26話
「沙耶香! 早まらない……で?」
「え?」
扉を開けたのは、志保だった。
後ろには料理部の面々もおり、今にも飛び掛かりそうな勢いで教室をのぞいていた。
一同が目にしたのは、想像の斜め上を行く状況だった。
「コ、コレ……は!」
沙耶香の上に覆いかぶさり、うろたえながら何かを言おうとする誠実。
目を閉じ、どこかうっとりした表情で寝転がる沙耶香。
料理部の面々は全員一度フリーズする。
一番初めに正気を取り戻したのは志保だった。
「全員、集合」
静かに部員にそう言うと、何やら円陣を組み、コソコソ話をしはじめる。
誠実はどうしたらいいかわからず、そのままの姿勢で志保たちの反応を待つ。
沙耶香はなぜか、うっとりした表情のまま動かない。
「し、志保! 大変よ! 合意のうえでだったわよ‼」
「い、いや…でも、私らまだ高一だし……止めるべきなんじゃ……」
「で、でも最近は中学生でもそういう事をするって……」
「え! 本当⁉ 最近の若い子はすごいわねぇ~」
「私らも若いわよ……」
誠実に聞こえないよう、ひそひそと相談する。
沙耶香が既成事実を作るため、何かやらかしてしまうのではと思い、見守っていたわけなのだが……。
「だって、まさかヤル寸前だったなんて想像できる?」
「そ、それはそうだけど……でも、合意なら……あとは本人達の問題じゃない?」
「「「「確かに……」」」」
「じゃあ、決定で」
「「「「はい」」」」」
何かを決め、一同は円陣を崩し、ドアの前で一列に並ぶ。
誠実は、なんなのだろうと思いながら、その様子を眺めていると、全員がなぜか親指を立て、グッドポーズをする。
「……え? な、なに?」
「じゃあ、あとはごゆっくり」
「部長……あとで感想聞かせて下さい」
「見張りは任せて!」
料理部の面々はそれぞれ一言ずつ言い残し、静かに教室を出ていく。
再び二人きりになると、誠実は先ほどのグッドポーズの意味を理解し、大声で叫ぶ。
「いや、誤解だからぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
このままでは、自分と沙耶香のあらぬ噂が流れてしまう。
そう思った誠実は、出ていった面々おうとする。
しかし、誠実の体には沙耶香がしがみつき離れずにいた。
「……どこ、行くの? まだ返事聞いてない……」
「ぶ、部長! 落ち着いて‼ まずは料理部のみんなに事情を説明しないと……」
「……やっぱり、私は部長なんだ……」
「え?」
先ほどまでの誘惑するような、小悪魔のような感じから一転し、沙耶香の表情は暗い。
「ど、どうかした?」
「伊敷君……私は別に勘違いされてもいいよ……」
「そ、そういう訳には行かないだろ? 部長は料理部の……」
「沙耶香……」
「え?」
「沙耶香って呼んで……じゃないと……」
沙耶香はそう言うと、誠実の顔との距離を一気に詰め、正面から抱きしめる。
本当は恥ずかしい。頬をわずかに赤らめ、体が震えているのが誠実にはよくわかった。
「キス……しちゃうよ?」
「ぶ…ぶちょ……」
「沙耶香」
「あ、えっと……沙耶香……さん……」
「沙・耶・香!」
「は、はい! 沙耶香!」
「ん……じゃあ、ご褒美……」
「はい……ってちょっと待てぇぇ!」
「むぐ……うーうー!」
沙耶香はご褒美といった瞬間、もともと近かった誠実の顔との距離をさらに縮め、キスをしようとしてきた。
流れに任せてキスをしてしまう一歩手前だったが、誠実は沙耶香の口を手で塞ぐ。
「はぁ……危なかった~」
「……私とは……やっぱり嫌だよね?」
未遂に終わり、沙耶香は誠実から離れた。
悲し気な表情の沙耶香に誠実は言う。
「沙耶香……何焦ってるんだ?」
「………誰かさんが、私の気持ちに気がつかないで、他の女の子の話ばっかりしてたからです~」
「う……ご、ごめん……」
誠実はそれを言われると弱い。
うろたえる誠実に、沙耶香はクスクスと笑いながら「冗談だよ」と言う。
落ち着きを取り戻しつつある沙耶香は、誠実の方を向いて、真剣に話す。
「焦っちゃうよ……やっとライバルがいなくなったと思ったら、今度はあんな綺麗な先輩と可愛い妹さんが出てきちゃうんだもん……」
誠実はどういう意味かわからなかった。
確かに、沙耶香の言葉に該当する人物はいる。
しかし、それとこの告白がどう関係しているのか。
「えっと……それって蓬清先輩と美奈穂の事?」
「うん……私より可愛いし……なんか仲良いし……朝からヤキモチ焼いてたんだから」
「そ、そうなのか……」
率直に言われてしまい、照れる。
他の女の子に取られてしまうかもと焦っていた事を知った誠実は、ひそかに嬉しかった。
本当に自分を好きでいてくれることが、なんだか嬉しかった。
「あ、あの二人は妹とただの先輩だよ。それにさっきも言ったじゃん、これからは、ちゃんと沙耶香の事を考えるって……」
「でも、不安になるよ……なんだか二人とも、私と同じ匂いがするし……」
「あぁ、シャンプーのメーカーが一緒だったの?」
「同じボケをされても……」
呆れる沙耶香。
だが、こんなやり取りも沙耶香は好きだった。
誠実と二人きりで話をするだけで、沙耶香はドキドキしていた。
「誠実君」
「え? あ、はい……」
突然名前で呼ばれた誠実は戸惑う。
沙耶香は顔を真っ赤に染め、微笑みながら誠実に言う。
「大好き」
「え……あ、あの……」
誠実にはそのたった一言が、今日のこの空き教室で起きたどんな出来事よりもドキドキした誠実。
ただ、好きと言われただけただそれだけ、なぜかすごくドキドキした。
何も言わず、沙耶香は潤んだ瞳を誠実に向け続ける。
あまりにも綺麗な瞳に誠実は視線をそらそうにも目を離すことができなかった。
「今日はごめんね……私、焦って誠実君に色々しちゃって……」
「い、いや……気にするなよ……」
誠実は今日の沙耶香との出来事を思い出し、顔を赤らめながら答える。
「本当はね……結構無理してたんだ……」
無理をしていることは、誠実にも伝わっていた。
誘惑のような行動をしていた時の沙耶香は体を震わせ、どこか緊張していた様子だった。
「知ってるよ……あんまり無理はしない方がいいと思う」
「だよね……でもね……」
今まで床に座っていた沙耶香は立ち上がり、窓の方へと向かった、窓にもたれかかると、誠実に悪戯っぽい笑みを浮かべて言う。
「誠実君となら、何をしても後悔はなかったよ」
今日の彼女はどうしてしまったのだろうか?
いつもの感じとは違い、どこか小悪魔のように悪戯っぽくて、かわいらしくて。
(たかが数カ月で、他人の事を知るっていうのは無理なんだな……)
出会って数カ月、彼女のこんな一面を知らなかった誠実は心の中でそう思い、あらためて言う。
「約束するよ、今日からはちゃんと沙耶香を見るよ……」
「フフフ、じゃあ、今からいっぱいアピールしなきゃね」
「ほ、ほどほどでお願いします……」
女子に免疫のない誠実には、あまりに過剰なスキンシップは逆効果の様子だった。