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猫とカラスと雨の森  作者: 夏川サキ
episode 3 雨があがれば
22/33

7

 ヴァネアが一枚噛んでいる。

 その事を告げると、場は荒れた。

「…殺してやる」

 静かに、でも地獄の底から響いてくるような声はメアリさんのものだ。

 すくっと立ち上がって、そのまま玄関へ向かおうとする。

「ちょい待ち!」

 彼女の腕を掴もうとしたが、するりと抜けられた。流石、猫の身のこなし。

 なんて感心していると、玄関の前で大きな体が少女をがっしりと羽交い絞めにした。

「捕まえた!!」

 ゼフィは得意げに俺を見る。

 メアリさんは首だけで振り返り、「放しなさいよ」と冷たく言い放った。

「嫌だね」

 もがくメアリさんをゼフィは軽々と抱え、ソファに無理やり座らせた。自分もその隣に座り、逃がすまいと彼女の肩に腕を回す。

「いいぞ、続けてくれ」

「いいわけないでしょ。馬鹿力。肩が痛い」

「こうしなきゃ、あんた逃げるだろ」

 メアリさんお得意の凍てつく視線も、ゼフィには効かない。屁のかっぱのようだ。

 極めつけにカッシュがゼフィとふたりでメアリさんを挟むようにしてソファに座る。

「じゃ、続きいきますよ?」カッシュはちらりとメアリさんを見た。「先に進まないから大人しくしといてね」

 完全なる子ども扱いなセリフに、メアリさんはわざとらしい盛大なため息を吐く。そして仏頂面で勢いよく背もたれに背を預けた。



 魔法石の作り主を探していたカッシュが目星を付けたのは、ツヅキという名の魔法使いだった。

 この男は変な研究ばかりやって、数年前に都の王立魔法研究所をクビになったという経歴の持ち主だ。

 そして、彼は件の隣国の出身だった。

 子どもの頃に家族でこの国に引っ越してきている。今は先日までカッシュが行っていた国境沿いの町で、相変わらず個性的な研究をしながら暮らしているとのことだった。

 そこに出たそうだ。

「幽霊が?」

「違います」ゼフィのつまらん茶々をカッシュはさらりと流す。「ヴァネアさんです」

 そこでユイが突然立ち上がった。彼は読んでいた資料を机に置くと、作業部屋に駆け込んでいく。

「ユイ?」少し離れた壁に凭れて話を聞いていたビゼは、すぐさまその後を追った。

 そんなふたりの後ろ姿を目で追うカッシュに、メアリさんが訊ねた。

「ツヅキの所を訪れた時のヴァネアの服の色って、わかる?」

「ああ、それ、」カッシュは俺に視線を移す。「ビゼ君もさっき気にしてましたよね」

「ヴァネアは緑色の服しか着ないんだ」

「…なんで?」

 ゼフィが不思議そうな顔をする。

「こだわりじゃない?」

 俺はそう言って答えをぼやかした。

 しかしメアリさんは「歪んだコンプレックスよ」と吐き捨てる。

 不穏な空気が漂う。

 瞬時に察知したカッシュがすかさず口を挿んだ。「そのヴァネアさんの元の姿って、何なんですか?」

「カエル」メアリさんが答える。「アマガエルよ」

「小さいな。姿変えられると探せないぞ」

 ゼフィのぼやきに、「それはないと思う」と俺は断言した。

「なんでだ?」

「ヴァネアは本当の人間になりたいんだって。だからカエルはやめたらしいよ」

 するとメアリさんは鼻で笑った。「やめられるわけないでしょ」

「本人が言ってたけど」

「私たちはどこまで行っても使い魔よ。人間になんかなれっこない」

 メアリさんは強い口調で言い放った。

 俺は思った。今、この場にビゼがいなくてよかったと。彼には聞かせたくない言葉だった。

 それで思わずメアリさんに非難のこもった視線を送ると、彼女も挑むように俺を見ていた。

 メアリさんは続ける。

「ヴァネアだってわかってるのよ。だってずっと本当の人間になることだけを追い続けているんだもの。そんな方法なんてないって、誰よりも知ってるわ」

 …これはきっと、ヴァネアのことだけを言ってるんじゃないだろうな。

 なんだか7年前の喧嘩の続きをやっているみたいだ。

 メアリさんは静かに俺の言葉を待っている。その目が「どう?あんた、言い返せるの?」と、挑発していた。

 何か言わなければ。そう思うけど、何も言えなかった。

 メアリさんの欲しい言葉がわからない。もうずっとそうなのだ。

 見かねたカッシュがそこで割って入った。

「あ、でもですね、この似顔絵なんですけど」いつもよりも少し、早口。「プッチー人形をもらった人の中に彼女のことを憶えていた人がいて、その人が描いてもらったんです。でね、その人も、他のプッチー人形をもらった人も、白い服着てたって言ってましたよ」

「それなんだけどさ、多分、傀儡だよ」

 俺はメアリさんから視線をそらして答えた。

「くぐつって…操り人形か?」

 ゼフィの問いに小さく頷く。

「ヴァネアはずっとそういう研究をしてたから」

 おそらくプッチー人形を使うというアイディアはヴァネアのものだろう。彼女ならその仕組みを確立させることなんてお手のものだ。

「自分そっくりの傀儡を作るんですか?」

「そう」

「それってさ」ゼフィはメアリさんを見ていた。「人間になるためのヒントを探して?」

 メアリさんに訊いているんだろうけど、彼女は答えない。だから俺が代わりに「多分ね」と返事をしておく。

 そんなことを話していると、ユイとビゼが作業部屋から出てきた。

「これ見て」

 ビゼが広げたのはこの国の地図だった。ゼフィが身を乗り出してくる。

「ここが、ツヅキって人がいるところ」ユイは言いながら青いボタンを置く。「そしてここがホホが警備で行ってた町」次は消しゴムを置いた。

 ボタンと消しゴムの間は結構離れている。しかし、ふたつの町をつなぐものがあった。

「川…」

 水色の蛇行する線。それを指してユイは頷いた。


 俺たちが地図に食い付いている間に、メアリさんがそっと2階に上がっていくのが視界の端に映った。

 その様子をビゼは心配そうに見ていたが、やがて意を決したように立ち上がり、彼女の後を追っていった。



 魔法石の説明をするユイは、少し緊張しているように見えた。

「これらはおそらく同じところから採れたものだよ」

 机の上にふたつの黒い石を置く。

「その根拠は?」

 ゼフィは視線を上げた。

「微量なんだけど、石から特殊な波動が発生している。これは人工的なものじゃない」

 ユイが手元の資料をめくり、該当ページをゼフィの前に差し出す。ゼフィは資料に目を通し始めた。

「その波動は生き物の、特に人の精神に作用しやすいという特徴を持っている。だからその特徴を利用して、精神に働きかけるような魔法の効果を上げることができるんだ」

「例えば操りの術、とか?」

 横目でユイを見る。ユイは「そう」と返した。

「原石そのままの状態だと、それほど気にするようなものじゃないんだ。だけど波動の効果だけをうまく高める処置が絶妙なバランスでされている」そして神妙な顔つきで「このツヅキって人、天才だよ」と呟いた。

 そこまで言わせるか、と思ってユイを見ると、「初めにアンナの石を調べた時にはカムフラージュがうますぎて気づけなかった」と悔しそうにぼやいた。

「そういう基本的な処置をした上で、色々と魔法が施されているんだけど…。ホホのはアンナとは全く別のがかけてあった」

 ユイはホホの石についてまとめたものを机に出した。俺とカッシュがそれを覗き込む。

 アンナの石はそもそもが人形を動かす動力を集めるために、操りの術が施されている。一方でホホの石は、純粋に人を操るために作られた石だ。

「だけど構成っていうかクセが似ているから、多分どちらもツヅキっていう人が術を施したんじゃないかな」

「…なあ」ゼフィが顔を上げてユイを見た。「なんで2種類の目的の違う石を作ったんだと思う?」

 突然の質問に、ユイは数回目をしばたたいた。そして少し考えてから、「完全なる私の想像でもいい?」と訊ねる。

「構わない」

「それは…」ユイは机の上の石を見た。「…まだ研究段階だから」

 それはこの間俺たちが出した答えと同じだった。カッシュを見ると、彼は得意そうに唇の端を上げた。

「っていうのもね、この石にはちょっとした問題点があるんだよ」

「問題点?」

「さっき、神経に作用する波動が出てるって言ったよね?確かに波動によって神経系の魔法の威力は上がる。だけどそれだけじゃなくて、波動自身も持ち主の精神的な影響を受けて、副作用的な効果を出してしまうみたい」

 精神的な影響。その言葉に、ホホが思い浮かんだ。

 ホホの恐怖に呼応するように膨れ上がった黒い闇。

「じゃあ、石の波動と持ち主の心情が混じり合って生まれた魔法が、近くにいた犬を暴走させたり、持ち主に幻覚見せたりってことも起こりうるのか?」

「その可能性が高いと思ってるんだけど…」ユイは眉尻を下げる。「ごめんなさい。実はまだそこまで調べ切れてなくて…」

「いや、十分だ。よくここまで調べてくれたな」

 ゼフィがニッと人懐っこい笑みを見せた。それに応えるようにユイもはにかむ。

 だがその表情はすぐに曇ってしまった。

「…ユイ?」

 俯き加減の横顔を見つめていると、少しかさついている唇からぽつりと言葉がこぼれる。

「ホホにかけられた操りの術が…解けない」

 重たいため息が複数漏れた。

 石はとっくにユイが壊しているのに、ホホが未だに操られた状態であることは昨日から気にはなっていた。通常、道具を用いて魔法をかけた場合、その道具を壊してしまえば術は解ける。考えられる可能性がいくつかあったが、今日一日色々試してダメだったとすると…。「鍵がかかってる?」

 ユイがこくりと首を縦に振る。

 鍵とは、魔法が簡単に解けないようにする方法のひとつだ。

「こりゃ厄介だな」と、テーブルの向こうで呻くのが聞こえた。

 そして鍵は魔法をかけられた人の記憶の中に仕込まれる。

「今回のことにヴァネアが係わっているんなら、多分消された記憶の中だと思う」

 そう言ったユイの声が冷え切っていて、ぞっとした。

 俺は弟の整った横顔を凝視する。

「私が術者なら、そうする」



 とりあえず、ホホを起こして話を聞いてみることになった。

 彼女の身に何が起こったのか、憶えていることを話してもらう。

 鍵が消えた記憶の中だと決まったわけではないし、その辺りを探るためにも意識を取り戻してもらう必要があった。

 ちなみにヴァネアが操作した記憶は、ヴァネアにも戻せない。本人が自力で思い出すしかない。

「なんつーか、…やっぱりお前んちってスゲーな」

 ゼフィがテーブルに頬杖をついて遠い目をした。

「ごめん。なんか身内が話をややこしくしてて」

「いや、手の内わかるから、いろいろ調べる手間が省ける」

 …知ってたけど、うちのボスはなかなかの豪胆だ。

 今、2階ではユイがホホにかけた眠りの術を解いていた。1階にはおっさんたちだけだ。

「ユイちゃんが調べてくれた資料を中央に回しましょうか?」

「そうだな。んで、他の石ももう一度しっかり調べろ、って言っとけ」

「うっす」

 おそらくだけど、中央の術者がぼんくらというわけではない。ユイは祖母仕込みの独特の方法で分析をする。それは門外不出の技術だった。

「それにしても、どーしたもんかねぇ」

 俺たちの読みはこうだ。

 隣国から密輸された特殊な黒曜石は、国境を渡った町でツヅキによって加工がされ、国内各地に運ばれて実験が行われている。

 ホホが護衛として付き添った出張先の町で、アンヴァンは本物のヴァネアと会っていたのだろう。ふたつの町を結ぶあの川には定期船が通っている。ホホはその密会を目撃したか、それに関する何かを知ってしまったために記憶を操作され、魔法石を仕掛けられてしまった。

「でもここまで調べたら、あとはツヅキを張っておけば、じきに証拠も上がるんじゃないの?」

「…そのツヅキが今行方不明なんだよ」

「え?!」

 カッシュを見ると、渋い顔で頷いた。「ここひと月程家に帰ってないようです」

 家の中もきれいに片づけられて、証拠となるようなものはなかったそうだ。

 嗅ぎまわっていることに気づかれたのだろうか…。

「だからホホが何か知っててくれてると、こちらとしてはすげーありがたいんだよな」

「ヴァネアさんがここに帰ってくるってことはないんですか?」

「…わからん」俺は正直に答えるしかなかった。「ヴァネアは本当に気まぐれだから。でも…可能性は低いと思う」

 多分、今のこの家には彼女が帰ってきたいと思う理由がない。

 俺はゼフィに訊ねた。

「アンヴァンには身張り付けてるんだろ?」

「ああ」ゼフィが短く返事をする。

「もしヴァネアを見つけても、近づかないように言っておいて。すぐに俺に知らせるようにって」

 するとゼフィはこちらに頭を向ける。

「そんなに危ないのか?」

「危ないっていうより、厄介だから」俺は肩をすくめる。「これ以上記憶消失者が増えても困るだろ?」

「…確かにな」

 ゼフィは珍しく苦笑いを浮かべた。

 突然、2階が騒がしくなる。

「ホホ!」「アルなら下にちゃんといるって!」

「なんだ?」

 俺たちはそろって2階を見上げる。

 …なんか昨日もこんなことがあったような気が…。

「アル…」

 ほぼ一日ぶりの声が、懐かしい。

 階段に目をやると、彼女が駆け下りてくるところだった。

「ホホ、おはよう」

 おはような時間でもないよな、とか思っていると、なぜかホホが顔を歪める。

 そして座ったままの俺の前に立ち、両手で俺の顔を包み込んだ。

 驚いて彼女を見上げる。

 だけど冷たい手の感触を気持ちいいと感じるくらいには冷静だった。

 ホホは不安そうな、それでいて緊迫した表情を浮かべていた。

「…大丈夫?」

 掠れる、囁くような声で彼女は言う。

 俺は笑ってしまった。「それはこっちのセリフでしょ」

 笑う俺を見て、ようやくこわばった表情が溶けていく。わずかに笑みのようなものを浮かべた。

 ホホは俺の首に、ゆるく抱きつく。「…無事でよかった」

 傍目から見たら、まるきり逆な会話だ。

 でも言いたいことはなんとなく伝わっている。

 おそらく彼女は昨日のことを全て憶えているんだろう。自分が俺を傷つけたのではないかと心配したのだ。

 ホホの背中に腕を回す。「俺もそう思う。ホホが無事でよかった」

 耳元で静かにしゃくりあげる声が聞こえだした。体も少し震えていた。

 でも温かい。ホホの体は湯たんぽみたいだ。

 それがなんだか嬉しくて、腕に力を込めると、ホホはしがみついたまま子どものように声を上げて泣いた。



「大丈夫?ほんとに顔色悪いよ?」

 ユイが俺の顔を覗き込む。

「……ああ」

 返事はしてみたものの、全然大丈夫ではない声が出たことが自分でもわかる。

 ホホが目覚めた翌日、俺の体調は最悪だった。朝起きた瞬間から頭が割れそうなほど痛い。

 時たま、こういうことはあるのだけれど、今日のは久々にすごかった。薬は飲んだが、全く効く気配がない。

 何とか仕入れには行った。でもこれじゃあ店を開けられない。

「しばらく横になってなよ」

「でも準備が」

「無理でしょ?それにさっきビゼに応援頼んだし、じきにカッシュさんも来てくれるし」

「でもそれじゃお前のほうが…」

「うちは大丈夫。作る方はひと段落してるから」

 結局ユイたちに甘えるしかなかった。

 …情けないなあ。

 リビングのソフィアに横になりながら思う。

 でも今は落ち込んでいる場合じゃない。これを治すことのほうが先だ。

 よし、寝る。寝て、開店時間までに治す。

 俺は気合を入れて目を閉じた。



 夢を見た。

 夢だと自分でわかっている夢だった。

 だってそれは、遠い昔に過ぎ去った日々だったから。

 今はもういない、大好きだった人たちに囲まれていた。


 俺は海で泳ぎの練習をしていた。

 父さんが隣で俺に声をかける。

 前方ではお兄さんが両手を伸ばして「ここまで来い」って呼んでいる。

 浜辺では母さんが手を振っていて、その隣でお姉さんが笑っている。

 お姉さんの腕の中には赤ちゃん。気持ちよさそうに眠っている。

 赤ちゃんが大きくなったら、俺が泳ぎを教えてあげなければならない。お姉さんとそう約束したから。

 だから俺は泳ぎの練習をしている。

 水から顔を上げ、ふと岬を見ると、お姉さんたちの住む灯台が目に入った。

 白くて長細い灯台はろうそくみたいで、夏の濃い青空によく映えていた。


 楽しい日だった。

 みんながたくさん笑っていた。

 赤ちゃんがすやすや眠っていた。

 ずっとこんな日が続くと思っていた。


 赤ちゃんが泣いている。

 お姉さんは言う。「アルが抱っこすると、この子すぐに泣き止むのよね」、と。

 だから早く行かなくちゃ。俺を呼んでる。早く抱っこしないと。

 でもどこに行っていいのかわからない。

 もうここには誰もいない。誰もいないはずなのに、赤ちゃんが泣いている声だけが聞こえる。

 どこ?みんな、どこに行ったの?

 帰ってきて。お願い。

 ひとりにしないで。


「アル」


 名前を呼ばれて、目を開けると、水色の目がそこにある。

 小さなぷにぷにの手が頬に触れる。

 よかった。…戻ってきてくれたんだ。

 ほっとして息を吐くと、自然にその名が零れた。

「ホーティス…」

 そう、それが赤ちゃんの名前。

 あの子の名前はホーティスだった。



「…あ」

 びっくりした。

 目覚めた俺の、目の前にいたのはホホだった。それも、息がかかる程の距離で俺を見つめていた。

 突然目が合って、むこうも驚いている。

「どうして…」

 君がここにいるの?

 ホホは森の家にいるはずだ。まだ本調子ではないだろうし、アンヴァンたちからも離しておきたい。メアリさんも森の家に残ってくれていたのだが…。

 状況が掴めずにぼんやりとホホを眺めていると、神妙な顔つき彼女が口を開く。

「ユイから手紙が来て、アルの体調が悪いって…」そしてがばっと頭を下げる。「ごめんなさい!私が帰ってきても迷惑かけるだけだってわかってたんだけど、でも心配で」

 その、必死に言い訳する姿をすごくかわいいと思ってしまった。

 思わず笑みが浮かぶ。

「そっか…心配かけてごめん」

「ううん、勝手してごめんなさい。…具合はどう?」

 びっくりして具合が悪いことを忘れていた。ちょっと考えて答える。「うん、さっきよりまし」

 まだ少し頭が重いが、動けない程ではない。

 するとホホは「よかった…」と安堵の声を漏らす。

「じゃあ、無事も確認したことだし…戻るね」

 そう言って彼女はすくっと立ち上がった。


「待って」


 反射的に手を伸ばしていた。彼女の冷たい右手を掴む。

 触れた瞬間、彼女の体が少し強張った。

「もう少しだけ、ここにいて」

 俺の口から自然と突いて出た言葉に、水色の目が見開かれる。

「…お願い」

 何を言っているのだろうと、自分でも思った。

 引き留めてはいけないことは重々わかっているのに。

 彼女は少しだけ迷ったように視線を彷徨わせたが、すぐに俺の目を捉えて、笑った。

 その笑顔を、数時間見ていなかっただけなのに、何十年ぶりかに見たような気がした。


 俺はやっと、今度こそ思い出していた。


 あれはお姉さんが歌っていた子守歌。

 あの短剣はお兄さんが持っていたもの。

 そして、この水色の瞳はまぎれもなくあの子のものだ。

 ホーティス。

 俺がホホと愛称を付けた、大事な大事な女の子。


 こんなに大切なことをなんで忘れていられたんだろう。

 今まで気が付かなかったんだろう。

 彼女は戻ってきてくれたのに。


 その時俺は、本当に幸せだった。

 泣きたくなるくらい、幸せだと思った。


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