりました。それでは、私はこれで失礼します。オルサ様に声をかけ、セクエにも事情を説明しなければなりませんから。」


一礼して、グアノはツァダルに背を向ける。そしてそのままオルサの元へ向かった。


ーーーーーー


「まあ!そういう事でしたら喜んでお受けいたしますよ。」


グアノの心配をよそに、オルサは明るい声でセクエの世話を承諾してくれた。


「それはありがたいのですが、本当によろしいのですか?オルサ様はもう城での仕事を引退しているのですよ?」

「そんな事は関係ありませんよ。年を取っても、子供が可愛らしいことに変わりはありませんもの。」

「そうですか。それでは私は彼女に話をしてきます。いきなりオルサ様と会うと、警戒するかもしれませんから。」

「警戒、ですか?」

「…人見知りをするかもしれない、ということです。」


グアノは言い換えた。彼女のことを分かっているグアノからすれば正しい言い方のように思えるが、他人が聞けば違和感のある言い方だっただろう。


「彼女も、あらかじめ話を聞いてから会った方が安心しやすいでしょうから。」

「それなら私もご一緒させてください。顔を覚えてもらった方が、馴染みやすいと思いますよ。」


グアノは迷った。セクエがこの国に残ることや、どのような扱いになるのかについては、彼女自身にも言っておかなければならないことだ。だが、それをオルサの前で話すのには抵抗があった。セクエの世話を頼むとはいえ、全ての事情を明かすわけにはいかないのだ。しかし、このオルサの提案を拒むのは不自然だった。


「分かりました。」


そう答えてから、ふと思い出す。そういえば、セクエはまだ牢屋に入れられたままだ。ここでまっすぐ牢屋に向かうのはオルサに怪しまれてしまうだろう。なんとかごまかさなくては。


ひとまず、セクエが使っていた部屋まで行くことにした。確か、廊下の一番奥の部屋だったはずだ。扉に手をかけ、その時気付いた風を装ってグアノは言った。


「部屋の中にはいないようですね。」

「えっ?」

「部屋にいるのが退屈で、庭に出ているのかもしれません。探してきましょう。オルサ様はこちらで待っていてくださいますか。魔力を辿れば、すぐに見つけられますので。」


オルサが頷くのを確認して、グアノはその場を離れた。当然、向かう先は庭ではなく牢屋である。見張りの兵に声をかけて鍵を借り、セクエが入れられている牢屋の扉を開ける。


「もう外へ出ても構いませんよ。」


グアノはセクエに向かってそう言った。セクエは自分のそばに置かれたままになっていた制御用の魔道具を拾い上げて牢屋の外に出て来た。その表情は少し苦しそうだ。だが、持っていた腕輪の魔道具をつけると、だいぶ楽になったように見えた。


「私は、どうなるんですか。」


そう尋ねた声からは不安がにじみ出ていた。少しでも安心させようと、グアノはできるだけ優しい口調で言った。


「何かをされるということはありませんよ。あなたが陛下を殺したのではないと、殿下も信じてくださいましたから。あなたの世話は、オルサという女性に頼むことにしました。子供が好きで、穏やかな方ですから、きっとすぐに慣れると思いますよ。」


しかし、セクエの顔はまだ暗かった。


「帰るわけにはいかないんですか。」

「…あなたには今、呪いという魔法がかけられています。それをそのままにして帰すわけにはいきません。詳しいことはあとで話しますが、しばらくはこの国で過ごすことになります。」

「そう、ですか…。」


それきりセクエは黙り込んでしまった。故郷へ帰れないというのは、やはり辛いのだろう。


部屋まで戻ると、オルサが嬉しそうにセクエに話しかけた。


「あなたがセクエね?話は聞いているわ。私はオルサ。分からないことがあったら何でも聞いてちょうだい。」


そう言って、オルサはセクエの頭を撫でた。セクエはそんな態度をとるオルサに少し驚いていたようだったが、やがて恥ずかしそうに少し微笑んだ。


そういえば、セクエの子供らしい表情を見たのは初めてのように思う。なんとか馴染んでもらえそうで安心した。


ーーーーーー


アリシアが王城へと向かう馬車に乗ったのは、リガルの死の知らせを受けてから数日経った後の夕方のことだった。窓から風景を眺めていると、嫌でも赤く色付いた空が目に入る。呆然とそれを眺めていると、隣に座っていた女性が声をかけてきた。


「大丈夫ですか、アリシア様。お加減がまだよろしくないのでは…?」


アリシアは振り返って彼女と目を合わせた。彼女の名はエイム。アリシアより少し年上で、アリシアの側近を務めている。アリシアはそっと自分の目を拭った。指がわずかに濡れている。どうやら無意識に泣いてしまっていたらしい。


「私は大丈夫よ、エイム。少し、悲しくなってしまっただけ。」


アリシアは答えたが、エイムはまだ心配そうな顔をしていた。


アリシアは生まれつき体が丈夫ではない。そのため、普段は養生のために王城からは少し離れたところにある宮殿で両親と数人の召使いと共に暮らしている。だが、従兄であるリガルの死を聞いてから、その衝撃で体調を崩してしまっていた。


「今からでも、父君のゾルク様に代わりの出席を願うこともできるのですよ?」

「気にしないで。お父様はお母様と一緒にいさせてあげたいの。」


アリシアの母親はアリシアよりも体が弱い。アリシアが宮殿に住んでいるのは、半分は母親のためでもあった。母親はいつもベッドで横になっており、父親のゾルクや主治医がいつも心配そうに看病していた。


「お父様の心配も分かるし、離れ離れにしてしまうのは忍びないわ。」

「しかし、アリシア様にもしものことがあれば一大事です。城に着いたらすぐに休まれてくださいね。」

「分かったわ。ありがとう。」


アリシアは答え、また窓の外へ目を向けた。赤い空は炎を連想させる。リガルが得意としていた、炎の魔法を。だから、アリシアにとって赤はリガルを連想させる色なのだ。


(まさかもう二度と会えなくなるなんて、思いもしなかった。次の私の誕生日に会えるのを楽しみにしていたのに…。)


そう考えるとまた涙が流れそうで、アリシアは静かに目を閉じた。


「そういえば、グアノはどうしているかしら。」


気分を変えるため、アリシアは目を閉じたままエイムに尋ねた。


「まだ城にいるのかしら。それとももう、どこかへ行ってしまった?」

「どうでしょうか。グアノ様の話は聞いていませんが、ツァダル殿下の即位式と同時に補佐の引き継ぎも行われますし、葬儀にも出席なさるでしょうから、それまでは城におられると思いますよ。」

「そう。時間があればまたお話しできるかしら。」

「グアノ様もお忙しいでしょうから、難しいのでは?第一、アリシア様には十分に休んでいただかないと。」

「大丈夫よ。ちゃんと休むから。」


そう言いつつも、アリシアはグアノに会うことを楽しみにしていた。アリシアとグアノは歳が近いため、なにかと話しやすかったのだ。それは二人の従兄も分かっていたため、アリシアが城へ来たときには話をする時間を与えてくれていた。


「まもなく到着のようですね。」


エイムが言う。アリシアは目を開けた。


ーーーーーー


「…アリシア様が到着されたようですね。」


グアノは手を止め、不意に視線を上げて呟いた。自分は今は国王補佐の地位にはない。そのため、彼女を出迎える必要がない。まだ補佐としての感覚が抜けきっていないグアノは違和感を感じていた。


「アリシア様というのは、誰ですか。」


すぐ近くでそう尋ねたのはセクエだった。グアノは再びセクエに視線を向けた。


グアノは今、セクエの呪いの様子を確認していた。そのためにオルサには部屋を開けてもらっている。


「リガル陛下とツァダル殿下の従妹にあたる方です。歳が近いため、私がよく話相手を務めていました。」


グアノは手をセクエの首筋へと伸ばし、呪いに使われている命令の読み取りを再開した。といっても、呪いは複雑な魔法だ。全てを読み取り、覚えることなど到底できない。少しずつ読み取り、分かったことを紙に書き写す。それを何度も繰り返していた。


「分かっているとは思いますが、できるだけ大人しくしていてください。もし城の外の者に事情が知られるようなことがあれば、大変ですから。」


書く手を止めることなくグアノは言う。


「その方と会うことになるんですか?」

「いえ。あなたとアリシア様が会う予定はありません。しかし、即位式には私も出席しなければなりませんし、その後の葬儀には私もオルサ様も出席することになります。一人でいる時間ができるので、念のために言っているんですよ。」


そこまで言って、グアノは手を止めた。再び手を伸ばそうとして、やめる。


「大丈夫ですか?」

「何がです?」

「いや…今まで気にしませんでしたが、読み取っている間、体に負荷がかかっているのではないかと。痛みや不快感はありませんか?」


すると、セクエは少し困ったような顔をした。


「そこまで気にしなくても…別に平気ですよ。」

「では、単に触られるのが嫌だというのは?」

「ありませんよ。それに、触らないと読み取ることができないでしょう?」

「それはそうですが…。」


グアノは顎に手を当てる。


「触れずに内容を読み取ることも不可能ではありません。なんらかの魔法や魔道具を使えば…」


グアノが考え始めると、セクエが不意に笑い出した。


「グアノ様は優しいんですね。」

「そう、でしょうか。」

「そうですよ。」


グアノは少し驚いた。この程度の気遣いは当然ではないのか。なにしろ、セクエは呪いを受けた被害者であり、子供であり、故郷に帰ることすら許されていないのだから。


戸惑っているグアノが面白いのか、セクエはまた笑い出す。それを見て、グアノの顔も自然とほころんだ。


(やっぱり普通じゃないか。)


膨大な魔力を持っていたとしても、その身に呪いがかかっているとしても、こうして楽しそうに笑っている姿は、ごく普通の一人の少女に過ぎなかった。そう思うと同時に、彼女を恐れていたようなツァダルの態度を思い出す。


(せめて自分だけは、彼女が普通であることを知っていよう。自分だけは、彼女を救える立場にいるのだから。)


彼女を見ていると、そう思わずにはいられない。このままでは、きっと彼女は一人になってしまう。この国での居場所も失ってしまうだろう。異国の民であること、王城での仕事があるわけでもないのに王城に住んでいること、王族から受けた呪いの印が体に残っていること、抑えきれないほど膨大な魔力を身に秘めていること…。彼女を疎む理由はいくらでもある。


(しかし…私はいつまで彼女を助けられる立場にいられるだろう。)


自分がセクエを救うために行動できるのは、自分が仕えていた先王、リガルの命令があるからだ。だが、彼はもういない。もし現国王のツァダルがセクエを諦めろと命令すれば、それに従わなければならない。自分は結局、王の命令に従っているだけなのだ。


(時間が来てしまう前に、なんとか解く方法が分かればいいが、きっと思い通りにはいかない。救うこともできないのに、私はなぜ彼女のそばにいるのだろう。)


ーーーーーー


「それでは、ここで待っていてください。くれぐれも、あちこち歩き回ってはいけませんよ。」

「はい。大丈夫です。」


即位式と葬儀が行われている間、自分が一人になることを心配しているのか、グアノは同じことを何度もセクエに言い聞かせていた。


「それから、退屈だとは思いますが、魔法は使用しないこと。それだけは絶対に守ってください。」

「はい。」


この注意もすでに五回は聞いている。セクエはいい加減うんざりしていたが、うるさがることはしなかった。自分を心配して言っていることを嫌がるのはおかしいと思ったのだ。


「もうそろそろ時間ですので、私はもう行きますが…」


そう言いながらも、グアノはまだ不安そうな顔をしている。


「絶対に、目立つような行動はしないでくださいね。」

「はい。分かりました。」


セクエがそう答えると、グアノはセクエのそばを離れた。セクエは一人残される。しかし、そこはいつもセクエがいる客室ではなかった。


セクエは今、王城に二つある庭のうちの一つにいた。オルサとグアノに教えてもらった話によると、ここは花の庭という名前らしい。名前の通り、庭を埋め尽くすように花壇が広がり、そこには色とりどりの花が咲き乱れている。その中にいくつか休憩用の東屋があり、小さな椅子と机が置かれていた。


一人でいる時間をすこしでも楽しもうと、セクエは一つ深呼吸をした。空気には花の香りが混じっていた。


まずは花を見て回ることにした。魔法の使用が許されていないため、歩いて花壇を眺める。もうそろそろ秋が近づいているのか、日差しは暑いというよりは暖かいという方が近かった。


庭一面に広がる花は、色も形も様々だった。花の周りを蝶や蜂が忙しそうに飛び回っている。


(蜂、か。)


そう思うと同時に、自分が無意識のうちに首筋に手を当てていたことに気づく。最近はこの仕草が癖になってしまっていた。


セクエは自分にかけられているという呪いの模様を見たことがなかった。首は自分では見ることができないし、鏡を使っても見えない位置だったからだ。模様は触れても分かるわけではないし、撫でたところで消えるわけでもない。だがそれでも、自分をこの国に残らせている理由が、自分の魔力を大量に消費しているものが、グアノが必死に消そうとしている模様がそこにあると思うと、思わず手を伸ばしてしまう。


セクエは庭をゆっくりと見て回り、それに飽きると東屋の1つへ向かった。置かれている椅子に腰を下ろし、机に突っ伏す。しばらくそのままの姿勢でいると、自然とため息が漏れた。


セクエは悩んでいた。自身にかけられている呪いについてだ。しかし、セクエはこの呪いによって自分が苦しめられることは全く考えていなかった。ただただ不安だったのは、この呪いが解けた後、自分がどうなるのかということだ。


この国にはいられなくなる。いる必要がないからだ。自分は村に返され、何事もなかったように以前と同じ生活に戻るのだろう。それが、今のセクエには怖くて仕方がない。


こうしてグアノの言いつけ通りに魔法を使わずにいられるのは、呪いによって魔力が減らされ、自分の制御できる量を超えなくなっているからだ。そのため、今は眠ることも食べることもできる。ごく普通の生活ができているのだ。


(この呪いが解けたら、私はまた…。)


魔力に怯える生活に戻ってしまう。せっかくカロストに来たというのに、自分は結局、魔力を制御する方法が分からないままだ。この呪いが解けずに残ってくれればいいのに、と思わずにはいられない。


だが、それを言うことはできなかった。呪いが体に残ったままでは何が起こるか分からないし、グアノは自分のために呪いのことを調べてくれている。そこまで気を遣わせているのに、これ以上のわがままは言えなかった。それに、これは自分自身の問題なのだ。自分で解決すべきなのだろう。


ふう、とまた一つため息が出る。頬をぬるい風が撫でていった。


ーーーーーー


グアノは少し急いで庭へと戻った。式が行われている間、セクエの魔力は全く感じなかったため、言ったことを守っていることは分かっていたが、それでもやはり心配だった。庭に出ると、グアノは自然と駆け足になったが、東屋にいるセクエを見つけると、その足は止まった。


セクエは東屋の机に突っ伏して眠っていたのだ。小さな背中が寝息に合わせてゆっくりと上下していた。


(なるほど、それほど心配する必要も無かったか。)


グアノはひとまず安心し、起こさないようにゆっくりと近づいた。だが、グアノがある程度まで近づくと、セクエは目を覚ました。グアノは見ていてそう分かった訳ではないが、しかしセクエの魔力が突然緊張してあたりを警戒したため、それが分かったのだ。グアノはその威圧に思わず立ち止まった。


「起こしてしまいましたか?」


グアノは声をかける。セクエは声の聞こえた方を辿るようにグアノを見た。眠たげだと思っていたその目は思いがけず力強く、もうすっかり目が覚めてしまったようだった。


「終わったんですか…?」


体を起こし、伸びをしながらセクエは尋ねる。グアノはセクエに近づきながら答えた。


「はい。滞りなく。」

「そうですか。」


セクエの隣に腰を下ろす。ふと見ると、庭に誰かが入ってくるのが見えた。それがアリシアとエイムであることはすぐに分かった。二人はゆっくりとグアノの元へ近づき、そして足を止めた。グアノは立ち上がり、頭を下げた。


「急いで出て行くのが見えたから、何があるのかと思っていたら、この子のことを気にしていたのね。」


アリシアはそう言って優しく微笑んだ。きらびやかな衣装を身にまとったその姿は美しく、花壇に咲く花々の色さえ褪せてしまうように思われるほどだったが、その顔色はすぐれない。体調がまだよくないのだろう。


「アリシア様。まだお加減がよろしくないのでは?早く休まれた方が…。」

「もう、少しくらいいいでしょう、グアノ?」

「しかし、もしものことがあれば…。」

「分かっているわ。少しだけ。」


アリシアはそう言って、視線をグアノからセクエに移した。


「私と二人で、少しお話ししてくださるかしら?」

「えっ?」


まさかそんなことを言われるとは思っていなかったらしく、セクエは目を白黒させている。グアノは慌てて言った。


「お控えください、アリシア様。彼女はまだこの城に来て間もなく、無礼な言動があるかもしれませんし、アリシア様のお体の方が心配なのです。」

「ふふふ、そんなに焦らなくても、別にこの子の事情を詮索しようとは思っていないわ。」

「そういうことではなく…!」


アリシアと言葉を交わしながら、グアノは少し疑問に思っていた。


(エイム様はなぜ何も言わない?普段なら、私とアリシア様が話をするときですら、片時もそばを離れず、いつも体調に気を配っているというのに。)


「グアノとエイムは、少し離れたところにいて、そこで見ていれば、私に何かあってもわかるでしょう?」

「しかし…。」

「グアノ様。」


唐突に口を開いたのはエイムだった。


「別によろしいのではないですか?」

「エイム様まで、何を…。」

「アリシア様は、これまで年下の女性と関わる機会がほとんど無かったのです。彼女に興味を持たれるのも仕方のないこと。王城内にいるのですから、その子がどれほど危険なことをするわけでもないでしょう。二人きりにするのは少し心配ではありますが、離れて見ていられるのなら、いざという時私も動けますから。」


グアノは考える。今日のエイムはどうもおかしい。


「…分かりました。エイム様がそうおっしゃるなら、少しの間だけ。」

「ありがとう。嬉しいわ。」


アリシアはそう言ってまた微笑んだ。エイムとグアノは一礼してアリシアの元を離れる。セクエが不安そうな目でグアノを見ていたが、アリシアが彼女に何かをするとは思えない。今はとにかく、エイムが何を考えているのかを探らなくては。


エイムはアリシアを気にする様子もなく、そそくさと離れていってしまった。グアノもそれを追ってアリシアの元を離れる。


エイムが止まったのは、二人のいる場所からかなり離れたところだった。ここからでは二人の会話は聞こえそうにない。だが逆に言えば、こちらの会話も二人には聞こえないだろう。


「一体何を考えているのです?エイム様。」

「…お前が本当に知りたいのはそんなことか?別のことを知るために、私と二人になることを選んだのではないのか。」


その声を聞いた瞬間、全身に鳥肌が立ったのが分かった。その声は確かにエイムのものだが、声音や口調はグアノが知るものとはまるで違う。エイムが何かを考えているのではなく、エイムの体を他の誰かが操っている。そう確信した。


「お前は…何者なんだ。」


声は聞こえなくとも動きは二人に見られてしまう。グアノは表情をあまり変えず、静かに尋ねた。


「それはお前も分かっているだろう。私はエイムではない。それだけだ。」

「そういうことを言っているのではない。お前は何者なのかときいている。」

「私が何者であるかを知ったところで、お前に何ができる。」


相手はグアノに視線を移し、続けた。


「実力差を見誤るな。お前にできることは何もない。」

「私に気づかれるほどの実力しかないお前に、何が言える。」

「勘違いをするな。普通に振舞うことも当然できた。だが、こうしてあえて違和感を出せば、お前は必ずそれに気づき、王女から私を引き離す。少々面倒ではあったが、こうでもしなければ、お前と二人で会うことなどできそうになかったからな。」


グアノは黙り込む。自分の行動を見抜かれていたというだけではなく、相手が何を考えているのか、全く予想できなかったからだ。グアノが何も言えずにいると、相手は続けて言った。


「この体に危害を加えるつもりは無い。もちろん、あの王女やその他の王族関係者も。記憶に関しては違和感の無いようこちらで後始末をする。私が用があるのはお前だけだ。そして私の存在を知るのもお前だけだ。」

「なぜそう言い切れる?私が他の者に報告しないとでも思っているのか?」

「確かに言い切れない。だが、それはしない方がいい。お前のためにも、な。」

「私のため?」

「私の要件を聞けば、お前ならすぐに分かることだ。」


グアノは少し身構える。


「要件、とは。」

「あの娘を引き渡せ。」


相手は短く答えた。


「あの娘…。」

「名前を言う必要などないだろう。要するに、奴だ。」


奴、というのはセクエのことだろう。なるほど。確かに相手の要件がセクエだとするなら、それを報告するのは危険だ。下手をすれば彼女がこの国にいられなくなる。


「なぜお前のような素性のわからない者に、彼女を渡さなければならない。」

「お前では、奴を救うことはできない。」

「……!」

「お前も気づいているだろう。お前にあの呪いを解くことはできない。そして近いうちに、奴はこの国での居場所を失う。その時、お前には何もできない。国に逆らってまで奴を助ける理由も無い。」


言い返せなかった。それと全く同じことを、自分も考えていたからだ。


「どうせ救えないのなら、いつか見捨てると決まっているのなら、それを少し早めるだけの違いだろう。お前には何の損もないはずだ。むしろ厄介払いができるという意味では利益があるとも言える。答えは既に決まっているだろう?」

「しかし…。」

「まあ、答えを急ぐつもりはない。」


相手は淡々と言う。グアノは言い返す言葉が見つからなかった。それを了承と受け取ったのか、相手はさらに続ける。


「しかし、あまり悠長にしている暇もない。しばらく後になるが、我々からの使者が再びここへ来るだろう。この要求を受け入れるのなら、お前はただ何もせず、見て見ぬ振りをすればいい。」

「…もし、拒むなら?」

「お前がそうするとは思えないが?」

「そんなことは、まだ分からないだろう。」


相手は呆れたようにグアノから視線をそらす。


「その時は…止めればいい。」


相手は短く、面倒そうに答えた。そしてそれきり何も話さなくなった。


グアノは考える。本当に、彼女を手放すべきなのか。彼女を救うことには何の利点もない。救わないことによる損失もない。自分が彼女を救いたいと思うのは、きっとくだらない罪悪感だけなのだ。自分のせいで呪いがかかってしまったという責任を感じているだけなのだ。しかし、呪いを解くだけの力は、自分にはない。それならいっそ、彼女を相手側に渡してしまっても、何の問題も無いのではないか…。


どのくらい時間が経っただろうか、グアノはセクエの魔力を感じて物思いから覚めた。セクエが自分を呼んでいるのだということはすぐに分かった。どうやら二人の会話が終わったらしい。グアノはまだ悩んでいたが、平静を装って二人の元へ戻った。


「終わったようですね。」

「はい。」


セクエに声をかける。緊張しているためか、その表情は少し硬い。


「お加減はいかがでしょうか、アリシア様。」

「ええ。大丈夫よ。」

「でしたら参りましょう。あまり長い間外に出て、体調を崩してしまっては、ツァダル陛下も心配なされます。」

「そうね。」


エイムは普段と変わらない態度でアリシアに声をかけている。まだ操られた状態なのか、それとももう普段のエイムに戻っているのか、グアノには見分けがつかなかった。


「楽しかったわ。ありがとう、セクエ。」


アリシアは立ち上がり、セクエに笑いかける。セクエはぎこちない様子で少し頷いただけだった。


「セクエ、失礼ですよ。」

「いいのよグアノ。気にしていないわ。」


アリシアはそう言って、ゆっくりとした足取りで庭を後にする。セクエはそれを呆然とした様子で見つめていた。その呼吸は少し乱れていた。違和感を感じてグアノは声をかける。


「セクエ?」

「なんでしょうか。」

「息切れしているようですが、何かあったのですか?」

「いえ、これは…。」


少し言葉を濁して、セクエは言う。


「アリシア様との会話で、少し緊張しすぎていたのかもしれません。大丈夫です。」

「そうですか。それならいいのですが。」


言いながら、グアノはまた考え込んでいた。考えたところで答えが出るわけではないというのに。


(彼女を手放すべきなのかもしれない。奴の言う通り、私にできることはないのだから。)


グアノは視線を庭に咲く花へと移す。申し訳なくて、セクエの顔を見ることができなかった。


(…私は何と酷いことを考えているのだろう。)

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