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ユイのばあさんは本当にクソばばあだった。
当然のように、おれはこってりいじめられた。だがそれはいい。理不尽には慣れている。
あいつはユイにもひどかった。魔女として、師匠としてはすごい人だったけれど。
だからばあさんが死んだ時、おれはほっとした。ユイを追い詰める奴はいなくなったと思ったからだ。
だけど、…おれの認識は間違っていた。
死んでもなお、あいつはユイを苦しめている。たぶん、一生、ユイはあいつの影に怯えて生きる。
そして、おれはそれをどうしてやることもできない。
悔しいし、悲しいし、腹立たしいけど、どうにもできないままだった。
階段を上がって右側にあるのがユイの部屋。今はホホが使っている。
そして左側がアルの部屋だ。
駆けあがったそのままの勢いでドアを開けそうになったが、ぎりぎり直前で止まってノックをした。
「どうぞ」
アルは机を引き出しの中を何やら探っていた。
しつこいのはわかっていたが、それでもおれはもう一度訊く。
「…ほんとにやるの?」
アルは言葉巧みにエメラダたちを言いくるめてしまった。
「せっかく意を決して学校を抜け出して、大冒険の末にここまで辿り着いたんだ。手ぶらで帰るのも惜しいんじゃない?」
ふたりはそろって目を丸くした。
「…どうして学校を抜け出して来たってわかったんですか?」
「まあ、どう少なく見積もっても、君たちが学校を出た時刻が終業時間よりも早そうだったから」
簡潔なアルの言葉に、女の子たちは顔を見合わせた。
今日の午後は校外学習だったが、エメラダはお腹が痛いと嘘を吐き、アンナはその付き添いということでサボったそうだ。皆は夜まで戻らない。
そんなふたりを尻目にアルは言葉を重ねる。
「もちろんお代はいらない。俺は趣味でやってるだけだから。でもそれなりに実地も踏んでるし、割と評判もいいよ」
実地って、もしかしてよそでもやってるのか?
おれの訝し気な視線を敏感に感じ取ったアルは「占いできると、女の子に受けがいいんだ」とさわやかに言った。
ユイが言っていたけど、アルはモテるらしい。男前だし、人当たりもいいので不思議なことじゃないと思っていたけど、本人の積極的な働きかけもあるようだ。
「さあ、どうする?」
にっこりと微笑みかける様子が悪魔に見えた。
目を付けられたら、逃れられない。
エメラダはアルを見つめたまま、小さく頷いた。
「もちろん、やるよ」
おれの質問に、アルはいつもの軽い調子で答えた。答えながら、引き出しから小さな箱を取り出す。
「1回やってみたかったんだ」
「え?」
「魔女の真似事。俺は絶対魔女にはなれないから」
アルの言葉に、おれは何も言えなくなる。
魔女の家に生まれた、魔力を持たない子。それがアルだった。
「いや、そんな憐れみを込めた目で見つめられても困るんだけど」
「別にそんなつもりじゃ…」と言いながら、いつの間にか視線に気持ちを込めてしまっていたことは否定できない。
気まずさに目をそらすと、アルはふっと笑った。
「ビゼ、大丈夫だよ」
「…何が?」
「あの子たちは『霧雨亭の魔女』を訪ねて来てるんだ」
言いたいことがいまいちわからない。
今度はタンスをあさりながらアルは言葉を重ねた。
「『森の魔女』に会いに来たわけじゃない。だから、俺がどんなへまをしようと、ユイの評判を下げることにはならない」
それは確かにそうだけど。
だけどおれはそんなことを心配しているんじゃない。
「それに」おれの心の内など知らないアルは続ける。「俺は『霧雨亭の魔女』を知っている」
…そう。その『霧雨亭の魔女』という言葉にもおれは引っかかていた。
実体のない亡霊みたいで、何だか気味が悪い。
「…なあ、そんな切羽詰まってる時に占いなんてするもんなのか?」
おれは気になっていたことを口にしてみる。
占いなんてあやふやなもんに頼ってる場合か?と思ってしまうのだ。
アルは手を止めてこちらを向き、一拍置いてから「そっか。ビゼは知らないか」と言った。
アルの話によると、昔は金持ちや身分の高い人の家にはお抱えの魔女や魔法使いや占い師がいて、事あるごとに占いをしていたらしい。
「大事な商談とか交渉の前にこそ占ってもらうんだって」
おれは唖然としてしまう。大事なことの判断を占いに任せるなんて。
「庶民でも占いで本気の悩み相談するよ。今でも」
「そうなの?!」
知らなかった。そもそもおれはユイたちとやる運勢占いくらいしか経験がない。
「世の魔女たちはそんなに何もかもお見通し…?」
これでは秘密も何もあったもんじゃない。
呆然とするおれの様子に、アルは「これは俺の考えなだけだけど」と前置きをして言った。「占いの当たる当たらないはさ、結局結果論なところもあるわけよ」
「どういうことだ?」
「大事なのはお客さんが納得できるかどうかなんじゃない?それに何にも関係ない他人の方が話しやすかったり、案外すんなりと意見に耳を傾けられたりするしね」
「どうやって客を納得させるんだ?」
「それは人それぞれさ。それがプロの手腕だよ」
わかるような、わからないような気がした。
少し考えておれは訊いてみる。「じゃあアルの母さんは納得させることがうまかったってこと?」
「そういう面もあっただろうね。なんでもズバッとお見通し、な占いなんてないし」
アルはいつもと同じ調子であっさり答えてくれる。もしかしたらはぐらかされてしまうかも、と少し思ったりもしたんだけど。
なるほど。胸の中でもやもやしていたものが、ちょっとすっきりする。
するとアルは「俺たちの母さんのことが気になる?」と訊ねてきた。
一瞬躊躇ったが、おれは素直に頷く。
するとアルは少し笑った。「普通の人だよ。ばあさんなんかに比べたらずっとね」
確かにあのばあさんより強烈な人はなかなかお目にかかれないと思う。
再びタンスをごそごそあさり始めたアルは独り言のように言った。
「エメラダの家には今でも専属の魔女がいるのかもしれないね」
専属か…。金持ちだし、結構貰えるのかな…。
「相当いいとこの娘さんなんだろうな。ま、ジンカハニスの生徒はみんな段違いのお嬢様ばっかりだけど」
段違いな金持ちも、いいおうちの人も、占いにマジな人も、今まで出会ったことない人種だ。
「俺はそれよりもアンナの方が興味あるな」
「アンナが?なんで?普通の子じゃん」
ちょっと人見知りが激しいというか、おどおどしてるけど、ユイに比べたら全然ましだし。
アルは「お、あった」とタンスから何やら布を取り出した。
「そう。その普通の子がなんであんなお嬢様学校に通ってるんだろう、とかね。さあ、準備できた!」
そう言うと、アルはおれを部屋から追い出した。
廊下を歩きながらも、おれはこぼす。「でもまだやっぱり嫌なかんじがするんだよな」
そういうことはしばしばある。理屈ではない何か。野生の勘、と言ってもいい。
すると突然、アルは振り返り、がしがしとおれの頭をかきまぜた。
「何すんだよ!」
「いや、おまえは優しいなーと思って」嫌がるおれを見て楽しそうだ。「俺も嫌な予感はするけどね」
「だったら…」
「だから面白そうなんだろ?」
おれは脱力した。もう何も言うまい。言っても無駄だ。
階段を降りきったたところで、アルは足を止めた。
「あ、メアリさん。久しぶり」
心臓が大きく跳ね上がった。
見ると、リビングの扉の前でメアリさんがちょこんと座っている。
メアリさんは一見普通の白猫だ。猫の中では小柄な方かもしれない。にもかかわらず、なんだろうこのふてぶてしさ…いや、貫禄。
手伝いに来ていたこの5日間、おれは一度もメアリさんに会っていなかった。アル曰く、「ひと月くらい帰らないことはざらにある」らしいので、顔を合わせなくてすむかも、とちょっとホッとしていたんだが…。
「ん?何くわえてるんだ?」
何のためらいもなくつかつかとメアリさんに近づくアルに、なぜかおれの方がドキドキする。おれはふたりとは少し離れたところでとっくに動けなくなっていた。
アルはメアリさんの前でしゃがみ込むと、その小さな口にくわえているものを受け取った。
多分、人形だと思う。ということがかろうじてわかるくらい、粗末なものだった。
手の平サイズのそれは、麻布を人型に切って貼って縫ってし、その中に綿を詰めたというかんじだ。顔の部分には本当に簡単な目鼻口がくっついている。ただ、人形が着ている薄いピンク色の服には色鮮やかな刺繍やビーズが施されていた。そして…全体的に小汚い。
「不細工な人形だな」
正直な感想を口にすると、アルは驚いたようにおれを見た。
「ビゼ、知らないの?」
「何が?」
「プッチー人形だよ」
知らない。なんだそれ。
「どこぞの山岳民族の伝統工芸品らしいんだけどさ、願い事の叶う人形なんだって。若い女の子の間で流行ってるらしいよ」
変なもんが流行ってるんだな、とアルの手の中をしげしげと見つめていたら、リビングのドアが開いた。
「あ…」
顔を覗かせたアンナの視線が、メアリさんに釘付けになる。表情が急に明るくなった。
「猫、好きなの?」
アルの質問に、アンナははにかんだ笑顔で「はい」と答えた。
そんなこちらのやり取りなんかどうでもいいメアリさんは、すくっと立ち上がって、さっさと部屋の中に入っていく。おれたちもそれに続いた。
メアリさんはそのまま窓辺へ直行すると、さっきまでおれが座っていた出窓に飛び乗った。
「あ、それって、プッチー人形…」
アンナがアルの手元をじっと見ている。
「お、さすが女学生さん。よくご存じだ。…あ、もしかして君の?」
アルが差し出した人形を、アンナはそれこそ穴が開きそうなほどに見つめた。
そして「…そうみたいです」と呟いた。
「え?」エメラダが声を上げた。不思議そうに首を傾げる。「この間、失くしたって言ってなかった?」
アンナは頷く。「そう思ってたんだけど…。確かに私のです。これ、どこかに落ちてたんですか?」
アルは視線を窓辺へ向けた。「うちの猫がくわえてたから、どっかその辺で拾ったんじゃないかな」
メアリさんが喋ってくれたら話は早いんだけど。だがすでに丸くなって眠っている。
「そうですか…」アンナは再びじっと人形を見つめる。「きっと鞄の奥にでも入ってたのを落としたんですね。ありがとうございます」
そして律儀にも窓辺に寄って、メアリさんにも「ありがとう」と礼を述べた。
正真正銘の若い女の子であるエメラダとアンナも、この変な人形が流行っていると言った。アルの話はでたらめではないらしい。今は品薄状態だそうだ。
なんとなくだけど、アンナがプッチー人形を持っているのは意外だった。おれの勝手な印象だけど、そういう流行りものには興味がなさそうなかんじがしたからだ。
ま、人の印象なんて周りの勝手なもんだしな。実際がどうかなんて、接してみなければわからないし、長く一緒にいたって案外わかっていない。
目の前のこの男がそのいい例だ、としみじみ思う。
ここで働くようになって、アルの印象はこれまでと少し変わってきていた。
気がついたのは、これまでおれは「ユイの兄貴」としてのアルしか見たことがなかったんだな、ということだった。無理もない。いつもユイとアルとおれ、3人だったから。アルとふたりだけで何かをすることなんてなかった。
ただ、付き合いが深くなるほど、胡散臭さは強まる一方だ。
さっき出会ったばかりアンナのことなんて、わからなくて当然だな。
ふと、おれはユイのことどれくらいわかってんのかな、と思ってしまう。
それに…引きずられるように思い浮かんだのは、今頃ゲイルさんのところに着いているだろうあいつだった。
関係ないおれがこの場にいるのはどうか思ったので、部屋から出ていこうとするとエメラダはそれを止めた。
「私的なことを占っていただくわけではないので。それに、ここまで聞いたら気になるでしょう?」
確かにその通りだった。おれは台所から椅子を持ってきて部屋の隅に座る。
その間にアルはテーブルに布を敷き、セッティングを終えていた。
「で、何を占う?」
視線がエメラダに集まる。
「今、学校で起こっている紛失事件の真相を知りたいのです」
それまでと変わらぬ、落ち着いた物言いだ。
「そして…」エメラダが鞄から何やら取り出す。「これと関係があるのかどうかも」
1通の手紙だった。エメラダは封筒から中身を取り出し、アルの前へ広げて置く。
おれが身を乗り出してそれを見ようとした時、何かが足元を通り過ぎた。
メアリさんだった。アルの膝の上へ飛び乗っている。
「何?メアリさんも興味あるの?」
アルの呼びかけも無視して、メアリさんは前足で手紙を押さえ、食い入るように見つめている。
おれもアルの後ろから遠慮がちに覗き込んだ。
そして思わず固まってしまう。
きったねえ字!
まさにミミズが這ったような文字が綴られている。その衝撃に気を取られて内容が全く入って来ない。
おれは努めて冷静に、手紙を読もうとした。
君は私だけのもの
他の人なんていらない
君を苦しめている祭なんて、
私がなくしてあげる
短く、簡潔な手紙だ。内容はともかく、そのミミズ文字が気色悪さを倍増させていた。
「…熱烈なファンがいるみたいだね」
アルは手紙の入っていた封筒を確認している。封筒には何も書かれていない。
エメラダは困ったように眉を下げた。
「その手紙が届いた直後に紛失事件は起こり始めました」
ふたりの通うジンカハニス女学院ではこの3日後、学院祭が催されるという。エメラダは生徒会長でもあり、祭の実行委員長でもあった。
「そうかー、そんな季節だな」
アルが懐かしそうに言う。聞けばジンカハニスの学院祭は有名らしい。たくさんの店や催しに、外部の人たちも大勢押しかけるそうだ。
こいつ絶対行ったことあるな。
おれは確信を持って思う。
「で、紛失事件というのは?」
気を取り直してアルが促す。
「学院祭に関係のある物がなくなるんです。少しづつ」
演劇で使う小道具に衣装、バザー用に試作したパンやお菓子、裁縫道具、文房具、室内の飾り付け用の紙の飾りや暗幕…いろんなものが消えた。特定のクラスというわけではなく学校全体で起こっているらしかった。
共通して言えるのはそれらが比較的小さいものであること。そして一度に大量にはなくならないということだった。
「なので、なくなっていることに初めはなかなか気づかなかったんです」
そういえばあれがない、これがない、なんか数が減っている。そう思うようになった生徒たちは物の管理を徹底し始めた。しかし紛失は収まらない。
当然、盗難を疑うことになる。しかしここで物が小さいことと、なくなる量が少量であることが災いした。
本当に自分で失くしてしまった物と、盗まれたと思われる物の区別がはっきりつけられないのだ。
「それに学校側はやっぱり盗難事件にはしたくないみたいで…」
外部の犯行だとすると警備の甘さが指摘されるし、内部の犯行だとすればそれはそれで問題だった。規律の厳しいお嬢様学校のスキャンダルになる。
「昨日とうとう正門に設置するはずだった看板がなくなり、それで大騒ぎになってしまって」
「急にえらい大物いったな」
エメラダは深いため息を吐く。
「先生方は『ヤモリさん』の仕業じゃないかと仰っています」
エメラダは苦笑をこぼした。
ヤモリさんとは、古い建物に棲みつく妖怪だ。大して悪さはしないが、気まぐれに物を隠す。
「それが一番望ましいところだけどね」
アルもつられたように苦笑いを浮かべる。
だけどそうじゃないのは、エメラダたちもアルも気が付いているだろう。
ヤモリさんは食べ物は持って行かない。それは小さい子どもでも知っていることだった。だから少なくともパンやお菓子を持って行ったのはヤモリさんじゃない。
「手紙はいたずらだと思うんです。でもあまりにタイミングが合ってしまっているから気になってしまい…。もし…私に嫌がらせをするためにこんなことが起こっているんなら、みんなにも申し訳がなくて」
エメラダは視線を落とす。
「看板までなくなって、どんどんエスカレートしていってます。このままだと学院祭が中止っていうことにもなりかねません。それだけは絶対に避けたいんです」
アルがエメラダをまっすぐ見つめる。
「紛失事件の原因がもし誰かの故意によるものだったら、どうするの?」
「説得します。やめていただけるよう」
即答だった。アルをまっすぐ鋭い目で見つめ返している。
「そんなの聞いてくれるような相手じゃなかったら?」
「聞いていただけるまで、説得し続けます」そこで、ふっと目の力が弱まった。「…だって、それしかできないから」
「潔いね」優しい声だった。けれど表情はその声に似合わず厳しい。
「…わかった。やろう」
沈んだ空気を振り払うように、アルは明るく言った。そしてエメラダの前にカードの山を置く。
「しっかり混ぜてくれる?」
エメラダは頷くと、勢いよくカードの山を壊し始めた。
アルは手紙を手に取る。
「この手紙のこと知ってるのは?」
「私とアンナだけです」
アルは膝に肘をつき、手紙を顔の前に掲げた。
「これが話をややこしくしてるんだよなー…」と呟いたとたん、何か思いついたような顔をした。
そしておれのほうを見る。
「な、何?」
急に矛先が向いたので、ちょっと怯えてしまう。
「におって」
ああ、そういうことか。
おれの唯一の能力。それは魔法のにおいを嗅ぐこと。
もちろん本当に魔法ににおいがあるわけじゃない。だけど魔法を使った後にその気配が残ることがある。魔法をかけられた人や物もだ。その気配をおれの鼻は感じることができる。
もしかしたらこの手紙にも何か残っているかもしれない。
おれは手を伸ばして手紙を受け取ろうとした。
掴んだ瞬間だった。
ものすごい俊敏さでメアリさんが動いたのは。
アルの膝の上から飛び出したメアリさんの前足が手紙にかかる。
ビリリッ!
「ああっ!!」
手紙は真っ二つ。アルの手と、おれの手に。
「メアリさんんっ!!!!」
ご乱心か?!