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リヤカーを裏庭まで回して、転んで汚れたエメラダの手や膝を水道で洗わせる。おれはその間に自分のところの荷物をリヤカーから降ろすことにした。アンナはその作業まで手伝ってくれている。
それぞれに動いていると、調理場の窓がガラリと音を立てて開いた。
「おー、おかえりー…って、なんか、人数増えてるな」顔をのぞかせたアルは、見知らぬ女の子たちと、未だ十分てんこ盛り状態のリヤカーを見比べた。「…荷物、多くない?」
「あー、説明するといろいろ長くなるんだけど」どこから話せばいいものかと迷っていると、エメラダを支えていたホホが口をはさんだ。「この子、転んで怪我しちゃったの。荷物はゲイルさんとこへのお届け物だよ」
えらくざっくりした説明だった。
だがアルも「そうか」とあっさりと納得する。
「ふたりとも買い出しありがとう。あ、救急箱用意するから、お嬢さんたちを中に入れて」
そう言って奥へと姿を消した。
「今の方がお店のご主人ですか?」
「そうだよ。男前でしょ」
ホホがにやりと笑うと、エメラダは真面目な顔つきで「はい」と頷いた。
「さて、」ホホはエメラダの顔を覗き込んで伺う。「抱き上げてもいい?」
「…え?」
返事を待たずにホホはエメラダを横抱きにした。とたんにエメラダの顔が真っ赤になる。
軽々とエメラダを抱いたホホは軽い足取りで裏口から中に入っていった。
「あの…」か細い声におれは横を向いた。見ると、アンナも少し頬を赤くしている。
「ホホさんって、女性…ですよね?」
「…そう聞いてるけど」
「ですよね!すみません!変なこと訊いてしまって…」
更に顔を赤くしたアンナの鼻の頭にはうっすらと汗がにじんでいた。
…まったく、おまえの方がよっぽど男前だよ。
アンナに手伝ってもらったおかげもあって、荷物を下ろすのはすぐに終わった。終わったとたん、裏口から再びホホが出てきた。
「ごめんビゼ!私も運ぶよ」
「もう終わった」
うちの分は元々大した量じゃなかった。
ホホはがっくりと肩を落とす。
「うわー、ほんとごめん。アンナも手伝わせちゃって、ごめんね。ありがとう」
「いいえ」アンナは控えめに首を横に振った。「私たちこそ助けていただいて、ありがとうございました。これくらいしかできませんが…」
「ううん、すごく助かった」
ホホが微笑むとアンナも照れくさそうに少し笑みを浮かべた。
「じゃあ、私はこれを届けてくるから」
ホホはリヤカーの持ち手に手を掛けた。
「おれも行く」
少しは軽くなったとはいえ、まだ十分な小山状態だ。
だがホホは「大丈夫!」と言い切った。そして付け加える。「ユイがまだ来てないの」
祈りは天に届いたらしい。
「すぐに着けばいいんだけど、わからないし…。ビゼはふたりに付いててあげて」
確かに残るのが初対面の大人の男だけだと、女の子たちは不安かもしれない。その点おれは、見た目だけならこの子たちと同年代だ。
それにしてもこいつって…。
おれはちらりとホホを見た。
マイペースに好き勝手やってるようで、すごく周りを見ている。意外に気がつく女なのだ。この数日一緒に働いて、そう思った。
豪快なようで、結構繊細なところもある。出会った頃、ストレスで摂食障害を起こし、栄養失調で死にかけていた。
ほんと、変な奴だ。でもこういうのをギャップって、言うんだっけ?
さっきもそうだ。盾の魔法のような高度な術が使えるとは思わなかった。まあ、前に用心棒をしていたそうだからそれなりに戦えることは知っていたし、人間よりもはるかに魔力の強い竜の子孫だから魔法が使えたとしても不思議は無いんだけど。
ただの馬鹿力なだけではないらしい。
視線に気がついたホホが変な顔をする。
「…何?」
「…別に」
思ったことを言ってしまうと、褒めることになるので言わない。
「変なの」ホホはそう言うと首を傾げた。そして「なるべく早く戻るから」と言い残して、再びリヤカーをぐいぐい引いていった。
アンナとおれが裏口から入ると、調理場の流し台でアルが氷を割っていた。
店はおれたちが出かける前に閉めてる。アルは明日の仕込みをしていたが、見たところそれも終わっているようだ。
「ユイといい、ビゼといい…」ガシガシ氷の割れる音が響く。「女の子ばっかり拾ってくるんじゃないよ」
おれもぎょっとしたが、隣のアンナも固まった。
「おい!あらぬ誤解を招くようなことを言うなよ!」
慌てて怒鳴るとアルは楽しそうに笑う。おちょくられた。
「エメラダはリビングにいるよ」
「それ、氷嚢?」
「ああ、捻挫みたいだな」
アルは怪我の応急処置なんかも手慣れている。船乗りだった時に身に付けたらしい。
「君たち、ジンカハニスの生徒さん?」
アルは手を止めることなくアンナに話し掛ける。
「あ、はい」
「いろいろ手伝ってくれて、ありがとう」
「いえ、そんな…」
アンナははにかみながら答えた。
そんな初々しい反応に「お嬢様、ってかんじするよねえ」と、おっさんくさいことを言う。
「いえ、私は違います…。エメラダはそうですけど」
「そう?君も育ちのよさそうな雰囲気出てるよ」
…お嬢様学校の生徒だったのか。学校のことなんて全く興味がないおれはふたりの会話を聞き流そうとしていたが、ふとあることが気にかかる。
「もしかして、制服見ただけで学校がわかるのか?」
アルに訊ねた。アンナに確認したところを見ると、エメラダが学校名を言ったわけではないようだ。そうなると手がかりは制服しかない。
「まあ、有名どころなら」
これがアルという男だった。手当だけではなく、思いもよらないことをよく知っている。それに引き出しが多いというか、とにかく何でもできる。
「学校に戻ったら、ちゃんと校医さんに診てもらって」
アルが言うと、アンナは「はい」と答えた。だけどその表情が少し曇ったような気がした。
リビングのソファで肘置きの部分を背にして、エメラダは座面に脚を投げ出した状態で座っていた。
言われたからそう思うのかもしれないが、エメラダはいいところのお嬢さんという雰囲気が漂っている気がする。
アンナが傍に駆け寄った。
「大丈夫?」
「ええ。心配かけてごめんなさいね、アンナ」
アンナはぶんぶんと首を横に振った。
「私の方こそ…ごめんなさい。ちゃんと守れなくて」
アンナはこちらに背を向けているので表情は見えない。でもその小さい声はちょっとくぐもっていた。
「アンナ」エメラダがため息交じりの小さな声でたしなめる。「そういうのはやめて」
…おれは部屋から出た方がいいのかな。
そう思ってしまうような微妙な空気がふたりの間に流れる。
そこへアルが入ってきた。
「はい、お待ちどうさん。エメラダ、これで冷やして」
と、言ったと同時にアルも不穏な空気を感じ取ったようだ。「どうかした?」
「いえ、なんでもありません。ありがとうごさいます」
何事もなかったかのようににっこりと微笑むエメラダ。振り返ったアンナも特に変わった様子はなかった。
「で、ここに来る途中、急に犬に襲われたんだね?」
自分のカップに口をつけながらアルが訊ねた。
エメラダの足を冷やしている間に、アルがお茶の用意をしてくれた。
エメラダの横にはアンナ、ローテーブルを挟んで向かい側にアルが座っていた。
おれはカップを持ってきて、出窓に腰かけている。
女の子たちは顔を見合わせて頷いた。
「どこから追いかけられてたんだ?」
おれの質問にエメラダは「橋を渡ったすぐ後からだったので、そんなに長い距離では」と答えた。
確かにおれたちが休憩していた場所と橋はそんなに離れていない。だとしたらやっぱり近くに術を掛けた奴もいたかもしれない。
おれはアルにも犬が操られていたことは伝えていなかった。タイミングがなくて。だが少し考え込むような横顔をしているのを見ていると、ホホから聞いているのかもしれないなと思った。
「あの…」考えにふけっていると、エメラダがおずおずと言った。「ユイさんはもうすぐ来られるんですよね?」
アルは壁に掛かっている時計に目をやる。
「もう来てもいいはずなんだけどなあ」
アルの言うとおり、来るんならもうとっくに来ている時間だった。急な仕事でも入ったのだろうか。
「だけど連絡もないし…」と言って、アルは暖炉を見た。
そう、もし来られなくなったんなら、暖炉の手紙が来るはずだ。ユイはそういうところはちゃんとしている。
来ても困る。でも何の連絡もないまま来ないのも心配だった。
「すごく不思議なんだけどさ、」今度はアルがふたりに訊ねる。「どうやってうちのことを知ったの?」
それはおれも謎だった。
「不思議、とは?」
逆にエメラダが聞き返す。
「君たち、普段の客層とちょっと違うから」
森の魔女の名前は確かに有名だ。先代は幅広く仕事を受けていたので、一般の人にもその名はよく知られていた。だけどユイは仕事を薬に絞っているので、一部では有名だが、広く名が知れ渡っているわけではない。代替わりしたことを知らずにやって来るお客がいないこともないのだが、女学生のふたりは先代のことも知らないんじゃないかと思えた。
それにエメラダは「霧雨亭の魔女」と言った。先代は霧雨亭と一切関係ないのでそう呼ばれることはないし、ユイのことをそう呼ぶ人に出会ったのは初めてだ。
カップを両手に抱えたエメラダは落ち着いた声で告げた。
「ずいぶん昔の話になるのですが、私の叔母がこちらのお店で占いをしていただいたことがあるのです」
おれとアルは顔を見合わせた。
「その占いがとてもよく当たっていて、魔女さんの人柄もよくって…。叔母はその後遠くに嫁いでしまったのでこちらにお邪魔することはできなくなりましたが…」
そういうことか。
「多分それは、俺たちの母のことだね」
「お母さま、…ですか?」
女の子たちはきょとんとした表情を浮かべる。
「実は、母はすでに亡くなっているんだ」
「…え」
思わずアンナが声を漏らした。エメラダも大きな目を更に大きく見開いている。
「ユイと俺は、その『霧雨亭の魔女』の子どもなんだ。だから今うちにいる魔女は、エメラダが思っている人とは別人だよ」
アルが事実のみを簡潔に告げると、リビングはしんと静まり返った。
そうか。エメラダたちはユイの母さんを捜してやって来たが、もういない。ユイはこの子たちが捜している魔女じゃない。だとしたらユイには用はない、かもしれない。
未来が少し明るくなった。
エメラダは少し考えて、口を開いた。
「ユイさんという方は…お母様の技術を受け継いでおられるのですか?」
「いいや」アルは小さくかぶりを振る。「ユイが赤ん坊の時に亡くなったから」
「占いはできないのですか?」
「できなくはない」
「…微妙な言い方ですね」
エメラダの眉が少しはねた。
「ユイは薬専門の魔女だから。普段占いはやらない」アルがおれに視線を投げてよこした。「…どうよ?あいつの占い」
どうよ、って言われても…。
「…できなくはない」
絞り出すように答える。これが最もしっくりくる答えだなんて、切なすぎる。
「できなくはない、ですか…」
明らかに落胆した声色だった。おれまでしょんぼりしてしまう。
「もしよければ腕のいい魔女か占い師を紹介しようか?」
落ち込むエメラダに、アルが代わりの案を示す。
しかしエメラダの表情は晴れなかった。
「申し出はとてもありがたいのですが…時間がないのです」
そういえばさっきも言っていたな。何をそんなに急いでいるんだろう。
「それは今すぐにでも占ってもらわないと間に合わないってこと?」
アルの問いかけにエメラダは頷いた。
そんなに切羽詰まっている状況で占いなんて。おれにはよくわからない感覚だ。
「それに、ただ腕がいいだけではだめなんです」
言いにくそうな口調だった。
すると今度はアルの眉がはねた。
「というのは?」
落ち着いて見えるが、アルのその目は興味津々だ。でもおれだって人のことは言えない。
「叔母が言うには、その霧雨亭の魔女さんは…人に言えないような困りごとを解決してくれるそうなのです」
ユイの母さんが亡くなったのは、ユイが赤ちゃんの時だ。だからおれはその人に会ったことがない。
そういえば、ユイとアルの間でさえ話が出てくることは全くない。
どんな人だったんだろう。
ユイの母親という人物に対して初めてそう思った。
「人に言えないような困りごと、ね…」
アルがエメラダの言葉を繰り返す。
もう一度耳にした言葉に、思う。
やっぱりなんだか、変、な気がする。しっくりこないというか、気持ち悪い。
おれは占いのことなんてさっぱりわからないけど、占いってそんなに確信を持ったものなのだろうか。
そもそもこの子たちは一体何を占いに来ているんだ?
ユイの母親は一体どんな占いをしていたんだ?
…本当に占いをしていたのか?
頭の中に、いろんな疑問がじわじわと湧いてくる。それと同時に、会ったこともないユイの母親という人物が、急に薄気味悪く思えてきた。
「エメラダ」
あまりの気配のなさに、存在を忘れかけていたアンナが口を開いた。
「霧雨亭の魔女さんも、ユイさんもいらっしゃらないんじゃ、どうしようもないわ。ここは失礼させていただいたほうがいいのでは…」
ものすごく小さな声だったが、アンナがはっきりと自分の意見を述べるところを初めて目撃した。
エメラダも考え込む。
アンナの進言に正直おれはほっとした。
この依頼は聞かない方がいい。なんだかよくない気配がする。
「じゃあこういうのはどうかな」
低い、よく響く声だった。
エメラダも、アンナも、そしておれも弾かれるように声の主に顔を向けた。
「俺が占う」
アルはきっぱりはっきりそう言った。
「え?」
3人の声が重なる。
「そんな驚かなくても」
おれたちの反応に、アルはわざとらしく傷ついたふりをしてみせた。
おれはとりあえずそこは無視して「本気?」と訊く。
「もちろん」即答された。「ビゼも俺が占いできるって知ってるだろ?」
それは知っている。
アルはユイとおれの住む森の家にもちょくちょくやって来る。その時に遊びでお互いを占ったことがあった。
ぶっちゃけて言うと、ユイよりもセンスがいい。
でも、あくまでも遊びだ。
「アルさんも魔法使いなんですか?」
エメラダがもっともな質問をぶつけてくる。
「いいや」アルは全く持って回ることなく、あっさりと答えた。「俺は魔力ないから」
「それじゃあ…」
後に続く言葉をエメラダは濁したが、おれでもわかった。「だめじゃん」
女の子たちは顔を見合わせて困っているが、アルは全然気にしていない。
「魔力のない占い師なんてたくさんいるよ。それに…」
ふいに低くなった声におれたちの視線が集まる。
アルはにっこりと笑った。
「俺も一応『霧雨亭の魔女』の息子だよ」
背筋がぞくっとした。
美しく、妖しい微笑みとささやきに。
脳裏に浮かんだ影に。
同じような笑みを浮かべるふたりを、おれは知っている。
ひとりは、おれを飼っていた竜。
そしてもうひとりは先代の森の魔女。ユイのばあさんだ。
それはふたりが獲物を見つけた時に浮かべる笑みにそっくりだった。