4章
もし、突然でも、そうでなかったとしても自分の願いを叶えることが出来るようになったとしたらどうする?
問いかけが漠然としているだって?
僕の予想では、誰でもはじめは本当にそうなるのか試すと思う。
ていうか、僕自身が実際にそれをしたからね。
テストも兼ねて、世界の人口の半分は能力者で、もう半分はそうでない者で構成することにしたんだ。
それに成功したようだから、今度は完全に能力者のみの世界に変える。
なんで半分だけ残したのかはちゃんとした理由があって、また世界を変える前に少し嫌がらせと、ほんの少しの復讐もかねて、殺戮でも人体実験という名の拷問でも、とにかく非道なことをしたかったし、しないと気が済まなかったんだ。
大丈夫、ここでたくさん殺したとしても構成し直せばもとの数になるんだから。
そういえば、前回は能力を持たない人間の少年と、能力を持つ少女達が協力して歯向かってきたけれど今回はどうなるだろう。
同じ数に戻るということは、もしかしたら性別とか立場とかに多少の相違は生じるかもしれないけれど、同じような役割が引き継がれていても何も不思議なことじゃない。
どうあれ、そんなのはほんの些細なことだ。
だってその人物たちをまた殺してから、世界を変えれば良いんだから。
「おーい、リーダー」
「おや、朝霧。いつの間に来ていたの」
「えっ?気付かなかったんすか」
「要件は?」
「リーダーの本当の目的を確認したい」
「ん?……組織の活動を見ていれば説明なんてしなくてすむじゃないか」
「そっか、そうだよなー……というのは、たまにあんたの言葉は空虚なんだよなーって」
「さぁ、どうだろう。それだけ?」
僕は問いかけて、ふと思い出す。
「そうだ、裏切り者の始末、アクアが失敗したみたいだから、適当にやっといて」
「ああ、わかった。じゃあな、リーダー」
朝霧は軽く手を振って部屋から出ていき、僕は静かにその姿を見送った。
*
怪我からは完全に回復したけれど、体はなまっている。適当に体を動かさないといけないし、それに、考えるべきことや行動しないといけないこともたくさんあって……。
まず、状況を軽く振り返ると、数ヵ月前に組織と接触したことはあまり関係なくて、あれは本当に偶然と言える出来事だった。母さんが組織に所属していた関係で殺されかけた出来事は、俺が病院で星火に追いかけられたときだけである。
組織に所属していた当時のことを母さんから聞いたところによると、父さんも所属していたらしい。さすがにそれには驚いたな。その理由をたずねたものの教えてくれなかった。けれど自分から進んでではなくて、やむを得ない事情があった……らしい。二人のことは別にこれっぽっちも咎めるつもりはないし、俺はそもそもそんなことを言っていい立場でもないからな。
「……これから、どうしたら」
不安というよりも、話の規模が大きくて、どうしようもない気分だ。
「簡単だよ百々、組織なんて潰しちゃうの」隣に座った明がやけに素っ気なく、でもすっぱりと言う、「まぁ、簡単なんて言っちゃったけど、それが一番問題なんだよね」
「そうだな」
「いろいろあったみたいだから、良い方法が思い付かないのは仕方ないよ……というわけで」
一区切りつけて明はいう。
「みんなで考えてみよっか。もしも運がよかったらさ、誰か一人でも組織の場所を知っている人がいるかもしれないし!」
何故か病院で会った双子の姿が頭をよぎった……いや、あいつらは違うな。
「いそう?」
「いない」
「そっか……じゃあ、またいつもの日常に帰ろっか。無かったことにするの」
「それは出来ない」
沈黙が流れる、このまま同じことを話し続けることになるのは、お互いになんとなくわかっていた。
「……ごめんな、明」
「ううん、私も役に立てなくてごめんね。でも、何か方法はあるよ」
溜め息まで同じくらいのタイミングでつく程度には、付き合いも長い。
「嫌な予感がする。それを止めるには行動しないといけない……」
明は、いきなりなにか言い出したけど、いまいちついていけない言葉だなぁ、とでも言いたげな複雑そうな表情を浮かべてから、首をかしげる。
「どうして?」
嫌な予感がするのは不思議な夢を見たから、なんて言うだけでは納得してもらえないような気がして、でも、明ならなんだか頷いてくれるような……。
「うまく言葉にできないって感じだね」
そんな空気を察したのか、明はそう言って床に視線を移した。
「簡単に言うと、夢を見たんだ」
「夢?」
俺がこんなことを言葉にして言うのは珍しいと言うのもあったのか、明はこちらを見て目を丸くする。
「嘘みたいだろ?つか、信じようとは思わねぇよな」
「ううん、それはない。どうしてこの空気で友達の言うことを疑わないといけないの?」
その言葉にこっちも少し驚いた。いや、明らしいと言えば明らしい言いがかりをつけてくるなと思ったまでのことだが。ひとまずは、
「……信じてくれるんだな」戸惑いながら尋ねる。
「うん」明は首を縦に振ってから、「さっきも言ったけど、私達だけじゃどうにもならなそうだから、みんなで頑張ってみようよ」
*
町はずれの人が来ないようなところ。
俺と霧夜は何かに操られるようにしてそこまで歩いていて、行き着いた先には朝霧がいた。
いや、確実にほんのわずかの間でも操られていたんだろう。
「お前らを消しに来た。っていうと悪者感出るよな」
笑いながら軽い調子で言った朝霧は、星火を闇の空間から出現させたと思ったら、自分自身はふっといなくなった。あまりに突拍子のない出来事にあっけにとられそうになった時星火は俺に襲い掛かってきた。
俺の見た限りではどこかださい仮面をつけているが、組織のトレードマークだとか霧夜が言っていたような記憶があるので、あんま突っ込まないようにしよう。
攻撃に反撃すべく、俺は刀を引き抜き早速仮面を切り落とし素顔を晒してやる。
不意打ちには驚いたが、操られている分いつもより動きが読みやすい。
つうか、絶対に、絶対に!普段なら卑怯な真似をしてくるけれど、今のところその気配はない。かといって、油断ができるような相手じゃねぇけどな。
「星火、俺の音が心配してるんだぜ」
飛んでくる刃物形の闇を切り落としながら、話しかけてみる。言葉なんて届かないのはわかってんだけど、ついやっちまいたくなったから。
「まぁ、俺も少し、ほんのすこぉーしだけ心配してたんだ」
近付くと、星火は剣を手にして俺と切り結ぶ。
音もなく刃物と硬質化した闇はぶつかり合って、有限な物質である俺の刀が悲鳴をあげているのが直感的にわかって……次の瞬間に、俺は闇の手に体を包み込まれていた。
「ぐっ……!?」
吸い取られるような感覚と、体がきしんで全てつぶされるかちぎられるかのような激痛が襲う。
「斬、悪い」
霧夜の声がして、何とか視線を向けると、霧夜は魔眼……不可視無効化能力、だったか発動させたらしかった。次の瞬間俺は地面に落ち、血を吐き出しながら目を閉じた。
*
星火を操る能力の糸を強引に断ち切ったから、しばらく彼女は眠ったままで、星火と戦いに傷ついた斬の看病は音に任せることにした。
「私に出来ることはこれだけだから」
本来なら、操る能力の解除は音にして貰うつもりだったけれど、どうしても対峙した際に断ち切らざるを得ない状況だった。
そして、星火のコートのポケットには、組織の場所を示した地図が入っていて、こんな腹の立つ真似をできるのはあいつくらいで、目的はもちろん俺への嫌がらせだろう。
「どうしたの?」
「ん、いや、なんでもない……そうだ、後で白雪がここに来る」
「白雪ちゃんが?」
「ああ」
万が一の時も考えて、音を一人にしておくのは危ないし、そのことを白雪に話すと、快く頷いてくれた。
さすがに組織の場所に一人で乗り込むわけにはいかないけれど、このままにしておくのは危険だ。
*
如月エコは星空を見上げていた。
夜遅くに家を抜け出して、街頭の少ない所まで一人でとぼとぼと歩き、ふとひんやりとした夜風に吹かれ、夜空を見上げてそっと手を伸ばしてすぐに引っ込めて、ため息をつく。
その直後くらいに、足音が聞こえて少し怖いような気持ちになりながら振り向くと、懐中電灯を持った霜月ソラが心配そうな表情を浮かべてエコを見ている。
「出てくのが見えてさ、なにしてたんだ?」
「散歩……かな」
最近は物騒になっているから、本当はこんな時間に一人で出歩くのは危ないのを知らないわけじゃないけどとエコは苦笑してみせる。
「一人じゃ危ないぜ」
「そうだね」
「でも、俺が来たから二人だ!」
「三人よ」
新しい声がして、エコとソラはきょろきょろと辺りを見渡す。
はて、誰だろう?とソラが首を傾げたときに、誰かが地面に着地する音が聞こえて、コツコツとヒールサンダル特有の足音を響かせて、エコとソラの前にノイズが現れた。
「お姉ちゃん!」
驚きの声をあげるエコに、ノイズはにこりと微笑んでみせ、どこにいたんだろうとソラは相変わらず首をかしげる。
もしかしたら、星空に手を伸ばしたところを見られてたかな、とエコは顔を赤く染めて俯く。
「エコ、どうしたの?」
姉にたずねられて、慌てて顔をあげる。そうだ、きっと暗いから表情の色なんてわからないだろう。わからない、はず……。
「ううん……あ、あのね、歩きながら何か話したいなって」
「それ良いな」
ソラは頷く、ゆっくり歩いて帰れば、楽しい話や難しい話も十分にできる距離だ……できれば難しい話はしたくないけど。
「私も話したいことがあったの……この際だからね」
夏の夜の穏やかな時間になりそうだった。
*
数年ぶりの実家は、霧夜とか、たぶんその辺りの気のいい大人が掃除とかの手入れを怠らなかったのか、このまま暮らせるであろう程度には綺麗だった。それは良いんだけど……問題は、本来はこうして帰るべき家に帰ってこれても俺達は二人きりで、両親はいないこと。
全部の部屋を見て、時間が止まっているかのような錯覚。
――いや、止まっているんだ。
不思議だったのは一つの部屋だけ、何故か女の子用の部屋があって、俺達に姉か妹がいたかもしれないことが少しわかった。でも、生きているのか死んでいるのかもわからないし、部屋はあっても写真とかのそれらしい痕跡は見当たらなくて、今はこれ以上考えることはやめておくことにした。
またこの家で、今度は二人きりで生活していくことになるんだろう。
なんだかやるせない気持ちになって、この気分を何とかしようと考える。
そうだ、俺も瞬も海なんて数えるほどしか見たことがなかったから、行ってみようと瞬に提案した。
「俺もそう思ってた」
行っても特に何も変わらないということはわかっているけれど、場所を少しでも変える必要があった。
「なら丁度良いな」
二人で玄関までむかう、ここからどう行ったら海があるのかはさっぱりだが、まぁ遠い距離ではないだろう。
「待って……夏の海って日光ある?」
「あるもなにも、昼間だからな」
瞬は一気に顔をしかめた。こいつ、まさか……。
「行かない」
「はぁ!?」
いや、元々引きこもりがちな性格をしてるからこうなってもおかしくは……。
「そ、それに、夏の海ってもろリア充スポット、俺はできることなら可愛い女の子と浜辺をきゃっきゃうふふするんだ……二次元で。その中には標準的なものから、スク水でも紐みたいなエッチな水着でも、よく波にさらわれるビキニでもいい、まな板からきょぬーまでいるんだ、最近のアニメだと……」
瞬の視線は斜め上に行って、妄想をしているときの内容を早口で言うもんだから後半少し聞き取れなかった。
「お前夜型だったな」
とりあえずどう声をかけたものか迷って、そっとしとくことにした。
「秋、そもそも泳げなかったよね?」
「うっせぇ、泳げなくても見る分にはいいだろうが!悪いか馬鹿!キモオタ!」
「今キモオタ関係なくね……」
俺はリビングのソファーに座り背を向けると、瞬は二階の自分の部屋までいったようだった。多分、この前買ってもらったパソコンで何か見るんだろう。
「悪役の陰謀も本なら読めるようになってるが……そういうわけにもいかねぇや」
「厨二病乙」
「お前に言われてたまるか!つか二階に行かなかったのか!!」
ハッとして振り向くと、ガラスのコップに水をいれた瞬が半笑いで背後に立っていた。多分馬鹿にしてるってのが伝わってきたことよりも、聞かれていたことの方が恥ずかしい。
「飲み物……水しかないけど」
「あとで麦茶作ってやるから……」
「そう」
*
無差別にたくさん殺したくなったので、日曜日の公園に出向き、視界に捉えた全員の首を360度一回転させて殺した。
人間も動物も、ついでに木や遊具も。
見えない力で殺ったから、証拠は殺され方以外には残らないのだ。
最も、今回殺した中にはいないが、過去に曲げられてもすぐに再生して死なない人間もいた。
我輩なりのルールで、気に入った敵を殺した時の武器は保存して、殺した相手の武器は特別室で展示しておくことにしている。
――殺しても死ななかったその者は、人間であって人間ではなく、狼男だった。そして、狼男の持ちうる不死、再生能力を無効化できた武器は、密閉パックに入れて大切にしまってある。あの狼男の武器は何だったか……まぁ、後で確認すればよいか。
狼男と魔女のような存在だった血を受け継いだものの、能力には未覚醒だった双子を病院だった建物で育成していたらしいけれど、私にはちっとも会わせてくれなかった。理由としてはちょっとした拍子で封印している記憶が戻って、何かされても厄介だから……とかで。
組織の規模は広いのだから、それくらいいくらでも処分できただろうに。
それに、本当に未覚醒だったのかという疑問も生じていないわけではない。
「むつかしいこと考えないでよ!ざーっとしてわーみたいなの」
スコップを担いで、晴れているにも関わらず、青い雨傘を指している同僚の少女のような少年、室井美鈴は、いつの間にか隣にいた。
「ああ、悪かったね」
彼は自分でも制御できていないけれど、他人の考えていることがわかる能力を持っている……らしい。
「クウガ、また殺したのー?いけないんだー」美鈴は子供が子供を咎めるような言い方をしながら、手近にあった死体を引きずり、砂場にむかうと、スコップで穴を掘り始めた。
「リーダーに怒られちゃうよ?」
穴を掘る作業を見ていて思う。
さすがに、この砂場のキャパでは全員埋まりきらないだろう。
「その桜の木の下にも埋めるから」
それに気が付いた美鈴は、作業を止めて我輩の隣にあった桜の木を指差した。公園ができて間もなく植えられたばかりなのか、背も低いし痩せている。また掘り返してしまうと、成長が阻害されそうだからやめておいた方がいいと思う。
「うーん、そっか、じゃあやめるよー」
*
ふらっと路地裏の方に視線をやると、組織の仮面をつけたスーツの集団はどこからともなくあらわれて、どこかに向かおうとしているところだった。
俺はそいつらに近づいて行って、出現させた大鎌で片っ端から首を切り落としていく。
硝子の粉にでもして死体を片付ければいいだろうと思って。切れ味が鈍ってこないように、能力で上手く補正しながらそれを続けた。
それでもキリがないから鎌を消して、俺は大量の破片が落ちてくるという想像をして、黒服の奴等の頭上に落とした。落ちてくる硝子のすべては鋭くて当たった者は侵食されて硝子に変わっていった。
血の海と硝子の破片が突き刺さった黒い死体はどこかシュールだ。
ぼんやりと、これだけの数を殺したんだと考える。
こいつらを統括している奴が現れるか、あるいは捨て駒だから現れないか。どちらにせよ組織に関連する奴が現れればそいつと戦うまでだ。
地面に流れた赤い血に触れて、そこから侵食するように全てを硝子の粉に変えた。
「……黒と赤か」
あのときとほんの少しだけ似ていることに気が付いた。
――でも、あのときっていつだ?
思い出すにしても、ここに長居をしていて誰かが来ても厄介だから立ち去らないとな。
服に血がついてしまったのは、まさかすぐに脱いで洗うわけにもいかなくて……まぁ、母さんは音さんの所に行ったから見つかる心配もないか。
「あっ、いたー」
それは、無邪気な子供の声だった。
こんな場所にどうして?
振り向こうとして、いきなり目の前に現れたのは、閉じた青い傘をもって背中にスコップを背負った中学生で……少女にも見えるし少年にも見えるからすぐに判別がつかない存在だった。
「みれいは、みれいだよーうつくしーにすずー」
美鈴と名乗った人物に屈託のない笑みを浮かべられても緊張を解くことは出来ない。
「君も、たーくさん殺したんだねー」
「!」
この状況から判断できないわけではないだろうが、言葉にされて動揺する。
「あっ、あうぅ……怖い顔しないでよ」
「お前はなんだ」
わざとなのか元からなのか、こいつのペースに乗せられるわけにはいかない。
「名前は美鈴だけどね、死体くんって呼ばれてるんだぁ」
組織と関係があるのか無いのかだったら、確実に有るだろう。それなら殺すか、あるいは組織の場所まで案内させるか……会話が成立しないから殺すか。
美鈴は急にガタガタと震え出す。怖がっているのか?
「こ、こ、殺さないで!」
「えっ?」
言葉にしていないのに、どうしてわかった?
いや、俺の学校にこんな奴がいるじゃないか。
「それに、場所なんて知らないもん!!」
「……心が読めるんだな?」
「!」震えていた美鈴が一瞬で止まる、能力を言い当てられたことにびっくりしているようだ。
一瞬で移動してきたのは、移動能力もあるかもしれないな。
腕を組んでどうしたものかと美鈴を見る。逃げても良いが場所まで予測されかねないし、何よりこの状態では目立つ。
「あのね、わ、悪いことはしないよ……だってね、えっと、たくさん死ぬ人の気持ちが聞こえて、埋めなくちゃーって思ってここに来たの……だから」そう言う美鈴からぼろぼろと大粒の涙がこぼれてきた。傍目から見たら俺が悪い奴みたいに……見えるな。たった今殺すか考えてたな。
「そうか、じゃあな」
踵を返して立ち去ろうとしたときに、今度は紫色の髪の男がこちらを見ていることに気が付いた。
「美鈴がどこかに行くものだから……そうか、もしかして、君かな?」
男の口ぶりは穏やかなものでも、背筋から冷たいものが這って闇の中に放り込まれるように不安にかられる雰囲気を持ち合わせている。
「そう構えるな、君が殺したにしても何か無礼を働いた部下に問題がある」
威圧感とはまた違ったもので、指先一つでも動かすことが出来ない。
「あっ、クウガ!」
美鈴はクウガと呼ばれた男の所に移動して腰に抱きついた。
「おや、美鈴」
クウガは少しつまらなそうに呟き、スーツの内ポケットから仮面を取り出して顔に装着する。
「……やっぱりか」
もう何度も見たことのあるそれに俺は少しうんざりしつつ、いつでも硝子の鎌が出せるようになんとか動いて、腕を組むのをやめる。
「そうとも、お嬢さん」
仮面越しのくぐもった声は、嬉しそうに聞こえた。
「でも、我輩はお嬢さんを殺すつもりはないのだ」
*
俺は思うところがあって、彷徨うように町を歩く百々を尾行して様子を観察していた。
尾行の一連の知識や動作は朝霧とかの組織の人間に教えて貰った……と言えば聞こえは良いけど結構スパルタだったかも。まぁ、なんにせよ実践した。……もし力が使えるようになったら、手駒として扱うことができるようにという下準備でもあったんだろう。最近能力に覚醒して、それと組み合わせると更に効果を発揮したもんだからやっぱり……やめよう、考え出したらきりがない。
ため息をついて、ポケットに入っていた十円玉を指先で弄ぶ。少しも力は入れていないのに二つ折りになってしまった。
「に、人間離れ乙……」
この能力があるから、少し高いところでも足場を見つけてジャンプするだけですぐそこにいけるし、五感がやけに鋭くなって少し集中すれば透視も出来ることに気がついた。
話を戻そう。と、思ったけど、誰に話しているわけじゃない。これは、あくまで表現の一部分か、あるいは思考の一部分に過ぎないんだ。
今百々が接触している人物は……推測の域でしかないから後で秋に話すか……おぼろげな記憶だけど、多分そうだろうな。
仮面をつけたから百々達の話でいうところの組織の人間で、その傍らにいる男の娘(判別つかないので推定)も確実にそうだ。
ほんの一瞬だけ、男の娘の方がこちらに視線を向けたような……もしかしてバレてる?この距離で?
戸惑っていると、二人はまるで最初からいなかったかのようにふっと搔き消えた。
俺はこれから百々が通るであろう道にむかって、偶然を装って接触することにした。
彼女の状態が状態だから、人に見つかりたくないのは察することが出来るし、それに、この前のことを謝るには十分な機会かもしれないし。
て言うか、黒服集団相手に無双していたことから察するに、百々は弱いわけじゃないということもわかった。怖いくらいに凜としていて……逆に言うと、あんまりにもノリノリだったから、中二病なんじゃないかともほんの少しだけ思った。
彼女が通るであろうところで待機して暫くすると百々の足音が聞こえてきて、俺と鉢合わせた。
百々は一瞬だけ驚いたように目を見開いて、すぐに最初に会ったときの睨んでいるような表情に切り替わる。ちょっと怖かったので回れ右をして帰りたくなった。
「……何か用か」
言葉はぶっきらぼうでも、こっちを見据えていてくれるから、どうやら話をしてくれるみたいだ。
「あの……ごめん」
単刀直入に謝ると、百々は不思議そうに首をかしげて、はたと気がついたように自分の姿を見る。
「……この格好は気にしないでくれ、それに、お前なんて殺してもなんの意味もないし」
それはちょっと傷つく。でもそうだな、こんな美人に殺されるなら……って、
「ちがう!そうじゃない」
「えっ、違うのか?」
きょとんとした百々に頷く、
「この前……俺、守るとか言って何も……できなかったから」言葉につまりながら謝った経緯を説明する、まっすぐ百々を見ていたつもりだけど、すべて話し終わった頃には、いつの間にか視線は下に下がっていた。
「……謝らないでくれ、お前は悪くない」
悪くない?
本当に俺は悪くないのか?もとはといえば、自分で勝手に決めたことで、百々は嫌になったら逃げてくれとも言ってくれた。
その時の盾になる云々の言葉はアニメからチョイスしたセリフだからええと、黒歴史確定だけど。
「でも、思ったんだ……百々は、普通の生活に戻りなよ」
たった今危ないことをした血まみれの女の子に言う台詞じゃないことはわかっていた。
朝起きて、学校にいって、友達と話して……そんなありふれた生活。つい最近まで、俺達はその普通の生活を送ってきた訳じゃないから想像がつかないけど、でも、百々にならそれがわかるだろう。戦う女の子は確かにかっこいいけど、『組織との戦い』なんて二次元の設定だけで十分だよ。
「それは出来ない」
「どうして」
すぐに訊ねたら、百々はため息ともつかない息を吐いて黙り込む。言葉を探しているのか、呆れているのか、理由もわからずそう答えたのか……。
「……」
ただ謝るだけのつもりが、今度は百々に戦うことをやめさせようとしている俺なんて余計な存在だから殺そうとしているのかもしれない。
「ごめん……」
そんなの途方もない被害妄想だし、殺しても何の意味もないってさっき言われたな。
「いや、いい……でも、ありがとうな」
「えっ」
百々を見ると、少しだけ恥ずかしそうに顔をそらされた。
まさかお礼を言われるなんて思ってもみなかった……わけではなく、いや、それもあるけど、百々自身がお礼を言わなそうなイメージだったから、
「な、なんだよ」直後に睨まれたけど、不思議と怖さがない。可愛いぞ……まさか俺が三次元の女の子にそう思う日が来るとは。
「なっ、なんでもない」
可愛いとか、そんなことを言ったら何をされるかわかったもんじゃない!
また人の気配がして、俺は百々とここから離れようと咄嗟に百々の手を掴む。
「なっ、瞬!?」
「飛ぶよ」
驚いている百々を抱き上げて、地面を軽く蹴って跳躍して、建物の屋上まで移動する。決して長い時間ではなかったけれど、その間に腕の中できゃっとか意外と女の子らしい悲鳴が聞こえた。
「驚かせてごめん」降ろしてから謝ると、百々は顔を真っ赤にしてばつが悪そうな表情を浮かべながら俺を見上げている。
「人の気配がして……」
その一言で状況を理解したみたいだった。
「お前……能力者だったんだな」そう言われてぷいっと顔を背けられたけど。
ほんの一瞬とは言え恥ずかしかったのか、よほどの屈辱だったのかと考えたらおそらく前者の方だと思う。もしかしたらツンデレかクーデレ属性だろうか……どちらか判別しかねる。けれどこれはこれでアリだと思う。
「その……悪いが家の……いや、さっきの場所で良い」
「教えてくれれば送るよ」
「……頼む」顔を赤らめたままそう言った百々は、少しだけうれしそうな表情を浮かべた。ように見えた。
……さっきみたいにしようにも、もういくつか建物と建物を飛び越える必要があるし、いちいち下ろす訳にもいかない。それなら……。
「背中に」
「あ、ああ」
百々をおんぶすると、ふにゅりともむにゅりともいえる柔らかいものが背中に当たる。これは……当ててるのよ状態……だと?
「どうした?」
「その……胸が……」
「……!」百々の表情が見られないのがこの状態の残念なところだ。
気を取り直して、ビルとビルの間を飛ぶ、それを繰り返して五回目の時だった、着地した先の足下がまるでガラスの板みたいに脆くて、あっさりとそこはわれて、体が深い闇に吸い込まれていった。
「えっ」
背中には百々がいたハズだけど、その感触は無くなっている。
生暖かくて息苦しいそこは――
*
眠っていたわけでもないのに目を覚ました。
起き上がって周囲を確認する。とにかくさっきまでいた所とは全く違う場所で、木々が生い茂っていることからおそらくは森……なんだろう。多分。
それにしても瞬はどこに行った?
さっきまで、あんなに……いや、思い出すと顔が熱くなるんだが。
ともかく足元を見ると、暗い森の中なのに何かがキラキラ光っている。
よく見るとガラスの破片で、道を示すように道を作っていた。これは本当に道の役割をしているのだろう。
俺はそれを辿るように、探すように歩き進んでいく。
ふと、うなじの辺りにちりちりとした感覚を覚えて振り向くと、破片は見えなくなっていて、また前を見ると破片は輝いている。
どうやらもとには戻れないらしい。
進む以外の選択肢は選べないようだった。
童話のヘンゼルとグレーテルなら、家に帰るための道しるべのなんだろうけれど、俺は一人で歩いているし、これがどこに続いているかもわからない。
しばらく進んでいくと、開けて少し明るい場所に出る。破片の道はここで終わっていた。
そこは、お菓子の家なんかではなくて古びた映画館だった。
「ここに、何かあるのか?」
なにがどうあれ、戻るための道しるべは無いようだから、入ってみる。
シアター内に人影は見当たらない。
「ごめんね、驚かせるつもりはなかったんだ」
不意に響いたその声は明そっくりで、いや、明の声を低くして、男にしたらそんな風になるかもしれないような不思議な声だった。
「僕はこの世界にいた人間さ。時間もないから、適当に座って見ていってよ」
「お前、明か?」
「どうだろうね」
上映ブザーが鳴って、俺は近くの席に腰掛けると、冷たいものが手足に巻き付いた。
「鎖は見終われば消えるよ」
声の正体はわからないまま、真っ暗な室内にスクリーンの明かりが点り、映像は流れはじめる。
*
放課後の屋上で、少年は夕焼けの景色を眺めていた。
夕焼けと同じ朱色の瞳でぼんやりと虚ろに、能力者の割合が高い学園に入ってしまったことを後悔していた。
――このまま死ぬのもありかもしれないな。飛び降りれば終わるはずなんだ。
フェンスをよじ登って、屋上の縁に立って下を見ると、うす暗くてよくわからなくなっていたから少しも怖いとは思えなかった。
躊躇なく飛び降りて、少年の視界は逆さまになる。全身に風を受けて、そのまま地面に……。
「駄目ーっ!!」
「!?」
声が聞こえた、追いかけてくるような、そんな感じで。でも、どうやって?
疑問に埋め尽くされて、でも、気が付けば、灰色の髪の少女の腕の中にいた。
そして、死ぬこともなく地面に着地している。
どういうことだ。
「……よかった、間に合って」
灰色の髪に金色の瞳の少女は何故か今にも泣きそうで、でも心底安堵しているのが少年には伝わってきた。
安堵なんてされても困るのにな。
「余計なこと、したって思ってるよね……ごめんなさい」
沈黙を切り開くように、でもどこか申し訳無さそうに少女は言う。
「……死なせてくれ」
少年は目の前の女子には面識こそないが、制服のリボンの色から先輩に当たる人物なのだろうということを認識した。
助かってしまって、助かりかたに現実味が無くて、正直言えば屈辱的で、分かりやすく言えば悔しい。
女子がどっか行ってくれれば良いとさえ思った。
「君のこと、放っておけなくて……」
なおも言葉を続ける女子に背を向けて歩きだす、とても走れるような気分じゃない。
「ま、待ってよ!」
制止は言葉だけのようで、追いかけてくる足音は聞こえてこなかった。
歩くだけなのに、胸が苦しくなって目から涙が溢れる。多分誰もいないところで立ち止まって、それを服の袖で強引に拭う。嗚咽が混じって、さらに涙が止まらない。
*
翌日、那由多百夢は部屋にこもっていた。
どうも力が入らなくて、起き上がることすら億劫で、とにかく最低限の生活の動作もだるく感じて、うずくまっていた。
余計なことをしたあの女子はどうして……そんなことを考えて、何になるのか。
瞼を閉じて夢も見ずに眠る。
目を覚ました要因は呼び鈴の音で、百夢は何かに掴まって起き上がり、よたよたと玄関まで行く。
覗き穴を見ると、唯一の友人の伊藤が立っているのがわかって、ドアを開けた。
「百夢……いつも以上に顔色が悪いから、大丈夫なんて聞かないけど」
「それでいい」
「これ、プリントと食べ物。それと、統堂って先輩が君のことを探してて……休みですって答えといた」
「それでいい」
伊藤は俺の事を心配しているみたいだったが、察することさえ億劫だ。
「元気になったら、無理のない範囲で何があったか聞かせてくれる?」
「ああ」
「よかった」
「伊藤」
「ん?」
「ありがとう」
「よせや、なんだか死にそうな君には言われたくない」
……昨日実行したけれど、落ち着いてからそれを含めて話そう。
「じゃあね」
「ああ」
ドアを閉めると、倦怠感が襲ってきて膝から崩れ落ちそうになったが、なんとか部屋に戻って布団にくるまる。
気が付いたら理由もわからず泣いていた。
今の俺は何が苦しいんだ、それさえよくわからないのに、どうして涙が止まらない?
あのまま死ねていたら、伊藤は悲しんだのか。
他人の感じる悲しみなんて、ただの一度きりですむ。身内はどうかわからないけれど、いや、身内はずっと引きずっていくのか?
保険がかかっていれば、家族にはお金が入るけれど、今まで俺を育てるために使った金額分ではないくらいは知っている。割りに合わないんだ。
合わなくても俺は死なないといけない。
今すぐにでもそうするには、台所にある包丁で自分の喉か胸をついたら良い。
でも、起き上がる気力がもうない。今日は、友人との会話で使い果たしてしまった気がするから。
受け取った封筒を開けることもなく、俺は眠りにつく。
*
次の日もその次の日も同じ状態で、もしかしたらどちらかの日にプリントを届けに来てくれた伊藤に気付かなかった日もあったかもしれない。
今日の夕方、呼び鈴で目を覚まして、よたよたと廊下を歩いて玄関の扉を開けたら、伊藤は何故か驚いたようにこちらを見ている。
「……顔色悪いよ?」
寝てはいるけれど、ろくに動いていないから衰えているくらいだろうと思っていたけれど、顔色にまで影響あるのか。
「ちゃんと食べてる?病院にはいった?」
伊藤の問いに、言葉にして答える気力もなくて首を横に振ると、
「馬鹿っ!百夢の馬鹿っ!」
伊藤はそう吐き捨てて、プリント入りの封筒を床に叩きつけ走り去っていった。
確かに、ここ数日、外に出ようとしても急に悲しくなって結局部屋に戻って眠っていたりしたから、呆れられてもおかしくはないか。そういう問題ではないけれど……ここでこのまま立っているわけにもいかないので、部屋に戻って布団にくるまった。
少しうとうとしかけたときに、また呼び鈴が鳴り、俺はまた玄関に行き、扉を開けたら、息を切らしてコンビニの袋を持った伊藤が立っていた。
「ごめん……思い付かなくて……ゼリー……買ってきた」
「……あがってくれ」
部屋は掃除していないけれど、これと言って荷物が散乱しているわけでもないから大丈夫だ。
「いや、僕なんて構わなくて良いから、食ってゆっくり休め」
「少し話がしたくなったんだ」
ゼリーを食べながら伊藤にここ数日の有り様と、その原因でも話したくなった。
意思が伝わったのか、伊藤はきょとんとしてから、「わかった」そう答えて靴を脱いだ。
俺は先に廊下を歩いて部屋に戻った。
「心配だなぁ」そんな声が聞こえてから、伊藤は部屋に入ってきて、コンビニの袋を机の上に置き、俺と向かい合うように座る。
「果物入りとコーヒーゼリー……どっちが好きかわからなかったから、まぁ、明日にでも食べてよ」
果物入りに手を伸ばそうとしたら、伊藤はスプーン付きでそれを渡してくれた。
「……すまない」
受け取って、早速蓋を開けようとして、うまく力が入らずに苦戦していると、
「開けようか?」
「頼んでいいか?」
「うん」
また伊藤に渡すと、やけに簡単に開けてくれた。
「はい」
「いただきます」
スプーンですくって口に運ぶ、冷たくて食べやすい。
伊藤は頬杖をつきながらこちらを見ていた。
「美味しい?」
「とても」
それから半分ほど食べて、ゼリーを一度机の上に置いた。
「実は、一番最初に休んだ前の日の放課後、俺は屋上から飛び降りた」
「えっ」
「けれど、灰色の髪の女……多分、お前の言ってたなんとか先輩にそれを止められて、今に至る」
かいつまんで話して、半分残っているゼリーをまた食べ進める。
「ま、待って、学校を休んだ理由が短縮されてるからちょっと詳しく話して」
「助けられた後、なんだか悲しくなって、体もだるくなって……今もそうだが、外に出ようとすると泣きそうになる」
「えっと……もしかして」
「多分俺のことを探していたとか言った奴はそいつだと思う」
「……大変だったね」
「ごめん」
「ううん、何があったか話すのなんてきついときはきついんだから、それに比べれば別に」
伊藤は困ったように笑って見せる、いや、実際、困っているに違いない。
ゼリーを流し込み、立ち上がって冷蔵庫にもう一つのゼリーをしまう。そのついでに、開けていない紙パックの珈琲牛乳を出して伊藤に差し出す。
「やる」
「僕の好物だけど……受け取れないよ」
「ゼリーの礼……現金は持ち合わせがないんだ」
「お金なんてもっと受け取れない!」
無言で手に握らせると、伊藤はそれを鞄にしまった。
「……僕はそろそろ帰るけど、できれば学校に来てね」
「明後日にでも行くさ」
「わかった」
伊藤は立ち上がって、じゃあねと短く別れを告げて帰っていった。
*
ネガティブな少年と明るくて少しそっけない少年のやり取りは、どこか俺と明のやり取りに似ていた。
――似ているんじゃなくて、同じなんだ。
いつの間にか隣に腰かけていた、俺にそっくりな少年は短く答えた。
あの、髪が灰色の少女は……。
――お前はそいつに会っている。
*
久しぶりの学校は、相変わらず気だるく感じて、授業の間の休み時間にはほとんど机に伏せていた。
昼休みになって、特に食欲もわかないが伊藤と共に購買へ行こうと廊下を歩いると、
「あっ」
誰かが声をあげる。
別に、大したことではないと、そう思っていた。
「待って」
誰かにむかって言っているみたいだが、その誰かは気付いていないようだ。
小走りで追いかける音は、段々とこちらにちかづいて来て、多分俺達を通りすぎ……。
「ねぇ!」
なかった。
だって、声をかけられたのは俺だから。
「百夢?」
「先に行っててくれ」
伊藤はきょとんとしてから、すぐ首を縦に振って歩いていった。
「何だ」
灰色の髪の先輩は、少し戸惑ったように俺をみる。
「あ、あの、ごめんなさい……でも、あなたが生きていて良かった」
……こんなことを言うために、呼び止めたのか?
「そうか」
「また後で話をさせて、放課後、屋上で待ってるから」
言うだけ言って彼女は足早に去っていく、視線で追った先には彼女にそっくりな女子がもう一人いた。
断る暇もなかったが、行かなくても別に……いや、また話しかけられても困るから行こう。
その後、俺は伊藤を追って購買に行くと、伊藤はパンと珈琲牛乳を買い終わった直後だった。
「そうそう、あの先輩だよ」
「屋上に呼び出された」
「えーっと?」
「放課後は先に帰っていてくれ」
「わかった。無理はしないでね」
無理だと思ったら飛び降りるさ、と言うわけにもいかないので首を縦に振った。
*
仮面の男はケタケタ笑う。誰も気が付かないうちに自分の望む世界にできる力を手に入れて、実行するのだから当たり前だ。
*
場面の跳躍。どこでいつなのかさえもわからない、壊れかけているどこかだった。
那由多百夢の体はもうほとんど動かないけれど、なんとか右手を動かしてポケットからリボンを取り出して、彼女に差し出す。
「百夢くん……?」
「……かわっても……わかる……ように……」
目もよく見えなくなってきたし、その言葉も途切れ途切れになっていたけれど、彼女にはきっと聞こえている。と俺は信じることにした。
「うん、わかった、わかったよ……だからもう、話さないで」
「……あり……がと……」
うまく笑えただろうか。世界が書き換えられていくから、きっとこんなことをしても……。
「どうして、こんなときに笑うのよ……馬鹿っ……」
能力者じゃないからこそ、二度とこんなことが起こらないようにと願う。
きっと、わかりあえるハズなんだ。
もしかしたら、能力者を止められるのは、同じ能力者なのかもしれないな。
書き換えられた後の自分は、どんな奴なんだろう。
*
――上映はこれでおしまいだ。まさか、改編後の俺とまた話すことが出来るなんて思いもよらなかった。
「言ったろう。見えなくなっても見せることは出来るって……でも、結構危ない橋だったんだ。良かったね、こっちの世界の君が女の子で」
――しかも、能力者じゃないか。
*
腰を下ろしていたかび臭い座席の臭いで我に返る。辺りは薄暗くて、シンと静まり返っていた。
ついさっきまで、確実にスクリーンから映像が流れていて、隣に誰かが座っていたように思えたけれど、いなくなっているし、巻き付いていた鎖も消えていた。
「俺が成すべきこと……」
座席から立ち上がって、硝子で鎌を作り出し、両手で持ち、破れたスクリーンに切っ先を向ける。
すると、やけにタイミング良く、仮面の男が映し出された。
全く知らない人間の野望を砕かないとならないなんて、しかも、その役割が俺なんてどうかしていると思うが……。
「百々」
急に名前を呼ばれて振り向くと、会うのは二度目で、見せられた記録内では少女だった人物がいた。
「……やっと会えた」
「……そうなるんだな」
どうしてここにいることがわかったのかを聞くと、瞬は顔をそらして黙り込む。
「どうしてここに来れたのかわからないんだけど、君からいくつか離れた席に座ってたよ」
座席から出て、つまずかないように気を付けながら階段を上がって瞬に近付く。
「俺は森を歩いてきた」
「……俺とは違うね」
どうやってここに来れたのかはお互いによくわからないということか。
「映像は見たか?」
目の前にいる瞬はもしかしたら偽者とか、幻覚の類かもしれないけれど、話し相手がいないよりはましで、ひとまず質問を変えてみることにした。
「映像?」瞬は不思議そうに首をかしげる。
「今言ったことは忘れてくれ」
「だが断る」
即答だった。
「君はなにを見たの?」
映像と、ほんの少しの間だけそれを一緒に見ていた人物についてを話すべきか……話して、信じて貰えるのか?
「……過去に、この世界に何があったかだ」
正確に言えば改編される前の、俺と同じ立場か役割の人間の記憶、視点を映像にしたものたろうけれど。
その結末は、改編前の俺は抗ったけれど殺されてしまったようだった。詳しい過程までは見れなかったけど、もしも今の俺が同じ結末をたどるとしたら……。
それが今の世界を続ける為に必要なら、全体から見れば、たった一人の犠牲で終わるのなら……。改編を阻止することが出来るのか?
できないと、やらないとならない。
「那由多百夢……だっけ……君の前の世界での名前」
確認するように恐る恐る聞かれて、俺は首を縦に振った。すると、瞬は髪を結っていたリボンをほどく。
「それは……」
色は、紫色。今まであまり注意してみていなかったが、
「君は気づかなかったし、俺も意味をわからずにつけてたけど……そ、そういう事か」
「……そうみたいだ」
なにがそうなのかは上手く言葉に出来ないけれど、少しだけほっとしたのは確かなんだ。
「だから、ここに来れたんだよ」
「ああ」
「もし、世界が変わっているなら、きっと、俺達だってそうだ」
「それは……」
何か言い返そうとしたときには、瞬は出口に向かって歩いていた。
「もう、元の所に帰れるはずだよ」
慌ててついていこうとして、また振り向くと両目を隠すように包帯を巻いた人物が緩く手を振っていた。
「じゃあね」
「ああ、お前もな」
「あはは、そのうち、消えちゃうんだけどね」
「そうか。それなら、良い夢を」
「うん」
*
映画館とそこで見た映像は結局なんだったんだろうと考える。
短くまとめれば、誰かが戦って、死んでいったのかはあいまいな表現でぼかされていたけれど、その記録のダイジェストのようなもの。多分、彼女と俺の……?
白昼夢とも誰かの妄想の一遍と考えることが出来るようで出来なくて、混沌としていても、見なかったことには出来ないものだった。
「あの……」
振り向くと彼女はうなだれていて、髪の毛で隠れているから表情を見ることはできない。どう声をかけたものかと思って、それでも口を動かそうとする。
「……気をつけて帰れよ」
視線に気が付いてこちらを見た百々は、最初に会った時と変わらない少し人を寄せ付けづらいような凛とした表情を浮かべてそう言った。
「うん、またね」
*
その日の夕方、霧夜さんが俺たちの所を訪ねて来た。
俺たちは組織と戦うことを告げると、霧夜さんは静かに一枚の写真を光の空間から取りだして俺達に見せる。写っていたのは、仮面こそつけているが昼間見かけた紫色の髪の男に違いなかった。
「君達には復讐という形で戦って欲しくない」
「それなら、仇の写真なんてみせんじゃねーよ」
「別に復讐でも良いよ……俺達はこれで死んでも何も残らないんだから」
「それは俺だけの台詞だ馬鹿。お前だけは何か残るだろ」
あきれた風に秋は言うと、すぐに口元をつり上げて不敵な笑みを浮かべた、俺だけに何かが残っても……いや、どう答えるのがいいのかわからないので黙っておくことにする。
「急で悪いが、明日にでも組織の拠点に向かう」
*
「さよなら、友達を大切にね」
自分そっくりな、いや、本来は自分自身である存在は穏やかに透明になっていく。
ぼんやりと輪郭が薄れて、世界から消えていく様を見届けるのは最初で最後かもしれないと、伊藤明はそれを見ている。
「さよなら、伊藤明くん」
でも、この世界に私がもう一人いたなんてと明は思う。
少し驚いたような表情を浮かべて、消え行く存在は少し困ったように笑った。
「なんか、変な感じ……調子崩れるなぁ」
「やっぱり、同じ名前だったんだ」
頷いた少年は、明が次に瞬きをしたときに消えしまった。
*
組織の本部の建物は、数年前に潰れて、壊されることも無くそのまま放置されているビルの形をした複合施設だったものだった。
だれもその違和感に気が付かなかったのは、能力でなにかの細工……例えば建物に対する周囲の認識能力を希薄にすることでもしているのかもしれない。これは、人を操る能力でもあれば簡単に行うことが出来るものの、何年も継続してかけ続けるのは骨が折れるだろう。
足を踏み入れると床にはモスグリーンの絨毯が敷いてあり、慣れない感覚と自分達の足音が消えていく。人気が無いことが逆に不気味だと思ったが、不気味だと思わせることが相手側の意図なのだろうと予想……しようかと思った。まぁ、先にここに来たリク達が片付けたのかもしれない。
「やっぱり一番上の階かな?」
俺とノイズはエレベーターか階段を探すために辺りを見渡し、8階と12階で止まっているらしいエレベーターを見つける。
「この階に行ったのかしら?」それをすぐに確認し終えたノイズはぽつりと呟く。
8と12以外の情報としては……最上階は21階で、かつて展望スペースとして使われていたようだ。
エレベーターはおそらく下の階に行くボタンを押さない限りは降りては来ないんだろうけれど、空のエレベーターが必ず降りてくるとも限らない。
「もう罠にかかってる、なんてことは無いよね?」
エコは心配そうに言うけれど、あいつらに限ってそんなことは無いだろうと思いかけたが、なにが起こるかわからないか。
「じゃあさ、階段で上って、その階を確認するってどうだ?」
ソラの提案した階段……歩くのは嫌いじゃ無いし、形成的にも至極当然な判断だが、俺はここ最近ろくな思いをしていない。
「あれ、百々?顔色が悪いよ?」
その様子に気づいたのか、明は心配そうにたずねてきて、俺は思い出しかけたことを振り払う意味も込めて首を横に振る。
「なんでもない」
「そっか、無理はしないでね」
無理をしていたらここまで来ていない。そんな会話をする俺と明をよそにノイズは階段室への扉を開けると、数段上にはスコップを背負った美鈴が立っていて、ひらひらと手を振っていた。
「美鈴……」
「知り合い?」
名前を呟くと、ソラは俺と美鈴を交互に見やった。
「モモとふたりはくるかなぁーって思ってたんだー」
「あなたは何者なの?」
エコが問いかける。こんなに小さな子どもが組織にいることは不自然だと思ったのだろう。
「うーん、あっ!えっとねー一緒にいるさんにんは初めましてー美鈴って言うの!うつくしいにすずなんだってー」
あははははっと無邪気に笑った美鈴は階段から飛び降りるようにジャンプをすると、ふっとかき消えて俺の目の前に現れた。
「ばぁっ!」
「なんのつもりだ」
「なぁーんにも、ないよ。みにきただけー……いくなら一番上だよ、生きてたどり着けるといーね!あはははっ」光の無い虚ろな瞳でにっこりと笑うと、美鈴はまた最初からここにいなかったかのようにふっと消えた。
俺は階段を上るために、手すりに手をかけて一気に二段ほど上がる。
「行こう」明は呆然としていた3人に声をかけたようだった。
消えて俺の目の前に現れた。
「ばぁっ!」
「なんのつもりだ」
「なぁーんにも、ないよ。みにきただけー……いくなら一番上だよ、生きてたどり着けるといーね!あはははっ」光の無い虚ろな瞳でにっこりと笑うと、美鈴はまた最初からここにいなかったかのようにふっと消えた。
俺は階段を上るために、手すりに手をかけて一気に二段ほど上がる。
「行こう」明は呆然としていた3人に声をかけたようだった。
「どうしたの?」
屋上から飛び降りるために階段を上がったときは……まぁ、屋上に行く目的以外に思い入れは特になかったな。
「なんでもない」
明にたずねられたものの言葉に言い表す程のことでも無い些細なことだと思った。
「そっか」
それを察したのか、明はまた階段を上がりはじめた。
*
組織の本部の8階。
ノイズ達より先に乗り込んだ俺達と父さんの連れてきたよくわからない双子は1階にいた敵を殲滅し終えて、その直後くらいに二人ずつに分断されて勝手にエレベーターに乗せられてこの階についた。
あんまりにも一瞬の出来事だったから、瞬間移動かなにかをさせられたんだろう。どのボタンを押しても反応はしなくて、唯一たどり着いたといった方が正しいか。
薄暗くて何があるのかわからない。
「なんか不気味だな」
何故か、例えるならお化け屋敷のときにぴったりくっついていたノイズとほとんど同じことをしている海に若干イラつくが……平均的な反応なのかもしれない。でも少し離れて欲しいが。
ポケットに入れておいたライトで近くの壁を照らすと、壁では無くてロッカーのようなものが沢山並んでいて、閉塞感を覚える理由がわかった。ここは死体安置所のような役割をしている階なのだろうと推測をする。
適当に開いて誰かの遺体と対面すると言うのも面白そうではあるが、そうすると海が腰を抜かして使い物にならなくなるだろう。ということで、この階の正体についても黙っておく。
「進むぞ」
「マジかよ」
引き返して最上階まで行っても良いが、この階を探索しておいて、ソラ達のために障害を取り除いて置くことのほうが重要だ。
「……まぁ、そうだよな」
「ああ」
なんとか吹っ切れたのか、海は俺から離れた。
まっすぐ進むと、灰色だった床は蛍光色の緑色の液体が流れる床の通路に切り替わって、室内なのに室外にいるような生暖かい風が吹き抜ける。
通路を抜けた先は、おそらく本物の満開の桜が複数植えられている部屋で、照明の代わりに、おそらくは人工の満月がそれらを照らしていた。
「桜の木の下には死体が埋まっている……と、八重は聞いたことがあります」
一番大きな桜の木の下で、舞い散る桜の花びらに手を伸ばしながらそう言った着物姿の女性を俺は一度見たことがあって、いや、一時的に操られたな。
「海」名前を呼んでから蹴飛ばして、そのまま一時的に闇の空間に放り込む。
そんな一連の流れには目もくれず、八重姫はまだ桜を見上げている。
「八重はとても気になるのです。人間はどこまで人間なのでしょうか……お兄さまに聞いても教えてはくれなかった」
言葉を聞き流しながら銃剣を持ち直して床に突き立てると、八重姫はようやくこちらをむいた。
「あなたは、一度お人形にしましたね……なので操れません」
「やっぱりか」呟いたのは言い返すためでは無くて、ある程度の仮説が確信に変わったからだ。
海が操られて八重姫の能力をブーストされても厄介だから、一時的に空間に入れておくのは正解だったようだ。
銃剣の切っ先をむけて引き金を引き、発射された弾丸は八重姫の心臓を狙う。室内だから風はあまり起こらずにほぼ正確に飛んでいき、そのまま貫くように見えた。
しかし、八重姫は微笑んだかとおもうと、次の瞬間桜の木の下から現れた着物姿のうさぎによって弾丸は弾かれた。
「問いかけたところで、八重の中ではもう答えは出ていましたわ。人間の死体も人間です。だから、お話は出来ないけれど八重のお人形です」
これ以上床から出てこれないように床を凍り付かせてから、闇の空間に入れていた海もついでに取り出す。
「リクっ!いきなりなにするんだ!」
「あとで聞く」
視線を向けた先の女は妖艶な笑みを浮かべ、次の瞬間には桜の木と、その花びらまでもが一瞬で複数の人間に変わった。
今までなにを見させられていたのかと動揺したが、いきなり現れた人間達は必ずどこかに包帯を巻いていて、酷いくらいに青白い顔をしていて……。
「これって……」
先にさっき通ってきた死体の保管庫内の死体を闇の空間内で解体して、俺達を取り囲む死体達は海が俺の氷をまとわせた弓矢で頭を射貫いていくが、さすがに数が多すぎるので、手をかすことにした。
*
12階
外に出たときの数少ない経験ではあるけれど、例えるとしたら美術館を思わせるような内装をしていた。
展示物はどれもこれも武器ばかりだけれど、それらが硝子ケースや絵画の額縁に入れられていて、丁度良く調節された照明で照らしている。展示しているものをよく見てみると、プレートには誰かの名前と日付が書かれていた。
「なに……ここ」
美術館らしい仕掛けなのか、やけに大きな額縁の中を通り抜ける。
「さあな」
ふと、偶然とも必然ともつかずに視界に入ったそれは俺たちの心を一瞬で凍り付かせるには充分すぎるものだった。
となりに立っている瞬が崩れ落ちる音が聞こえて、俺までそうするわけにはいかないと反射的に思考する。今鏡を見たら恐怖していることがすぐに認識できるだろうとも思った。来た道を戻ればすぐにでも引き返せるけれど、足がその場に縫い付けられたように一歩も動けないでいる。
「あれは……父さんの……」
「……そうだな」
頭では何年も前に死んでいるという事実は思い出していて、霧夜から聞かされて納得したつもりだった。
絵画を入れる縁に飾られていたのは、黒い紋様の描かれた父さんの背中の皮膚そのもので、プレートにも、父親の名前である統堂謙信と、日付があった。
もしこれが無かったとしても、俺達はこれを父さんのものだと認識するだろう。
「君たちのお父上は、あの魔法陣から武器を出して我が輩と戦った……だからこうして持ち帰って保管したのさ」
背後から声がして、急に身体が動くようになった気がしたがそんなことはなくて、首だけを動かして振り返ると、紫色の髪の男がうっとりとした表情でこちらを見ていた。
「君達は殺しがいがあるといいけど、お父上とお母上には遠く及ばなそうだ……」
「……うるさい」
言葉を続けようとする男を遮ったのは瞬で、なんとか立ち上がり、俺の肩に手を置く。
「……これ以上あんたの話をきいたって、生き返らないし……それに、俺達にとって、あんたは殺しがいがある」
瞬の手が明らかに震えている。俺はその手を押さえようとして、俺自身も少し震えているのがわかった。
なんて情けない。怖がって当然だから怖がるけれど、こうも正直に身体に表れるなんてな。
「ははははっ、良いだろう。それならはじめようか!!できるなら、できることなら我が輩を殺して見せろよ!!」
仮面をつけた男の笑い声とともに、何かが閉まる音がした。そんなことをされても最初から逃げるつもりなんて無いし、例え刺し違えてでもこいつを殺す。
俺は腰に巻き付けていたナイフを引き抜いて、一度時間を止める。俺に触れていた瞬は大きく息を吐く。よかった、動けるようだ。
「お前なんて、あっさり終わるぞ」
「そうだよ。ばーか」
相手は全く動いていないことを確認してから、俺は手袋を外して父さんの背中の皮膚の紋章に触れて、それを起動させる。
出て来たのは現実とも幻影ともつかない一降りの長剣で、引き抜こうと手をかける。
そのわずかな間、見たことも無い光景がフラッシュバックして、これは剣からみた父さん達の最期だと気付く。
抱き合うようにして二人とも目を閉じて、今手を伸ばせばそれを変えることが少しでもあるとしたら……不意に、過去の光景の母さんが俺のほうをみたような気がして、なにかを言った。
「秋!?」
これ以上は戻ってこれなくなるけど、それは充分伝わった。
そして、なんとか剣を引き抜いて瞬に託す。
「これはお前が使え」
悔しいが、父さんと同じ能力のこいつには扱えるようだった。
心配そうに顔をのぞき込む瞬に、なんとか笑みを浮かべてみせる。本当は今すぐにでも座り込みたいが、そういうわけにもいかない。
「……任せたぞ」
「……わかった」
また時間を動かして、瞬は俺の目の前からふっとかき消える。次の瞬間には男に斬りかかり、音を立てて剣と剣が衝突して、幾度か切り結ぶ。
「その剣。ああそうか、そういうことか!」
次に剣が衝突した時、瞬の方の剣は男の剣をすり抜けて、男の眉間を突き刺して、そのまま剣を降ろした。
確実に死んだことを確信したが、死体を残して生き返られても困るので、俺はポケットからライターを取り出しながら近づいて、それに火をつけた。
「お前は、あいつの所に行くんだろ?」
「……あいつって?」
「展望室目指して行きゃ、会えんだろ」
瞬に視線を向けると、間抜け面で俺の方を見て首をかしげていたが、すぐに思い出したのか少しばつが悪そうな表情を浮かべて首を縦に振ると、俺の前から掻き消えた。
*
6階の踊り場まで到達したところで、その先に進もうにも階段は大きな扉で塞がれていた。押しても引いても開く様子の無いそれを、試しに硝子に変えて開けようと扉に手をあてる、無効化されているのか材質が変化する様子は無い。
「硝子に出来ないだけで溶かすとか?」
「やってみるぜ!」
エコの提案でソラは同じように扉に手をあてて大きく深呼吸するものの、炎が出る様子は無く何の変化も起こらない。黙ってみていたノイズはソラをどかして静かに刀で斬りかかる。
「……駄目ね」
その刀身は確実に扉に触れたと思ったら何故かすり抜け、そう呟いて小さく首を横に振った。
「見えない壁の視覚化なのか、それとも、私達の感覚が操作されてるのかどっちだろう」
明の考えはどっちにも取ることができるものの、ただただ単純に無効化されているだけのような気がする、仕組みがどうなのかというのはカットして、つまりは、
「どんな理由にしても、このフロアによらないといけないってことだな?」
その必要があるのなら、なにも面倒だとは思わない。そもそも、さっきも言ったがそれ以前に本当に嫌だったらこんなところには来ていないからな……。
仕方なく扉をあとにして六階のフロアへのドアを開ける。フロア内には長机やらパイプ椅子やら大きなモニターがあって大人数で集まることが出来るようにしてあった。早い話が会議室のような所で、やけに空気が張り詰めている。そこに一人で佇んでいた人物は、朝霧だった。
「久しぶり、生きてたんだ」
その表情や口調は明るいものではある。でも、目はどこか人を馬鹿にしているようで、どこも見ていないようにも見えてつかみ所が無い。
「まぁそう警戒しないで……なんて言っても……おっと」
この場から俺達は一歩も動いていなかったけれど、朝霧は唐突に現れたなにかをよけて、取りだした匕首でそれを弾く。その直後に音も無く現れた光は見慣れた人の形を形成して現れた。
「父さん!」
その姿を一番見慣れている人物であるソラが叫ぶ。
「次の階に行け」
「ああ、そういうことか」
部屋から出ようとして、いつの間にか散らばっていたなにかを踏んだ瞬間に、全身が切り裂かれるような激痛が走った。
*
すべてを片付けた俺と海はお互いに背中を会わせてその場に座り込んでいた。
少し能力を使いすぎたらしい海は息を切らしていて、まさかこのまま見捨てるわけにも行かない……と言いたいところだが、二人して満身創痍で動けない。
「あの人……最期はなんて言ったんだろうな」
「……さあな」
八重姫を殺したときに、最期になにか口を動かして俺達に伝えようとしていたが、伝わることはなくて……。
「悲しそうだったって言うかよ……なんだろうな」
*
次に瞬きをした瞬間には、いつかみたいに半ば地面にたたきつけられていた。どういうわけか、一番目指していたそこに辿りついていたのだ。
瞬間移動の能力を操る奴にはろくな奴がいないことが証明されつつあるような気がしてならない。まぁ、思考が出来るし、あちこち痛いけれど特段出血とかはないし手も足も動く。
「……」
周りに明達がいないことに驚いたが、どうなろうがきっとまた後であうことは出来るだろう。立ち上がった俺はいつの間にか手放していた死神の鎌をまた硝子で作り出す。
今度は攻撃をしてもすり抜けないだろうな?
「初めましてではないね」
ずっとその様子を見ていた仮面の男の言葉は、まるで最初からこんことを期待していたかのようだった。
「前の世界に戻せとは言わない」
これは、那由多百夢ではなく、百々としての言葉のつもりだ。
俺がおそらく百夢として存在した前の世界もあったけれど、そいつらは、次の世界で同じことがおきないように……目の前のこいつを殺せと言ったんだ。
踏み込んで鎌を振り下ろすと、男は体を左にそらして腕を切り落とさせた……ように思えた。
床に落ちた腕と切断部分からの出血、激痛に声をあげることも無く、むしろそれがどうしたとでも言わんばかりの振る舞い。今度は心臓を潰すように胸を抉ると、仮面の男は鎌を掴んで自らもっと深く突き刺していく。まるで、自分が幻影では無いことを証明するかのようなわざとらしさに、俺は離れる。
男は倒れること無く立っていて、不死身であることを物語っているようだった。まぁ、世界を一度変えた人間ならこれくらいあって当然のこと……なのだろうか。
「少し話をしよう」
炎で作り出した剣を持った男は近付いてきて、俺はそれから逃れるように後ずさる。
「何故僕が世界を変えたいのか。君にとっては悪の組織だけど、それが現れた理由を誰にも教えたことはなかった」
熱によって硝子が溶かされるのは避けたいところではあるが、俺の武器になるものはこれしか無い。
斬りかかってきたものを受け止めて、熱で硝子が溶かされないようにまた離れる。
「僕の恋人は、能力者じゃ無い奴等に殺されたんだ」
斬る代わりに大量の破片を出現させて男の足を付け根から切り落とす。死なない代わりに追いかけてこれないようにするには今のところこれが良い。
「だから、僕は世界を変える……邪魔者は消えてよ」
そいつの肉体の再生は一瞬、でも、再生よりも補充のほうが近い。こんな奴に勝てるわけが無いと思わせるのも一瞬だったけれど、そんな思考は突如全身を駆け巡った痛みによって断絶される。
――これは、攻撃した/された分の痛みだ。
急所意外は切り落とされるまでは行かないけれど切り刻まれる。
そして、なにかのスイッチでも入ったのか唐突に視界は切り替わる。
今見えている世界は、普段なら決してみることの出来ないものだろうと理解できなかったけれど出来た。
目に映るもののすべてが点と線で出来ているように見える。だから、今の俺にはどこをどうすれば殺せるのかがわかるような、そんな気分だ。
嘘とも誠ともつかない曖昧で鮮明な感覚に踊らされているのか、混乱しているようでやたらと冷静なような……鎌の柄を握りなおして息を吐いても、煮えたぎっているくらいに身体中が熱くてふらつく。
それでも、最短距離で接近して仮面の男のすべてを刈り取るように点を突いて線を抉り斬ってみせる。
これは、一閃にしては歯切れの悪い、それでも、これを終わらせるための――
男の全てが灰/赤黒い泥にかわって、文字通り消滅した。
どのくらいその場に立っていたのかわからないが、視界はいつも通りのものにかわって、気づけば痛みも無く身体中から血が吹き出ていた。
「……終わり……か?」
あたりまえといえばあたりまえにくらくらして、後ろに引っ張られるかのように倒れこむ。
ひどく寒くて、けれど、いつの間にか来ていた誰かがささえているのか、あたたかく感じる。
「百々?」
視界は黒く塗りつぶされて、意識も遠のいていく。