1
薄れゆく意識の中で聴いたのは、懐かしい歌だった。
ずっと昔に、耳馴染んでいたはずのあのメロディ。
なんで忘れていたんだろう。あんなに好きだったのに。
もっと聴いていたいのに、意識が持ちそうにない。今にも落ちてしまいそうだ。
待って。訊きたいことが山ほどあるんだ。
ねえ、帰って来てくれたの…?
…おねえさん。
確かにあの夜、ホホの眠り歌を聞いた時に、俺は何かを思い出したはずだった。
だけど目覚めた瞬間には、一体何を思い出したのか、内容はすっかり飛んでいた。
残っているのは耳朶にかかった彼女の息の感触と、声がとても美しかったという記憶だけ。
もう一度歌ってもらえばよかったのかもしれない。けれど何かを思い出したということすらも、開店準備に追われているうちに、きれいさっぱり忘れ去ってしまっていた。
俺がちゃんと憶えていれば。
そうしたら、…今が全く違ったものになっていたと、そう信じたかった。
もし憶えていたら、…俺は最善を尽くせていたのだろうか?
彼女は怖い思いもせず、泣き崩れることもなかったのだろうか?
何が一番正しくて、何が一番良かったのだろう…?
自分の腕の中で眠る彼女を見つめながらいくら考えても、答えは出ない。
今日は1日いい天気だった。ここ数日ずっと雨続きだったので、体も気分もすっきりする。
ホホは朝からたまった洗濯物と格闘していて、裏庭は万国旗のように洗濯物が翻っていた。
その隙間で、ホホとビゼがいつもの調子で何やらごそごそしている。
「失敗すんなよ」
「しないって」
「おい、あんまりザクザクいくなって。慎重にやれよ」
「はいはい」
あのふたりは単体でいるときはそうでもないのに、揃うと非常に姦しい。
ホホとビゼ。初めはどうなることかと思ったけれど、心配は杞憂に終わった。いつもごちゃごちゃ言い合っているが、それはケンカというよりじゃれあっているかんじで、何気にいいコンビだと俺は思っている。
こんなことを言うと、ビゼがまたしかめ面になるだろうけど。
それにしてもあいつらは何をやってるんだ?
「ビゼの散髪をしてるんだよ」
俺の心を読み取ったかのように答えをくれたのは、向かいに座っている弟だった。視線を上げることもなく、黙々とさやえんどうの筋を取り除く作業を続けている。
ユイル、それが彼の名だ。
ユイという愛称を付けたのは、他でもない俺だった。
「それって、一大事じゃないか」
ユイと同じく俺も筋を取る作業をしている。裏の家のおばさんから大量にさやえんどうをいただいたのだ。
俺は座ったまま窓の外に目をやった。姿は見えないが、ぼそぼそと喋っている声は聞こえてくる。
「……あ」
「何?今の『あ』って何?」
「何でもない」
「何でもなくないだろ!失敗したんだろ!」
「ん?大丈夫だって。ドンマイ」
「何がドンマイじゃー!」
ビゼは散髪が大嫌いだ。いつもはユイが切ってやっているのだが、ビゼにとって絶対的な存在であるユイでさえも、ビゼに散髪を決心させるのには手を焼いていた。
だからビゼがユイ以外の人に髪を切らせるなんて一大事、俺の言葉はそういう意味だった。
「ホホはぼさぼさの頭を見ると、切りたくなる衝動に駆られるらしいよ」ユイも外の会話を聞いているのだろう。声に若干の笑いが含まれている。「前からビゼの頭には目を付けてたんだって」
確かに今のビゼの頭はなかなか切り甲斐がありそうだ。
「どんな手を使ったんだ?」
頑固者のビゼを落とした方法には非常に興味があった。
「賭けをしたらしいよ。カードゲームで」
今、我が家ではカードゲームが流行っている。
きっかけは先日、占いをしてほしいと訪ねてきた女学生たちにカードを使った占いをしたことだった。その時に使ったカードを見たホホが「このカードを使ったゲームを知ってる」と言い出し、みんなでやってみることになった。
それ以来、夕ごはんの後にゲーム大会という流れが恒例で、ビゼも仕事がない時は店が終わるぐらいの時間にやって来る。夕ごはんは4人で食べることが多くなっていた。
ちなみに4人の中で一番弱いのはビゼだ。考えが全て顔に出てしまう。
「で、まんまと負けたってわけだ」
ユイは笑顔で肯定する。
散髪嫌いのビゼだから大騒ぎになっているが、ホホは手先が器用なので、そんなにひどい仕上がりにはならないだろう。
それよりも用心深いビゼを相手に、うまいこと話を持って行った彼女の手腕に感心していた。
ホホは、早春のある朝にユイが拾ってきた女の子だった。
極度の人見知りで、極力他人を避けて生きているユイが、見ず知らずの、しかも眠りこけてる女の子を必死の形相で背負ってきたもんだから、俺は心底びっくりした。
そしてそれよりも驚くのは、ユイがホホに好意を寄せているということだった。俺の見立てだと、あれは一目ぼれだ。
あのユイが!という本音は、口が裂けても言ってはいけない。
その態度は本当にわかりやすくて、わかりやすすぎて、見ているこっちが恥ずかしくなるくらいだった。気が付いていないのは、当の本人たちだけだろう。
「ねえ、アル」
ふいにユイが神妙な声で話しかける。
「どした?」
「ホホって、私が男だってこと知ってるのかな?」
「…え?」
さらっと言われた直接的すぎる言葉が、一瞬俺の思考を止める。だが、筋を取る手が止まることはない。
なんてこと訊いてくるんだ。あ、でもユイ自身はこの話題に抵抗はないんだっけ。
ユイは男だ。それは彼が生まれた時に俺も確認済みである。しかし稼業である魔女を継ぐため、赤ん坊の時から女の子として育てられた。
その結果がこれである。
見事に可憐な美少女風に仕上がってしまっていた。
だがユイにとっては、それは自然なことで、隠すことでも、話題出されて困ることでもないのだ。
にもかかわらず、だった。…ホホ、知らないの?
迂闊だったな。
てっきり知ってるものだと思っていた。…なんとなく。
それくらい、ホホはいつの間にかうちに馴染んでいたということだ。
手を止めたユイが顔を上げる。「ねえ、どう思う?」
小首を傾げたその仕草は十分かわいらしかった。兄としては非常に複雑だが。
店でも客の前にほとんど出ないにもかかわらず、男性ファンは増える一方だ。ユイを見たいがために店に来る輩もいる。店的には売り上げが上がってありがたいけど。
しかし皆さん!それは外見だけの話ですよ!
がっつり初恋真っ最中の、普通の17歳の男なのだ。ちょっと人見知りで恥ずかしがり屋な、年上のきれいなお姉さんに憧れる健全な男子なのだ。
「どうって言われてもなあ。というより、今まで言ってなかったの?」
「言ってないよ。そんなの、どんなタイミングで言えばいいの?」
「そりゃ、…自分でここだと思った時だろ」
適当な返事に聞こえるかもしれないが、こっちだってそんな経験はないので、他に言いようがない。
そんな俺の言葉にユイは顔を輝かせた。「そっか。じゃあここだ、って思う時がまだなかったんだ」
「言わなくても気が付いてるんじゃないのか?」
ホホがうちに来て、もうすぐ2か月になる。彼女はとても鋭い人だし、気づいていたとしても不思議はない。
「それならそれでいいんだけど」と言いつつ、何か思うところがあるらしく唇を尖らせている。「でももし知らなかったら、何だか騙してるみたいだし…」
「まあ…、そうだな」騙す気はなくても、結果としてはそういうことになってしまうのかもしれない。「そん時は謝るしかないさ」
「それに、言ってしまった時にホホがどんな反応をするかなって…」
伏し目がちにそう言ったユイを見て、俺は言葉を失くしてしまった。
こいつ、本気だ。本当に恋してる。
あからさまに弟の成長を目の当たりにして、気恥ずかしいような、こそばゆいような気持ちにうずうずしていると、勝手口の扉が勢いよく開いた。
「ちょっと見てよ!」ぷりぷりしながら入ってきたビゼは後頭部の髪をひと房掴んでいる。「ここだけすげー短いんだ」
確かにビゼが掴んでいるところは他より短い。
「そこは短いけどさ、でも全体的には上手に切ってあると思うよ。いいじゃん、ビゼ」
俺は正直にほめた。しかしビゼは眉をひそめて「…嘘くせえ」と唸る。
しかしユイが「うん、すっきりしてていいよ。ビゼ、格好よくなったね」と笑顔で頷くと、その眉間のしわがわずかに薄らいだ。…この差は何なんだ?
そうは言ってもまだ仏頂面のままで、ぶつぶつ言いながら鏡のある洗面所に消えて行った。
入れ違いで大量の洗濯物を抱えたホホが入って来る。
「今日はほんといいお天気ね。これなら今日中に全部片付きそう」
ホホは俺の後ろを通り過ぎようとした。
「散髪うまいな」
その背中に言葉を投げかけると、彼女はくるりと振り返った。「ちょっと失敗したけどね」
素直に認めつつも、その口調に悪びれた風はない。むしろ楽しそうだった。
「ま、それも味だよ」
「だよねー」
お気楽に笑う俺たちに、ユイはため息を吐いた。「ビゼが聞いたらまた怒るよ」
「もう聞こえてるから」
急に聞こえてきた声に、3人が一斉に反応する。いつの間にか戻って来ていたビゼの表情は先程と変わっていない。
「どうですか?お客様」
ホホはニコニコと首を傾げた。
ビゼはちらりとホホの方を見るが、すぐにそっぽを向く。「…ま、悪くはない」
そう言うとドカドカと歩いてホホから洗濯物を奪い取った。そしてそのままリビングに入っていき、そこで洗濯物を畳み始める。
俺たちはそっと顔を見合わせた。
「何笑ってんだよ」
「笑ってないって」
危ない。笑う直前だった。
港に荷物が届いていて、取りに行かなければならない。
そう言って、弟たちに夕飯の支度を任せて家を出たのは、予定していたよりも少し時間を過ぎてからだった。
ビゼの反応がかわいくて、ついいじってしまう。あまりやりすぎて、うちに来なくなってしまっては困るので、加減をしなければならないが。
本人はいい迷惑だろうけど、やっぱりあの子はおもしろい。
ユイが店を手伝ってくれることになった時、俺はビゼとお近づきになれることを密かに期待した。
付き合いはそれこそ長いのだが、これまで俺たちの関係は直接的なものではなかった。ユイという媒介がいた。俺はずっとビゼとふたりでじっくり話してみたいと思っていたが、向こうは全然その気がないようでなかなか実現しなかった。
一緒に仕事をしてみて思ったのは、予想通りおもしろい子だったということだ。無愛想という鎧を身にまとい、常に身構えているけれど、その中身は真面目で、今どき珍しいほどのまっすぐさと純粋さを持っていた。本人が無自覚なところがまたいい。
そして、予想以上に優しかった。優しい少年だった。
その辺の奴らより、何より俺よりもずっと、人間らしい心を持っている。
普段散々おもしろがっているが、本当にビゼには感謝していた。
彼は俺たち兄弟の救世主だったから。
ビゼがいてくれて、ユイはずいぶん救われた。ビゼがいなければ、俺はユイをひとり残して海へ出ることなど出来なかった。ビゼになら任せられると思った判断が間違っていなかったことが今更ながらはっきりして、正直ほっとしていた。
そんなことを考えながら、俺は急ぎ足で港へ向かっている。
夕方の港はもう仕事がひと段落した雰囲気だった。
何人か知り合いにも会って、挨拶をしたり、立ち話をする。船乗り時代の知人もいれば、店のお客さんもいるし、子どもの頃から知っている近所のおじさんもいた。
俺はこの辺りでは顔が広い。子どもの頃から育った町だし、仕事柄ってこともある。だからいろんな情報が入って来る。景気の話から、近くの町で起こった乱闘騒ぎに、町内の夫婦事情まで。
特に気になるものはなかったが、俺は人の話を聞くのが好きなのでそれだけでも十分楽しい。
目的地は俺が船乗りとして雇われていた貿易会社の倉庫だった。だけどそこに着くまでに荷物の方からやって来るかもしれない。そう思ってのんびり歩いていると、予想が的中した。
思わずニヤリと笑ってしまう。
その時、向こうも俺に気付いた。
「げ、先輩」
あからさまにいやな顔をされるが、そんなこと知ったことではない。
「やあ、カッシュ。奇遇だね」にっこりほほ笑んでみる。「こんなところで会えるとは思ってもみなかったよ」
するとげんなりした様子で目の前の小柄な男、カッシュは手にしていた小包を渡してくる。
「そんなこと言って、ほんとはわかってたんでしょ?俺が店に届けようとしてるの」
受け取ったのは、俺が取りに行こうとしていた「港に届いた荷物」だった。先程倉庫に届いたばかりのものだ。
「当たり前だ。出し抜けると思ってんの?」
「そんなことは思ってないですけど…」口をとがらせて足元をいじいじして見せるが、ちっともかわいくない。「あ、これお土産です」
渡されたのは巷で人気の菓子屋の袋だった。
カッシュはうちに来る時、必ずお土産を持ってきてくれる。流行りのお菓子の時もあるし、外国のめずらしい食べ物の時もある。
「いつもありがとう」
家で待っているチビたちにお土産が出来たのはうれしい。
「いえ、先輩にはいつも世話になってますから」
彼は学生時代の後輩で、同じ船に乗っていた仲間だ。最近は港にある倉庫の担当になっていた。
くすんだ濃い色の金髪を短く刈った髪型は学生の頃から変わらない。大きな目が印象的で、爬虫類を思わせるその顔立ちも変わらない。身長も子どもの頃に比べたら伸びているはずなのだが…変わっていないように思えるのはどうしてだろう。ともかく、出会った時から今までずっと変化がないように見える、年齢不詳ぎみの青年だった。
気のいい男なのだが、欠点がひとつ。
「でももう少し俺の気持ちも汲んでくれたりすると、うれしいかなーって」
カッシュはユイを狙っている。
今日だって荷物を届けるのは口実で、本当はユイに会うつもりだったに違いない。だから俺が来るよりも先に届けようしていたのだろう。
「それはない」
「ちっとも?」
「ちっとも」
俺は言い切った。するとカッシュは大げさに肩を落とす。「ひでえ…。あんた、オニだよ」
こいつはユイが男だと知っているし、特に男が好きというわけでもない。
ただ、「俺、ユイちゃんの顔、超好みなんすよー」なんだそうだ。
顔を見るだけなら別に構わないが、それだけではすまないことは、長年の付き合いからわかりきっている。そんな奴を大事な弟に近づけるわけにはいかない。
まあ、俺をかわしたとしても、もうひとり優秀な護衛がユイには付いているが。
「何とでも言って」
用は済んだとばかりに、俺は彼の横をすり抜けた。
「あれ?事務所に寄るんですか?」
軽く身を翻して、カッシュは俺に付いて来る。彼のいいところはその立ち直りの早さだ。
「ああ。べジェットじいさんはいる?」
「今日はラタクまで出てますよ。もしかしたら数日帰らないかも」
「そっか。あの人も腰が痛いだなんだと言いながらよく働くな」
「国際会議が近いですからね。ほんと猫の手も借りたいくらいなんですよ」
「俺は手伝わないからね」
先手を打って言うと、「わかってますって」とカッシュはちょっとむくれた。
「いないんなら…行っても仕方ないか」
俺は足を止めた。するとカッシュが「あ、俺も先輩に報告があるんですけど」と俺を見上げる。
「何?」
「ほら、こないだのプッチー人形の件ですよ」
その言葉にピクリと反応する。
「…行くわ。事務所」
こんなところで立ち話するような話題ではない。
「うす!」
再び歩き出した俺にカッシュが並んだ。
「まったく、その話をうちでするつもりだったのか?」
「いや、さすがの俺も時と場所は考えますよ?あとで先輩だけどっかに連れ出すつもりでした」
「もしユイが一緒に行きたいって言い出したらどうすんの?」
絶対言いそうにないけどな。
「その時は先輩に遠慮してもらいます」
深いため息が出た。これを冗談だと思ったら大間違いだ。こいつは本気で言ってるし、そのチャンスが来たら本当に実行する。
俺のことなんて気にしないカッシュは更に遠慮のない言葉を続けた。
「だけどさすがっすね」
「…何が?」言いたいことはなんとなくわかっているがすっとぼけた。
「先輩の引きの強さですよ」カッシュは俺の顔を覗き込んだ。「相談したその日に向こうからやってくるなんて思いませんでした」
俺だって思ってもみなかった。
カッシュが毒々しい果物と一緒に持ってきた奇妙な人形の話を、彼が帰った直後に目の前で当事者たちからもう一度聞くことになるなんて。そしてその人形を処分を頼まれるなんて。
「先輩が実物を手に入れてくれたおかげでほんと助かりました」
その様子を見る限り、うまくいったのだろう。俺の引きの強さ云々についてはともかく、首尾よくことが運んだことは良かったと思う。
「変な話を持ってくるのはもうやめてくれ」
これも本心だった。だけどカッシュは「それって振りですか?」と大真面目に訊いてきた。
倉庫の前まで来た時だった。「あ、言うの忘れてましたけど、社長来てますよ?」と、のほほんと告げてくる。
その瞬間にはめられた、と気付いた。こいつらはグルで、俺はまんまとおびき寄せられたのだ。
だからくるりと方向転換する。
「先輩?」
「帰る。話はまた今度ね」
でも遅かった。
「カッシュ、お帰り」
俺たちの背中に降りかかる声。
…捉まった。
仕方なく振り返ると、見慣れた満面の笑みに迎えられた。
「久しぶりだな、アルフレド」
普段本人も忘れているような本名を呼ばれて、「ああ、この人はこうだった」と思い出す。
同時に甦ったのは、町の大きなレストランで働いていた18歳の俺と久々に再会した時も、全く同じセリフ言っていたということだった。
「お久しぶり、ゼフィ。会いたくなかったけど」
こちらも負けじとあの時と同じセリフを返すと、ゼフィは昔を思わせるような少し悪い笑みを見せた。
ゼフィも元々は学生時代の知り合いだ。2学年上の先輩だった。
ゼフィとカッシュは、言わば悪友である。
でも、俺の人生を吹き飛ばしてくれたのもこのふたりだ。
「船乗りにならないか?」
あの日ゼフィはいつもの軽い調子で、そう言ったのだった。
それまでの俺はずっと思い込んでいた。
自分はこの町から出られない。この家から離れることは出来ない、と。
だけどずっと思っていた。
自分以外の何かになりたい。自分以外のものなら何でもいいから、と。
そのことをゼフィは見透かしていたのかもしれない。
迷いに迷った挙句、弟たちに背中を押されて、悪友たちに引きずられるように、俺は海へ出た。
俺が乗った船は、ただの商船ではなかった。
表向きは商船を装った、国の諜報機関の船だった。そこに俺は料理人兼、諜報員として雇われた。
もちろん俺は初めから承知していた。
そして船を降りた今も、俺は諜報機関の職員として働いている。
このことはビゼも、ホホも、そしてユイですら知らない。