第一章 黒い森の龍翼
お待たせしました。
ようやっと主要人物登場です。
第一章は設定の紹介が主なので、物語の進度は遅めです。
眩しい。ぱっと浮かんだそんな言葉。
その眩しさから逃れようと無意識のうちに体を捻る。
ベッドの隅の布団の中で丸くなること数秒、カーライルはその光の正体が窓から射し込む朝陽であることに気が付いた。
小鳥たちの囀りが響く窓の外に目を向ければ、視界に飛び込んでくるのは一面の淡い青。ざわざわと木葉の触れ合う音がして、その青の中に新緑の吹雪が舞った。
ちら、と隣の二段ベッドに視線を移す。そこはもぬけの殻で毛布は丁寧に畳まれている。つまり、この部屋のもう一人の住人は既に起きているということだ。
彼はいつもカーライルより一足早く、そしてほぼ決まった時刻に起床する。体内に時計でも仕込んでいるのではないかと時々思う。
さあ、今日も一日が始まる。一度大きく伸びをし、身支度を済ませ部屋を後にする。窓が多い廊下の明るさに一瞬視界が白んだ。
ふわ、と欠伸をしながら階段を降りて洗面所に向かう。冷たい水で顔を洗うと少しは目が覚めたような気がするのだ。蛇口を閉めて顔を上げると、鏡の中の琥珀色の瞳がこちらを見つめていた。虹彩が人よりやや大きい目に、少し暗めの金髪が掛かりそうだ。そろそろ髪を切ろう、ぼんやりそう思いながらダイニングに戻った。
「おはよ、ミサ」
ダイニングキッチンに見つけた後ろ姿に声を掛ける。朝食を作り終え、調理器具を仕舞っている最中だった。
ふわふわと細く柔らかそうな猫毛の少年が振り返り、鳶色の切れ長な瞳と目が合った。彼の瞳は陽の光を受けるとグレイから鳶色に変わる。光の加減で見え方が変化する不思議な瞳だ。
「おはよう」
ミサは顔に当たる光が少し煩わしそうに、二、三度ゆっくりと瞬きをした。
「今日もまた…… あー、芸術的な寝癖だね」
込み上げてくる笑いを辛うじて堪え、当たり障りの無さそうな言葉を選ぶ。
内側から淡い光を放っているような透明感のあるアッシュグレイの髪。自由奔放に跳ね回っている髪を一房、ミサの指が摘まんだ。
「……生まれつきだ。仕方ないだろ」
少々の不服さを含んだミサの声色に、そんな訳ないだろ、と思わず吹き出してしまった。
「ほら、こうやってわしゃわしゃあってやるだけで違うから」
カーライルは自分の前髪を手で整えて見せた。ミサはエプロンを外しながら怪訝そうにその様子を眺めていたが、やがておずおずとカーライルを真似た。ふわふわと長めの前髪が揺れる。一番酷く癖がついていた箇所は幾らか落ち着いたようだ。が、今度はまた別の場所が跳ねている。何だか予想と違う。
伏せられていたミサの瞳が上げられ、これでいいのか、という風にカーライルを見た。
「あー……、うん。いい感じ?」
「何で疑問形だ」
ミサの目がすう、と微かに細められる。唯でさえ目付きが悪いというのに、こうされると余計に怖い。だが、ミサは決して怒っている訳ではない。むしろ怒っている姿を見た記憶はこれまでに一度しかない。それも、彼自身に対して。
何にせよ、寡黙で一匹狼のミサは、この目付きも相まって誤解されることが多いのだ。
「いやちょっとね、誤算だった。ごめんごめん」
そんな軽口を叩いているうちに朝食はあっという間に終わる。後片付けまで終わらせてしまうのが日常だった。
水の流れる音、そして皿が触れ合う音。採光窓から射し込む淡い朝陽のなかでミサが音を紡ぐ。その音を聴きながら机の上を片付ける内、あっという間に綺麗に洗われた二枚の皿は水切台に並べられた。
不意にふわりとアールグレイの良い香りがした。食後にミサの淹れる紅茶はいつも美味しい。受け取ったカップはじんわりと手に温かく、猫舌のカーライルにも飲み易い温度だった。
紅茶を飲んでいる間、二人の間には沈黙が流れる。この空間には静寂も似合うけれど、何処と無く静か過ぎる。暖かくて柔らかいけれど、無機質で殺風景だ。
年端もいかぬ子供二人で過ごすには、ここはあまりに寂しくて広過ぎる。かつての活気溢れる姿が脳裏に浮かんでしまうのはどうしてだろうか。階段の手摺の優美なレリーフも、廊下窓の磨硝子の繊細な模様も、全て色褪せて見えた。
カーライルたちが暮らす “秘境の隠れ家” はそんな場所だった。
「今日はいい依頼あるかな」
近頃下街の掲示板に寄せられる依頼は物騒なものばかりだ。軍警や武器商人、時には王国直々の極秘依頼、なんてものもある。何れも武力抗争は避けられないだろう。
その中から自分達にこなせそうな依頼を引き受け、報酬を貰う。これがカーライルとミサの職業、万依頼引受組織《龍翼》だった。勿論、龍翼以外にも依頼引受組織は存在する。《獅子牙》や《海鱗》がその一例だ。これらの組織は同業者であると同時にライバルでもある。
「期待は出来ないな」
カップの内を見つめ、ミサはぽつりと呟いた。現在自分たち少年二人しかいない龍翼にとって、難しい依頼が多いのはあまり芳しいことではない。
ティーカップを片付けて下街へ向け出発だ。
外に出ると風に乗って運ばれてくる森の澄み切った匂いに包まれる。時折吹く風に枝葉を揺らし、森は少しだけ賑やかになる。この辺りの森は一度立ち入れば戻っては来れぬ “黒い森” と呼ばれている。数年間ここで暮らしている二人には慣れた道だが、知らない者にとっては道があることすら分からないだろう。その森の奥深く、ぽっかりと穴が開いた様に樹が生えない一帯があり、“秘境の隠れ家” はそこに佇んでいる。これが “秘境” の名を有する由縁だ。
歩くこと数十分、漸く視界が開ける。そこからは時折往来があるだけの細い道を歩き、通り掛かった馬車に街まで連れていってもらうのだ。
どうしてこんな辺鄙な場所に龍翼を置いたのか、カーライルは先人たちを少し恨めしく思った。
次話もお楽しみに。