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猫とカラスと雨の森  作者: 夏川サキ
episode 3 雨があがれば
17/33

2

「わざわざ捉まえに来なくても」

 ため息混じりにこぼす。

「先輩は自分のことがほんとにわかってませんね」カッシュはやれやれというように首を振った。「先輩の勘の良さはケモノなみですから。途中で何かを嗅ぎつけないとは限りません」

 褒められてるのだろうか。それとも馬鹿にされてるのだろうか。

「そんなことないけど。現にまんまと捉まったしさ」

「そりゃ、細心の注意を払いましたからね。どんな手を使っても絶対に連れて来いって、社長命令だったんですよ」カッシュはちらりとゼフィに視線を送るが、社長様は涼しい顔をしていた。「あわよくばユイちゃんに会いたいってのも本心ですけど」

「…あっそう」

 俺はめずらしく不機嫌さを隠さなかった。

「そんな顔すんなよ」ゼフィがぽんっ、と俺の肩に手を置く。軽くやったように見えて、結構痛い。「久しぶりにお前に会いたかったから、カッシュに無理言ったんだ」

 俺たちが最後に会ったのは、ゼフィが社長に就任する前で、約1年ぶりの再会だった。

 機関の中でも貿易会社を装って活動をしているうちの部署は異色な存在だ。そのトップとなったゼフィも学生時代から異彩を放っていた。まあ、それは変人と同義であるが。

「強引だな。いつものことだけどさ」

「まあな」自覚はあるらしく、彼はニヤリと笑った。「お前の周りがおもしろいことになってるって報告もあったし」

 ゼフィの信条は「迷ったらおもしろそうな方を取る」だ。俺はそれに散々振り回されてきた。そして最近ではちょっと伝染してきている自覚がある。



「俺が乗ったら、船沈むよ?」

「船乗りになろう」と勧誘に来たゼフィに俺がそう返したのには理由があった。


 俺には生まれつき呪いがかかっている。魔を引き寄せてしまうのだ。

 何もせずとも自然に、人でも物でもなんでも、妖しいものが寄ってくる。


「物騒なこと言うなよ」

 ゼフィは笑う。この頃は彼も船に乗って諜報活動を行うただの平社員だった。

「いや、冗談とかじゃないから」

 俺が真面目にそう言うと、急に彼は表情を引き締めた。

「そうだ、冗談じゃない」

「…え?」

「俺は本気でお前を連れて行きたいって思ってんだよ」

 冗談じゃないのなら、なおのこと困る。

「なら試してみようぜ」

「…何を?」

「俺の運。お前が連れてくる変なもんなんて、吹き飛ばしてやるよ」

「そんなの周りの人に迷惑だ」と言おうとした俺は、ゼフィの目を見て固まってしまった。彼は本気だった。いや、彼はいつだって本気なのだ。そして自分が負けるはずないと思っている。

 大した自信家だ。あきれて、それこそ笑い飛ばしてもいいところなのに、俺は何も言えなくなった。

 するとゼフィはふっと表情を緩めた。

「それくらいお前の能力は買ってるんだ。もちろん呪い込みでな」

 その時のゼフィとの再会も数年ぶりだったが、彼は全然変わっていないかった。久々に見た豪快な笑顔に、妙に安心してしまったことは今でもよく憶えている。


 船に乗ってわかったことは簡単だ。

 世界は広い。その気になれば、どこへだって行ける。

 それから、俺は俺にしかなれない。

 それがわかって、息をするのが少し楽になった。



「というわけなので、先輩の予想通り人形の件は特にラッセン家を狙ったものではなく、無差別なもののようです」

 事務所でゼフィと俺はカッシュからの報告を受けていた。

 1ヶ月ほど前、「先輩…、おれ、怪談話って苦手なんですよね…」と前置きをして、カッシュは散々愚痴をこぼした。巷で流行のプッチー人形の改造品が出回っているらしく、その調査を社長から命ぜられたのだ。

 人形が勝手に動き回るという話が若者の間で広まっていた。でもその時はあくまでうわさレベルで、怪談じみた信憑性の低い話ばかりだった。カッシュの苦手なジャンルな上に、無駄足になりかねない案件だったのだ。

 だがゼフィは「なんかきな臭い」と言い、渋るカッシュに「こういうの、アルが得意だから手伝ってもらえ」とけしかけたのだそうだ。ちなみに俺は怪談専門ではないし、そもそも今は調査担当でもない。

「じゃあ、たまたまラッセン家の関係者が引っかかったってこと?」

 ゼフィは事務所の棚を勝手に漁って発掘してきた豆を、ぼりぼりと音をさせて食べながら訊いた。よっぽどお腹が空いているのか、ものすごい勢いだ。

「はい。運悪く」

 エメラダ・ラッセン。カッシュが愚痴って行ったその直後に、霧雨亭を訪ねてきた少女の名だった。彼女とその友人のアンナは何ともタイムリーに、件の怪しいプッチー人形をうちに持ってきたのだ。

 エメラダの名前は以前から知っていた。

 北方に領地を持つラッセン家は王家の遠縁に当たる。現当主の末娘がザッカリーの寄宿学校に入っていることは情報として把握していた。まさか本人と会うことになるとは思っていなかったけど。

 ラッセン家を狙ったものかとも一瞬考えたが、どうもそんなかんじでもない。カッシュにそのことを伝えていたら、ちゃんと調べてその線を完全に消してくれていた。

「これは俺の予想ですけど、なんとなく実験的な雰囲気なんですよね」

 俺は机の上にある報告書を手に取った。ついでに豆の袋にも手を伸ばそうとすると、ゼフィはさっと袋を俺から遠ざけた。いいところの子のくせに、割とがめつい。

 分布図を見ながら俺は「…そんなかんじだな」と同意した。

 ゼフィは豆に夢中で、あまり興味なさそうに横から覗いてくる。自分が調べろと言ったのに。

 だがゼフィの嗅覚の良さは流石と言うしかない。あの時点でよくこの事件に目を付けたものだ。

 カッシュはもう一枚紙を俺たちに差し出した。

「中央に送っていた石と人形の分析結果です」

 それはアンナから処分を頼まれていた人形だ。ユイが術を解いて、石は割った。その後、俺が捨てておくと言って、粉々の石の破片と腹の裂かれた人形をひそかにカッシュに渡していた。

 俺はそれに目を通す。やはり人形は土産物で売られているものと同じだった。

「…石そのものには特徴がないね」

 石も至って一般的な黒曜石だ。そこらの屋台で売ってるような安物である。ここから犯人を辿るのは難しそうだ。

「なんだこりゃ。えらい手の込んだ魔法がかかってんな」

 横からゼフィが指したのは残留魔法の欄だった。

「そうなんすよね」と、カッシュも頷く。「町の三流魔法使いではちょっと出来ないような代物なんですよ。それこそ王立研究所の高位術者とかじゃないと無理っていうか。だからここから追ってみようと思ってます」

 ゼフィは腕組みをして、報告書を凝視している。そしておもむろに口を開いた。

「ユイが…これを解術したんだよな?」

 ゼフィはユイのこともよく知っている。実際に面識もあり、彼はユイを非常に気に入っていた。

 ふたりの視線が俺に向けられる。ふたりとも目力があるので、じっと見つめられると怖い。

「…ちょっと手こずってたけどね」

 はあ、という2種類のため息が漏れる。

「…もったいない。その才能」と頭を横に振るゼフィと、「流石ユイちゃん…」とうっとりするカッシュ。

 それぞれの思いはとりあえずスルーして、俺は話を続ける。

「犬の件はどうだった?」

「分析からは何も出ませんでした」

 人形に入っていた黒曜石によって操りの術をかけられていたのは、人形の持ち主だけだった。

 あの時周りには自分たち4人以外に誰もいなかったと、現場に居合わせた4人はそう証言している。その中には人よりも気配に敏感なビゼとホホがいた。

「でも他の人形の周りでも似たようなことが数件起こってます」同じように動物が暴れだした事例が複数あるそうだ。「動物の種類は異なりますが、共通して言えるのは人形の持ち主が襲われているということです」

 俺たちは顔を見合わせる。

「そりゃ何よ?願いを叶える副作用的なかんじ?」

「どうかな。人形は関係していそうだけどね」

 そう言いながら、俺は報告書の入手経路の欄に目をやる。

 アンナは「白い服の女」に人形をもらったと言っていた。その女がアンナを操っていた可能性が高い。

 カッシュの報告では他にも「白い服の女」から人形をもらったという人が複数人いる。

「…白い服の女、か?」

 ゼフィの問いかけに俺は頷いた。

「そいつも気味が悪いですよね」

 アンナを含め、「白い服の女」から人形をもらった人たちに共通して言えることがあった。それは誰も女の顔を憶えていないということだ。

 同時期に広範囲で事件が起こっていることから、「白い服の女」は複数人いると思われた。しかし顔がわからないから断言もできないし、もしかしたら同一人物であるという線も捨てきれない。

 それにみんながみんな、そのあたりの記憶が曖昧であるということにも引っ掛かりを感じる。

 動物に術をかけたのも、「白い服の女」なのだろうか。それとも…?

「今、手に入れた他の人形と石も分析にかけてますから、とりあえずはその結果待ちってかんじですね」

 カッシュはそう締めくくった。

 どうも、これで終わりというわけにはいかないらしい。



 もう夕方だし、このまま飲みに行こうという話になる。

 俺は荷物を置くために一度家に帰った。カッシュのお土産を渡すと、ユイとホホは大喜びだった。

 自室で届いた荷物を開封する。中に入っているのは外国のめずらしいスパイスといくつかのメモ。

 国外で活動している仲間からの連絡だった。それらに目を通した後、ズボンのポケットからも同じようなメモを取り出した。こっちは港でうろうろしているときに入れられたものだ。

 船を降りた俺の、本来の役割は連絡係だった。

 本当は船を降りて店を継いだ時に諜報員はやめるつもりだったのだが、ゼフィになし崩し的にその役目を押し付けられた。

 いや、結局俺はやめたくなかったのだろう。

 食堂の主人と連絡係は相性がとてもよいことはすぐにわかった。店は不特定多数の人が出入りしても怪しまれないし、荷物を取りに行く以外にも出かける口実は色々ある。うちの営業は昼間だけなので、夜は体が空くことも都合がよかった。

 家族に言っていないことに対して、後ろめたさは感じていなかった。もっとも、諜報員であることは機密事項なので、その開き直りもあるのかもしれないが。

 俺はユイのように、「騙しているみたいだ」と言って顔を曇らせたりしない。

 ビゼのように感情が顔からダダ漏れということもない。

 どちらがいいとか、悪いとかじゃないけれど、どちらがより人間らしいのだろう。

 …あまり深く考えない方がいい問題だな。どつぼにはまって身動きが取れなくなる。

 俺はそう判断すると考えるのをやめ、部屋を出た。



 スポンサーがいるので、カッシュとふたりで飲む時よりもちょっといい店に行く。

 カッシュが選んだ店は、俺も前から気になっていた小洒落た料理屋だった。

「お前、女と暮らしてるんだって?」

 うちの店ではお目にかかれない上品な料理を研究しながら食べていると、ゼフィが突如として切り込んできた。おそらく酔ってはいないはずだ。ゼフィはザルだから。

「言葉が悪い」顔をしかめて訂正する。「住み込みの従業員がいるんだよ」

「めっちゃ美人すよね、ホホちゃん」馴れ馴れしくちゃん付けで呼ぶカッシュだが、直に会ったことはないはずだ。「社長のタイプだと思いますよ」

 俺は心の中で舌打ちした。ほんとにこいつはいらん事ばかり言う。

「うちの従業員に手出さないでね」

 ゼフィがその気になったら俺のお願いなんて聞いてくれるわけないが、一応釘を刺しておくことにする。

 するとゼフィは真正面から俺を見つめた。

「…嫁にするのか?」

「は?」

「うわさになってるらしいじゃん」

「…うわさを鵜呑みにするなって、いつもゼフィが俺たちに言ってるんだけど?」

 うわさのことは知っているが、いちいち気にしていなかった。ただ、ユイの耳に入らないことだけは祈っている。

「じゃ、なんで部外者雇ったりなんかするんですかー?」

 赤い顔をしたカッシュが口を尖らせた。こいつは酒が弱い。

「あの子、すごい仕事できるから」

「俺だってできますよー!」

 ユイがうちで働くようになった当初、魔女の仕事で来られないときに助っ人で呼んでいたのがカッシュだった。このお調子者は器用になんでも卒なくこなす。

 だがホホを雇って、ビゼも手伝ってくれるようになって、彼の出番はなくなった。そのことを不満に思っているらしい。

「お前だって本業が忙しいから、そうそう頼めないだろ?誰か雇わなくちゃって、ずっと思ってたんだよ」

 だけど人選が難しかった。色々と悟られては困ることが多々あるが、あんまりぼんやりしたのも客商売には向かない。

 それに俺の体質のこともある。

 特異体質のことは基本的に秘密にしていた。でないと日常生活にも店の営業にも、色々と支障をきたすからだ。だがここで雇うとなると言っておかないわけにはいかない。

 実は過去に何人かに告白したことがあった。その経験からして、言うと大抵の人は引く。はっきり態度に出さなくても、それはわかる。

 まあ、このふたりは例外だけど。ゼフィは「マジで?!」と大笑いし、カッシュは目を輝かせながら興味津々といった様子であれこれ訊いてきた。

 だから、ユイなのだ。

 ユイに声をかけた理由はいくつかある。単純に一緒に仕事をするのは楽しそうだとも思ったし、ユイなら呪いのことは気にしない。

 一番の決め手は、ユイは俺を疑うことを知らない、という点だったが。

 ただしユイにはもれなくビゼが付いてくる。ビゼは鋭い。でも彼はユイが悲しむことは絶対にしないから、もし気付かれてもうまく言いくるめることはできると思った。

「だからって人増え過ぎですよー。行きにくくなったって、みんな言ってますよー」

「その分俺が自由に出歩けるようになったから、問題ないだろ?」

「そうですけどー」カッシュはふくれっ面で首を振る。「俺だって、ユイちゃんやホホちゃんと話したいんですー」

 結局そっちかい。

 ちなみにカッシュは男が好きというわけではない。かわいい子が好きなのだ。美意識の問題である。

 ゼフィはまだ俺を見ていた。

「…何?」

 じっと見つめられて、気持ちが悪い。

「いや、お前が家に女住まわせて、一緒に働いてるっていうから、てっきりそういうつもりになったんだと」

 その言葉に俺は苦笑を漏らす。

「今までだって彼女はいただろ?」

「そんなの関係ない。重要なのはあの家で一緒に住んでるってことだ」

「それは成り行きだよ。彼女、旅の人だから住むとこなかったし」その上過激なストーカーに付けられていたし、弱っていたし。「とにかく俺が嫁さんもらうとか、ないから」

 早く話題を変えたかった。するとゼフィはグラスを弄びながら「それは呪いのせいなのか?」と独り言のように呟いた。

 結婚観についてこのふたりと話すのは初めてではない。だけどゼフィが更に突っ込んできたのは初めてだと思う。

「社長、直接的すぎます」

 あけすけなふたりに、思わず俺は普通に笑ってしまった。陰でこそこそ言われたり、同情されるより、ずっといい。

「単なる俺の主義だよ」

 そう言って口にした、貝と葉物野菜の炒め物がおいしくて、軽く目を見開く。

 うちの店でも出そうかな。



 酔いつぶれたカッシュを家まで送り届けた後、海岸沿いの道をぷらぷらと歩いて家へ向かう。

 風の気持ちいい夜だった。こんな夜はいくらでも歩けそうな気がする。

 静かな夜の海辺を歩いていると、さっきの会話が頭の中に浮かんだ。すると自然に右腕に意識が行く。

 右腕にその印はあった。呪いの証。

 印を持つ子どもは稀に現れるという。ただし、大人になるまで生きられる子はとても少ない。それは禍によって死んでしまうからだ。

 大人になったところで、魔に魅せられて道を踏み外す者も多い。

 呪いを解く方法は、今のところ見つかっていない。色々試してみたけど、印が消えることはなかった。

 そんな俺が今日までおかしな事件を起こすこともなく生きながらえてきたのは、ひとえに家族のおかげだ。


 家の前でメアリさんに会った。

「やあ、メアリさんも今帰り?」

 俺はいつもの調子で明るく声をかける。

「…」

 こちらもいつもの調子で俺を軽く一瞥しただけだった。

 メアリさんは喋らない。それは俺のことをまだ許していないから。

 7年前、俺たちは大喧嘩をした。

 喧嘩の原因は俺がうちを出ると決めたこと、船乗りになると言ったことだった。彼女は俺が海に出ることに家族の中で唯一大反対で、それこそ力ずくで止めようとした。それを振り切って、俺は家を出た。

 実は、母が死んでもしばらくの間は、俺にだけはたまに喋ってくれていた。

 しかしその喧嘩を最後に、俺はメアリさんの声を聞いていない。

「いい夜だね。散歩にはもってこいってかんじで」

 めげずに語りかける。俺は努めて変わらず振る舞うようにしてきた。

 だけど今日もメアリさんは完全なる無視で、そのまま裏庭の方へ行ってしまった。

 思わず、小さなため息が出る。

 まあ、悪いのは俺だけど。

 そう心の中で呟くと、自然とうちを見上げていた。

 祖父の代から続く霧雨亭。小さくて古い我が家は、とても頑丈だ。建物の構造的なことだけじゃない。うちには強力な結界が張ってある。

 一般家庭には大げさなように見えるそれは、俺が引き寄せる変なもの防ぐために魔女だった母が施した結界だ。今はメアリさんが引き継いで維持している。

 通常、使い魔の主である魔女が亡くなると契約が失効されるので、使い魔は自由になることができる。

 だが母はおそらく、メアリさんにお願いをしていたのだろう。

 自分に何かがあった時は代わりに家族を守るように、と。

 母が死んで、メアリさんは母以上にスキなく家を守り続けた。

 なのに当の本人が突然家を出ると言い出したのだ。

 そりゃ、「はあ?」とも言いたくなるだろうし、キレもするだろう。

 でも、それでもメアリさんは喧嘩の後もずっと家を守り続けてくれている。

 母さんとの約束だから。メアリさんは母さんが本当に大好きだったから。

 俺の呪いの一番厄介なところは、本人だけでなく家族や周りの人も巻き込んでしまうところだ。俺のことはどうでもいいけど、母が大事にしていた家族と霧雨亭は守らなければいけないと思っているのかもしれない。

 ちなみ海に出た俺は、色々あったものの死ぬことなくこの町に戻って来れた。ゼフィの神懸かり的な強運のおかげか、母が俺たち兄弟に持たせたお守りのおかげか、はたまた単なる偶然か、それはわからない。

 うちに戻ってからは穏やかな日々が続いていた。メアリさんの結界はこの家を中心にかなり広範囲を覆っているし、母のお守りもある。それにユイも定期的に魔を払う術をかけてくれるから。

 だけど呪いがなくなったわけではない。俺はみんなに守られて不自由なく生活してるが、メアリさんはこの家に縛られている。

 まるで俺の呪いをその身に分けてしまったかのように。


「アル?」降ってきた声に再び顔を上げると、2階の窓に明かりが灯っていた。そこからホホが手を振っている。「おかえりなさい」

 暗いから顔はよく見えないが、声色で彼女がどんな表情をしているのか、想像するのはたやすかった。

「ただいま。寝るとこだった?」

「ううん、まだ。部屋で本を読もうと思って」

 そう言って彼女が掲げたのは、俺が昨日勧めた本だ。

 素直に嬉しくて、笑みが浮かぶ。

「ビゼは機嫌直した?」

 俺の質問に、ホホは笑みをこぼす。「うん。アルのお土産のおかげで」

「よかった。ビゼを見てるとついかまいたくなるんだ」

「わかるわ。私も実家の弟を思い出しちゃって」

 年の離れた弟を持つ者同士、笑い合う。

 ホホはいい子だ。世間のうわさのような関係ではないが、うちに来てくれてよかったと、純粋に思っていた。

 ふわりとそよぐ風に、ホホは視線を遠く、海の方へやる。

「気持ちのいい夜ね」

 そう言うと、大きく息を吸い込むような仕草をした。

 おそらく食事をしたのだろう。星のエネルギーを吸い込んだのだ。

 俺はその様子を見るのが好きだ。普通にご飯を食べているところも好きだった。どちらにしろ、彼女はとてもおいしそうに食べる。

 カッシュの言葉が頭をよぎった。

 どうして彼女を雇ったのか。

 ホホを連れてきたのはユイだ。だけどそれはユイでさえ一時的なつもりだっただろう。

 カッシュの言う通り、諸事情を鑑みると、部外者を家に置くべきではない。なのに俺は引き留めた。

 その理由は、一言で言えばこうだった。


 彼女は竜だから。


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