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猫とカラスと雨の森  作者: 夏川サキ
episode 2 おれのご主人様
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2

 雑貨屋と霧雨亭のちょうど中間のあたりで、とうとう足が止まった。

「…ちょっと、休憩しよう」

 悔しいがホホの意見に頷いた。頷くしかなかった。おれたちは道端の日陰にリヤカーを止めた。

 日陰は涼しい。初夏を思わせる風が汗ばんだ髪をふわりとかきあげていく。

「さすがの私も、これはしんどいわー」

 ホホはふぅっと、大きく息を吐いて、近くの壁に寄り掛かった。そして小山状態のリヤカーを見上げる。

「ちょっと乗せすぎたね」

「ちょっとじゃねーよ」

 おれはホホの隣、人2人分くらい離れて壁にもたれるとその場に座り込む。

 リヤカーの後ろをおれが押してはいたが、8割方こいつの力で動いていたと思う。とんでもない馬鹿力だ。

「…おまえの怪力って、竜の力なの?」

 ホホはばあさんが竜なのだそうだ。

 竜。2度と係わりたくないと思っていた竜。なのに、こんなに早く再び会うことになるとは思っていなかった。

 おれは昔、竜の手下だった。もうずっと前の話だけど。

 一番初めにホホに会った時、突然現れた懐かしくもおそろしい気配に、恥ずかしいがおれはかなり動揺し混乱した。冷静になってみれば、ホホのそれは純粋な竜のものとは全然違う。なんていうか、薄い。やっぱり人間の方に近い。

 でも、ふいに竜を感じる時はあった。

 例えば目だ。あいつの空色の瞳は正直キレイだと思うけど、キレイな分だけ、同じくらい怖かった。見つめられると身がすくむ。

「竜の力というより遺伝、かな?」

 おれは訝しむ。どう違うんだ?

「お父さんはともかく、ただの人間なはずのお母さんも馬鹿力なんだよね。私より力あるの」

「…どんな家族だよ」

 思わずこぼした言葉にホホは「弟はそうでもないよ」と笑った。

 ホホは、おれが竜が苦手なことを知っている。だからこうしてのほほんと話している時もおれの目を見つめることだけはなかった。

 こいつはこいつでいろいろと気を使っているらしい。

 それくらいはおれでもわかる。

 でも、それとこれとは別なんだ。


「ねえ、ビゼ」

 めずらしく歯切れの悪い呼びかけだった。おれは視線を上げる。「何?」

 何かを言おうとして口を開きかけたホホは、ためらい、やめた。

「…ううん、なんでもない」

「なんだよ、気持ち悪いな。言えよ」

「うん、…今日はいいや。今度にする」

 なんてもやもやするんだろう。今度訊くぐらいなら今訊けよ!

 おれがさらに詰め寄ろうとした時だった。

 すぐそこの交差点に女の子がふたり、駆け込んできた。

 するとひとりが躓いて転んでしまった。

「あ!」思わずホホが声を漏らす。

「お嬢様!」

 もうひとりの女の子が駆け寄り、転んだ女の子を起こそうとしていると、ふたりの背後から凶暴な息遣いが聞こえてくる。

 野犬だ。女の子たちをめがけて襲い掛かろうとしていた。

 おれは思わず立ち上がった。

 だが、それよりも早くおれの横で影が動く。

 ホホが右手をさっと振り上げた。

 抱き合って身を固めるふたりに犬が飛び掛かった時、女の子たちと犬との間に何かきらりと光るものが見えた。

 次の瞬間、犬はその何かにぶつかり弾き飛ばされた。

 おそらく、盾の魔術だ。初めて見た。

「大丈夫?!」

 女の子たちに駆け寄るホホ。おれは転がった犬に目をやる。

 [おい!やめろ!]

 犬の心に語り掛けるが反応はない。よろめきながらも立ち上がる野犬を見て、おれは何だか変だと思った。

 あの目、ガラス玉みたいだ。

「ホホ!」

 女の子を抱き起していたホホも犬をしっかり見ていた。あいつもきっと気付いている。

「みんな、ちょっと耳をふさいでて」

 思い当たる節があり、おれは言われたとおりしっかりと耳をふさいだ。

 転んだ女の子も両耳に手をやるが、もうひとりの子だけは何がなんだかわからないと言った感じでおろおろしている。

 そんな女の子の耳をホホの手ががっちり塞いだ。

 犬は牙をむき出しにしてゆっくりとホホたちに近づいていく。

 おい、大丈夫かよ。

 おれはホホたちの傍に駆け寄ろうとした。だが、その足が止まる。

 ホホの唇がかすかに動いていた。何かささやいている。

 多分小さい声だし、耳を塞いでいるので何を言っているのかは聞こえないが、何をしているのかはわかった。

 ユイが言っていた。ホホは「力ある歌」が歌えると。

 犬の動きが止まった。犬はホホの水色の瞳にじっと目を見つめられていた。とらわれている、と言ってもいい。動物ならそれだけで十分動けなくなるだろう。

 犬の目がかすかに揺れている。体も小刻みに揺れている。

 そして、ふっと倒れた。

 そのまま動かない。

 ホホが女の子の耳を塞いでいた手を外す。それを見て、おれと転んだ子も手を外した。

「急にごめんね。びっくりさせちゃったね」

 呆然としている女の子たちにホホが話しかける。

 おれは犬のほうへと向かった。

 結構大きな野犬だった。見ると腹が上下に規則正しく動いているので、とりあえずホッとする。

「眠らせたのか?」

 隣に気配を感じ、おれは訊ねた。

 ホホは頷くと「何かされているみたいだったから、それを解いて、眠らせた」と言い、犬を抱いて道の端に寄せた。

 何かされている。

 その言葉に、さりげなく周囲の様子を伺うが、近くにこの4人以外の気配はない。

 逃げたのかもしれないし、そもそも近くにはいなかったのかもしれない。

「とりあえずは大丈夫そうだよ」

 おれの様子を感じ取ってか、ホホは安心させるような口調で言う。

「…あの女の子たちを狙ったのかな?」

 おれは声を潜め、犬の方を見たまま言った。

「どうかな」ホホも犬を見たままだ。「そうかもしれないし、無差別かもしれないし…今のところは何とも言えないね」

 目が覚めた犬に聞いてみることもできるが、操られていたのでは多分憶えてはいないだろう。

「あの子たちに心当たりを聞いてみてもいいけど…今はちょっとね」

 それは頷けた。まだ恐怖は抜けてないだろう。その上犬が操られていたと知れば、さらに怖がらせ、混乱させてしまう。

「あの」

 鈴のような声、というのはこういう声のことを言うんじゃないかな、とおれは思った。

 振り返ると、立ち上がった女の子たちがこちらを見ている。

 ふたりは14、5歳くらいに見えた。制服を着ていているので、女学生のようだ。

「本当にありがとうございました」

 声の主は転んだ方だった。澄んだ声ではきはきと礼を言い、深々と頭を下げた。もうひとりの方も、おずおずと倣う。「ありがとうございました」

「どういたしまして」ホホはいつもよりも優しい口調だ。なんだか急にお姉さんぽい。そして俺に向かっては「あの子、怪我してるみたい」といつもの口調で言った。

 転んだ子は手のひらと膝をすりむいた上に、足首をひねっていた。

「店で手当てをしよう」

 そう言ったホホに、転んだ子はすぐさま「大したことありません」と返した。

「そのように言っていただいて本当にありがたいのですが、私たち少し先を急いでいるんです」

「でもあんた、それじゃ歩けないじゃん」

 間髪入れずに切り返したおれの言葉に、転んだ子はわずかに眉根を寄せる。

「エメラダ…」

 怪我をしていない方の子はさっきから心配そうな様子で成り行きを見守っていたが、とうとう耐え切れなくなってしまって声をかけたようだ。

 この子、エメラダって言うのか。

「残念だけど、ビゼの言うとおりね」穏やかに、言い聞かせるようにホホは続ける。「店で手当てをしたら、あなたたちの行きたいところまで送って行くよ?」

 動けない以上、もはや選択肢はない。エメラダは小さく息を吐いたのち、「すみません、お世話になります」と言った。

 怪我をしているエメラダをぎゅうぎゅうのリヤカーに乗せる。

「狭くってごめんね」

「いえ、こちらこそお忙しいところほんとすみません」

 おい、動くのか、これ。

 おれが若干不安になっていると、「あの、私も押します」と無傷だった方の子が申し出てくれた。

「さ、じゃあ行きますか」

 なぜだかホホは元気いっぱいだ。ほとんど休憩にもならなかったのに。再びぐいぐいリヤカーを引いて行く。

「ところであんたらどこ行くの?」

 向き合う形になっているエメラダに訊ねた。

「この辺りにある、霧雨亭っていうレストランを探しているんですが、ご存じですか?」

 レストラン?と言えるような雰囲気の店か?

 急にリヤカーが止まる。おれと無傷の子は「うぐっ」と、変な声を出して前につんのめった。

「急に止まるなよ!」

 おれの苦情を完璧無視して、振り返ったホホは「レストラン?」と呟いた。

 そこ、やっぱりひっかかるよな。


 女の子たちは町にある寄宿制の女学校の生徒だそうだ。

 転んだ黒髪の子はエメラダ、おれとリヤカーを押している茶髪のおさげの子はアンナというらしい。

「あなたたちが霧雨亭の従業員…?」

 なんという偶然だろう。だがおれは従業員ではないぞ。

 そんなおれの気持ちは完全に無視して、ホホは「そうだよ」と答えた。

 エメラダは身を乗り出してホホに訊ねる。頬がほんのり赤くなり、目が輝いていた。

「じゃあ、あなたが霧雨亭の魔女ですか?」

 魔女というキーワードにおれは敏感に反応した。

「ううん、私じゃないよ」

 ホホはすぐさまきっぱり否定した。するとエメラダは驚きと落胆が混ざったような、変な表情になった。

 まあさっきの様子を見たら、こいつが魔女だと思ってしまっても不思議はない。

「魔女に会いに来たの?」

「はい」

 エメラダは真剣だった。返事に迷いが一切ない。

「魔女に何の用だよ?」

 魔女の助手として、そこは聞いておかなくては。おれの中で急に仕事のスイッチが入った。

「占いをお願いしたいのです」

「…え?」

 占いというキーワードにぴくりと反応する。

「あ、そうなんだ」ホホが呑気な声をあげた。「もう来てるかなあ、ユイ」

「いや、来てないと思う」

 おれは素早く返事をする。

「でも今日は来るんでしょ?」

「いや、どうだったかなあ…?」

「え、さっき来るって言ってたよね?」

「言ったかなあ…?」

 ホホはしつこく追及してくる。くそっ。

「ビゼ?どうしたの?」

 急に挙動不審になったおれはあやしい。自分でもそう思う。

 …どうしよう?

 この場を切り抜けるいい策はないかと考えを巡らせるが、気持ちが焦るばっかりだ。

 ユイの魔女としての腕は一流だと思う。薬以外のこともほぼ全般的にできる。

 だが、ただ一つ、占いを除いては。

 こんなこと本当は言いたくないんだが、ユイの占いはいまいちだ。ずばり言ってしまうと、センスがない。

 だが厄介なのはここからで、ユイ自身は占いが好きなのだ。占うのも占われるのも。よく新聞の占い欄を読んでいる。

 だけど根っからの人見知りが邪魔して、今まで客を取ったことはない。実験台になるのはおれとアルだった。

 もし、向こうから占ってほしいと言われたら、ユイは狂喜乱舞するに違いない。ここぞとばかりにとんちんかんな占いを披露するだろう。

 助手としては主人のイメージを壊すようなことは避けたかった。何としても。

 でもエメラダの手当てをしなければいけないから、2人を霧雨亭に連れて行くのは決定事項だ。だとしたらユイがまだ来ていないことを、そしてこいつらが店にいる間に来ないこと祈るしかない。

「魔女さんのお名前、ユイさんって言うんですか?」

「うん、そう。今日は食堂の仕事には出てないんだけど、夕方来るって言ってたから。来てるといいね」

「はい」

 おれの不安をよそにホホとエメラダはのんきな会話を繰り広げていた。

 ふと、隣を見る。そういえばアンナは全然しゃべらない。

「あんたもユイに占ってもらいたいの?」

 何の気なしに聞いてみた。

 急に自分に話しかけられたことに驚いたのか、アンナは真っ赤になってしどろもどろに「え?あ、い、いえ、私は…」と答えた。

「ふーん。じゃああんたは付き添い?」

 別に何か意味があって聞いたわけではなかったのだが、アンナはなぜかもじもじとし、一瞬ちらりとエメラダを見た。エメラダも見られたことに気が付いているような気がしたが、こちらを確認することはなくホホとおしゃべりを続けている。

「そう、です…」

「へえ…」

 そういえばエメラダが転んだ時、アンナはエメラダのことを「お嬢様」と呼んでいたような…。

 こいつも従者か。そう思うと少し親近感が湧いた。

 さ、おれもご主人さまの名誉を守らなければ。

 ユイが来ないうちにふたりを返すべく、おれは早く出発するようホホを急かし始めた。


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